第百二十四話
[第百二十四話]
一時間後。スノール樹氷林の北部を進む俺とリイラは、ときに魔物に足止めされながらも、無事『万年吹雪の地』へとさしかかった。
名前よろしく、常に吹雪に見舞われている地。腰丈ほどもある積雪と、台風の日の外みたいな強風が止まない空に覆われたフィールドが目の前に広がっていた。
「ここが、『万年吹雪の地』……」
「ここから先は私も土地勘がありません。どうなっているんでしょうか……」
俺もリイラも、期待半分、不安半分といったところか。
ただ、デスしても無限に生き返れる俺と違い、ゲーム内のNPCであるリイラの命は一つしかない。死への不安は、俺よりもリイラの方が圧倒的に大きいだろう。
本当に、ここまでついてきてくれてありがとう。俺は隣に立つ若い採集師に気づかれないように思う。
「……行きましょう」
「ああ」
リイラに促され、俺は北のフロンティアに足を踏み入れた。
彼女の予想通り、『万年吹雪の地』に古代の痕跡はあるのだろうか。なんだかんだ悪魔や古代の遺物と関わってきたが故に、俺もそこが気になる。
「見失わないようについてきてくれ」
「はい……」
『発熱』の効果を持つフォクシーヌのローブを着ている俺を前にして、積雪を溶かしながら進んでいるが、吹雪による視界の悪さは想定以上だった。
今なら、雪山を登山していて遭難する人の気持ちが分かる。
「魔物だ、下がって」
ただ、ここはVRゲームの中だ。俺はファンタジーな効果を持つ装備のおかげで登山に挑む人より軽装で済んでいる。
だが、こうして自然を闊歩する魔物と出会う危険性を加味すれば、こちらも中々にハードといえよう。
猛スピードで向かってくるなんらかの気配を感じつつ、そんなことを思う。
「ギイイイィィッ!」
俺との数メートルの距離を一息に飛び込んだそれは、白い体毛に覆われたでかい獣の魔物だった。
両前足と頭込みで一メートルほどの幅だろうか、でかい。鋭い爪を立て、いくつものひげを蓄えた尖った鼻をひくひくさせている。
これはもしかして、モグラか?
「『アクア・アロー』」
相手がなんにせよ、リイラが後ろにいる以上、避けることはできない。アクティブな魔物相手は迎撃するのみ。
魔力の消費を考えて、アローを白モグラの鼻先に放つ。
「ギイィッ!?」
獲物が反撃してくるとは予想していなかったのか、白モグラは驚くように短く鳴くと、前足の爪でアローを弾いてみせた。
さすがはフロンティアの魔物、反応してくるか。
それなら……。
「『アクア・ソード』っ!」
俺は水の剣を杖に纏わせ、前進しながら袈裟切りを放つ。
「ギギイイィッ!」
が、それすらも対応してくる白モグラ。
ソードが顔を切り裂く寸前、後ろ足で雪を蹴り、突進の軌道を強引に修正して俺の右横に抜けていった。
「どこだ……?」
真っ白い雪の中に消えた白モグラ。
俺は首を回し、目を凝らしてやつの潜行を探ろうとするも、吹雪がひどすぎて意味を成さない。
厄介だな。ここにきてモグラたたきを強いてくるとは!
「あそこっ、九時の方角ですっ!」
「おうっ!」
俺よりよっぽど雪景色を見慣れているリイラが叫ぶ声を聞いて、反射的に体が動いた。
俺のほぼ真左の雪から鼻と爪を突き出して突っ込んできた白モグラに、『アクア・ソード』を叩きつける。
今度は、まともに鼻先に当たった。
「ギイイイィィィッ!?」
急所に致死の一撃をもらった白モグラ。驚愕に満ちた断末魔を上げると、突進の慣性のまま右に転がった後に沈黙した。
「アイテムを拾うから待っててくれ」
「はい」
「えーと、今の白モグラは『スノールユキモグラ』というらしい。リイラは知っていたか?」
「いえ、初めて聞く名前です。おそらく、積雪が豊かなここにしか生息していないのだと思います」
「なるほど」
スノールの街も樹氷林も雪は積もっているが、ここ『万年吹雪の地』ほどではない。雪の中を潜り、スピードで攻めてくるとは、まさに厚い積雪に恵まれているからこその生態だな。
「嗅覚を使った鋭敏な索敵能力と、鋭い爪を活かした高い攻撃能力。その代わりに防御力は低く、感覚器官が詰まった鼻を突かれると弱い。こんなところか?」
「モグラの魔物は本の中でしか見たことがなかったですが、危険なのですね」
「いや、ここのが凶悪なだけだぞ……」
スノールユキモグラと比べれば、ガルアリンデ平原のモグモグラなんかかわいいものだ。
というか懐かしいな、モグモグラ。
「怪我はないか?」
「大丈夫です」
では、行こう。
ちなみに、白モグラのドロップアイテムは爪と毛皮だった。
〇アイテム:スノールユキモグラの爪
『万年吹雪の地』に生息するスノールユキモグラの爪。小さいながらも銀白色で鋭く、刃物に向く。
〇アイテム:スノールユキモグラの毛皮
『万年吹雪の地』に生息するスノールユキモグラの毛皮。短くごわごわした毛で覆われており、加工には向かない。
※※※
「止まってくれ、なにか見えた」
白モグラを倒してから数分後。真北に進んでいるはずだが方向感覚が分からなくなってきたところで、俺は前方を塞ぐ大きな影を視認した。
でかい。数メートルある樹氷並みの高さに、俺が両腕を広げても持て余すほどの幅。
例えるならそう、まるで家みたいな大きさのなにかが……、これは雪の上を這っているのか?
雪道を進む車のように雪を掻き分けながら、なにかが進んでいる。
「ノンアクティブのようだが、リイラはそこにいてくれ」
「了解です」
俺を認識しているはずなのに襲ってこないので、おそらくはノンアクティブの魔物だろう。
俺は念のためにリイラに言づけてから、おそるおそる近づいてみる。
「……雪で見えない。なんだこれは」
人が歩くくらいの速さで這っている魔物に近づき、表面の雪を払う。
そこには透き通った藍色の、粘膜のようなドロドロとした塊が確認できた。塊からは粘液のようなものが滲み出ていて、一部が俺の手にかかる。
「きもちわるっ」
仮想空間のために正確な手触りは分からないが、帰ってくる反応を見るに塊はぶよぶよしている。
スライムか?こんな雪の降る極寒の地に、スライム?
「体力は、減っていないな……」
メニューを開いて確認するが、粘液に危険性はなさそうだ。
粘液と図体で邪魔してくるお邪魔キャラではないとなると、こいつはなんだ?
……。
ええい、倒してみれば分かる!
「『アクア・ランス』!」
もしこいつがスライムで、粘膜の中にある核を攻撃しないと倒せないとかだと困るので、一息で核まで貫けるランスを放つ。
「……」
どうだ?
水の槍が粘膜の塊を突き刺して進んでいくが、スライムもどきはなんの反応も示さない。
「……!」
「おいおい!」
かと思えば、急にブルッと震えた。
おそらくは倒せたが、それはそれで困る。さっきまで魔物の体の一部だった粘膜がただの物質になり、床にぶちまけたスライムがごとく、放射状にこちらに流れてきたからだ。
「引き返せ!」
「はいっ!」
粘膜に飲み込まれないよう、俺とリイラは避難した。
数メートル後方へ下がり、スライムが広がりきってこちらまで来ないのを確かめてから、アイテム化するのを待つ。
「アイテムを取ってくる」
「私も行きます」
「……なにかあったらすぐ逃げてくれ」
念には念を入れて、俺はそろりそろりとアイテム化したスライムもどきの素材を拾う。
〇アイテム:ユキフラシの粘膜
『万年吹雪の地』に生息するユキフラシの粘膜。ゴリゴリとした不思議な食感。まずい。
〇アイテム:ユキフラシの粘液
『万年吹雪の地』に生息するユキフラシの粘液。ドロドロとしている。調薬や料理に用いると粘り気を与える。
〇アイテム:ユキフラシの触角
『万年吹雪の地』に生息するユキフラシの触角。降雪の儀式に使用される。
このでかいスライムもどきは、ユキフラシという名前らしい。
ユキフラシ……。もしかして、アメフラシの雪バージョンか?
アメフラシが現実にいるなら、ユキフラシという生き物もいておかしくはないだろうという、運営の安直な考えで作られたのだろう。俺には分かる。
「でかい体でこんなところにいたから気づかなかったが、要はナメクジだな」
「ナメクジっ!?さっきの、ナメクジだったんですか?」
「うーん。厳密に言うとナメクジではないんだが、それに近い見た目のやつってことだ。害はなさそうだが、素材が優秀だから見かけたら狩ってもいいか?」
「は、はい、それはいいんですが、ナメクジですか……」
リイラの青い顔は、寒いからじゃなさそうだ。
「やはり本で写真を見ただけなのですが、初めて相対したときは気持ち悪くて震えました……」
「寒い地域にはいないと思ってたんだがな。……まあ、なるべく倒すから気にしないでいい」
「別の意味で怖くなってきましたよ、ここ……」
リイラはどうやら、死と隣り合わせな状況を課されている本能的な恐怖に加えて、不快な生物に対する生理的な恐怖も覚え始めたようだった。
真面目系天使の笑顔を守るためにも、早急な攻略が必要だな。
「行くか」
「はい……」
つらそうなリイラの顔を見て、俺はさらなる決意を固めるのだった。
※※※
「……地形が、高くなっている?」
数十分後、自らの方向感覚を信じて吹雪の地を真っ直ぐ進んでいた俺の目の前に、雪の斜面が現れた。
手前から奥に向かって、緩やかな上り坂ができている。
「丘になっているのか?」
足下に特に気をつけながら、フォクシーヌのローブの力で近くの積雪を溶かしていく。
うーん、雪が邪魔で見づらいな。
俺は屈んで、露わになった地面を目視しようとする。
「……これは、階段だ!階段だぞ!」
目の前の傾斜は丘ではなく、滑らかな灰色の石材でできた階段だった。
俺は大声を上げて、後ろのリイラに伝える。
「ということは、ここは遺跡なんですね……!スノールの有史以前の、古代の痕跡なんですね!」
「その可能性は高いな」
俺とリイラは興奮しながら、周囲に視線を巡らせる。吹雪の中をよく見てみると確かに、雪を被った建築物の残骸らしき大小の物体の数々が散らばっている。
どうやら、ここを詳しく調べた方がよさそうだな。
俺はそう思い、背後に振り返る。
「リイラ、この辺を少し……」
「おやおや珍しいですねえ、こんなところに人間さんですか」
少し高い男性の声が、正面の石段の上から聞こえた。俺は反射的に首を戻し、声のした方向を睨む。
人か?さっきまで気配は感じなかったのに?吹雪のせいで視界が悪く、かろうじて前方に人影のようなものが見えるだけだった。
「ここですよ」
さらなる呼びかけとともに、氷柱。直径五十センチメートルくらいの円錐状の氷が、尖った方をこちらに向けて高速で突っ込んでくる。
「『アクア・ランス』っ!」
螺旋に回転しながら銃弾のごとく迫る氷を、俺は水の槍で迎撃する。速度と質量が十分加えられた水の流れと衝突し、氷の塊は粉々に砕けて飛散した。
「きゃあっ!」
「離れていてくれ!」
危険だ。リイラに下がってもらう。
「ほう、水魔法を使うのですか。しかし、それだけではない」
「そこにいるのは誰だ?俺たちは敵じゃない」
無駄だと分かっていながら、俺は対話を試みる。
分かっている。人語を介し、詠唱せずとも魔法のような現象を発生させられる存在など、とうに見当がついているのに。
「私の氷を穿つほどの威力となると、火の力でしょうか?なんとも荒唐無稽ですが、水の魔法に火の性質が加えられている?」
「『アクア・ランス』」
今度は俺から攻める。謎の相手が話している隙に魔法を詠唱し、放つ。
そして俺自身も、雪の段差を駆け上がって距離を詰める。
「おやおや、図星ですか?」
飛んでいった水の槍は相手に届く前に氷結し、空中で停止する。
距離が縮まったことで、相手の姿が視認できるようになった。その全身を見て、俺は足を止める。
「っ!やっぱりか……!」
「おやおや、その反応は……」
相手は口を動かしながら氷の槍を掴み、俺に向かって投げ返してくる。
「『アクア・ソード』っ!」
俺は反射神経をフルに活かし、杖に纏わせた水の刃で氷の槍を両断する。
「私のような『悪魔』と、出会ったことがあるようですねえ……」
人形のような姿をした『悪魔』は、楽しそうに笑った。
頭、胴体、四肢は水色で透き通った細い氷でできている。顔の、目に該当する部分は赤く明滅していて、まるで瞬きをしているかのようだった。鼻はとんがった氷、口は真一文字に走る亀裂で表現されている。また、首や肩、肘、膝、手首、指の関節部分には雪が詰められており、動く度にしゃりしゃりと音を立てながら関節としての役割を全うしていた。
「二人もいる。では、こいつは殺してもいいですね」
物騒なことをのたまい、また氷柱を放ってくる。
「『アクア・ランス』!」
再び氷と水がぶつかり合い、派手な音ともに白い煙が上がる。
多分、アローでは火力不足。赤子の手を捻るように繰り出される氷の技に、俺は全力で対処しなければならなかった。
「甘いですよ?」
「ぐっ!」
『氷雪の悪魔』は魔法の余波を利用し、目の前まで詰めてきていた。
俺が体術で対処する前に、その細く華奢な腕で俺の喉元を掴む。
「死になさい」
道化師のような明るい口調で、冷酷な死の宣告が告げられる。
「……ふっ」
だが、俺は笑顔で返す余裕があった。
悪いな。とっておきの切り札は、隠しておけって教わったんだ。
喉が凍結させられる寸前、俺は至近距離に迫った『氷雪の悪魔』の顔に向かって、熱い吐息を吹きかける。たちまち、俺の口から業火が噴き出した。
サンキュー、バーネスト!
やっと出番ね!
「ンギャアアアアアッッ!!??」
「悪いな」
大きく息を吸い込んで、もう一度!
俺は火炎放射の勢いで後ろに倒れ込む『悪魔』を見下ろし、特大の火炎を吐いた。氷でできた人形の実体が、窯に入れられたピザがごとく熱と炎に侵される。
「やられる前にやる。徹底的にな」
リイラもいることだし、調査のためにこの場所は安全にしておきたいし、『悪魔』を生かすという選択肢はない。
俺は何度も息継ぎを繰り返し、『氷雪の悪魔』を焼き続ける。熱で周りの雪が溶け、周辺を形作っていた遺跡が徐々に露わになっていく。
「これが、トールさんの本気……!」
熱いだろうが、もう少しの辛抱だ、リイラ。
氷を溶かし切るだけで『氷雪の悪魔』を倒せるのか分からなかったので、溶けた水すら蒸発させるくらいの熱量を込めて燃やし続けた。
いい調子よ、もっと火力を上げて!
「はあ、はあ、はあ……」
数分後。俺は自らの呼吸を行うため、火吹きを終わらせた。
煙と火が晴れると目の前に残っていたのは、真っ黒な焦土と降り積もる白い雪だけだった。
「これ、遺跡は大丈夫なんでしょうか?」
時刻は十五時を回った。
リイラの極めて素朴な問いが、寒空の中に消えた。