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新婚(仮)生活――3

 自分の分の荷解きをしたあと、俺は自室で仕事をしていた。


 日は傾き、窓からオレンジ色の光が差している。共用の分の荷解きをしていたら、仕事をする時間は取れなかっただろう。


「蓮華に感謝しないといけないな。少し(しゃく)ではあるけれど」


 独りごちながら、パソコンの画面に表示されている書類をチェックし、カタカタとキーボードをタイプしていく。


 コンコン


 ノックの音が聞こえたのはそのときだ。


「どうぞ」

「失礼します」


 タイピングする手を止めて振り返ると、トレイを手にした蓮華が部屋に入ってきた。トレイには、紫色の液体が注がれたグラスが乗せられている。


「飲み物をお持ちしました。お仕事で疲れているかと思いましたので、疲労回復効果のあるビネガードリンクです」


 蓮華が(にこ)やかな笑顔を浮かべ、グラスを差し出してくる。


 グラスを受け取りながら、俺は目を丸くした。


「荷解きをこなしたうえに差し入れまでするなんて……そこまでしなくていいんだぞ? 大変だろう?」

「秀次くんも、荷解きを終えたばかりなのにお仕事をしているじゃないですか」

「俺は山吹グループを継ぐんだから当然だ。()を上げるわけにはいかない」

「でしたら、わたしは秀次くんの妻になるのですから気を回すのは当然です。まあ、わたしは(つら)くないので音を上げるまでもないですけど」

「いや、疲れはしているんじゃないか? きみは自分の分に加え、共用の分の荷解きまでしているんだぞ?」

「それがまったく疲れていないんですよ。きっと愛の力ですね」

「なるほど。冗談を言う余裕があるのなら、たしかに疲れていないんだろうな」

「冗談じゃありません。本気です」

「はいはい」


 適当にあしらうと、蓮華が「むぅ」と不満そうにむくれる。そんな仕草も可愛らしく見えるのだから、蓮華の美少女度は相当なものなのだろう。


 それにしても、どうして蓮華はここまで尽くしてくれるんだ?


 共用の分の荷解きや、差し入れのドリンクはもちろん、家事も自分ひとりでこなすと蓮華は宣言している。婚約したとはいえ、蓮華が理想の妻を目指しているとはいえ、交流のなかった俺にここまでしてくれるのは不可解だ。


 どうしてか考えてみるも、さっぱりわからない。そこで俺は、単刀直入に蓮華に尋ねることにした。


「蓮華、きみはどうしてここまでしてくれるんだ? きみはたしかに俺の妻になるが、それだけでは尽くす理由にならないだろう?」

「いまは内緒です」

「内緒?」


 返ってきた答えは要領を得ないものだった。俺は眉をひそめる。


 静かにまぶたを伏せて、蓮華が続けた。


「いまはまだ、打ち明けるべきときではありません。お伝えしても、秀次くんには信じてもらえないと思いますので」

「意味深な発言だな……いつかは打ち明けてくれるのか?」

「もちろんです」

「それはつまり、俺がきみの告白を信じられる日が来るということか?」

「ええ。正確には、わたしの告白を信じられるようにしてみせる、ですけどね」


 いつもより強気に感じる笑みを、蓮華が俺に向ける。


 どういう意味か気になるが、内緒にしたがっていることを暴こうとするほど、俺は野暮ではない。打ち明けてくれる日を気長に待つとしよう。


 ふぅ、と息をつき、俺は手渡されたグラスに目をやった。


 実を言うと、俺は酸っぱいものが苦手だ。ビネガードリンクは飲んだことがあるが、ツンとした酸味に顔をしかめた記憶がある。


 かといって、せっかくの気遣いを無下にするわけにもいかないしなあ。


 唇を真一文字にして逡巡(しゅんじゅん)したのち、俺は覚悟を決め、恐る恐るグラスに唇をつけて、ほんのわずかだけビネガードリンクを口に含んだ。


 ブドウの風味が鼻を抜ける。甘さとともに、当然ながら酸味が舌の上に広がる。


 だが――


「想像していたより飲みやすいな。全然ツンとしない」

「そのままでは酸味が尖りすぎていると思いましたので、ハチミツを加えてみたんです。こうすると、ハチミツの甘さで酸味の(かど)がとれるんですよ」


 ニコニコと笑顔を浮かべながら、蓮華が教えてくれた。


 おちゃらけた言動が目立つけど、細かい気配りもできるじゃないか。


 俺は密かに感心する。しかし、そのことを蓮華に伝えるつもりはない。調子に乗られたら困るからな。

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