EPISODEi-15
翌日、約束の時間よりかなり早めに時計塔の前に来たものの、リュクシーの姿はなかった。
約束通り、病院で検査を受けているのだろう―――ただ立って待っていると色々考えてしまいそうなので、イチシは公園内を少し歩く事にした。
―――ふと、ジンの言葉を思い出し、教会の方向へと歩き出す。
今日は結婚式は行っていないようだった。
教会の扉は開いていて、中には教会の内装を見学している観光客がちらほらいるようだった。
信者でもない自分が入っていいのだろうかと一瞬思ったが、信者でもない旅行者が結婚式を目当てに観光に来るくらいだ、特に問題はないだろうと足を踏み入れた。
(―――特に何もないな)
古い霊的な場所を訪れると、既に生前の形を失ったシェイドエネルギーを感じる事があるが、ここには何も感じない。
やはりここは、ただのイベント会場に過ぎないのだ。宗教的な儀式の場ではない。
イチシは奥へ進むと、祭壇近くのベンチに腰を下ろした。
祭壇には、大きな龍の彫り物が祭られている。ランドクレスの水神だ。
蛇のような長い体をしならせて、皮膚には水をまとうその姿は、彫刻として素晴らしい作品ではあると思うが、それ以上の意味はイチシには感じられなかった。
「すみません、式を挙げていただきたいんですが…」
その時、男女の二人連れが、祭壇横の控え室にいる教師に声をかけた。
どうやら昨日見たような大々的なものではなく、簡素な式も挙げられるらしい。
参列者を招いて派手に祝うのは一部の特別に裕福な者だけで(ランドクレスに観光に来る時点である程度は裕福なのだが)、そんな財力のない恋人たちは、二人だけで式を挙げるのが定番なのだろう。
「分かりました。では、簡単ですが準備をいたしましょう」
教師は娘の頭に真っ白なヴェールを乗せ、白い花を飾りつける。
青年の頭には、水神の彫り物を施した額宛てのようなものをはめた。準備はこれだけだった。
「イサ、鐘を」
教師が合図すると、鐘付きの男が表へ出て行く。
式を始めるという証に、屋上にある鐘を鳴らすのだ。
「では、祭壇の前へ」
二人を後ろに従えて祭壇の前にやってきた教師は、教会内にいる観光客たちに向けて言った。
「ここで巡り合ったのも水神様のご縁、この二人の愛の誓いを皆様も祝福してやってください」
観光客たちは皆、参列者が座るベンチへと腰を下ろし、式が始まるのを静かに見つめる。
「では、エヘン!」
教師は咳払いをすると、誓いの言葉を唱え始めた。
「命を司りしイバの娘マリカラリアよ、御名の下に愛を誓いし二人が訪れました――――――」
―――――◆―――――◆―――――◆―――――
教会で時間を潰していたら、結構時間が経ってしまったようだ。
―――とはいえ、まだ午前中ではある。
待ち合わせ場所に向かうと昨日とは変わって時計塔の足元に、短い影が落ちていた。
日影には爽やかな風が吹いている。
公園に設置されたベンチには、観光客の姿が見えた。
―――日影の中心に、リュクシーは一人立っていた。
イチシが待つ予定だったのに、逆に向こうを待たせてしまったようだ―――
だが待たせた言い訳ではないが、この時間は無駄ではなかった。
イチシの胸には、一つの決意ができた。
リュクシーがこれから何を言おうと―――それが自分の出せる唯一の答えだと思った。
「リュクシー!!」
ありったけの大声で呼ぶと、リュクシーが振り向いた。
その瞬間に―――視線が合っただけで、イチシには分かってしまった。
愛しくて抱き締めたい―――やはり自分の運命の相手はリュクシーだったのだ。
―――二人の間に子を成したのがその証だ。
イチシは自分の感情に逆らう事をしなかった。
駆け寄ってきた力一杯リュクシーを抱き締めた。
「―――走るな、妊婦が」
その言葉に、自分の顔を見ただけでイチシは何もかもが分かってしまったのだろうと、リュクシーは思った。
不安が現実になった―――現実になってしまったのだ。
「来い、リュクシー」
「イチシ?どこへ行くんだ?」
イチシはリュクシーの手を引くと、真っ直ぐにある方向へと歩き出した。
「―――イチシ?」
イチシは何も答えない―――だが、彼の目指す先にはイバ教の教会があった。
(イチシ?)
イチシが何をしようとしているのか、それは何となく想像が付いたが、何故急にイチシが心変わりしたのか―――それはやはり二人の間に新たに命が宿ったせいなのか ―――新しい命とはそれほどまでに人に変化をもたらす事ができるのかと、色んな感情が沸き上がってきた。
だがその感情たちは、不快なものではなかった。
イチシが生きる意志を繋いでくれるかもしれない―――それは今のリュクシーにとって、一番うれしい事だった。
教会の中には数人の観光客と、イバ教信者らしき者が床の拭き掃除をしているだけで静かなものだった。
イチシは1時間前に見た恋人たちと同じように、祭壇横の教師の控え室のドアを叩き、返事を待たずに開けた。
中には口元をもぐもぐと動かした教師が、ぎょっとしたような顔をして慌てて立ち上がる。
どうやら早めの昼食の時間だったらしい。
みっともない姿を見られたと思ったのか、一瞬反対側を向いて、慌てて口の中のものを飲み込むと、澄ました顔で客人に向き直る。
「何か御用ですかな?」
「式を挙げたい」
イチシが告げると、教師はまたあの尊大そうな咳払いをした。
「分かりました。では、簡単ですが準備をいたしましょう」
そばにあった布巾でさりげなく手を拭くと、部屋の隅に置かれた胸像にかけられた額宛てとヴェールを手に取る。
リュクシーは言葉もなく、自分にヴェールがかぶせられるのをただ見ていた。
イチシも無言だった―――額には、ランドクレスの水神の紋章が飾られた。
「では祭壇へどうぞ」
リュクシーはイチシの顔を見た―――イチシは深く頷いた。
「行こう」
これは―――イチシが生きる事に奮起してくれたと考えてもいいのだろうか?
お互いを唯一と誓い合う儀式―――それをリュクシーとしようというのだ。
そうとしか考えられない―――リュクシーの中には安堵が広がった。
二人は祭壇の前に辿り着くと、教師と向き合う。
「ここで巡り合ったのも水神様のご縁、この二人の愛の誓いを皆様も祝福してやってください」
教師は背後にいる観光客たちに声をかけると、再び咳払いをした。
振り返り、祭壇に祭られた水神像に一礼する。
「命を司りしイバの娘マリカラリアよ、御名の下に愛を誓いし二人が訪れました。彼らの揺るぎなき心の証を母なるイバより受け賜りたまえ」
神聖なる言葉を唱えると、教師はイチシたちに向き直る。
「汝の名は?」
「イチシ=タカツキだ」
「そして汝は?」
「リュクシー=シンガプーラ」
「よろしい」
教師は祭壇に供えられた聖なる水を二人の頭に振りかけ、耳元には供物の白いララックの花を一輪ずつ挿した。
「イチシよ。そなたはリュクシーを唯一の伴侶とし、富める時も病める時も、生と死が二人を別つまで共に生きる事を誓うか?」
教師の言葉を聞いた時、リュクシーの体は凍りついた。
イチシは―――リュクシーに誓わせようとしているのだ。
こんなにも残酷な運命を。
《生と死が二人を別つまで―――》
これは愛の誓いなんかじゃない。
リュクシーにとっては絶望の誓い以外の何物でもなかった。
「イチシ?誓うか?」
教師の再びの問いかけに―――リュクシーはすがるような想いで、イチシの顔を見つめていた。
イチシは本当に誓う気なのか?
本当に?
だからこそリュクシーをこの場に連れて来たのだと、嫌と言うほど分かってはいたが、絶対に信じたくはなかった。
生と、死―――二人はそんなもので引き離されなくてはならないのか。
「ああ……誓う」
搾り出すようにそう言ったイチシは、もうリュクシーから目を逸らさなかった。
生きろ、と―――自分がいなくなったとしても、リュクシーは生きろと。
イチシのシェイドを断ち切り、生きていけと―――頬に伝う涙が、リュクシーを見つめる強い意志が、全てを物語っていた。
「よろしい。ではリュクシー」
教師の言葉は何も分からなかった。
リュクシーの頬にもイチシと同じものが伝っていた。
二人はただ見つめ合う―――言葉などいらない。
お互いのシェイドを感じれば、何もかもが理解できた。
「リュクシー?」
何度問いかけても何も言葉を発しないリュクシーに、教師が戸惑った表情を浮かべていた。
誓いの言葉の後に感極まって泣く恋人たちはたまに見るが、誓いの言葉の途中で進行できないほどに泣き合うのは初めてだった。
リュクシーのこの時の想いを―――誰も推し量る事はできまい。
自分でさえも溢れ出す感情は抑えきれなかった。
全ては滴となって、瞳から零れ落ちた。
「リュクシー?そなたは誓うか?」
何度目かの問いかけに、リュクシーは現実に戻ってきた。
リュクシーは答えなければならない。
イチシのこの想いに。
リュクシーはゆっくりと口を開いた。
「私は―――」
「誓う」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→「SHADEr-1」へ
「誓わない」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→「SHADEm-1」へ
2回目の分岐です。
…が、執筆中の為、まだ先に進めません。
どちらを先にUPしようか模索中なので、こっちを先に見たい!…なんて感想をいただけると喜びます。
分岐型にしておきながら、まだまだ途中段階で申し訳ないです。