第百二十六話
[第百二十六話]
コールドゲイルの街を北から出た俺、イーストさん、マチルダさんの三人は、遠くにうっすらと見えるブリザルド大雪山目指して、コールドゲイル荒野を北東に進んでいた。
「単独のベアーだけ狩る。他はだるい」
先頭のマチルダさんは簡潔に言い、かなりのハイペースで足を動かす。
時刻は十六時十分すぎ。十九時になると真っ暗になるので、急いでいるのだろう。
なんだかんだ言って、イーストさんのことを思っているんだな。俺は絶対に顔に出ないように、マチルダさんの気遣いにほっこりした。
「二人とも速いですね。いえ、遅くしろっていうわけではないんですが」
「いつも散々走ってるからね。キャラクターのスタミナも相当なものだよ」
「これくらい普通だろ。信じられるのは自分の足だけだ」
腕と足を振りながら、俺たちは会話を交わす。もちろん、周囲の警戒は怠っていない。
ちょうどいいので、イーストさんの言葉を補足する。[AnotherWorld]の世界では、キャラクター(アバター)にはプレイヤーの身体的情報に基づくスタミナが設定される。これは俺たちが桜杏高校の生徒であり、生徒に紐づけられた専用の『チェリーギア』を使っているおかげで、プレイヤーの個人情報をキャラクターに反映できている。他の一般的に市販されているVRゲームでは、プライバシー保護の観点からプレイヤーの成体情報を反映させるかさせないかを選択できる。
という仕様があるが、一方で別の仕様もある。それが、リアルで言うところの『スタミナをつける』ことができる、という仕様だ。
これはもうその名の通りで、ゲーム内で運動することで、少しずつではあるが継続的にキャラクターのスタミナを増やすことができるというものだ。
現実らしいと言えば現実らしい仕様だが、スタミナの増える量や増えるスタミナに上限はあるのかについては、まだよく分かっていない。検証が非常に難しいからだ。
ただ複数人(二年の先輩たち)で比較を行ったところ、増加量には個人差があるらしい。あと、やった運動の激しさによっても伸びしろが変化するそう。
長々と話してしまったが、[AnotherWorld]のキャラクターのスタミナにはこういうシステムが働いている。
「大雪山のことは知ってるか」
「いえ、地図で見たくらいです」
「ちっ」
マチルダさんはだるそうに舌打ちした。
これから向かうブリザルド大雪山について知識がないことではなく、イーストさんは当然予習してるだろうと思って、俺がすぐに正直に答えたのが癪に障ったみたいだ。
「こうして突発の用ができるんだから、前もって調べとけ」
「肝に銘じます」
「お前……、まあいい」
注意されたはずなのに、飄々と応える俺。マチルダさんは諦めたようだ。
「大雪山は、未だ誰も踏破したことのないフィールドの一つだ」
「フロンティア、ってやつですよね」
「そうだ。……街の現地人はまず近づかねえし、俺ら二年のプレイヤーも過去の失敗に懲りて誰もチャレンジしてねえ」
「登頂しようという試みがあったんですね」
「つっても、徒党を組んで協力したわけじゃない。それぞれ違う時期に挑んで、魔物に殺されて帰ってきた」
「やはり魔物ですか……」
俺は唸る。
「天候がきついときもあるが、いつも荒天というわけじゃねえからな。晴れの日に登り始めたやつらも、惨敗して終わった。そして、二度とチャレンジすることはなかった」
「そんなに魔物が強いんですか?」
「『強い』なんてもんじゃねえ……」
マチルダさんは吐き捨てるように言って、
「……Sランクの俺でさえ、一切勝てる見込みのない魔物がほとんどだ」
「トールは、竜やドラゴンと呼ばれる生き物を知っているかい?」
マチルダさんが言いたくなさそうに言うと、急にイーストさんが聞いてきた。
「ええ。ゲーム内で遭遇したことはないですけど、一般的な見た目のイメージはできます。まさか……」
「そのまさか、と言いたいところなんだけど、ちょっと違うんだよね」
イーストさんは人差し指を立てて続ける。
「大雪山の山頂には、竜またはドラゴンと恐れられる魔物がいる。そしてその魔物に挑むために、竜またはドラゴンに匹敵する強さの魔物が多数、山の中腹に生息しているんだ」
「『竜に至る試練の山』と現地人には呼ばれている。もちろん、竜に至るのも試練をしているのも魔物の方だ」
「『竜に至る試練の山』……」
口に出して言ってみる。なかなかかっこいい響きだ。
「山頂に行く、竜に挑むためには、途中の雑魚に楽勝できるくらいじゃないといけねえ。だが、当時の俺たちでは全く歯が立たなかった。山で雑魚に位置する魔物すら倒すことができなかったんだよ」
「あのときのマチルダは分かりやすく落ち込んでたよねえ。今となっては見る影もないけど」
「うるせえ」
マチルダさんは痛いところを突かれ、語気を荒げてごまかしたところで、不意に停止する。
「やる」
「はい」「任せたよ」
目の前には、灰色の岩。に擬態したゲイルベアーが縮こまっている。『こいつをやる(倒す)』という意味だろう。
俺は腰に差していた杖を、マチルダさんは背中の大斧を抜いた。視界の端でイーストさんが少し距離を置く。
「『手』のドロップを狙う。腕は攻撃するな」
「手、ですか?」
「知らないのか。クマ類の魔物は低確率で『熊の手』をドロップするんだよ。珍味として高く売れる」
「知りませんでした。勉強になります」
「けっ、調子が狂う」
俺たちは話しながら、ベアーに対して最も効果的な攻撃に移る準備を整えていた。
俺はマチルダさんと被らないように横にずれて、ベアーの心臓があるであろう辺りに狙いを定める。そしてマチルダさんは、絶対に迎撃されないような絶妙な体捌きで大斧を思いっきり振りかぶる。
俺たちに気づいたゲイルベアーが後ろ足で立ち上がり、前足を左右に広げて威嚇する。
でかいな。見た目通りに考えると、タフそうだが。
「『アクア・ランス』」「っぅらああっ!」
だが、俺のそこそこ速い『アクア・ランス』と、意外に俊敏なマチルダさんの一振りを避けられるほどの素早さは、この個体にはなかった。
狙ってはいたが半分奇跡的に、俺とマチルダさんの攻撃が同時にヒットする。
「グウアアアッ!!」
「ちっ、でけえな!」
水の槍が腹を抉り、豪快なスイングが首筋を切り払ったが、致命傷ではなかったようだ。痛みに轟くような叫び声を上げながら、ベアーはその場でたたらを踏む。
とここで、マチルダさんが斧を手放す。毛皮に覆われた太い首に刺さったままの大きな斧が暴れる。
「当ててみろ」
俺の方を振り向き、にやっと笑いながら挑発してきた。
「任せてください」
と言ってみたものの、自信はまったくない。
暴れ馬ならぬ暴れ熊の首に刺さった刃に魔法を当てて、あまつさえそれでトドメを刺すというチャレンジをするにあたって、自信などあるはずがなかった。
だが、やってやる。売られた喧嘩(?)は買うのが俺の信条だ。
「グアアッ!グアアア!」
前足を振り回して暴れ回るベアーをじっくりと観察し、動きの癖を読み取る。
「……」
いや、分からん。とはいえ、時間はかけられない。
ええい、ままよ!当たれと願えば当たる!!
「『アクア・ランス』っ!」
俺の渾身の魔法は、ベアーに吸い込まれるように進んでいき……。
「あっ!?」
……激しく振られた右前足の肉球の部分に、見事ヒットした。
※※※
「大事なところでついてねえな、トール」
「忘れてください」
約一時間後の午後五時。俺たちは無事ブリザルド大雪山の麓に到着した。
そこからさらに数十分かけて、視界が開けておらず、けれどもそこそこ広い窪地のような一角を見つけ、付近の魔物をあらかた片づけた。
まあ、麓とは言ってもここはコールドゲイル荒野の一部として分類されているらしく、今まで戦ったことのある『ゲイル〇〇』という名前の魔物しかいなかった。なので、俺とマチルダさんだけで危なげなく攻略できたのだ。
「露払いはやれって言ってましたけど、普通に協力してくれるじゃないですか」
生き物がいなくなり殺風景になってしまった不毛の大地を眺めつつ、俺は話を逸らした。
「その方が早く終わるからな。別に戦い方も隠してねえし」
「対人戦は卑怯だけど、対魔物戦は正攻法なんだよね。マチルダって」
「だからうるせえっての」
かなり危険なフィールドにいるのに、二人はいつも通りの掛け合いをする。
「二人とも、怖くないんですか?手も足も出なかった魔物が山から下りてくるかもしれませんが……」
「はっ、バカ言うな」
俺が臆病風に吹かれたことを言うと、マチルダさんは笑って、
「怖いに決まってるだろうが。そしてそれと同じくらい、わくわくしてんだよ。次は万が一、いや億が一にも勝てるかもしれねえ。それか、ひりつく戦いができるかもしれねえ。そう考えたら、わくわくが止まらねえだろ」
イーストさんも満面の笑顔を浮かべていた。
「奥義を使っても勝てないかもしれないけど、なにごとも経験さ。挑戦することに価値がある。竜をこの目で見てみたいという、私のささやかな願いもそれを後押ししてくれている」
「なるほど……」
二人の先輩は、頼もしく回答してくれる。二人のゲームに対する取り組み方、そしてリアルの生き方の真髄が、その応えにある気がしてきた。
やはり、先輩ってすごい。ただ年齢が一つ上なだけではない。一年多く生きているからこそ、尊敬に値する考え方の土壌が育まれているような、そんな感じ。
上手く言葉にできないが、俺はそう思った。
「さ、ぼちぼち始めようか」
気恥ずかしくならないように、イーストさんが言った。
空中に手を伸ばし、彼女のメニューのインベントリから見たことのある水晶のような鉱物を一片、取り出す。
「これが『インスタントテレポートクリスタル』だ。フィールドの目立たない場所に置くことができれば、プレイヤーの転移先に選択できるようになる」
「街にあるクリスタルを小さくしたような見た目ですね」
「材質も同じだよ。売ってくれた商人曰く」
イーストさんは胸を張って説明する。
「もう大変だったんだから。商人組合に足しげく通って、おじさんおばさんたちの小間使いの日々は。無茶な頼みごとばかりで……」
「大体察したから、早くしろ」
マチルダさんはぶれなかった。
「……分かった。それじゃあ設置するよ」
イーストさんはすねながら、右手に握った結晶を慎重に、ほとんど円状の形をした窪地の中心辺りの地面に置く。
大雪山の中腹から頂きにかけては万年雪が積もっているのだが、幸いなことにこの辺りに積雪はなかった。ちょうど荒野と山の境目くらいに位置しているおかげだとみられる。
「これでいいはず。これで今から一時間、魔物たちの侵攻に耐えておくれよ」
「は!?」「え?」
さらっと付け加えられた一言に、マチルダさんと俺は同時に困惑の声を上げた。
「あれ?言ってなかったっけ?インスタントテレポートクリスタルを機能させるためには、きっかり一時間必要なんだ。そしてその間、周辺の魔物が寄ってくるって」
「聞いてねえよっ!露払いして設置して終わりじゃねえのかよ!」
「そんなに簡単なら苦労しないじゃないか。拠点を一から用意するのには、並々ならぬ努力がいるのさ」
「こいつ、自分の説明不足をやりがいとロマンに昇華しやがった……」
マチルダさんは呆れながらも、大斧を抜く。
「やってやるよっ!これをぶっ壊されなければいいんだろ?」
「流石ゲーム的思考に鋭いね。その通りだよ」
「いい加減その、斜に構えんのやめろ!」
Sランク冒険者がひとしきり吠えたところで、俺も杖を取り出した。
「いいじゃないですか。最高に楽しいですよ、俺は」
物音が、緩く傾斜になっている崖の上の方から聞こえてくる。間違いなく、ブリザルド大雪山に棲む魔物によるものだろう。
武者震いが生じ始めたが、俺もわくわくしていた。
さあ、来い!
どんな相手だろうが、俺とイーストさんとマチルダさんの力で、勝つ!絶対に!
※※※
「すいません、死亡フラグを心の中で立てていました……」
「奇遇だな、俺もだ」
「右に同じく」
あれから五分後。俺たち三人は死に戻りしてコールドゲイルの街に戻ってきていた。
「いやあ、攻撃の速さ、重さ、的確さがすごいですね。『試練』という表現に納得しました」
「あそこの魔物は戦い慣れた、バトルジャンキーどもだからな。まさしく歴戦の猛者ってやつだ」
「経験値が豊富すぎるのか、[サンゼンセカイ]の効きが悪いなんて初めてだよ」
中央広場に立ち尽くして三者三様、なぜかすっきりとした気持ちで感想を述べた。
「経験値、ですか?」
「うん。私の奥義とはすなわち、処理しきれないほどの景色の情報を流し込んで相手の頭脳をフリーズさせることにあるからね。山にいる魔物たちは風景の処理スピードが段違いなんだろう。数多の戦いによる経験値がそうさせていると私は思い至った」
「なるほど……」
[サンゼンセカイ]も万能ではないのか。差が開きすぎている格上には通用しないと。
俺は頷いて記憶しておく。仲間の戦い方はいくら記憶していても足りないくらいだ。
「中途半端な時間だな。依頼でも受けるか」
「いえ、俺は上がらせていただきます」
「おい!お前が言い出したんだろ!」
「俺たちが協力するのは、あくまで麓を拠点にするという攻略への挑戦です。今はそれが失敗した後の時間なので、協力関係は解消してもいいでしょう」
「相変わらず減らず口が上手いな、お前も……」
「流石読書部だよ。弁が立つ」
「ありがとうございます」
誉め言葉として受け取っておく。
俺はマチルダさんとイーストさんに目配せして、さらりとお辞儀する。
「まあ、私に異論はないよ。この三人でも無謀だということが分かっただけでも大きい。次はもっと大規模に人を誘ってみるよ」
「頭数でどうにかなる相手じゃないが、それしかないな」
「そのときは呼んでください。俺もリベンジしたいので」
俺とマチルダさんは次も参加する気満々だった。
負けはしたが、諦めてはいない。もっとレベルを上げて戦闘経験を積めば、それと熟練の仲間がもっといれば、いずれ竜の下へたどり着くことができると、俺は信じている。
ただ、[AnotherWorld]をゲームとして捉えたメタ的な視点に立つと、ブリザルド大雪山はいわゆる『エンドコンテンツ』の一種ではないかと俺は思っている。
エンドコンテンツというのは、主に『エンディング』のパートが存在するRPGゲームなどで用いられるワードで、本編クリア後(エンディング後)に攻略することが想定されて作られたゲームコンテンツのことを指す。
ゲームというものは作品である以上、どんな内容でも遊ぶ上での『始まり』と『終わり』は必ず存在する。だが、エンドコンテンツは『終わり』の部分に大ボリュームを割くことで、コンテンツが遊び尽くされた状態というべき『終焉』の訪れを遅らせたり、手段によっては終焉そのものを訪れさせないように働きかけることができる。
大雪山の攻略では、そんなエンドコンテンツ味が感じられた。あくまで俺の主観だが。
具体的に言うと、この世界を攻略し尽くし、やることが他になくなったプレイヤーが腕試しに挑戦するくらいの、結構ぶっ飛んだ難易度に設定されているように感じられた。今の状態じゃ勝てる可能性が限りなくゼロに近いと実感できるくらいの難易度。
つまり、勝てなくて当然というわけだ。ココデクラーケンのときのような、悔しさや無念さを感じる必要はない。
「もちろん。いつになるか分からないが、絶対に攻略してみせる。きっと『チェリーアプリ』の描く竜はすごいよ」
俺ももっと強くなります。
最後にそう言って、俺はイーストさんとマチルダさんと別れた。
その足でテレポートクリスタルの下に向かい、王都に転移する。
「ふう、まだ興奮している……」
逸る気持ちを抑えながら、南へ歩く。
二人には『上がる』と言ったが、実はこの後一人でやりたいことがあった。インベントリの整理と、手に入れたアイテムを使った調薬だ。
”工房”に戻った俺はテーブルの前に腰かけてメニューを開き、空中に浮いたホログラムのウインドウを覗き込む。
「おお……」
思わず感嘆の声が漏れる。
それくらい、インベントリの中身はぐちゃぐちゃだった。各地の冒険や依頼で手に入れた素材アイテムがひしめき合って並んでいた。
「とりあえず、余分なものはボックスに預けるか」
ストレージボックスの前に向かい、量の多すぎるものや調薬に使えなさそうなものをしまっておく。久々になってしまうほど手をつけていなかったので、これだけで重量がぐんと減った。
インベントリに入っているアイテムの重量も反映されるので、整理はやっておくに越したことはないのだが、俺はなまけていた。幸い俺は魔法使いで、布の服とフォクシーヌのコート、小さい杖しか装備しないため、今まで重量が足を引っ張ることがなかった。
逆に言うと、足を引っ張ることがなかったせいで整理が疎かになっていたとも言えるか。耳が痛い話だ。
「……よし、大体こんなものかな」
素材の種類も数も膨れ上がってしまったので、いちいち記すことは諦めた。文字通り、枚挙に暇がないというやつだ。
「それじゃ、やりますか」
最後にボックスから『野外調薬キッド』を取り出し、テーブルの上に器具を並べておく。
久しぶりの調薬だ。以前は確か、アラニアに到着した後に肉と毒の成分を使って疲労回復薬と毒薬を作ったときぶりだったか。
「フルーツは腐ってたしなあ……」
メニューを開き、インベントリの隅を見てため息を漏らす。
タラフク〇〇といった、以前タラフク果樹園で手に入れた果物たちはあらかた腐敗し、ボックスの隅で『生ゴミ』と化していた。流石になににも使えなさそうなので取り出したはいいものの……。
せっかく氷魔法を覚えたのだから、もっと早くに気づいて冷凍しておけばよかった。ボックスの中身も時間経過で腐っていく仕様が悪さをした。
「なら、まずはこれだ」
気を取り直して、最初にインベントリから具現化したのはフライドラゴンの複眼と甲殻だった。
フライドラゴンは、アヤカシ湿原に生息するトンボのような竜のような魔物だ。湿原の主だったフォクシーヌがいなくなったことで大量発生し、百匹ほど駆逐したせいで在庫を圧迫している。
「うーん、気持ち悪い……」
まずは複眼をしげしげと観察する。見た目はまんまトンボの複眼で、集合体恐怖症の人が視界に入れたら卒倒しそうなほどリアルでグロテスクだ。若干乾燥してカピカピになっているが、それもまた怖さを醸し出している。
とりあえず分解してみよう。複眼はその名の通り、小さな目が複数集まった構造をしている。それを一つずつもいでいこうという魂胆だ。
そもそも調薬に使えるかどうかすら分からないので、残酷な仕打ちになってしまうのは勘弁してほしい。どうしても手探りで進まなければならない。
「……」
指でちまちまと外していく。複眼の中というか、奥の方には台座のような器官があり、植物のがくが花びらをまとめるように、眼の一つ一つを束ねていた。
「できた」
水分がないせいで、潰れずに全て取り外すことができた。地味にすごいことではないだろうか。
とここで、なにも敷かずにテーブルに広げてしまったことを後悔する。一個しか消費していないのに、テーブルの上は眼の粒でいっぱいだった。多いな。
「煮てみるか」
どうすればよいか分からないので、三分の一ほど拾い集めて鍋に入れ、『アクア・クリエイト』で純水を浸るほど満たす。コンロの上に鍋を置いて、点火。沸騰するまで煮詰める。
うーん、限りなく黒に近い黄褐色のなにかが滲み出てきている。非常に冒涜的だ。
十分すぎるほど煮た後、火を止めて冷ます。茶こしで不純物を除きながら、試験管に一本分流し入れる。
〇アイテム:視力増強薬 効果:視力増強:微
飲んだ者の視力をわずかに増加させる薬。ほとんど誤差程度に遠くのものがよく見える。この世のものとは思えないほど苦くて渋い。
一応アイテムとして認識された。視力回復薬とな。
目薬みたいな効果だな。効果の欄が『微』で説明も『ほとんど誤差程度』とあるので、効能は薄いだろう。
「あ、これは飲む用の薬なのか?それとも点眼した方がいい?」
服用方法という、新たなパラメータに気づいてしまった。説明では『飲んだ者』とあるが、これが逆にミスリードである可能性はないだろうか。
とはいえ、自分で試すのも気が引ける。変に副作用が出ると、この先の作業に支障を来してしまうからだ。
「キープしておこう」
俺は視力増強薬の詰まった試験管十本をインベントリにしまった。
ところで、残りの三分の二はどうしよう。
「擂り潰してみるか」
擂り粉木と擂り鉢で磨り潰してみる。
想像通り、比較的軽い力でいい感じの粉末が大量にできた。
〇アイテム:視力増強薬 効果:視力増強:小
摂取した者の視力を少し増加させる薬。老眼を誤魔化せるくらいの効能。この世のものとは思えないほど苦くて渋い。
ん?粉末でも液体の薬のような効果と説明文になった。しかも、こっちの方が効果が強い。味は変わらず、とんでもなく苦くて渋いらしいが。
複眼は水に溶かすより、細かく粉にした方が良いというわけか。いや、乾燥するくらい時間を置いたからか?これだけでは分からない。
「新鮮な複眼も欲しいな。比較しないことには」
やることができた。頭の中のメモに記録しておく。
次は甲殻だ。こちらは腐るという概念がないのか、手に入れたときと同じ見た目をしている。
リアルのトンボに似た、様々な鮮やかな色の硬い殻。こいつを使って、出汁が取れるのではないかと俺は考えた。カニやエビ、魚類を煮詰めてスープを作るような感覚だ。
まあ、トンボでそんなことをするなんてリアルではありえないが、[AnotherWorld]においては常識だけではやっていけない。
どんなことにも挑戦してみることが大切だ。失敗してもいい。結果がデータになって、俺たちは少しずつ成長できる。
ということで、でたらめにセレクトした色々な色の甲殻を鍋に入るだけぶち込み、全体が浸かるくらいに純水を加える。コンロの火をつけて、沸騰するまで煮ていく。
「うーん?」
複眼のときのように、煮汁に色の変化が表れない。むしろ甲殻の色がくすんでいき、形が崩れていった。
甲殻はみるみる溶けていき、最終的にぐちゃぐちゃの黒っぽい沈殿物が底の方に溜まった。液体に変化はないように見える。
洗った茶こしに移して、ペースト状のなにかを得る。
〇アイテム:黒の染料 効果:染色(黒):微
混ぜたものを黒く染める染料。純度が粗く、発色は不安定になる。
染料か。トンボの甲殻を煮たら染料になるのか。リアルに存在しないものだから、ゲーム特有のアクロバットな解釈が働いているような気がする。
「あ」
ちょっと待った。色々な色を混ぜて黒色の染料ができたということは……。
俺は試しに、赤色の甲殻をいくつか選んで煮てみた。次のようなアイテムができた。
〇アイテム:赤の染料 効果:染色(赤):小
混ぜたものを赤く染める染料。純度はそこそこ、鮮やかな発色になる。
予想通り。思わずしたり顔になってしまう。
同じ色の甲殻を集めて煮詰めることで、その色の色素の成分を抽出できると見ていいだろう。調薬には使えなさそうだが、これはこれで有益な発見だ。
いや、薬の着色料として使えるのか?目立つ色にして取り違えを防いだり。
「ま、フクキチに聞いてみるか」
染料は様々な種類がありそうなので、商人で素材の知識に精通しているフクキチに尋ねるのが早いと思う。
ただ、念のため、青い甲殻と橙色の甲殻でもやってみた。
〇アイテム:青の染料 効果:染色(青):小
混ぜたものを青く染める染料。純度はそこそこ、鮮やかな発色になる。
〇アイテム:橙の染料 効果:染色(橙):小
混ぜたものを橙色に染める染料。純度はそこそこ、鮮やかな発色になる。
違うのは色の部分だけだった。どれもそこそこの純度なのは、色どうしを混ぜて黒を作るより単色にした方が成分の純度が高いからだろう。
「……」
事情通に聞いた方が早いが……!赤と青ができたら、二つを組み合わせて紫を作ってみたくなるのは人間の性だ。
まずはどろどろの赤青の染料を擂り鉢に移し、擂り粉木で潰しながら混ぜる。
〇アイテム:紫の染料 効果:染色(紫):小
混ぜたものを紫色に染める染料。純度はそこそこ、鮮やかな発色になる。
紫色になった以外は赤と青と同じ説明文のアイテムができた。
では、赤い甲殻と青い甲殻を同時に煮て紫の染料を作るとどうなるのか。やってみる。
〇アイテム:紫の染料 効果:染色(紫):微
混ぜたものを紫色に染める染料。純度が粗く、発色は不安定になる。
効果が『微』になってしまった。異なる色の甲殻を混ぜて煮ると純度が落ちるわけだ。
「なら、先に全部煮といた方がいいな」
そこから俺は、ひたすら同じ色どうしでフライドラゴンの甲殻を煮続けた。
〇アイテム:水色の染料 効果:染色(水色):小
混ぜたものを水色に染める染料。純度はそこそこ、鮮やかな発色になる。
〇アイテム:朱色の染料 効果:染色(朱):小
混ぜたものを朱色に染める染料。純度はそこそこ、鮮やかな発色になる。
水色と朱色もできた。これで黒、赤、青、紫、水色、朱色の染料が手に入った。入れられる分だけ強引に試験管に移し、各十本ずつ得る。
これらの染料は色の種類に応じてインベントリの枠を占有してしまうので、まとめてボックスに入れておく。
続いてはこれだ。前にアラニアの街で採集師のカクスケさんから買った、ネッサボテンの蜜。糖度が高いからか、時間を置いても腐っていなかった。
「オーソドックスにアレだな」
すでに使い道の検討はついていた。
俺は昔やった工程を思い出しながら、まずヨクナレ草で体力回復ポーションを作る。
おさらいする。鍋に純水を張り、加熱して沸騰しないくらいに温める。擂り鉢と擂り粉木でヨクナレ草の葉を擂り潰し、鍋の中に入れる。
すぐに火を止め、蒸らしながら冷やしていく。室温まで冷めたら、茶こしでこしながら液体をフラスコに移す。これで一回目の抽出が終わりだ。
鍋をよく洗い、再び純水を張ってから、火にかける。沸騰しないくらいに温まったら、茶こしの草の残骸を浸しながら、ゆっくりと火を弱める。二回目の抽出だ。
やがて火を消して、室温まで冷めたら抽出完了。茶こしを出して、体力回復ポーションの完成だ。
〇アイテム:体力回復ポーション 効果:体力回復:中
体力を回復するポーション。ほんのり甘い。
この調薬方法では、体力回復の効果が『中』、味が『ほんのり甘い』と説明がつくポーションができる。
前回はこれを試験管に移して完成としていたが、今回はここにネッサボテンの蜜を入れてみようと思う。
とりあえず、小瓶に入った琥珀色の液体を一つ丸々入れてみる。
蜜は薄緑色のポーションにサラサラと混ざり、やがてほんの少し黄色みがかった液体に変貌した。漏斗で試験管に移して完成とする。
〇アイテム:体力回復ポーション 効果:体力回復:中 滋養強壮:小
体力を回復するポーション。十分に甘く、健康に良い。
効果に『滋養強壮』というものが生え、味の説明もいい感じになった。まるで健康飲料だな。
ただ、『滋養強壮』の効果がいかほどか分からないので、純粋に喜んでいいのか分からない。プラスの効能ではあると思うが……。
「フクキチに聞いてみよう」
結局そこに帰結する。困ったときのフクキチだ。
俺はそう結論づけ、残りの二つの蜜も別の薬に混ぜてみることにする。
腐りかけのココデオオシャチの肉とプラックスコーピオンの肉を『アクア・ソード』で一口大に切り分け、鍋に投入する。『アクア・クリエイト』で水を満たし、沸騰させて煮込む。できた液体を茶こしでこしてフラスコに移す。
以前にもやったこの手順で、中程度の効果の疲労回復薬ができた。
〇アイテム:疲労回復薬 効果:疲労回復:中
疲労を回復する薬。飲むと日をまたいだときの体力、魔力の回復量が増える。旨味にあふれる味。
これにネッサボテンの蜜を垂らしてみる。一本分だ。
〇アイテム:疲労回復薬 効果:疲労回復:中 滋養強壮:小
疲労を回復する薬。飲むと日をまたいだときの体力、魔力の回復量が増える。旨味にあふれ、健康に良い甘い味をしている。
体力回復ポーションと同じく、疲労回復薬にも滋養強壮と甘味がプラスされた。こっちはリアルで言うところのエナジードリンクか。あれも砂糖が多く入っているらしいし。
色は、黄色が濃くなったように見える。元々疲労回復薬が黄色なので、あんまり変わっていないか。
続いて毒薬も作っていく。フラスコにココデイモガイ、ポイズンワスプ、ブラックスコーピオンの毒液を入れ、純水で希釈する。できあがったのがこれだ。
〇アイテム:毒薬 効果:神経毒:中、出血毒:中
飲んだ相手を神経毒、出血毒に侵す薬。神経毒で動きを止め、出血毒でダメージを与え続けられる、凶悪な代物となっている。
以前作った毒薬と同じものだ。これに蜜を加える。
〇アイテム:毒薬 効果:神経毒:中、出血毒:中 滋養強壮:小
飲んだ相手を神経毒、出血毒に侵す薬。神経毒で動きを止め、出血毒でダメージを与え続けられる、凶悪な代物となっている。甘く、健康に良い。
毒々しい紫色が幾分弱まったような色合いになった。他の二つと同じく滋養強壮と甘さが加えられたが、説明文が矛盾してしまった。毒なのに健康に良いとはこれいかに。
でも、これはこれで使えそうだな。甘さで魔物を誘引して、確実に毒を摂取させる。そんな使い方が期待できるか。
蜜入りの体力回復ポーション、疲労回復薬、毒薬を十本ずつ試験管に移して完成とした。
「ネッサボテンの蜜は、薬液に滋養強壮効果と甘味を付加する、と見ていいな」
確定した情報を口に出すことで、頭に刻み込んでおく。
参ったな。これも素晴らしいぞ。
基本的に、味が良い薬は売価が釣り上がる。プレイヤーは味を感じられないが、NPCは感じられるからだ。
すなわち、蜜を使えば効率良くタメル稼ぎができる。”工房”入手で借金を負った俺にとってみれば、まさに渡りに船の素材アイテムだ。できれば多めに手に入れたい。
フライドラゴンの複眼とネッサボテンの蜜。この二つはそれぞれ視力増強薬の原料と滋養強壮のある甘味料として、調薬において重宝するだろう。近々集めることにしよう。
調薬の腕を磨くのもお金稼ぎも、俺の成長にとって欠かせない要素だからな。弛まぬ努力を続けていくぞ。
「さて、次はなにを使うかな……」
時刻は十八時半を回った。余った素材はまだまだある。
俺は次なる調薬作業に向け、頭を働かせてアイデアを練るのだった。




