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山吹秀次のコンプレックス――2

 帰宅後、俺は自室でデスクトップ型パソコンと向き合っていた。


 キーボードをカタカタとタイピングしながら、一言一句を見逃さないよう、誤字脱字を出さないよう、画面に表示されている文章に集中する。


 俺がやっているのは、父さんから与えられた、山吹グループの仕事の一部だ。いずれ俺は、山吹グループの会長の座を継ぐ。そのときに備え、仕事を通して勉強させてもらっているわけだ。


 勉強といえどミスは許されない。一単語の誤りが、数字一桁の書き間違いが、山吹グループの損失になってしまうのだから。


 父さんは俺のために仕事を振ってくれているが、息子だからといって甘やかすことはない。俺では力量不足と判断したら、別の人物を後継ぎにするだろう。


 念のために言っておくが、俺は()いられて後継ぎになったわけではない。俺自身が、会長の座を継ぎたいと望んだからだ。


 山吹グループは、俺の祖父が(おこ)した『山吹商事』を前身としている。その頃は中小企業のひとつに過ぎなかったが、二代目社長となった俺の父さん――山吹秀雄(ひでお)が、日本が誇る企業グループにまで発展させた。


 現在の山吹グループは、商業、工業、金融業、保険、コンビニ事業、ホテル経営、飲食店経営など、手を付けていない事業がないのでは? と思うほど、幅広い分野でシェアを獲得している。


 いまや山吹グループは、『新進の財閥』と称されるほどの存在になった。父さんは、一代でそれを成し遂げた英傑(えいけつ)だ。


 決して届きはしないだろうけど、少しでも父さんに近づきたい。できることなら同じ景色を見てみたい。だからこそ、俺は会長の座を継ぐと決めたのだ。


 神経を張り詰めさせて、なおもキーボードをタイプしていく。


 その折り、テーブルの端に置いたスマホから着信音が聞こえてきた。仕事を中断して、俺はスマホを手にとり、発信者を確認する。


 発信者は父さんだった。


「進捗状況の確認か?」


 そう予想しながら、通話を許可してスマホを耳に当てる。


『やあ、秀次。元気にしているかい?』

「ええ。問題ありません」

『なかなか帰ることができなくてすまないね。いかんせん、私も母さんも忙しいんだ』


 俺の母さん――山吹小百合(さゆり)は父さんの秘書を務めており、ふたりとも、帰ってくることはほとんどない。そのため、俺はひとり暮らしのような日々を送っていた。


 それでも不満はない。俺は笑みを浮かべながら父さんに返す。


「いまさらでしょう。平気ですよ。ひとり暮らしも送れないようでは、一人前にはほど遠いですからね」

『そう言ってもらえると助かるよ』

「それより、なにか用事があるんじゃないですか? まさか、俺の様子を確認するためだけに電話をしたわけではないんでしょう?」

『ああ。きみに頼み事があるんだ』

「頼み事?」


 俺が眉をひそめていると、父さんが尋ねてきた。


『いま、きみに彼女はいるかい?』

「皮肉ですか? 父さんは俺のコンプレックスを知っているでしょう? 彼女なんているわけないじゃないですか」

『すまない。気分を害するつもりはないんだ。ただ、頼み事をするうえで、どうしても確認しておかないといけなくてね』


 自分が苦悩している部分をつつかれて、つい、トゲトゲとした声つきになってしまった。俺の苛立ちを察したのか、父さんが弁明する。電話の向こうで苦笑しているのが目に浮かぶようだった。


 俺は、はぁ、と溜息をつく。


「まあ、いいです。それで、頼み事とはどんなものですか?」


 話の先を促すと、父さんが告げた。




『秀次。きみに、見合いに行ってきてほしいんだ』

「……は?」




 予想外も予想外の答えに、俺はポカンとしてしまった。


 驚きのあまり声も出せずにいるなか、父さんが話を進める。


『とある企業グループから合併の話を持ちかけられてね。山吹グループ(こちら)にとっても有益な提案だったから、受けることにしたんだ。きみには、その企業グループの令嬢と婚約してほしいんだよ』

「……こちらとあちらの合併の、象徴にしたいということですか?」

『その通り』


 尋ねる声に険を混ぜてみるも、父さんは平然としていた。


 ようするに政略結婚だ。父さんは、山吹グループとその企業の合併を円滑に進めるため、俺を利用しようとしているのだ。


 身勝手とも言える頼みを聞いて、俺が得たのは怒りでも悲しみでもなかった。


 不可解。すなわち、疑問だ。


 忙しい身である父さんだが、俺の誕生日やクリスマスといった記念日には必ず帰ってきて、祝ってくれた。入学式や卒業式などの節目となる行事にも顔を出してくれたし、将来に関しても、俺の意思を尊重してくれた。


 父さんは家族思いで、俺に理不尽を強いたことは一度もない。


 そんな父さんが、俺に政略結婚をさせようとしている。おかしいと感じるのは自然なことだろう。


 父さんの真意はわからない。けれど、俺の答えは決まっている。


「すみませんが、その頼みは受けられません。俺はまだ十六歳ですよ? グループのためとは言え、伴侶を決めるのは早すぎだと思いませんか?」

『うん。きみの気持ちはよくわかる。私も無茶を言っていると思うよ』


 父さんがあっさりと引き下がったことで、俺の疑問はますます膨らむ。


 父さんはなにがしたいんだ? なにが狙いなんだ?


 不可解すぎて俺は眉根に皺を寄せる。


 どこか含みのある声つきで、父さんが続けた。


『けど、見合い相手がきみのコンプレックスを解消してくれるとしたら、どうだい?』


 俺は目を見開く。


 父さんは、一代で巨万の富を築いた大人物だ。当然ながら、ひとを見る目は優れている。父さんが慧眼の持ち主だったからこそ、いまの山吹グループがあるのだ。


 すなわち、父さんの言葉は真実。その見合い相手は、俺のコンプレックスを解消する可能性を秘めているのだろう。


 正直、そんな人物がいるとは思えない。いくら父さんの言葉と言えど、信じ切ることはできない。


 それでも、孤独に(さいな)まれている俺にとって、人付き合いを求めている俺にとって、父さんの言葉は甘い蜜そのものだった。見合い相手に興味を抱かずにはいられなかった。


 だから、俺は答える。


「……会ってみるだけですからね」


 わずかな敗北感を覚えながら。

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