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ながい帰宅

作者: やなぎ好

 仕事帰りの電車はいつも終電。

 疲れと、それに伴う眠気が電車の揺れに相まって強くなる感覚は、じつはそこまで悪くない。

 端の席に座って、車窓を通りすぎていく地下鉄の電灯を眺めてると、ずっと同じところを走っている感覚に陥る。

 車内を見ると乗客はほとんどいない。サラリーマンが数人、そのほとんどが寝入ってしまっている。

 電車の揺れは心地よく、そんな彼らを見ていると、つい眠気が襲い、そのままゆっくり抗うのをやめた。


 駅の電光掲示板には『最終電車』という表記があったのを思い出す。

 またいつものように終電で帰宅することになった。もう慣れっこだ。

 最近、仕事のやり方は覚えてきたのだがしかし、その分つまらないミスも多くなってきたのも事実だ。今日もその後処理に時間が掛かってしまった。

 終電には乗客はあまりいない。それもいつものこと。席の端に座り、気持ちの良い眠気に体を預けようとした。がその時、何となく気になるものがあった。

 ふと横に顔を向けると、そこには女の子が座っていた。

 女の子?

 疑問に思ってしまったのはその子がいる場所だ。

 いや、正確には時間、か。

 ランドセルを背負った女の子が、夜の電車に一人。それも終電の車内にいるというのは色々と問題ではないのか。

 赤いランドセルを背負ったまま、私の1つ空いた席にちょこんと座っている。可愛らしい女の子だった。

 まじまじと見てしまったのがバレてしまったらしい。女の子がこちらを見返してきた。

 その頭の動きに、ランドセルに付いていた何かのキャラクターキーホルダーが少し揺れる。

 お互い見つめ合ったまま時間が過ぎる。

 恐らくは数秒、女の子はこちらをじっと見つめていたと思ったら急に、「バイバイ」と手を振り、隣の車両へと走っていってしまった。

 遅れてその背中に手を振る。

 少し呆気にとられてしまったが、もしかしたら隣の車両に保護者がいるのかもしれない、と思い納得することにした。

 それでもこの時間に乗ってるのは問題だと思うが。

 何故か少し緊張してしまった。というか驚いた、一瞬座敷わらしか何かだと思ってしまったのが恥ずかしい。

 はぁと息を吐き、霧消してしまった眠気を手繰り寄せようと、地下の変わらぬ景色にいつものように目を向けた。


 大きなあくびをした後、手で隠そうともしなかったことに、さすがに無遠慮すぎたと周りを見回すが、いつも通り乗客は少なく、その上眠りこけている。こちらを見ている人はいない。

 どうにも最近、大して寝れていないからか、仕事中でも眠気に襲われる事が多々あり、またミスをしないよう気を付けなければならなかった。このままじゃあ肌が荒れまくり不細工になってしまうなと、下らないことを考えていると、横から視線を感じた。

 隣1つ空けて座っている、女子大生くらいの子がこちらをじっと見つめている。

 可愛い顔立ちの子だった。何となくあどけなさもあり、どこかで見たような気がする。芸能人に似てる人でもいたっけ。

 しかし、何故そんな子がこちらを見ているのか、まさか私の肌荒れ具合に絶望しているのか。

 もしそれが本当なら真面目に傷付く覚悟があったが、違った。勿論違った。

「あっ、すいません。ちょっと知り合いに似てて、つい不躾に見てしまいました…」と、その子が謝ってきたのだ。

 いえ、大丈夫ですよ。と、笑顔で答える。可愛いから許そう。可愛いは正義。

 何か言いたげな顔をしていた彼女は、でも結局何も言わずに、小さなゲーム機のようなものに顔を戻してしまった。

 最近ではそんな小さいゲーム機があるのかと、次はこちらがじっと見てしまう。画面は見えないがしかし、ボタンらしきものが無かった。いや、よく見たら側面にボタンらしきものがある。押しにくそうだなと漠然と思った。

 そのゲーム機には何かのキャラクターキーホルダーが付いていた。


 それからというもの、たまに車内でその女子大生を見かけることが増えた。まぁ、大学生にもなると遅い電車で帰ることが多くなるのだろう。

 自分も大学時代は夜遅くまで友達と飲んだりして、終電で帰ることは多かった気がする。

 その頃から一人暮らしをしてたので、気持ちは楽だった。

 それからは、両親とはあまり連絡を取らなくなった。ホームシックには最初こそなったが、慣れれば気ままな自由さの方が魅力だ。アルバイトをしながら、それなりに、一人での生活を楽しんでたと思う。

 社会人になってからも、仕事は忙しいし、恋人もいないので、親と連絡をしても色々とお節介を焼かれそうだと、無意識の内に連絡を取るのを躊躇ってたのかもしれない。

 携帯をひらく。最後に電話したのは3ヶ月も前だった。年明けの挨拶だ。その時も忙しくて、実家にも帰れてない。

 車窓に映る自分を視界に入れる。

 ほんの少しだけ、哀しさが込み上げてきた。


「これ、小さい頃に見てたアニメで。こないだガチャガチャで取ったんすよ」

 女子大生(仮)がゲーム機に付いてるキーホルダーを見せながら言う。

 やたらと同じ電車で顔を会わせるので、お互い勝手に親近感を持つようになったらしい。今日は目が合った瞬間、隣に座り話し掛けてきた。

「お姉さん、いつも終電ですよね。ブラック企業なんですか?」

 そんな色のついた会社に入った覚えはないが、若者言葉だろうか。最近はろくにテレビも見ないから、そういうのには疎い。自分が歳をとってしまったと少し悲しくなる。

 この女子大生ちゃんはその後も、出会う度に話し掛けてくるようになり、親しみやすい笑顔で会話をしてくれるので、こちらも楽しく話すことが出来た。


「お姉さん、テレビとかあまり見ないんですね。私、結構ドラマとか観るんでオススメとかありますよ」


「こないだ飲みに行ったとき、酔っ払ったサラリーマンに絡まれて、チョーめんどかったんですよねー」


「私、小さい頃1度だけ終電に乗ったことあったんですよ。あの時は不思議と眠気もなくて、親は寝ちゃってたけど、非日常な感じでした」


 仕事帰りで疲れているのにも関わらず、こうやって話し相手が出来ただけでも、癒されるのは有り難い。鬱陶しさを感じないのが不思議なほどだ。

 やはり、仕事ばかりで、あまりプライベートにおける人との関わりが少なくなってきてるせいなのだろうか。

自分が思ってる以上に疲れているのかもしれない。

 女子大生ちゃんもあんまり夜遅くまで遊んでると、肌が爆発するよ、と言うと「そんなことないですよ~。ちゃんとケアしてますし」と笑われた。真剣なのに。本当に爆発するのに。

 車窓に映る地下鉄の光景は、いつまでも単調で、安心するような、不安になるような、不安定さを思わせる。気付いてないことを気付かされるような、覚めないといけないのに、ズルをしてるような…。

「実は私…、その…貴女に会ったことがあるんです」

 と、女子大生ちゃんが少しだけ声のトーンを下げて、つまり真剣味を帯びた声で、言葉を吐いた。

 女子大生ちゃんの方を見る。

 彼女はこちらを、真っ直ぐに、見ていた。

「貴女に会ったことがあるんです。…小学生の時に」

 もう一度言葉を吐く。少しだけ、言いにくそうに。

 小学生の時…。

 彼女の言葉を反芻する。考える。つまりそれは、やはりあの時の…。

 何となく、分かっていた気がした。思ったよりも冷静にそれを受け止めている自覚がある。

 彼女がつけてるアニメのキャラクターキーホルダー。いつかの女の子のランドセルについていたものと同じ。

 勿論そんなの、ただの偶然で片付けるべきだ。だけど、キーホルダーだけじゃなく、あの女の子と目の前の彼女は同一人物だと、何故か分かってしまっていた。

 はじめて女子大生ちゃんを見たとき、既視感があると最初に思ったのは間違いじゃなかったのだ。芸能人に似ているんじゃない。あの時に、確かに会っていたのだ。ほんの数秒だったけれど、目が合って「バイバイ」と手を振ってくれた女の子。

 

『次は八九寺。八九寺』

 車内アナウンスが聞こえる。久しぶりにそんなのを耳にした気がした。

 数十年ぶりに。

「私、こういうの苦手で。テレビとかでよくお祓いなんて見るけど、素人がやったら祟られそうだし」

 彼女はしどろもどろとした言い方で、それでも伝えようと言葉を紡ぐ。

「でも、あの時とそのままのお姉さんを見た時、なんかほっとけなくなっちゃって…、ごめんなさい」

 もう目は合っていない。顔を伏せながら話す彼女に、私は笑いかける。

 だから彼女は、わさわざ私の為に何度も話し掛けてくれたのか。

 本当はもっと前に気付くべきで、決着をつけないといけなかった。だけど、少しの心残りがあったんだと思う。それは親とか、友人とか、そういった未練だろう。

 自分から選んだわけではない、恐らくは単なる事故だったんだろう。生前の私は、日中でも眠気に襲われるほど疲れていたから。

 祟るなんてとんでもない。君が話し掛けてくれなければ、恐らくずっと、終電の車内に取り残されたままだったんだろうから。

 だから感謝しなくちゃいけない。

 ありがとう、と。

 彼女はその言葉にはっ、と顔を上げこちらを見る。

 そして、

 


 お姉さんの姿は、もうそこにはいなかった。

 

 終電の車内にはほとんど人はいない。

 地下鉄を抜けて、暗い夜の街並みが流れていく中、その手前に映る自分を見て、何故か無性に泣きたくなった。

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