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humanism of Blattaria  作者: 田中 スアマ
最終話
32/38

最も空に近い場所で

 地下道を走り抜ける中で、俺の頭には同胞達の多くの声が響いてきた。


「聞いたか? 今日一匹のゴキブリが、人間を殺すらしい」


「何を言ってる。人間に勝てる訳ないだろう? くだらぬ希望を吐くんじゃない」


「でも人間を殺すなんて、どうやったら出来るんだろうな」


「なあ、もし人間を殺せるなら誰を殺すよ?」


「俺はシロヒゲに住んでる男を殺したい。奴に五匹の子供を殺された!」


「私はアマダレで車に乗っていた女を殺すわ! アイツに夫を轢き殺されたのよ」


「それなら俺は──」


 中から追い出すかのように、俺は頭を振った。この地下は今、どこも人間への敵意で充満している。


 どうやら生きた化石の会(リヴィング・フォシル)過激派のメンバーは、既にアグイの特攻を広めているらしい。死にゆく彼の動きを止めるどころか死地へと向かうアグイを、連中は完全に偶像として祀りあげる気なのだ。


 これこそが、アグイの計画した〝箱舟計画〟なのだ。ゴキブリ達が人間を恐れなくなり、敵意を募らせ始めている。一つの共通の敵を生み出す事によって、いま地下のゴキブリ達は意思を一つにしようとしていた。


 俺はツナギメを越えると、ドレスへと辿り着いた。ドレスの様はまたしても変貌しており、今は暴動が起きる手前のような緊張を保っている。


「おい、アレ……」


 街にたむろするクロの内の一匹が、俺の姿に気付いた。一匹が気付くと連鎖的に皆が気付き、声を荒げていく。


「ベムだ! 怪物(モンスター)ベムがドレスに帰って来た!」


「二大怪物の片割れがやって来たぞ!」


「怪物が揃ったぞ! きっと彼も人間を殺しに行く気なんだ! 偉大な英雄だ!」


「違う! 俺はあいつを止めに来た。そこを退いてくれ!」


 俺の言葉は喧騒に掻き消され、群衆は一歩として動かなかった。洗脳されているに等しい彼らを攻撃する訳にもいかず、また生涯初めての同胞からの親しみに俺はやや混乱し始めていた。


 だがその時、一つの集団が俺達の間に割り込んだ。


「お久しぶりですね、ベルムさん」


 それはリヴィング・フォシルのメンバーの、チャバの女性だった。


「あんた、あの時のチャバか?」


「ええ。先日は貴方と、貴方のお友達に失礼を致しました」


 見目麗しいチャバは他の連中に指示すると、群衆の間に一筋の道筋が出来た。


「今の内にお通り下さい。リーダー、大和(ヤマト)阿久比(アグイ)を止められるのは貴方しかおりません」


「俺を助ける意味が分かっているのか? お前達のリーダーに、俺が何をするか想像しないのか?」


「予想はつきますが、想像は拒否します。私達の目標はあくまで地下街の平穏です。その障害を乗り越える為なら、どんな辛い事だって受け入れる覚悟があります」


「そうか。ならここで待っていてくれ。……感謝するよ」


 そう言って俺は群衆の中を進んでいった。普段なら俺と分かると開いてゆく道筋が、今は誰かが止めなければ閉じてしまう程の歓迎ぶりだ。


 どうやら俺が愛される世界というのは、残酷なものばかり生み出すらしい。道を抜け出す直前に、見目麗しきチャバは声をあげた。


「御武運を祈ります。重ねて言いますが、この前は本当にご迷惑をおかけしました」


「それは俺じゃなくて、二匹のチャバに言ってやるといい。きっと連中も待ってるだろうよ」


 そう言って俺は、歓迎を受ける道筋を通り抜けて行った。



 いつ頃からかは知らないがアグイの家から少し離れた先に、人間の置き忘れた工具が立て掛けられている場所がある。長い年月から錆や水垢でぴったりと壁に接着されており、ドレスで暮らす子供達の遊び場となっていた。


 だが工具の天辺から壁を上った先に俺とアグイで作った秘密基地があったのは誰も、それこそアグニやケープですら知らなかった。そこからは地上、正確には人間のいる建物へと出る事が出来た。


 目的の場所へ向かうと、長く使われていない筈の工具に誰かがよじ登った形跡があった。それは明確に標され、迷子となった子供がついて来られるよう親が残したかの如く、地上へと向かっていた。


 恐らく彼は、俺が来るのを分かっているのだろう。俺と一対一で向かい合い、最後の決着をつける気なのだ。


 俺は通気口をよじ登って行くと、しばらくして建物の頂上へと辿り着いた。どこまでも広がる白い空間の中に、一つだけ小さく動く影があった。


「アグイか?」


「……ああ。来ると思っていたよ、ベルム」


 そう言って俺達は、薬品臭い建物の上で睨み合った。

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