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humanism of Blattaria  作者: 田中 スアマ
第三話
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虚ろな宝石

「ご苦労様、飢恋(キレン)。貴方はもう行っていいわよ」


 アグニの言葉に気絶していたワモンの男は目覚めると、俺を跳ね飛ばして彼女の元へと向かった。彼はアグニと二、三言話すと、一回りは小さい彼女に頭を垂れて闇の奥へと消えた。


「招待状は届いたようね、ベルムさん?」


「てっきりニコと共に攫われたと思っていたよ。その様子だと、俺の見当違いのようだがな」


「ええそうよ。私は攫われたのではなく、自分の意志でここに居る。私はゴキブリの復権を願う組織、生きた化石の会(リヴィング・フォシル)のメンバーよ」


 見た事も無い彼女の凛とした物言いに、俺は心の中で何かがひび割れる音を聞いたような気がした。


「俺達が辿ったフェロモン跡は奴のだったようだな。ニコを何処へやった?」


「それだけじゃねえ。お前らは俺の友も攫いやがった。他にも被害を食らった奴が大勢いる。連中を何処にやりやがった!」


「攫った彼らなら、この奥にいるわよ」


 明け透けに言う彼女に俺は驚く。小柄だとはいえコギタの殺気の篭った目つきで睨まれても、彼女は平然としていた。俺の知っているアグニは争い事を嫌い、アブラムシにだって睨まれれば泣き出すようなか弱い少女の筈だ。


「ここは実験場。私達は攫ってきた皆に協力して貰って、ある実験を行っているの」


「実験だと?」


「そう。私達、ゴキブリ達が争わないで済む為の実験よ」


 そう言うとアグニは背中から例の針を取り出し、それを俺達の方に向けた。


「彼から説明は聞いたのでしょう? これにはある毒が仕込まれている。宝石蜂(ジュエルワスプ)と呼ばれる、蜂の毒が塗ってあるの」


「ジュエルワスプだと?」


「遥か遠くに住む、不可思議な蜂よ。この蜂の毒を注入すると、私達の神経に強烈な作用を及ぼすの。一刺しで昏睡し、運が悪ければ死ぬ。でも神経と精神が抵抗出来ている内に二度目を注入すると、ある一定のルールに基づいて行動するようになる。簡単に言えば洗脳ね」


 そんな不可思議なものがあるとは思わなかった。鬼軍曹の大蜘蛛といいこの世にはまだまだ俺の知らない事が沢山あるらしいが、そういうのは伝説の中だけで十分だ。


「そんな物騒なモノを使って、何をする気だ?」


「……全ては平和の為なのよ」


「平和だと?」


「ベルムさんも知っているでしょう? 今のドレスがどんなに悲惨な場所か。本来私達は争いを好まない種族なのに、あの大洪水で全てが変わってしまった。弱い者は追いやられ、侵され、虐待され、文字通り食い物にされる。皆の意識を変えるにはこれしかないのよ」


「それが洗脳だっていうのか?」


「ええ、そう。これがあればドレスにいるどうしようもないクズ共も、赤ちゃんよりも大人しく無害な存在になる」


 アグニの目には強い確信が浮かんでいた。彼女は本気であの怪し気な毒物で、ドレスの改革を進めようとしている。ゴキブリの意志を奪うのではなく意志ごと改革してしまうなど、俺達の世界の常識をそっくり変えてしまうような事態だ。


「御大層な言い分だが、犠牲が欲しければドレスのバカ共を使えばいいだろう。何故無関係な同胞達を攫う必要がある?」


「薬物の臨床試験の為よ。その為には多くの種族がいるの。……仕方ない事なのよ。これがあればドレスだけでなく、この地下にいる全ての弱者を救う事が出来る。その為には必要な犠牲なの」


 俺はその言葉に、強い怒りが込み上げた。


「必要な犠牲だと? アグニ、お前はいつからそんな愚か者になった?」


「……何ですって?」


「お前がやってる事は尊い犠牲なんかじゃない。お前はただ、ドレスの所業から目を背けているだけだ。罪も無い連中に八つ当たりし、アグイやお前の父母が変えようとしたドレスから逃げ出したいだけだ」


 そう言うと、アグニは怒りに震え出した。俺は彼女が怒りに震えているのを初めて見た。


「貴方は……、貴方だけはそれを言うのを許さない」


「何だと?」


「惨劇後に貴方がドレスから逃げ出した後、兄がどれだけ苦労したか分かってるの? 兄は貴方を信頼していた。誰よりも強く、仲間意識が強く、人間を強く憎み、多くの絶望を知っても尚諦めない貴方を心の底から信じていた! なのに貴方は5日近く行方をくらました後、急に私達の元から離れて行った。そんな貴方にとやかく言われる筋合いは無い!」


 俺は彼女の言葉を、ただ黙って聞いていた。


 こう言われるのは分かっていた事だ。彼女が俺に対して憎しみを抱いていたのは、メッサーシュミットで再会した時から感じていた。


「アグニ、お前の言う通りだ。出来れば店で言って欲しかったが、あの場から逃げ出した俺に、ドレスを何とかしようと努力し続けたお前を責める筋合いは無い」


 俺は一呼吸置いた後、続けて言った。


「だからといって、これをこのまま見過ごすわけにはいかない。こうなってしまった原因が俺にもあるのなら、俺が解決しなければならない。これは俺のやり残した、お前からの依頼だ」


「依頼ですって。それは誰の為に? 兄の為? ドレスの為? それとも死んだケープの為?」


「そのどれでも無い。お前達がゴキブリの意志を奪うというのなら、俺は最後まで抵抗する」


 そう言って俺は距離を詰めた。


「これは俺がお前の為に向ける、俺だけの意志だ」

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