高住
どうもお久しぶりです。
あれこれと現を抜かした故の遅筆、読者の方々にもご諒恕賜りたく存じます。
必死で滑稽な男の話です。
どうぞお手柔らかに。
僕には高住という友人がいる。
大学でゼミを同じくし、何かと行動を共にし議論を交わすうちに、すっかり知己の間柄になってしまった男だ。身なりも清潔で、明晰な人格者を思わせる風貌には僕も一目置いているが、文字通り鼻つまみ者な点が、彼には一つだけあった。
「よう、待ってたぜ」
ベンチからやおら立ち上がり、携帯灰皿に煙草の吸殻を落としつつ高住は言った。
僕らは軽く挨拶を交わし、待ち合わせ場所だった公園を後にする。
「おいおい、人通りも多くなってくるんだから、捨てろよ、それ」
「いいじゃないか。あともう少し残ってる。まだ周りに大して人がいるわけじゃないし、これくらい、許せよ」
俺はな、短くなった時のきついやつが特別好きなんだ。そうつけ加えて、再び煙草を咥えて、高住は恍惚に笑む。
僕は嘆息し、前から人が歩いてきたらやめろよ、と譲歩した。生返事が隣から返ってくる。しばらくの間、独特な癖のある臭いが僕にも纏わりいていた。つんとした刺激が鼻をつく。煙に晒されるのは好きではない。むしろ苦手な方だったが、今になってどうこう言おうと、きっと彼は自身を曲げず、むしろ臍を曲げるだろうことは火を見るより明らかだった。
幸か不幸か、高住の満足がいくまで前方に人は現れなかった。
煙草の火を靴の裏で消し、充足感に満ちた表情で高住は僕に礼を述べた。彼は懐から携帯灰皿を取り出し、今し方吸い終わった煙草を押し込んだ。ちらりと見えたその中には、既に何本もの亡骸が詰め込まれていた。どうせ、例の如く集合時刻よりも早く来て、僕が来るまでの間に堪能していたのだろう。僕の胡乱な目に気付いた高住は、ばつが悪いかのように笑った。
公園は、比較的人の少ない住宅地の真ん中に居を据えていたが(ブランコと滑り台、あとは平地という簡素な造りで、ボール遊びは原則禁止とされている)、それでも放課後になると子供達が示し合わせたかのように集まってくる。僕が待ち合わせに指定した時刻は昼前だったので、子供達はまだ集まっていなかったが。高住はそこに付け込んだのだろう、僕を待つ傍ら喫煙を、或いは喫煙の傍らに僕を待っていたのだ。
しかし僕らが今歩いている歩道は、等間隔に街路樹の突き立った国道沿い。当然路上喫煙は禁止されているし、喫煙所もそう多くは設けられていない。僕は、路上喫煙が禁止されている理由を鑑み、周囲に副流煙の及ばない範囲では半ば認めている。というよりは諦めている。とりわけ、僕自身が彼の吐き出す煙に晒されることに関しては。
「着いたよ。ここの喫茶店で一旦落ち着こう」
凝ったフォントで「OPEN」と彫られた板が下げられた木製の扉を引くと、チリンチリンという鈴の音と共に落ち着いた調子のジャズと瀟洒な内装、物腰の柔らかい女性の店員が僕らを迎えた。珈琲豆を煎る香りとインテリアの木香が鼻腔で踊り、僕らを快く受け容れてくれた。特に、隣には煙草以外の臭いがしない男が立っていたため、店内から流れる薫風に僕は筆舌に尽くし難い安堵感を覚えた。この店は窓が大きく、外からその様子を窺い易いが故に、客の入りは良いらしく、年配の方々から若年の女性グループまで、幅広い年齢層に支持されている。
「いらっしゃいませ。二名様ですね」
「喫煙席で」
「申し訳ありません。当店は、土日祝の夜六時以降のみ、喫煙可能となっております」
「ちぇっ」
寸発入れず喫煙席を所望した高住だったが、無碍にもこの店は禁煙であった。勿論僕はそれを織り込み済みで彼を案内したのだが。恐らくそれを察したであろう高住がこちらを横目で睨むが、僕はどこ吹く風である。
店員に店の奥へと案内され、僕らは二人席に座り対面した。丁度照明の真下、ほどよい光が降り注ぐ。メニューはセピア色の写真付きで、色褪せたこの店の歴史を物語っていた。卓の傍らには観葉植物が鎮座しており、瑞々しい葉がこの店の手入れの細やかさを物語っている。土にはまだ水気が残っており、今からそう遠くない時間に誰かが水を与えていたらしいことが窺えた。鉢には精緻な意匠が施されており、店主のこだわりが光る。
僕はミルクティーを、高住は珈琲を注文し、店員が踵を返す。高住は、ごく自然な動作でYシャツの胸ポケットから煙草の箱を取り出そうとし、そこで禁煙であるのを思い出したらしくそれを渋々仕舞った。
慧眼と洞察力を誇る方も、そうでない方も、そろそろお分かりになったことだろう。僕が高住に対して難色を示している、瑕疵が一体何なのか。
高住は、無類の煙草好きである。但し、愛煙家というよりは、ニコチン中毒だとか、ヘビースモーカーなどと蔑称した方が妥当な感はあるが。
高住は、当然のように一日一箱は消費し、酷い日は二箱目も吸い尽くすこともある。普段行動を共にすることが多い僕の掣肘あってこの量なのだから、僕がいない日にもっと吸っているのは容易に予測がつく。尤も、僕が制止できるのは公共のマナーに反する場合のみで、喫煙が可能な場所では口を噤むしかないのはなんとも悔しい限りである。そんな彼が突然禁煙を余儀なくする破目になれば、一体どうなってしまうのかを知る術は無い。
「物を食べる場に煙草は無用の長物だろ。味とか香りとかが台無しになりそうだ」
僕が言うと、
「いいんだよ。栄養を摂る為の飯に、味や香りなんてそれこそ無用の長物だ。そりゃあ、俺だって美味い物を食うのは好きだが、美味い物を食わなきゃ死ぬってわけじゃねえだろ。だが俺は煙草を吸わなきゃ死ぬ」
高住は訥々とそう唱えた。おどけた様子もなく、特に身振りも交えず。それが異様な真実味、或いは、尤もらしさを彼の論に加えた。
嗚呼、と僕は嘆息する他ない。例え増税で煙草の値段が跳ね上がったって、高住という男はさしたる風も見せずに煙草屋に足を運ぶのだ。行きつけの煙草屋の店主と顔馴染みとなった今、彼が姿を見せただけで同じ銘柄が黙って出てくるのだ(僕は詳しくないのだが、Archimedesという銘柄らしい)。これからも高住は、税収と煙草屋の売り上げに貢献し続けるのだろう。
ミルクティーと珈琲が僕達の卓に届けられ、高住はミルクにも砂糖にも手を付けずカップを傾けて、僅かに棘のある調子で尋ねた。
「煙草のことなんていいんだよ。お前も吸い始めるっていうのなら話は別だが、どうせそうじゃないんだろ。ご用件は?」
高住は言外に「俺を禁煙の場所に連れてきやがって」と糾弾していたが、知己の仲である僕には慣れたものである。吸い続けた煙のせいでがらがらに嗄れた声も、絶えず纏わりつく煙草の臭いも、今更気にする対象にはなり得ない。
「僕は吸わない。それに関してはご明察と言祝がん限りだけど、僕がしたい話はそうじゃない。ゼミのレポートの話でもなく、好みの女の子の話でもない。君のその生活の話だ」
そう切り出すと、高住は怪訝そうに眉を顰めた。僕はミルクティーで口を潤し、要旨を言い放つ。
「つまり僕は、君に煙草を辞めてほしいんだ」
なんとなくのオチは考えてあります。過程は哀しいかな五里霧中。
タイトルの由来は、祈祷書の「ashes to ashes, dust to dust(灰は灰に、塵は塵に)」とハンムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」を混ぜこぜにしたもので、特に深い意味はありません。
ところで、MEVIUSっていうと、メビウスの輪(或いはメビウスの帯、メビウスリング)で有名なドイツの数学者を思い浮かべるんでしょうが、彼の名前はAugust Ferdinand Möbiusで、スペルが違うんですよね。作中で高住が吸っている煙草の銘柄、Archimedesってのはそこから連想してます。L'Arcってのも候補だったんですよ。こっちはLARKから。
なるべくすぐに続編の執筆に取りかかるつもりではありますが、投稿に漕ぎ着けるのは一体何ヵ月後になるのやら。
ご読了頂き、恐悦至極に存じます。