海辺のデート
西に傾いた太陽が次第に力を失い、空が次第にオレンジ色に染められて行く。砂浜に打ち寄せる波の音が心地よく響いて来る。水色のワンピースに麦わら帽子を被った彼女とアロハシャツの彼が木製のデッキに並んだテーブルに座っている。食事をしながら、彼と彼女はじっと見つめ合っている。美しい海と砂浜が眼前に広がっている。
「素敵なお店ね」
穏やかな声で彼女が言った。
「ロマンティックなお店にしようと思って」
彼女を見つめながら彼が答えた。彼は背も高く、整った顔立ちの好青年だった。さらさらの髪が潮風に揺れていた。海のように深い瞳の中にいくつもの星が輝き、微笑むと花が咲いたような柔和さに周囲が包まれた。
「いつもありがとう」
微笑みながら彼女が言った。彼女はスレンダーでしなやかな身体つきをしていた。長い髪が時折、ふわりと風に揺れた。清純な少女と礼儀正しい淑女の魅力を兼ね備えていた。そして時折、謎めいた瞳で彼を誘惑した。
>何かロマンティックな言葉をかけて (AIに向かって彼は指示した。自分としては何かこういい感じのデートをしたいだけだった。AIが生成した言葉は海辺でデートしている設定のアバターにリアルタイムで伝達された。)
「海の青さも夕日の輝きも、君の美しさには敵わないね」
白い歯を輝かせながら彼は言った。その言葉に彼女はうっとりしていた。
>さっきの言葉に相応しい返事をして (AIに向かって彼女は指示した。ここ数年、彼女が海に行ったことはなかったが、イケメンと二人きりで海辺にいるシチュエーションは少し気に行っていた。AIが生成した言葉はリアルタイムで海辺にいる設定の彼女のアバターに伝達された。)
「本当に? でも、あなたがそばにいるから、世界がもっと綺麗に見えるのかも」
長い髪を潮風にたなびかせながら彼女は言った。そして二人はじっと見つめ合っていた。見つめ合っているのは彼らのアバターだったが、その感覚は遠く離れた彼らの身体と同期していた。そして気の利いた台詞は自分で思いつかなくてもAIが考えてくれた。アバターがいる仮想空間は好みに応じていくらでも変更できた。今日はたまたま海だった。明日は夜景が見えるレストランかもしれないし、桜並木の美しい公園かもしれないし、湖畔のカフェかもしれなかった。それは彼らのリクエストに応じて何にでも設定できた。
「水平線の向こうには何があるのだろう?でも、今は君のそばが一番だ」
「海も夕日も素敵だけど、私にはあなたの笑顔が一番輝いて見えるよ」
「波が優しく砂浜を撫でるように、君が僕の心を包んでくれる」
「夕日や海よりも、あなたの優しい言葉が心に染みるよ」
二人はいつまでも続けていた。それは仮想空間とアバターと高速回線を経由して彼と彼女の耳に心地よく響いていた。
「もうそろそろ帰ろうか?」
「もっと一緒にいたいけれど、また今度ね」
そう言って二人は回線を切断した。彼の意識はカプセルの中にいる生身の身体に戻って来た。こんな狭いところに閉じ込められるのは嫌だと初めの頃は思っていたが、今ではすっかりこの生活に馴染んでいた。それはミツバチの巣のような区画の一つだった。意識はいつでも飛んでいける。彼はそう思った。