EPISODEi-7
「窮屈でやってられねぇな…首が苦しい…」
メダリアから渡された服に着替えたジンは、肩をぐるぐると回すと不満そうに漏らす。
「こんな動きづらい服を着たのは始めてだぜ…」
ジンは鏡に映ったヴィーツリー国の正装姿の自分を見て、ため息をついた。
「あは、ジン別人みたいだね」
部屋の隅のソファに座り込み父の様子を見ていたヘリオンは、珍獣でも見るような目である。
「おー、お前は似合ってるぞ、ヘル」
ヴィーツリー国の貴族の娘が好むドレスに身を包んだヘリオンは、幼顔の少女の初々しさを残したまま、軽く施した化粧から少し小生意気さを漂わせている。
「ボク、ドレスなんて初めてだよ…」
似合ってるとは言われたが、ヘリオンにとっても落ち着かない服であるには違いない。
外で《娘》である事を隠して生きてきたヘリオンには、保護地区で好まれるスカートなんて未知のものだった。
まして、こんなヒラヒラした服など―――自分からは手を出さない代物だろう。
―――シュンッ!!!
「思った通り似合ってねーな」
ジンと同じような正装姿で現れたイチシは、部屋に入るなり正直な感想を述べた。
その声は心なしか普段よりも不機嫌そうで、寝起きの時のように眉間に皺を寄せている。
イチシの格好はといえば、既に襟元を緩めるなどかなり着崩していて、《ヴィーツリー国の資産家一族》という注文からは少々遠ざかってしまっていた。
「資産家なんて柄か、オレたちが」
こんな堅苦しい服似合うはずがないだろうと、イチシは端からやる気がないようだ。
「でもジンよりはイチシの方が似合ってるよ。ちょっと痩せたせいかな…」
言った後で、ヘリオンは改めてイチシの顔を見た―――
―――――まだカレドに住んでいた頃、ヘリオンは今より更に幼い少女であったが、遠縁のイチシとの縁談話が持ち上がっていた。
カレドは居住禁止区域に不当に住み着いた者たちの町だ―――保護地区に生殖能力を持った人間はさらわれて、出生率は恐ろしく低かった。
そんなカレドで、ジンたちの家系は数少ない《血統》の一つだった。
彼らは他の住人より長く生き、生殖機能のある子孫を残す確率が高かった。
ヘリオンもその血統の娘だ―――母は病弱だったが、父の生命力の方を継いだらしく健康で、恐らく生殖能力もあるだろうと予想されていた。
(こればかりは確かめる医学的手段がカレドにはない為、《第一伴侶》との結婚生活の経過を見るしかないのだが)
《第一伴侶》は初婚の者同士が組み合わされる。
うまく子孫を残せればそのまま伴侶となる場合も多いが、片方に(或いは両方に)不具があって子が宿る気配がなければ、同じような状況の二人組と伴侶の入れ替えを行う。
三回、四回と入れ替えを行うケースもあるが寿命の問題もあり、子孫繁栄は実現せずに逝ってしまう者もいる。
―――自分の《第一伴侶》になるはずだったイチシ。
だが再会を果たした時の彼は、見知らぬ女と最期まで生きる事を決心していた。
父親の次くらいに信頼していた相手が、自分の知らない世界を歩んでいる事実に、ヘリオンは少し寂しくなり―――――相手の女、リュクシーに対してどう接していいのか分からなくなってしまう。
父とも親しげに話すリュクシーに―――ジンまで盗る気なのと叫びたくなってしまう。
頭では分かっている―――イチシが選んだ人だ、悪い人間ではないだろう。
それはジンの接し方を見ても分かる。
ヘリオンを探す為に力になってくれた話も聞いている。
だが、ヘリオンはまだ信用しきれなかった。
憎んでも憎みきれない捕縛士に関わりがあった女だが、今は事情が違う事――― それもジンやイチシから聞いたが、人はそんなに簡単に変われるものだろうかと思ってしまう。
いや、捕縛士であった事はきっと大した問題ではないのだろうと思う――― ゴデチヤで、売り飛ばされそうになったヘリオンを助けたのも捕縛士だったのだから。
(ボク―――イチシの事、好きだったんだなぁ……)
痩せて少しやつれ気味な横顔も、ぶっきらぼうな口調も、イチシの何もかもを見つめる度にそれを実感する。
(二人が外に行くって言った時、ボクも付いていけばよかった―――)
実際は少女が外の世界を旅するというのは狂気の沙汰だろう――― 一緒に行動する二人の命も危険にさらしただろうし、有り得ない選択肢だったのは分かっていたが、そう後悔せずにはいられなかった。
このまま保護地区で自由のない暮らしを送るのは耐えられない―――夢だった船乗りになって世界を回ってみたい。
ジンがそう言った時、本当はヘリオンは反対したかった。
だが、必ず戻って来るのなら―――期限付きならと、ジンを外の世界へ送り出した。
ジンの決意は23歳の時―――外では既に余命は後数年と囁かれる年だ。
家族の為に尽くしてきたジンの願いを、ヘリオンは叶えてあげたかった。
例え離れ離れになろうとも―――帰って来ると信じて、送り出してやろうと思ったのだ。
「ところで、リューの奴はどうしたんだ?」
イチシと一緒に現れるものとばかり思っていたのか、ジンは怪訝そうな顔をする。
「マディラ=キャナリーに話があるそうだ」
妙な間の後、イチシは言った。
「一人でか?」
なるほど、何だかイライラして落ち着かない顔をしている理由はこれだったのかと納得しながら、ジンは尋ねた。
治療を終えて動けるようになったイチシは、リュクシーをそばから離さなかったし、離れなかった。
セントクオリスが彼女に再び洗脳を与えるのを防ぐのと、もう一つ――― リュクシーを独占したいという気持ちの表れだとジンは思っていた。
実際、ジンの予想は当たっていた―――自分の制止を振り切って、「確かめなくてはならない事がある」とマディラ=キャナリーの元へ行ったリュクシーの事を考えると、非常に落ち着かない気分になる。
この軍艦には、リュクシーのかつてのパートナーも乗船しているという―――姿を見せずに卑怯な奴だ――― リュクシーが今更セントクオリスになびくとは思わないが、それとこれとは別である。
リュクシーの過去を知る男―――リュクシーが過去愛した男。
それは本当に過去か?―――そう言い切れるか?
―――これは幼稚な嫉妬だ。
リュクシーがどれだけイチシを気にかけていようが、深く愛していようが関係ない。
自分の他に、彼女と深く関わる者がいる―――という苛立ちだった。(しかも相手は姿を見せない)
それに、イチシは分かっていた―――どんなにリュクシーを求めようと、最後の最後の一線で、イチシは彼女を切り離さなければならなくなる。
それができなければ、リュクシーを道連れにしてしまう事になる―――
片時も離れずそばに置いておきたいという感情と、そうしては危険だという焦り―――その両立のさせ方を、イチシは模索している最中だった。
「イチシ―――」
声をひそめ、ジンは言った。
「セントクオリスが何をやろうとしているかは知らねぇが、ヤバくなったらオレに言うんだぞ」
メダリアに手伝わされる仕事の内容を―――自分たちをこれ以上巻き込まない為に口を閉ざしているのは分かっていたが、そんな危ない橋を渡ろうとしている二人を、ジンも見ていられなかったのだ。
「そんな事にはならねーさ…オレがさせるか」
―――マディラの出した条件は《リュクシーを生かす道を用意する事》であって、この二人については何も約束されていない。
セントクオリスの軍艦に閉じ込められている今は、それについて何も問いただす事ができないでいるが、ランドクレスに降り立ったら隙もできよう。
(オレの体とあのシェイドを一体化させて、葬る気なんだろうが―――)
セントクオリスの言いなりに動いていただけでは、ジンたちを救えない。
イチシは探さなくてはならない―――あの憎悪にまみれた少年の姿をしたモノの正体を。
アレが人間だった時の記憶の共有者を―――少年をを殺した瞬間を。
(証人はあの女だ―――話を聞きだせやしないだろうが)
マディラ=キャナリーとあの少年は、同じ時期、場所、死因を共有するに違いない。
それはゴデチヤの港で垣間見た、マディラ=キャナリーの赤いシェイドが裏付けている。
あれだけ熱く、息苦しく、恐ろしく、おぞましく、この瞬間がこれ以上続くのなら早く殺してくれと訴えずにはいられない体感―――あれを知る者が《生きている》とは到底思えない。
《死》によって体感したシェイドは星の数ほどあろうが、あれだけの恐怖の瞬間を持つシェイドは限られているだろう。
それが、二人のシェイドを同一と判断した理由だった。
だが―――本当にそうだろうか?
《死》とは全て、耐え難い苦痛の記憶ではないだろうか?
質は違えど、《死》の苦しみなど、比較したり推し量る事のできぬものではないのか?
そう、イチシの近い未来に降り掛かるであろう《死》も例に漏れず――― 暗く、冷たく、体の芯から腐っていくような―――おぞましいものではないだろうか。
いや、マディラとあの少年が深い関わりがあるだろうという事は、シェイドの類似性の他にも第六感のようなものではあるが、確信はあった。
死人が関わる相手は全て、生前に何らかの関係があった者か、或いは死人の記憶にひどく共鳴してしまった者であるはずだからだ。
それでも―――自分に襲い掛かるであろう《死》という化け物の事を思うと、あろう事かイチシは恐怖を覚える。
船の舳先で揺られていた時は、何も怖くはなかった。
全てを諦めていたし―――依りましをしていたとはいえ、あれほどまでに誰かのシェイドに共鳴した事などなかったからだ。
―――だが、今はとてつもなく恐ろしい。
垣間見ただけで灼け爛れるほどの、ほとばしる《死》の瞬間。
―――あれが現実だったとしたら、イチシは正気を保っていられる自信はない。
そして死ぬという事は、もう二度と触れ合う事ができないという事―――
そして、いつの日かイチシの存在していた時間の記憶は誰の中からも薄れ、消えていくのだ。
リュクシーと出会って、忘れかけていた恐怖が再びイチシを捕らえて離さなかった。
そう―――イチシは死ぬのが怖いのだ……
―――――◆―――――◆―――――◆―――――
「―――話ってのは何だ」
マディラ=キャナリーは振り向こうとさえしなかった――― 彼女は司令室の一番奥の壁に備え付けられた大きなモニターを見上げていた。
モニターには、《作戦》の舞台となるランドクレスの映像が映し出されていた。
ランドクレスという国を真上から見た衛星写真だ。
水質汚染の進んだ現在でも《水神の箱庭》という異名に相応しい、緑と水に恵まれた国。
国土の半分は水没していて、人々はその上に水上都市を造り上げ生活していた。
微動だにせず、モニターを見つめるマディラの背中に――― ゴデチヤの港で受けた印象と違うモノを感じた。
シュラウドの信者というわけではなさそうな彼女が今、メダリアの軍艦にいるのだ―――何かしらの状況と心境の変化はあったはずだ。
(ゴデチヤにいたマディラは《中立》だった。だが今は―――)
本意からの行動かは分からないが、マディラはメダリアに属する者になった。
―――ならば、敵だ。
リュクシーから自由を取り上げようとする、リュクシーのシェイドまで食らい尽くそうとする敵だ。
「お前たちの考える事は分かっている。協力すれば人質は他国へ亡命させると言っているが、メダリアのやり方じゃない。一度捕らえた獲物は徹底的に搾取して、残りカスになっても肥料くらいにはする連中だ」
よく分かってるね、とマディラが相槌を打った。
「私が信用しないのも周知、私が大人しく従うはずがないのも周知、それでも私を使おうとするのは、寝首をかかれる可能性が0だと思っているからだ」
「まあ、その通りだね。だが―――それは《メダリア》の話だ」
(―――……)
リュクシーは宣戦布告に来たはずだった。
リュクシーたちをいくら利用しようとしても、必ずその呪縛から逃れてやると―――だが今のマディラの言葉には、何か含みが持たせてあった。
「シュラウドは最高責任者とはいえ、捕縛士の養育以外の政治的な部分には関与していない。そういう目立つ部分はやりたがるヤツがいくらでもいるようだ。あんたたちを利用して挙句に始末してしまえと思う連中は、どっち側だろうね―――」
「それはシュラウドの真意は別にあるという事か」
「さぁ?シュラウドの考えている事なんざ、あたしは知らないね。あんた如きに反撃を食らう事はあるまいと思っているのは同じだろうよ。ただ―――やっぱりシュラウドという男は胡散臭いと言っているのさ」
ルドベキア
―――マディラのシェイドがそう言った。
いくら盗聴されていようと、シェイドによって伝わる意識は、機械越しに読み取られるものではない。
(ルド、ベキア―――?)
「さあ。ただ能書き垂れに来ただけなら、出て行きな。今のあんたたちは利用されていると分かっていても拒絶すらできない弱者なんだからね。悔しかったら強くなりな」
リュクシーが認識したのを微妙な表情の変化で察したのか、マディラは話を摩り替えた。
「あと―――SだかMだか知らないが、勘ぐらなくても他の捕縛士連中と行動を共にする予定はないよ。 ―――あんたたちが囮。捕縛士は潜伏して様子見。あんたに上官として部下を指揮しろなんて言うつもりもないさ」
「当たり前だ」
「まずは泳ぐ事。それからの事は追って指示を出す。それまでは精々体を休めておくことだ」
ルドベキア
マディラはゆっくりと顔をこちらに向けると、初めてリュクシーと視線を合わせる―――そして再び、シェイドが脳に響く。
「私のシェイドの回復を待っているというのなら、要らぬ心配だ。こんな軍艦に籠もっている方が、生気を失う。イチシの経過に問題がないのなら、作戦とやらを始めてくれ」
「ゴデチヤの上から動けないのは、政治的後始末に手間取ってるかららしいね。まあ、もう粗方済んだようだが―――ついさっき、この船はランドクレスに向かい始めた所だ。明日には着くだろう」
「軍艦でランドクレスに向かう気か?」
「いいや。あんたたちは途中でメダリアの手配した民間機に乗り移る手はずになっている。そこからは監視役を除いては、メダリアとは別行動になる」
(監視役は……なのだろうな)
「監視役は、ランドクレスへの潜入任務をこなしていたレアデスとピケの二人だ。こちらは既にランドクレス入りしている」
ピケ―――記憶にない名前だった。レアデスのパートナーなのだろうが。
子供の時のリュクシーの知り合いは何故か、男が多い。
顔を見れば、見覚えがあるかもしれないが―――
監視役がゼザでなかった事へのとりあえずの安堵と、では彼には一体何の役目を負わせているのだろうという疑問がリュクシーの中で湧き上がった。
「ランドクレス内では、ヴィーツリー国からの観光客という枠内で適当に過ごすんだね。時が来れば―――働いてもらう事になる」
「つまり、それは―――私たちは、『イチシ』は、本当に囮としての価値しかないという事だな」
マディラは肯定も否定もしない―――それが真実を物語っていた。
メダリアがやろうとしている事―――それは、イチシが取り憑かれていたあのシェイドの持ち主を、抹殺する事だ。
あのシェイド体の記憶をイチシに封じ込めて、死んでも死に切れないほどの苦痛の瞬間を再現する。
(ルドベキア―――10数年前に滅亡した国…)
標的のシェイドは、かつてはルドベキアに生きていたらしい―――
リュクシーに調べさせて、自分をも《死の再現》の駒にしようというのか?
それ以外の―――目的があるのか?
それでも、調べるしか道はない。
イチシは、リュクシーをシェイドの呪縛から解き放ってくれた。
生きると―――二人で生きると約束したのだ。
(―――イチシはメダリアにはくれてやらない。肉体も魂も、何一つとして渡さない)
「それを決めるのはあたしじゃないさ。あたしが考えるべき事は―――最早一つしかない」
リュクシーのシェイドを読み取ったのか、マディラが言った。
「あなたの口からは真実を聞き出せないのか」
イチシの敵と、同じシェイドの属性を持つマディラ―――それは解明すべき《死の瞬間》を知っている可能性を大いに含んでいる。
「あたしは―――全てを知らなかった。あいつを滅ぼすには、それでは足りない……」
シュラウド―――あの男は何だ。
何故、彼があそこにいる。セントクオリスで、メダリアで何をしていた。
ルドベキアで何をした。マディラとドラセナに何をした―――!!
マディラにはもう、真実を追う事はできない。
自身が既に、実体のない偽りの姿なのだから―――
「第一、あたしの望む結末は、あんたにとっては一番最悪なものだろうよ」
マディラはもはや、情とか後悔といった言葉は捨ててしまったようだった。
「回避したけりゃ、自分でどうにかするんだね」
まっすぐとリュクシーを見据えると、短く言い捨てる。
「言われなくてもそうさせてもらう」
リュクシーもまた、マディラを見据えた―――《人》の枠を捨ててしまったマディラは、急速に魔人へと身を堕とすだろう。
もう、彼女は《人》ではないのだ―――
ハガル、カライ―――そしてマディラ。
リュクシーは三度、己に関わったシェイドの残像と戦うのだろうか―――