44.怪盗
私は怪盗ミッターマイヤー。疾風のアドルフと呼ばれている。目を付けたお宝は必ず頂戴する。今日も華麗に獲物をいただきに参上したが、少々しくじってしまい、伯爵家の邸内を逃げ回る羽目になってしまった。あちこちで犬が盛んに吠え立てている。犬は少々やっかいだ。鼻も効くし足も速い。だがなんとか塀までたどり着いた。飛び越えればなんとかなるだろう。そう思った瞬間、何者かの気配を感じた。振り向くとそこに犬がいた。犬は凄まじい形相で私を睨んでいる。今にも飛び掛かってきそうだった。私は犬を睨み返した。どちらが強いか動物なら本能で察するだろう。そしてしばらく睨み合いが続いた。
「もう逃げられないぞ。おとなしく投降しろ!」
犬は私に言った。この犬、しゃべれるのか? 私は一瞬、うろたえた。気持ち悪くなった。それから一心不乱に塀をよじ登って脱出したところまでは覚えているが、記憶が少し飛んでいる。どうやってアジトまでたどり着いたのか、よく覚えていない。
<あれはいったい何だったのだろう?>
アジトに戻ってからずっと私は考えていた。ネットで調べるとAIを使えばロボット犬をしゃべる犬にすることができると書いてあった。きっとこれに違いない。なんとなく正体がわかったので少し落ち着いた。犬はしゃべらないという先入観があるから、急に話しかけられてうろたえてしまったのだろう。これからは気をつけよう。そんなことを考えながら窓の外を見た。晴れ渡った空に小さな雲がぽっかり浮かんでいた。塀の上を猫が歩いていた。呑気なものだと思った。暖かい陽射しの中、のんびりと歩いている猫が少しうらやましかった。そう思った時、猫は歩みを止めて、じっと私の方を見た。
「もう逃げられないぞ!」
猫は私に言った。逃げられないって何だ? 私はびっくりしてアジトから一目散に逃げ出した。あれはいったい何だ? 逃げながら私は考えていた。昨今では犬もしゃべれば、猫もしゃべるようになったらしい。あれはきっとロボット猫に違いないだろう。ネズミに耳を齧られたアレではなくて、普通に四つ足で歩き回る猫型ロボットに違いない。そんなことを考えながら逃げ回っていると、いつの間にか袋小路にいた。目の前は塀があった。そこにも猫がいた。道端にも猫がいた。振り返るとそこにも猫がいた。猫の集会か? ロボット猫でも集会をするのか? 私は混乱していた。
「もう逃げられないぞ!」
塀の上の猫が言った。
「もう逃げられないぞ!」
道端の猫が言った。
「もう逃げられないぞ!」
後ろにいる猫が言った。怖くなった私は駆け出した。人のいるところに行った方が安全かもしれない。大勢、人のいるところなら、犬や猫はいないはずだ。そして私は雑踏の中に紛れ込んだ。しばらく人の行き来を眺めていた。そして地下に降りた。ここまでは動物は来ないだろうと思った。それから地下鉄に乗った。目の前に座っている人がスマホをいじっていた。しばらくしてスマホの操作を止めて私の方を見た。
「もう逃げられないぞ!」
目の前に座っている人はじっと私の目を見ながら言った。その時、周りの人がいっせいに私の方を見た。みんな同じ顔をしていた。こいつらみんなAIなのかと思った。
「もう逃げられないぞ!」
いっせいに私を問い詰める声がした。生きた心地がしなかった。その時、電車が停車した。急いで降りた。ホームにある椅子にへたり込んでしまった。そこで呆然としていた。
「どうかしましたか?」
通りかかった駅員が心配そうに声を掛けてくれた。
「大丈夫です。少し気分が悪くなっただけです。しばらくすると元に戻ると思います」
私は言った。
「そうですか。わかりました。お大事にしてください。でも、もう逃げられませんよ」
駅員が言った。怪盗ミッターマイヤーも年貢の納め時のようだった。