毬
マリア・キリロヴナは花も恥じらう18歳。 東欧の大国から赴任した外交官の令嬢でありながら花嫁修業もそっちのけで貧民のように芸を売っている、と一部の上流階級の人間は嘲笑う。 そんな彼女の職業は劇場のソプラノ歌手だ。
「やあマニューシャ、今日は何を見つけたんだい?」
「ギル、ごきげんよう」
深窓の令嬢らしからぬ彼女だが、歌声と容貌はなかなかのもので男性には割と声を掛けられる性質である。 だが同時に、容貌の美しさだけで女性を判断することが誤りであることを世の男性は認識するはずなのだ。
それが古今東西、下心を抱きながらマリア──マニューシャに近づいた男の末路である。
しかし、劇場で歌い始めてしばらく経ってから声を掛けてきたある男だけはマリアの本性を目の当たりにしても逃げることなく付き合う変わり者だった。 名前はギルフォード・メイナード、年齢はマリアより5歳年上の23歳。
「今日は朝からすることが無いから、よその領事さんの子と遊んでいたのよ」
そしたらもう松毬が落ちてくる季節でしょう、その子が松毬を3つ拾って投げ上げていたの。 見たことの無い遊びだから教わったんだけど、3つは難しいから2つでやっているのよ──マニューシャは休みになる度に母国以外の外交官の子と遊び、その国の遊びや物語を仕入れてくる。 今日は近年大国と肩を並べるようになった極東の国の子どもと遊んできたらしい。
その極東の国とマニューシャの母国がある半島を巡って揉めに揉めていることは、彼女にとって何の障害にもならない。
「その国ではどんな物でも玩具になるんだね」
「本当は豆を詰めた小さな袋でやるらしいんだけど、私は実際の物を見たことが無いから」
そう言いながら、マニューシャは松毬を投げ上げては器用に受け取ることを繰り返している。 その様子を微笑ましく眺めながら、この倖せな時間が1秒でも長く続くように、愛する人の純真なさまが失われないように、医大生は心の中で密かに神に祈った。
THE END
Date;June 28
Theme;pinecone
『過去』のマリア・キリロヴナが生きていた頃の、語り部の知らぬマリアの話。