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8月11日 ~嫌悪~

『因果を断ち切るためといえ、真実を知り過ぎてはいかん』


 月光が降り注ぐ林の中で、朱里は一人佇んでいた。

 思い出すのは、過去へ来る前に聞かされた龍の言葉。


『お嬢さんが過去に来た経緯や、わしとの会話をあまり詳しく彼に話さんことだ』


『きっと全ての真実を知れば、彼は死を選ぶだろうからな……』


 龍は、この時のことを危惧していたのだ。


「わたし……何のために過去に来たのかな?」


 頭上の月を仰ぎ、ぽつりと呟く朱里の背中が――。


「朱里」


 健太には酷く儚げに見えていた。

 とにかく朱里を追いかけようと走ってきたが、どんな言葉をかけたらいいか結論を出せなかった。

 朱里が喜ぶ選択肢は分かっている。

 だけど健太の命と朱里の願い。二人分の望みを叶えるために三万人を捨ててよいのだろうか?

 辰原町の起こす数々の奇跡を目にしたからこそ、決断出来ない。

 健太が生き続けることで辰原町を守る加護が消えてしまうのなら、やはりそれは大罪に思えた。

 だけど、命を賭してまで守ろうとしてくれた朱里の意志も無下にはしたくない。


「なぁ……朱里」


 振り返った朱里の顔には、はっきりと嫌悪が浮かんでいる。


「来ないで……」


 歩み寄ろうとする健太を制して、朱里は再び背を向けた。


「今は……一緒に居たくないの」


 朱里の心根からの吐露のようだった。

 朱里の期待を裏切ってしまった自覚が、より一層の罪悪感を煽った。


 ――俺はどうすればいい?


 健太の自問に答える者は、居なかった。

 答えられるのは、一人しかいないのだから。

 尋ねるべきは、どうすればよいかではない。

 

 ――俺はどうしたい?

 

 彼女を悲しませることだけはしたくない。


「……嘘、つくなよ」

「嘘なんてついてない!」

「俺には、嘘つかないんだろ?」

「嘘じゃない!」

「俺と一緒に居たくないなんてウソだろ?」

「勝手なことばっかり言わないでよ!!」


 確かに身勝手だ。朱里を繋ぎとめたいなら生きればいい。

 みんなが言ってくれる。迷う必要なんかない。生きていいのだと。

それでも選び切れない。決断出来ない。


「あなたとなんか居たくない!! もう一人にしてよ!!」


 朱里が去ろうとした瞬間、反射的に健太は渾身の力で地面を蹴り、朱里の手を掴んだ。


「離して!」

「……いやだ」


 この手を離してしまえば、もう二度と朱里の傍に居ることを許されない気がした。


「離してってば!!」

「いやだ!」


朱里が健太の手を振り解き、


「ほっといて!」

「朱里!」


 健太は、逃げ出そうとする朱里の身体を抱きしめた。

 朱里の両手は、健太を引き剥がそうと懸命に動いている。

 しかし健太は、朱里を離さないように力を腕に込めた。

 きっと朱里は、痛い思いをしている。

 それでも両腕を緩めることはしなかった。


「勝手……」


 健太の腕の中で朱里の抵抗が徐々に弱くなっていく。


「だよ……」


 朱里は暴れるのをやめて、健太の顔を見上げてくる。

 こういう時、どんな表情浮かべればいいのか分からなかった。

 しかし、すぐに気が付かされる。

 笑いも、怒りも、悲しみもいらない。

 相手が望む感情を作るのではなく、正直になればいい。

 今の健太は、ぐちゃぐちゃだ。

 自分の選ぶべき選択や感情を上手く整理することが出来ない。

 それでもたった一つだけぶれていない想いがある。




 阿澄朱里と一緒に居たい。




 だから柔らかな身体を抱きしめる両腕へ素直な気持ちを乗せた。

 すると朱里の頬は、仄かに紅潮し、先ほどまで支配的だった黒い感情は、どこかへと消え去っている。


 ――ここから先どうすればいいんだろう?


 言葉を間違えると、また怒らせてしまいそうで怖かった。

 けれど、どう選択するのかの答えは、まだ出せていない。


「なぁ」


 ――それなら。


「来世の俺ってどんな奴?」


 話をしよう。

 他愛がなくとも、意味がなくとも、馬鹿な話でも、なんでもよかった。

 気持ちを少しでも整理したいから、色々なことを話してみたい。

 時間が差し迫った状況なのに悠長だし、あえてこの場で聞くようなことではないと分かっていたが、聞かずにはいられなかった。

 唐突な健太の質問に、朱里は、しばし沈黙してから答えた。


「少し大人しいけど、根本は同じ人……って感じだよ」

「そっか。生まれ変わっても俺は俺ってわけか?」

「うん……そうだよ」

「前世の記憶ってあったのか? よく言うじゃん。そういうのあるって」

「なかった。彼とは幼馴染だったけど、そういう経験はなかった。でも不思議」

「何が?」


 朱里は、健太とまっすぐに視線を合わせて、はにかんだ。


「会って最初の頃は、彼と全然似てないと思ったの。顔も声も」

「期待を裏切ってごめんな」

「違うの。そうじゃなくて……そうじゃなくて。あなたは、彼とは違う人だけど――」

「だけど、何?」

「健太くんのことも、同じように大切な人になった」

「……ありがとう」

「最初は、あなたの中に、あの人の魂を見てたけど、今はそうじゃない。あなたを……桐嶋健太を見てる」


 朱里の健太に対する感情は、恋とは違う。

 きっと、もっと強い気持ち。


「だからあなたの魂を因果から解き放ちたい」


 腕を通して伝わる朱里の体温が上がっていく。

 朱里は、健太の胸に額を預けた。


「最初はね。あなたを助ければ彼が生き返るんじゃないかって期待もあった。でも今はそうじゃない……あなたを助けたい」

「俺も、まだ答えを出せてないけど――」


 健太が死を選ぼうとする気持ちが魂の因果によるものなら、生きたいと思うのは健太に流れる異国の男の血の呪いかもしれない。

 あるいはどちらの思いも、桐嶋健太という一個の人間が十六年近い歳月をかけて作り上げてきた人格からかもしれない。

 しかし団蔵が言うように、たとえどんな影響を受けていようと、最後に決めるのは、健太の意志だ。


「今までの俺が見てこられなかった十五歳より先の世界を、見たい……いや見せてやりたいとも思ってるんだ」

「誰に?」

「俺自身。そして俺の魂に」


 朱里のためにも、その道を選びたい。

 それでも考えてしまうのは辰原町のことだ。


「でも町を犠牲にはしたくない」


 大好きなこの町が自分の犠牲で成り立っているなら、それが役目なら逃げたくはない。

 自分が生き延びても辰原が死んでしまうなら――。


「怖いんだ」

「怖い? 何が怖いの?」

「もしも俺が生きることを選んだら、この町に注がれる豊穣の血が途絶えたら、この町はどうなるんだろうって」


 今まで健太が目にしてきた物は、健太が常識と思っていた全てを粉々に壊してきた。

 阿澄朱里。

 友の墓を守る龍。

 辰原の災。

 灰色の煤。

 狂気の異国人。

 喰らわれた英雄。

 これらの存在全てが証明しているのだ。

 健太の因果と辰原町の繁栄の関係性を。


「いろんな奇跡を起こせる町だ。俺たちはそれをずっと見てきた。もしも血が途絶えたらどんな影響が出るか、分からないだろ?」


 自分の常識が壊れてしまうだけならいい。

 だが辰原に暮らす三万の人々に関わることならば、安易に自分の意志で決めることは罪ではないか?

 そう思えてしまうのだ。


「怖いんだ。どんなことが起こるか」

「でも見てみたいとは思わないの? 十五歳よりも先の世界を」


 叶うのならば、見てみたい。この先の世界を。

 どちらにしても、もう時間はない。

 今日がこのまま無事に終わってくれるなら誕生日まで残すは明日だけだ。


「明日までに決めないとな」


 泣いても笑っても明日が最後だ。

 明日を生き延びるか、そう出来ないのかで全てが決まる。

 まだどうするかを決めきれてはいないが、確実に言えることがある。


「どんな結果になっても俺、後悔だけはしたくない。違うな。俺、何があっても後悔しないよ」


 これだけは変わりようのないたった一つの想い。


「わたしは……あなたに出会えてよかった」


 きっとこれだけは何があっても変わらない。変えたくない。

 そう願いながら抱き締めていた朱里と身体を離した瞬間、冷たい汚泥のような不快感が健太の胸を貫いた。


 ――なんだ!?


 咄嗟に健太が見やったのは、辰原神社のある方角だ。

 そこから健太に向けて、耐え難い何かが注ぎ込まれている。


 殺気。


 敵意。


 憎悪。


 人生でこれらの感情を向けられた経験はないが、いずれでもないと断言出来た。

 人間という種の、もっとも深層の部分を嫌悪で激しく振るわせる何か。


「神社の方角から……何か感じる」

「健太くん?」


 きっと魂を縛る因果に関することだと、健太は悟った。

 健太の生存に深く関係する何かが辰原神社にある。


 ――行かなくては。


「健太くん!?」


 朱里の制止を振り切って、直感に導かれるまま健太は、辰原神社を目指して走り出していた。

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