8月10日と8月11日 ~急転直下な事態です~
「そしてわたくし阿澄朱里は、龍さんから魔法を授けられ、桐嶋健太の生きる時代を訪れたんだよ……はじまりはじまりってね」
朱里の話を聞き終えた健太の思考は、意外にも突拍子もない話の理解を拒まなかった。
彼女と過ごした数日間が、真実であると証明してくれる。
そして最も気掛かりなのは――。
「身を削る力って、どういう意味だよ?」
心当たりがある。
植木鉢の落下から魔法で健太を守った翌日、朱里は具合が悪そうにしていた。
朱里は、平気だと言って譲らなかったが、身を削る力という龍の言葉から察するに、身体に相当の負担があるのは間違いない。
「魔法を使うと、朱里にどれぐらいの負担がかかるんだ?」
「そんなには――」
「嘘はつくなよ?」
「……けっこう疲れるよ。でも一日に何度も使ったりしなければ平気だよ」
「じゃあこの間、隣町で魔法が使えなかったのは……」
「それは違うと思う。身体辛かったとかじゃなくて、全然使えなかったんだよ。使おうとしても全然力を出せないっていうか……」
無理をしているようには見えない。嘘もついていないようだ。
けれど、朱里が魔法を使えなくなった原因は、分からないままになってしまう。
そして、もう一つの、龍の言葉の意味も気がかりだ。
「それに、どうして過去に来た経緯を教えると俺を救えなくなるんだ? ていうか――」
――俺が死を選ぶってなんでだ?
龍は、健太が真実を知りすぎることと、知りすぎた時の顛末を恐れている。
裏を返せば龍は、全ての真実を知っているということだ。
龍は、健太の魂の因果についての全ても間違いなく知っている。
その原因も、救うための方法も。
この時代にも居る保証はないが、朱里同様に賭けてみるには分の悪い話ではない。
「その龍が居たっていう場所、案内出来るか?」
「どうやって行ったのか分からないんだよ。でも彼が眠っているお寺は分かるよ」
「じゃあそこに行こう」
「うん」
予定が決まった所で二人は眠る事にした。
明日は、きっと嫌になってしまうほど忙しくなる。
そんな予感を抱いていたから。
微睡は、健太の意識を包み込み、仮初めの安息へと導いた。
未来で朱里の恋人が眠っているらしい善識寺を訪れたのは、八月十一日の昼過ぎであった。
八十年の差は、あっても朱里にとって慣れた場所のようで、寺までの道中は、彼女の案内に従った。
恋人が眠っているという場所には、別の家のお墓が立っており、きっとこの場所が空いて、そこに朱里の恋人の墓が建てられたのだろう。
「なんか……」
「どうして?」
「自分の来世がここのお墓に入ってるって思うと不思議でさ」
「そうだね。私も彼のお墓がないのは、不思議な気分だよ」
彼のことを尋ねるのは、きっと残酷だ。
朱里の答えは決まっているから。
彼女を傷つけるかもしれないのに、不快な思いをさせるかもしれないのに、それでも聞かずにはいられなかった。
「好きだった?」
その言葉に、朱里は、満面の笑みを浮かべて頷いた。
「うん。大好きだよ。幼馴染だったの」
「そうなんだ」
「前に話したでしょ。わたし、親が居なかったって」
「言ってたな」
「わたしを引き取ってくれた人たちは、とっても良い人たちだったけど、やっぱり血のつながりはなかったから、ちょっとさびしい時もあったんだよ。失礼な話だけどね」
辛い時に優しい人に出会ったら恋をするに決まっている。
「そんなわたしを幼馴染の彼は、気にかけてくれたの」
健太には、朱里の気持ちが痛いほどよく分かった。
「小さい頃からずっと一緒で――」
真実を知れば知る程、今健太が置かれている状況は、朱里と同じなのだから。
「いつの間にか、彼を好きになってたんだよ」
辛い時、そんな相手に出会ったら、好きになっても仕方がない。
「そっか」
そういうものだろう。
ましてそれがこんなに美しい人なら。
「いつから付き合ってるんだ?」
「高校に入ると同時に付き合い始めて……この人とずっと一緒に居るのが当たり前だと思った」
「当たり前が壊れるってつらいよな」
気持ちは少し分かると、彼女への賛同のつもりだったが、なぜか朱里は俯いてしまった。
「わたしもだよ」
「朱里?」
「あなたの――」
――ああ、そうか。
「壊してねぇよ」
――ずっと気にしていたんだ。
「朱里は、俺の当たり前を守ろうとしてくれてるんだ。感謝してる」
「そうかな」
――そうだよ。
「朱里はさ」
――俺はさ。
「自分のしてることに自信を持った方がいいよ」
――君に救われているから。
「ありがとう」
――きっと君を好きになるぐらい。
「そろそろ行ってみよう。朱里が出会った龍の居た場所へ」
だから鍵をかけて、鎖で縛って、もう二度と出て来ないでくれ。
叶わない想いを抱き続けるほど、子供ではない。
だからせめて、全てが終わった時、彼女に幸せな出会いが待っていますように。
そう願いながら健太は、朱里の背中を追った。
――――
二人は、並んで舗装された山道を下っていく。
ここまでは、行きと同じ風景だ。
だが、健太がふと周囲を見ると、来た時とは景色が変化している。
靴底の感触は、アスファルトの固さではなく、草むらと土の軟さに変わっていた。
周囲も背の高い木々に覆われており、自分がどこに居るのか分からず、方向感覚が奪われる。
舗装された山道を下っていた筈なのに。
いつからここに迷い込んだのか、その記憶が全くない。
唐突に、突然に、訪れた変化である。
先を行く朱里は、健太ほどの動揺を見せていない。見知った道を歩いているようだった。
健太の確信は、強くなる。
この道は、朱里を現代へと誘った存在に繋がっているのだ。
話だけでは、どのような姿か、詳細を思い描くことは出来なかった。
どれほど巨大で、どれほど偉大なのか。
空想するだけも、興奮と畏怖によって心臓が締め付けられる。
けれど恐れるばかりでは、自分自身も朱里も救えない。
竦みそうになる両足を奮い立たせて、先を行く朱里に懸命についていく。
そうやって歩き続けていると、木々の群れを抜けて、開けた場所に出た。
草原ではない。山の中腹らしく、辰原町を一望出来た。さらには、古びた小屋が一軒建っている。この風景に、健太は見覚えがあった。
「ダンじいちゃんの家だ……」
何がどうなっている?
どうして、龍を探していたら団蔵の家についてしまったのだろう?
この場所に辿り着くことが無意味であるはずがない。
団蔵の家と龍、そして健太の魂を縛る因果と、どのような関係があるというのか?
ぐるぐると疑問ばかりが回って、思考がまとまらない。
「お寺と繋がってたんだね」
朱里も驚いているが、健太のそれは、彼女と比較にならなかった。
「……そんなはずない」
「健太くん?」
「だって……ここは」
団蔵の家と寺は、辰原の町を挟んで向かい合うようにある。
町をまっすぐに抜けるか、辰原の町を半周しなければ辿り着けないはずだ。
しかしそんな長距離を歩いた自覚はない。
何よりも龍の居た場所を辿ったら、団蔵の家に着いた事実が健太の困惑を強めた。
「健太……」
立ち尽くす二人に、小屋から出てきた団蔵が声を掛けた。
「どうしたのう? すごい顔しとるぞい」
きっとひどい顔をしているのだろう。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「ダン……じいちゃん」
何を聞けばいいのだろう。
どうしてここで団蔵が出てくるのだろう。
彼が朱里の出会った龍と、どう関わりがあるのか。
「あのさ」
「おう」
――何を言えば、いいんだろう?
「あの……さ」
「どうしたのう?」
健太は、何も言い出せなかった。
団蔵に聞いてしまえば、取り返しの付かない何かがある。
偶然であるはずがない。
朱里が龍と出会った場所と団蔵の住んでいる場所が同じならば、団蔵もまた健太の因果にかかわる人間かもしれない。
知ってしまったら、きっと今までには戻れなくなる。
そんな予感が健太に躊躇させた。
口籠る健太を前に、口火を切ったのは朱里だった。
「あの……おじいさん」
団蔵は、訝しげに首を傾げた。
「おや。君とは初めましてかのう。いや前に会っておるかね?」
団蔵の言葉に、朱里の表情が灰色に曇っていく。
「……なんで?」
「朱里?」
「なんで、この人は……わたしに初めましてって言うの?」
――そうだ!
朱里は、健太を知る人物の認知を変えている。
健太と朱里は、幼馴染で家族ぐるみの付き合いをしている設定だ。
健太の両親やクラスメイトも、春さんたち町の人々も、皆が健太と朱里の関係を幼馴染と思っている。
それなのに団蔵だけは、朱里を健太の幼馴染として認知していない。
『よかったのう。妄想以外で恋人が出来て』
『かわいいのかのう?』
『ほう。彼女がそうかのう』
あの日、健太と朱里が初めて出会った日、団蔵はそう言っていた。
朱里を幼馴染だと知っていたなら、あのような言葉は使わないだろう。
団蔵の認知は、朱里が改変する以前の正常なままなのだ。
町全体に作用した記憶改竄であるはずなのに、団蔵だけがその影響下から抜け出している。
ここまで揃ってしまったら、朱里が出会った龍や健太の魂を縛る因果と関係があるとしか思えない。
「まぁ上がんなさい。話は、ゆっくり聞くからのう」
団蔵は、健太と朱里に手招きをしながら小屋に引っ込んでしまう。
健太は、朱里の手を引いて、いつも座る縁側に二人で腰かけると、団蔵が麦茶の入ったコップを二つ持ってきて縁側の上に置いた。
「ダンじいちゃん」
健太が名を呼ぶと、団蔵は、健太の隣にあぐらをかいて辰原の町を眺めた。
深い皺の奥で輝く瞳には、ある種の決意が宿っているように見える。
ならば、健太も覚悟を決めなければならない。
もう後には引き返せなくなっても、進む以外に道はないのだ。
「なんだのう?」
「辰原の災。なんか知ってる?」
尋ねられた団蔵は、懐かしむかのように、くしゃりと破顔した。
「……そういうこと……かのう」
健太は、コップを掴み、麦茶を一気にあおると、口の端に付いた水滴を手の甲で拭った。
「ダンじいちゃん。何か知ってるの?」
「辰原の災について、詳しく知りたいのならまずは辰原神社の神主に話を聞くとよい。わしの名前を出せば、真実を話してくるじゃろう」
「朝倉さんか……」
「やっぱりあの人、何か知ってるんですか?」
「あいつが全てを話してくるはずだのう。わしから今言えるのはそれだけじゃ」
状況が急転直下していく。
理解する時間を与えてくれない。
けれど立ち止まっている暇はない。
健太は、朱里と共に辰原神社へと向かった。




