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8月12日 ~大虚~

 深夜〇時。

 日付が変わり、八月十二日になった頃辰原神社に辿り着いた健太と朱里は、眼前の光景を現実として受け止めることが出来なかった。

 神社があったはずの場所にあるのは、巨大なうろであった。

 底の見えない漆黒のうろは、神社の敷地を全て飲み干したにも関わらず、食い足りなそうに大口を開けている。

 これがきっと佐久間家に伝わる巻物に書かれていた大虚だ。


「俺、考えないようにしてたことがあるんだ」

「何を?」

「灰色の煤が来た大虚は、辰原町のどこにあるのか?」


 そして大虚を封じるように神社が作られたのなら――。


『わしは見たんだのう。あの日、大虚に灰色の煤が逃げ込んでいくのを確かに見たんじゃ』


 大虚の底で眠るモノは――。


「どうしてここに!?」


 背後から轟く声に振り返ると、そこには辰原神社の神主である朝倉が居た。

 彼の自宅は、神社の敷地と別にある事が幸いしたのだろう。

 無事を喜ぼうとした健太だったが、


「早く逃げなさい!!」


 朝倉は、死を喉元に当てがわれているかのように、声を荒げた。

 朝倉の恐怖は、大虚の根源を知っているからこそ、大虚の意味を知っているからこそ浮かび上がるものだ。


「君は長く生き過ぎたのです。因果を回避し続けて、制御が出来ないほど強大な修正力になっています」

「まさか……健太くんの魂がこの虚を?」

「そう。健太くんの魂の器を滅した原初の要因。それを呼び寄せてしまったんです。早く逃げなさい!」

「逃げろって一体何から……」


 健太の素肌を雪の結晶が突き刺さるような冷たさが這いずった。

 目を凝らして、ようやく映る微細な煤が一つ、大虚から立ち上ってくる。

 大虚から漏れ出す濃厚な負の気配は、この一つから発せられていた。

 すると、後を追うように十が。その後を追って百が。さらに続いて千が。万に、億に、兆に膨らむ煤の群れが龍の腹のように渦巻いて地上へと昇ってくる。

 たったの一つでも耐え難い嫌悪が、兆を超える群れとなって大気の中に溶け出していく。


「俺が……こいつを呼んだのか?」


 健太の因果が引き寄せたモノ。

 健太の魂が呼び寄せたモノ。

 辰原に破滅をもたらす物を魂が呼び寄せるのだとしたら――。


「ふざけんなよ……こんな迷惑な自殺ありかよ」


 ここで殺されれば灰色の煤は、帰るのだろうか。

 それとも七百年前のように、人々に寄生して辰原を支配してしまうのか。

 どちらにせよ待っているのは、健太にとって、絶対的な死の因果。

 逃れようがないと、逃れてはいけないと、常に寄り添い、追いかけてくる。

 死という概念をかたどった膨大な異形を前に、思考すらもおこがましく、健太の脳を空白が犯していく。


「ここを離れて町の中心へ行きなさい!!」


 朝倉の絶叫が健太の意識を目覚めさせた。


「大虚から離れれば、それだけ煤の影響力も薄れるはずです。とにかく逃げなさい!」


 逃げれば、確実に灰色の煤は、健太を追いかけてくる。

 こんなモノを連れて町へ行けば、甚大な被害が出てしまう。

 灰色の煤とは、人の体内に巣食う尋常ならざる生物なのだ。

 いくら自分を守るためとはいえ、そんな危険は冒せない。

 ならばいっそ自分だけがここで食われてしまうのが――。


「しっかりして!!」


 朱里の怒号が轟き、健太の右腕が強く引かれる。


「わたしは、あんなものに、健太くんを殺させるわけにはいかないんだよ!!」


 つんのめりながらも朱里の駆け足に追い縋るように、健太の足も回転を増していった。

 振りかえって確認すると、灰色の煤は、地面スレスレを渦巻きながら飛翔し、健太と朱里を追いかけてきている。

 朝倉は、健太たちとは反対方向に走り出すと、


「助けを呼んできます! とにかく逃げなさい!!」


 姿を夜闇に溶かしてしまった。

 朝倉は、自分だけ逃げ延びようとする卑劣な人間ではない。絶対に、助けを呼んできてくれるはず。

 そう信じて健太は、手を繋いだまま朱里を追い抜き、先頭を走った。

 とにかく朝倉の言う通り、町の中心へと逃れるのだ。忠告通りに動かないと、朝倉が助けを連れてきた時、落ち合えなくなるかもしれない。


 健太と朱里は、渾身の力で走り続けて、辰原町でも一番の大通りである倉敷通りに辿り着いた。

 道なりに北上すれば、辰原町の中心地まで一直線で行ける。

 この辺りは深夜でも人通りが多く、人々や車が通りを行き交っていた。

 歩道を駆ける健太と朱里に迫る灰色の煤の異形を前に、すれ違う人々は悲鳴を上げ、驚愕を露わに逃げ惑っている。

 灰色の煤は、今のところ健太以外に関心を示している様子はないが、いつ町の人々に寄生をするか分からない。


「やっぱりだめか……」


 想像以上に人が多い。


「町に居たら他の人たちが……」


 ここで灰色の煤が寄生を始めてしまったら、何人が犠牲になるか、健太には想像もつかなかった。

 町の人が犠牲になる前に、どうにかして怪物の進行を止めなければならない。

 まず思い浮かぶのは、母体を殺すこと。

 統率の取れた行動をする今の灰色の煤には、母体が存在しているはず。ならば母体を見つけ出し、これを叩くのは一番の解決策だ。

 しかし、とても容易なことではない。

 億か、あるいは兆に及ぶ無数の煤の中から、母体を探し当てるのは不可能と言っていい。となると、必然的にもう一つの選択肢を取らざる得なくなってくる。


「俺が……死ねば――」

「それじゃ解決にならないんだよ!」


 朱里の一喝いっかつが、しおれかけていた健太を奮い立たせようとしてくれる。


「あなたの魂が呼び寄せたモノなら因果を断ち切らない限り、あれは消えないよ! しっかりして!!」


 きっとこれは報いなのだ。

 安易な答えに逃げようとしたから、安易な答えがこうして姿を成したのだ。

 断たねばならない。呼び寄せてしまった以上、健太がこれを断たなければならない。


「分かった……あれをやっつけないと」


 灰色の煤が何者かも分からなかった七百年前とは違う。

 佐久間家の調査によって灰色の煤が寄生虫的な生態を持つ生物であることは解明されている。

 生物である以上、殺せるということだ。

 一つの母体を特定して殺すのは、不可能でも、一度に大量の煤を殺すことが出来ればいずれは母体をも殺せるかもしれない。

 ならば面で攻撃すれば可能性はある。

 朱里の魔法を使えば、それも叶うだろう。

 しかし魔法の力を使い過ぎれば朱里は死んでしまうかもしれない。


「どうすりゃいいんだ……」

「健太くん! 何か考えがあるなら教えて!」

「でも……」

「迷ってる場合じゃないよ。こういう時のために、辰原の町はわたしに力をくれたんだよ! 今使わなくちゃいつ使うの!?」


 朱里を犠牲にはしたくなかった。

 だけど、この状況を打開出来るのは朱里だけ。


「ごめん、朱里」


 健太は、朱里の手を解き、立ち止まると、迫り来る煤を指差した。


「あいつを魔法で吹き飛ばしてくれ! 母体は分からないから、なるべく多くを!」

「分かったよ!」


 朱里が眼前に迫る灰色の煤に両の掌を向けると、圧縮された空気が砲弾のように放たれた。

 強烈な破裂音を伴って飛翔する空気弾の直撃に、一纏まりの渦だった灰色の煤は、空中で散り散りになる。


 ――殺せた?


 しかし散らばった粒は、寄り集まっていき、再び巨大な灰色の渦をかたどろうとしている。


「そんな……わたしの魔法が効かないの?」


 渾身の一撃が通用しなかった朱里の落胆は大きい。

 健太としても、これほど効果が薄いのは予想外であった。

 だが立ち止まる訳には、いかない。

 呼び寄せてしまった悪意を討つ義務が健太にはある。

 健太は、再び朱里の手を引き、町の中心を目指して大通りを北へ向かって走り出した。

 幸いなことに、まだ再生には時間がかかるらしく、灰色の煤は動き出していない。

 少しでも遠くへ逃げれば、多少なりとも時間を稼げるし、対抗するための策を考えなければならなかった。


 どんなに不可思議に見えても、あれは生物だ。

 人間の体内に巣食う寄生虫的な性質。

 食料となる青い果実を作り出し、その上で繁殖する。

 あれが一個じゃなくて群れの集合体。

 あのどこかに母体が居る。その母体さえ倒せばどうにかなるはず。

 

 問題は、朱里の魔法が連射の効く代物ではないということ。

 あの大群に消耗戦を仕掛けても押し潰されるのは、こちら側だ。


 考えろ。


 考えろ。


 兆の軍勢の中からたった一つの母体を見つけなければならない。

 まもなく十六年を迎える人生の中で、思考を最高速度でフル稼働させる。

 刹那、健太の視界に影が差しこんでくる。

 咄嗟に見上げると、灰色のセダンが一台、宙を舞っていた。


 ――どうして車が?


 灰色の煤の散らばった一部が路上に止まっていた車を健太に投げつけたのだ。


 ――間に合わない?


 咄嗟のことで健太の肉体は、回避行動に対応出来ず、自身に迫る車体を目で追い続けることしか出来なかった。


 ――死ぬ?


 避けきれない。

 その直感と同時に、健太の真横から衝撃が襲った。

 朱里が車の放物線上から健太を突き飛ばしたのである。

 しかし健太を庇った朱里に避ける時間は、残されておらず――。


「朱里!!」


 降り注いできた車の直撃に朱里の身体は、ゴムボールのように跳ね飛びながら地面に叩きつけられた。

 健太が駆け寄り、抱き起すが、その身体にはいつもの弾けるような元気も、溢れるような力強さもない。


「朱里……おい!!」


 呼びかけても応答はない。

 口元に耳を近づけると細く呼吸はしている。

 擦り傷だらけではあるが、大量の出血などは見られないし、体温も下がってはいない。

 だが動かせる状態じゃないのは、素人目にも明らかだ。

 灰色の煤の目的は、あくまで健太のはず。

 ここに置いていけば朱里は、助かるかもしれない。

 とにかく遠くへ誘き寄せようと決意したその時、


「ケンちゃんー?」


 この修羅場に似つかわしくない温かな声がした。

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