8月10日 ~新旧幼馴染対決です~
健太と朱里が、いつもの帰り道を歩いていたが――。
「健太。久しぶりに焼き鳥を食べて帰りましょう?」
舞香がぴったりとついて来ている。
素早く下校して撒いたつもりだったが、完全に捕捉されてしまった。
健太としては、舞香を因果が起こす事故に巻き込みたくないから、一緒に帰るのは避けたかった。
それ以上に気掛かりなのは、朱里の様子だ。
笑顔を作っているが、内心は察するまでもなく刺々しい。
「買い食いは校則違反だよ」
「そう。阿澄だけ先に帰ってもいいのよ? 私と健太の二人で行くわ」
「今日健太くんは、用事があるんだよ」
「焼き鳥屋さんは帰り道の商店街にあるわ。買うのに一分もかからないけれど?」
「健太くんの用事は、一分一秒を争うんだよ」
「なら早足で行きましょう。一分ぐらいなら短縮出来るわ」
「食べてる暇がないんだよ」
「歩きながら食べられるわ」
舞香の歩く速度が速くなる。
すると、競うように朱里の足も回転速度を増していく。
健太も必死についていくが、二人の加速は止まるところを知らない。
もはや競歩の領域だ。今の二人なら日本新記録を出せるかもしれない。
「なぁ!? 二人とも!?」
「健太くん、焼き鳥食べたくないって」
「健太は、焼き鳥を食べたいはずよ。大好物だもの。あなたは幼馴染なのに、そんなことも知らないのかしら?」
「今日は食べたくないって思ってるんだよ」
「私には焼き鳥を食べたそうに見えるわ」
「だから二人ともさ……」
――気まずい。胃が痛い。
因果よりも先にストレスで殺されそうだ。
なんとかこの状況を脱する手はないものか?
健太が思案に耽っていると、いつの間にか商店街が見えてくる。
早足のおかげだろう。いつもよりもはるかに早く、商店街に辿り着いた。
こうなったらやることは決まっている。
「よし! 焼き鳥食べよう!」
健太が言った途端、舞香は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
対する朱里は、頬をむっと膨らませて健太を睨みつけてくる。
朱里の視線を受け流して健太は、二人の手を引いて足早に商店街の焼き鳥屋『広瀬』に向かい、
「広瀬の親父さん! モモとねぎま、三本ずつください!」
「はいよ! 今日はハーレムか? ケンちゃん、うらやましいぜい!」
「ははは……変われるもんなら変わってくださいよ……」
「ん? なんか言ったかい?」
「なんでもないっす……」
「はいよ!! お待ちどうさま!!」
焼き鳥を受け取った瞬間、手早く腹に収める。
広瀬の父親が焼いてくれる焼き鳥は絶品だ。本来なら味わって食べたいが、気まずい空気のせいで味なんか分からない。
「はい! ごちそうさま! じゃあ二人とも帰ろうか!」
「健太くん。わたし、まだ食べてないんだけど……」
「健太。私まだ一口も――」
「二人とも歩きながら食べればいいんだ! おじさん、ありがとう! ごちそうさまでした! 息子さんによろしくお伝えください!! それじゃあ、さようならまた来週!!」
「お、おう。今日のケンちゃん気迫が凄いぜぃ……」
健太は、二人の手を引いて商店街を脱出。そのまま辰原橋を渡り、しばらく進んで十字路に差し掛かったところで舞香の手を放した。
「佐久間は右だろ!? 俺たちは左だ! じゃあまた夏期講習で会おうか!! さようなら!! 気を付けて帰れよ!!」
言葉を挟む余地がないように、健太はマシンガンのようにまくしたてる。
すぐさまこの場を離れようと朱里の手を強く引いたが――。
「健太。私と一緒に居たくないのかしら?」
舞香の一声がそれを許さなかった。
「健太、私のこと避けてるわよね? どうして?」
返す言葉がない。避けているのは事実だ。
舞香とは、一緒に居たくない。
でもそれは、舞香を因果に巻き込みたくないからだ。
どう、誤魔化せばいいのか。
喉が貼りついてしまったように言葉が出てこない。
舞香の顔を見られない。
「俺は……」
「わたしと健太くんのデートを邪魔してほしくないんだよ」
朱里の放った言葉に、思わず健太は舞香を見やった。
舞香は、笑っていた。心底納得しているように。
「そうね。私なんか健太と一緒に居る資格はないのものね」
資格の話じゃない。
大事だから一緒に居られないのだ。
けれどそれを伝えると、話が堂々巡りするだけ。
憎まれ役を朱里がわざわざやってくれた。健太がぶち壊しにしてはならない。
「佐久間ごめん……」
「いいわ。私こそ邪魔してごめんなさい。焼き鳥ごちそうさま」
舞香は、ねぎまを頬張りながら、背を向けた。
きっと泣いている。だけど健太には無視する以外の選択肢はない。
大切な人だからこそ、傷付けてでも遠ざけなくてはならないのだから。
健太も舞香に背を向けて、朱里と共に帰り道を急いだ。
しばし沈黙が流れる。先に破ったのは朱里だった。
「健太くん。ごめんね」
「いや。あいつの為だろ。分かってる」
「……この焼き鳥美味しいね」
「だろ」
「うん……健太君って……」
「……俺って?」
「佐久間さんと付き合ってるの?」
「……同じ質問を佐久間にもされた」
「そう……なんだ」
朱里の様子がいつもとは違う。どこか余裕がないように見えた。
何を考えているのか、それとなく見当はついていたが、口にするのが躊躇われる。
どう話せばいいのか、分からなかった。
でも、誤魔化そうとしてはいけない。正直に、誠実に、朱里と話さなければならないはずだ。
「俺と佐久間は付き合ってねぇよ。ただ……俺があいつを好きってだけだ」
幼い頃から変わらない、ほのかで淡い恋心。
高校生としては純粋すぎる想いは、子供が抱く初恋の情に近い。
「そうなんだ」
なのに朱里は、悲哀を露わにした。
好きな男の子が自分以外の女の子に恋をしていた、なんて可愛いものじゃない。
もっと魂の根源を穿つような、深い情念が表情に滲み出ている。
「ねぇ健太くん。どこが……」
「どこ?」
「どこが……好きなの? 佐久間さんの」
朱里に問われて、改めて理由を考える。
どうして桐嶋健太は、佐久間舞香を好きなのだろうか?
可愛いから。幼馴染だから。優しいから。一緒に居て、落ち着けるから。
思いつく限りの理由を頭の中で挙げてみるが、どれもしっくりとは来ない。
「なんか分かんないんけど……惹かれるんだ。すごく……」
酷く曖昧で稚拙な言葉でしか、舞香への感情を表現出来なかった。
しかし朱里には十分過ぎるほど、気持ちが伝わったようで、また口を閉ざしてしまった。
「朱里……あのさ」
これは聞いてはいけないことなのかもしれない。
きっと朱里が一番触れてほしくない部分のはずだから。
それでも真実を知りたい好奇心は、抗いがたい欲求となって健太を襲った。
「俺のこと、どう思ってんだ?」
そう尋ねた途端、朱里の足が止まった。
健太は、大きく一歩を踏み出し、朱里の進路を塞ぐ。
「なんで守ろうとすんの? どうしても分かんねぇ。どうして俺を守ってくれるんだ?」
そこまで守りたいと思うのなら理由は、一つしかないはずだ。
健太の来世が朱里にとって大切な人だった。
その健太の来世こそが、朱里を過去に来させた要因。
大切な人だったからこそ、その人と同じ魂を持つ健太と舞香の関係が気がかりなのだろう。
「間違ってたら悪いけどさ、佐久間に嫉妬してないか?」
朱里は、視線を落としたまま無言を通した。
健太は、十六歳を迎える前に死ぬ。朱里は、八十年後の未来を生きている。
本来出会うはずのない二人に接点があるとするなら、これしかない。
「俺の来世が朱里の恋人だったんだろ?」
人は、単なる善意で命を賭けられない。
自己の生命を天秤に乗せるなら、必ず見合った対価がある。
それでも叶えたいのは、圧倒的なまでの欲。
単なる物欲ではありえない。
もっと内側から零れ出すような強烈な欲。
つまりは、愛である。
健太の指摘に、朱里は押し黙っていた。
しかし健太も同様に口を開かず、退かない。
攻防は、実時間にして一分。体感ではその数十倍の長さに及び、先に折れたのは朱里であった。
「……わたしの彼氏が、あなたの生まれ変わりなの」
腑に落ちる予想通りの回答だったが、寂しく感じるのは、
――やめよう。
その理由についての推理を健太はやめた。
――きっと考えない方がいいんだ。
「じゃあ彼氏のために俺を助けたいってわけか?」
健太の問いに、朱里の答えは自嘲を伴って繰り出された。
「もう……死んでるんだよ」
「死んだって……」
「あなたの魂の器は、十六歳を迎えることはなく死んでいく。そういう因果に囚われている……だから彼も……」
朱里の恋人も十六歳を迎えることなく、命を落とした。
最愛の人を残していく無念。
最愛の人を失う無念。
どちらも悲しみ、どちらも傷付いたのだ。
「健太くんが何かしたわけじゃないの」
朱里が唇を噛み締めると、プツプツと血の粒が滲み出てくる。
「悪意に何かされたんだよ」
因果が健太の魂を縛り、朱里の恋人をも殺したのだとしたら、どうすればこの輪廻を断ち切れるのだろうか?
もしも健太が生き延びられれば、朱里の恋人も生き返るのか?
もしも健太が死んでしまったら、朱里はどうするのだろうか?
また過去へと飛び、同じ五日間を繰り返すのだろうか。
「だからわたしは、健太くんに誓えることがあるんだよ」
朱里の進もうとする道に待っているのは、希望などではない。
それらしいメッキで舗装された汚泥の道だ。
「命に代えてもあなたを守るから。あの人のためだけじゃなく、あなたのためにも」
朱里は、信じているのだ。自分が死んでも、生まれ変わって恋人の魂とまた過ごせればいいのだと。
「生まれ変わりがあるから命を無駄に出来るってか?」
健太には、朱里の決意が、ひどく苛立たしかった。
「くだらねぇ!! んな都合のいいことあるかよ!!」
死んでしまったら、例え生まれ変わっても今の自分は無くなってしまう。
「命粗末にするやつが生まれ変われるかよ!」
腹が立つのは、そればかりではない。
「生まれ変わって一緒になろうだなんて――」
こんな台詞を言わせてしまう今の自分が。
「生まれ変わりがあっても、実現するか怪しいだろ?」
そんな決意をさせてしまった来世の自分が。
「俺も守ってくれるなら、朱里もきちんと生き残れよ!」
もう苦しめたくない。
こんな地獄からすぐにでも開放してやりたい。
「じゃないと俺も目覚めが悪い。死んだ方がマシだ!!」
「っ!? そんなこと……言わないでよ!!」
「俺に言わせたくないなら、お前が言うな!!」
それでも彼女を救う道があるとするなら、彼女の目的を果たさせてやることだけなのだ。
彼女を救う手段は、健太が生き延びる以外にない。
「一緒に生き残るんだ!」
健太が微笑みかけると、朱里は、はにかみながら笑みを浮かべた。
「うん」
上手くいく。
上手くやれる。
朱里とならきっと出来る。
そんな感慨を吹き飛ばすように、スマホが鳴り響いた。
「なんだか、雰囲気ぶち壊しだな、これ」
「そうだね」
「げ、母さんからだ」
玲子から電話がかかってくる時は、決まって面倒な買い物を頼まれる。
「出ないの?」
「出たら面倒なことになりそうなんだ」
「出なくても面倒なことになりそうだよ。おばさんの性格からすると」
「だよな……まったく、もしもし、母さんなに?」
『サフラン買ってきて。いつもの国産のやつ。十グラム』
やっぱり玲子は、悪びれもせず面倒な注文を言いつけてきた。
料理好きなのは結構だが、材料に関して異常なほどにこだわりのある人だった。
ハンバーガーを作る時は、アメリカの料理だからとアメリカ牛しか使わず、かと思えばテリヤキバーガーの時は、日本の料理だからと国産牛を使う。
サフランにしても、健太からすれば米に黄色が付くだけで、カレー粉でも代用出来る代物という印象しかない。
「それ……隣町のデパートにしか売ってない――」
『頼んだよ』
そう言って玲子は、一方的に通話を切ってしまった。
面倒だが、買って帰らないと夕飯を抜きにされる。
自分の分だけ寿司を取り、健太と重蔵には何も食べさないなんてことはザラだ。
そんな理不尽な事情を知らない朱里は、岩盤のように硬直した健太の表情を訝しげに覗き込んできた。
「どうしたの?」
「おつかい……国産のサフラン買って来いって……」
「そう言えば冷蔵庫に魚介類がたくさん入ってたから……今日の夕飯はパエリアだよ」
パエリア。
蠱惑的な単語の響きに、健太の表情を笑顔が咲き誇った。
「パエリア!? そうか! サフランと言えばパエリアだ!!」
「たぶん……そうだと思うけど」
珍しく気圧された様子の朱里を尻目に、健太の闘志は膨らんでいく。
「急いでいくぞ! 最高級のサフランを我が手にするのだ!!」
「う、うん……」
燃え盛るような健太のハイテンションに、朱里は距離を取りつつも興味深げに眺めている。
「好きなんだね。パエリア」
「ああ!! あんなにうまい食い物他にないだろ!」
「そうだね……」
「どうかした?」
そう聞き返すと、朱里は「あー」としばし答えを選びながら、
「……なんでもない」
押し黙ってしまった。
こういう反応をされると、少々力付くでも聞き出したくなってくる。
「俺には、嘘つかないんだろ?」
「隠しごとは、多いけどね」
「じゃあ、これ以上増やすなよ」
「いじわるだよ、健太くんは」
痛い所を突かれたのか、朱里は気恥ずかしそうにしながらも、
「彼氏も……パエリア好きだったんだよ」
懐かしむように、嬉しそうに、そう言った。
――女の子だな。
無論出会った頃からそう認識しているが、ここまで『らしい』表情というのは見たことがなかった。
「作ったことあるの?」
「うん……おいしいって言ってくれた。焦がして失敗しちゃったんだけど……それでもおいしいって言ってくれたんだよ」
「きっと美味かったんだよ」
「お世辞だと思うけど」
「いや。同じ魂の俺が言うんだから間違いない! 魂に刻み込まれたパエリア好きだ!! どっかの前世でイタリア人だったな!」
「スペイン料理だよ」
「……スペイン人だったんだな」
「好きな割には知らなかったんだね」
「うるさい!!」
「と言うか、あなたは、この町に囚われているんだから日本人オンリーだけど」
「辰原生まれのスペイン人居たかもしんないだろ!」
「どうだろうね?」
「居た可能性は十分にある!!」
他愛のない会話の応酬だった。
友達同士ならば、誰もがするくだらない話。
けれど朱里は、嬉々とした幼子のように無邪気に、楽しんでいるようだった。
もしも健太の来世が生き返るなら、また朱里のこんな笑顔を見てみたい。
彼が健太ではなくとも、魂が同じなら、魂の中から朱里のことを見守れるはずだ。
「先帰るか? ちょっと時間かかるし」
「一緒に行くよ。私はボディーガードなんだよ?」
「そうだな。頼む」
朱里と愛し合える来世の自分に、健太は、僅かばかりの嫉妬と大いなる羨望を抱いた。




