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SHADE-I  作者: 青山 由梨
12/15

EPISODEi-12



「そこの姉ちゃん、ランドクレス名物のカロゴ焼きはどーだいっ!?これを食べなきゃランドクレスに来た意味がないよっ!」



ランドクレスの最大の水上マーケット、エリュトル市場で立ち止まるのは危険である。

道の両脇には所狭しと小売店や食堂が立ち並び、立ち止まった途端、両脇の店から呼び込みがかかってしまう。


ランドクレスでは景観を守るために、水上都市建築には規制があり、通路横に建築物を建ててはいけない通りもあるのだが、エリュトル市場ではそんなものは関係ない。

建築物がないのを良い事に、商品を山のように積み上げたカヌーが、通路横に停泊していて、雑多ではあるが、それはそれでランドクレスらしい光景を作り出していた。


色鮮やかな衣類や、鍋等の生活雑貨、近海で採れた新鮮な魚、お惣菜を売っているカヌーでは、よくそんな狭いスペースで器用に料理するものだと関心してしまう。



「お姉ちゃん、一人で観光かい?連れはいないの?」



屋台の呼び込みをしていた男は、目の前で立ち止まった外国人と思われる少女に話しかけた。


しかし、少女は屋台を物色するでもなく、かといって向かいの店に用があるわけでもないらしい。

進行方向へ真っ直ぐと視線をやり、他は目に映っていないようだ。


一瞬、何を見ているのだろうと、彼女の視線の先に目をやったが、夕方になってぼちぼちと観光客が現れ始めたいつものエリュトル市場の姿しかなかった。




「この店は何の店」




その時、少女がぼそりと言葉を発した。


視線は相変わらず一方向を睨みつけていたが、どうやら呼び込みの声は届いていたらしい。


「あ〜、カロゴ焼きだよ、カロゴ焼き!ランドクレス産のカロを、ゴラソースで味付けしてるよ!うまいよ、うまいよ!どうだい、一つ!」


鉄板の上でゴラソースの焦げた香ばしい匂いが立ち込めている。

エリュトル市場で一番数の多い、カロゴ焼きの屋台である。



「いくらよ」

「200ルギ…」



その時初めて、少女は店に視線を向けた。

カロゴ焼きと、値段、そして店番の男の顔を確認すると、また同じ方向へと視線を戻してしまったが。



「じゃあ、200」



少女は、ズボンのポケットから小銭を取り出すと、男に差し出した。






「………」






しかし、男は代金を受け取ろうともせず、焼いている途中のカロをひっくり返そうともせず、穴が開くほど少女の顔を見つめていた。


「?…ちょっと!」


男が金を受け取らないので、少女が声を張り上げた。




「あ、ああ……」




我に返り、代金を受け取ると、手元の鉄板から白い煙が上がっている事に気づく。


「うおっ、焦げる!」

「………」



少女は一瞬、呆れた顔をしたが、またすぐに視線を明後日の方向へと戻してしまう。



「はいよ、カロゴ焼き1つ!…なぁ、お姉ちゃんさ……」


カロゴ焼きを手渡すその時、男は意を決して少女に話しかけた。




「あん?なによ」



馴れ馴れしく話しかけてきた男に、少女はあからさまに嫌な顔をする。




(性格は悪そうだが・・・)


その表情からは、彼女が愛想のない人間である事が伺えたが、それでも尋ねてみないわけにはいかなかったのだ。




「お姉ちゃんの名前、もしかして・・・ロラーデって言うんじゃ!?」

「違うわよ」


男が言い終わると同時に少女は眉間にしわを寄せながら即座に否定した。



「あっ、あっ、じゃあ、ディレンティナ!?あっ、じゃあ、ファナピ!?あーっ、じゃあじゃあ、アイレー!?違うかっ」

「一体何の……」


少女が胡散臭げに眉間に皺を寄せ、今にも立ち去ってしまいそうなので、男は声を張り上げた。


「分かった!!ホーリーだ!?」





















(何なのよ、こいつ―――!?)


ただの変態かと思いきや、最後の最後に自分の名を呼ばれ、ホーリーは耳を疑った。




「ほ、ほんとに?―――ホーリー様なんだな!?」

「違うわよ!!バッカじゃないの!!」


驚いたのを勘付かれたのが腹が立って、男をホーリーは怒鳴りつけた。


「嘘だ!!あんたは、ホーリー様だ!!そうだろ!!」

「違うって言ってんでしょ!!」



散々違う名前を挙げておいて、嘘も何もないものだ。


声を荒げて、ハッと気付く―――まずい事に、尾行相手を見失ってしまったらしい。

ついさっきまで、5軒ほど先の店先で衣類を眺めていたリュクシーたちの姿が見えない。



「ああ、もう!!」

「ま、待ってくれ!!」


グイッ!!!



駆け出そうとしたホーリーだったが、服の裾を捕まれ、危うく転びそうになる。


「何すんのよ!!離しなさいよ!!」

「こ、これを……!!!」



しかし、意地でも離れようとしない男は、ズボンのポケットから薄汚れたマッチを取り出すと、ホーリーの手の中に押し付けてきた。


「こ、ここに来てくれよ、ホーリー様……!!待ってるから!!皆、探してたんだよ、あんたの事!!」




(!?)




男の偽りとも思えない真剣な眼差しに―――ホーリーは一瞬戸惑った。



「離せって言ってんのよ!!」



男を振りほどくと、ホーリーは駆け出した。リュクシーを見失うわけには行かない。


「待ってるから!!ホーリー様!!」











背中にあの男の叫び声が何度も届く―――ホーリーは手の中にあるマッチに一瞬だけ目をやった。



Barウッドレイク―――?……いた!!》



リュクシーの後姿を発見して、ホーリーは少し安堵して、また距離を取って尾行態勢に入った。


まあ、あのリュクシーであっても、今の状況で逃げるとは思えない。

そう遠くへは行っていないとは思っていたが、すぐに見つかって安心した。




そして改めて、マッチに書かれた文字を眺める―――しかし、すぐに飽きて水路の方角へ投げ捨てた。




(あたしには関係ないわ)




自分が外部から連れて来られた人間だというのは知っていた――― メダリアでは、オリジナルとシアター出身者がパートナーになるのが常だ。


ジラルドはシアター出身者。つまり、外部からやってきた人間は自分の方だ。



正直、外での事はほとんど覚えていない。

子供ながらにとてつもなく恐ろしい事があったのだけは何となく覚えている。


それを思い出すまいと、頑なに記憶を閉ざしている自分がいる事も知っている。



でも一番重要なのは、その状況から自分を救い出してくれたのが、Dr.シュラウドであるという事だけだ。

だからホーリーは捕縛士として、Dr.シュラウドの為に戦う。彼の為に働く。



ホーリーの生まれを、あのカロゴ焼きの屋台の男が知っているのだとしても、ホーリーには関係ない。興味もない。


























「ちょっとあんた!!今、ポイ捨てしたね!?道にゴミ捨てると罰金だよ!!こっち来な!!」






背の高い大女に引きずられていくホーリーの姿を、リュクシーは呆れたように見ていた。


(何をやっているんだかな、あいつは―――)


ジラルドの姿はないようだったが。

あれで、ジラルドがいると多少はバランスが取れているのかもしれない。




「その色、似合うぜ」

「そうか?―――じゃあ、この服にする」


何事もなかったかのように買い物を続け、リュクシーはようやく病院から借りた服から着替える事ができそうだ。


「その先に観光客用の有料休憩室があるから、そこで着替えるといいよ」


衣類屋の店主に教えてもらった場所でリュクシーはランドクレスの民族衣装に着替える。

リュクシーはやはりズボンの方が落ち着く―――スカートは覚束なくて好きではない。


民族衣装といっても、祭礼時に着るようなものではなく、ランドクレスの民が日常的に着用しているものである。

シンプルなシャツとズボンの上に、色鮮やかな布を巻くというのが基本的なスタイルだ。

日差しの厳しいランドクレスでは、日焼けを防ぐ意味合いもあるらしい。


外界任務に就いた時、《女》と特定されないようにと、服装は男女共用、言語は標準語をとメダリアに教育されてきた中で、考えてみれば自分でこうして服を選ぶ等、数えるほどしかない経験だった。


相変わらず選ぶ基準は保護地区の《女》たちとはかけ離れていたが―――それでも最近は、多少は外見を気にする気持ちも芽生えてきていた。



女子休憩室を出ると、入り口の所でイチシと鉢合わせた。


イチシもスーツ姿では悪目立ちするので、ランドクレスの民族衣装に着替えた。

身につければ幸福になれるという青い貝殻のネックレスはリュクシーとおそろいだ。


「ようやく楽になった」


どうしても襟のきっちりした服装を受け付けないようで、イチシは首の辺りをさすっている。


「スーツも意外と似合ってたぞ」

「ダメだな。あんたと同じで、オレも落ち着かない」


自分と同じ理由か、ならば仕方ないとリュクシーは小さく笑った。




「市場を抜けるとシアメア地区だ。外国の船乗りたちが滞在する地区で、倉庫街や酒場が多い」


ランドクレスの水上都市は内陸から順に分けられており、シアメア地区は6番目―――外周寄りの商業地区である。


一番外周のエマルジナ地区は外国からの船を規制する水軍が管理している。

入港を許可された外国の船乗りたちが、一時の休息を求めて訪れるのがシアメアだ。


外国人用の安宿や酒場が密集し、輸入品を扱う市場や、輸出品を保管する倉庫街もある。

治安が良いとされるランドクレスで唯一、揉め事に巻き込まれる危険があるとすれば、シアメアだろう。

外国人同士の殴り合いのケンカ程度ならば頻繁に見かける光景だった。



「船乗り連中は、各国の政府の許可を持った正規の船しか入れないとはいっても、長旅で死んでも惜しくない種なしの人間ばかりだ。《女》と接触する機会なんてない。中には《女》に対して妙な認識を持ってるヤツもいるから気を付けろ」

「イチシの乗ってた船は、どこの国の管轄だったんだ?」


ふと気になって尋ねる。


「ユライフの船は世界連合所属の帆船だ」

「なるほど。どうりでボロかったわけだ」


世界連合では、表向きは汚染物質の廃棄禁止や資源の節約を唱えているが、実際は膨大な資源を費やして軍用機をいくつも所有している国がほとんどだ。

世界連合だけが時代を遡り、人力を動力とする公約通りの船を使用しているというわけだ。


(シェイド研究も―――表向きは《人力》の先にある力のはずだが……)



奇麗事を言っていられないほど世界が病んでいるのは分かっている。

だが、共食いする以外に道はないのか?


アクミナータ大陸のように文明を捨て、過去に戻り慎ましい生活を送る事よりも、人の命をも資源として利便性を追求する。


食料難という問題もある。

保護地区の人間たちは、人口は減った方が好都合とさえ考えているに違いない。

種なしの人間たちは、同列の存在ではなく資源として活用できればまだマシというわけか。




「離れるなよ」


シアメア地区に入り、通行人の種類が変わる。


日に焼けた屈強そうな船乗り、酒場の呼び込みをしている女達、ツアーガイドを連れた観光客もいるようだ。

確かにイーバエルジュに滞在するような金持ちたちだけでは、この地区は歩けないだろう。



「あの店だ」


イチシが指した先には―――5階建ての大きな建物が見える。

窓辺に白色と青色の提灯を吊るしている年季の入った古い木造の酒場だ。



正面に周ると、屋根の上に据えられた大きな木の看板に店の名前が書いてある。



「ディゴアスール……ここは」



木の板に、大きく殴り書かれたその店の名を、リュクシーは知っていた。

レアデスに渡された酒場のマッチ―――そこには《ディゴアスール》と書かれている。


また胸元からマッチを取り出したのを見て、イチシも気付く。


「この店の事だったのか」

「名前を知らなかったのか?」

「一々店の名前なんて見ないぜ」


―――イチシがクレストと出逢ったという店。



「レアデスがこの場所に来いと言っていたという事は―――」



クレストの存在は既にシュラウドの手の内にあるという事なのか。



「気に入らねぇな」


イチシがつぶやいた。

それはリュクシーも同じ気持ちだった。


せっかく見つけたと思った手がかりが、既に古くて干からびた餌だったとは。



「確かに気に食わないが―――」

「行くしかないな」


クレスト=シェトラとは一体どんな男なのか。

彼もシュラウドの手先なのか、それとも―――


リュクシーはイチシの腕にしがみつき身を寄せ、二人連れである事を強調した。

なるべく面倒は避けたい。






ディゴアスールの1階入り口の両開きの扉は大きく開け放たれ、そこからは陽気な音楽が漏れていた。

酒場に足を踏み入れる瞬間、独特の甘い香りが鼻をかすめる。



「何の匂いだ」

「ああ―――ランドクレスの地酒、ララックだろう。ララックの花から作るから、臭いがキツイ」


「そういえばあの花の香りだな」


ホテルのエントランスで嗅いだむせ返るような甘い香り―――あの花はララックというらしい。



鼻をヒクヒクさせながら、リュクシーは店内を見回した。

いや―――見上げたと言った方が正しい。



ディゴアスールは店舗の中心が広い吹き抜けになっていて、5階の天井にはステンドグラスが埋め込まれているのが見えた。


4階まで客で埋まっているようだ。そこそこに流行っている店らしい。

1階にはステージが設けられ、楽団が音楽を奏でている。


曲は皆、イバ教の民俗音楽らしく、ランドクレス人たちがステージの周りで思い思いのダンスを踊っていた。



「客の中にも派閥があって、上の階は常連しか入れないらしい」


イチシの言葉に1階にいる客の顔を見渡すと、確かに観光客は2階より上には昇れないようだった。



「やあ、来てくれたんだな」


その時、背後からリュクシーの肩を叩いた男がいた。レアデスだ。

横にいるイチシの姿が見えないはずはなかろうに、白々しく話しかけて来たようだ。



「中々いい店だろ?ま、1階はちょっとうるさいけどな」



勘に触ったのか、イチシはリュクシーを背中側へ押しやり、無言のままレアデスを睨みつける。

レアデスはかなりの長身で、見下ろされる形になるのがまた気に入らない。


「ああ、お前もいたのか」


レアデスはあくまでも爽やかだ。

仏頂面のイチシと違って、朗らかな笑みを浮かべている。


「あら、レアデス!後であたしのトコにも寄ってね」


救助船で見かけた時の兵隊服とは違って、極彩色の民族衣装をまとったレアデスは、どこからどう見ても魅力的な男だった。

酒場の従業員の女達が、レアデスとすれ違う度に声をかけていく。


「お前らの事だから、まっすぐここに来るとは思わなかったけどな」


イチシの敵意には反応すらせず、レアデスは言った。


リュクシーはこの男の顔を凝視する―――しかし、この笑顔からは何を考えているのか読み取る事はできなかった。


レアデスは何のためにリュクシーたちをここへ呼んだのか。

開口一番に出る言葉は一体―――?



「まあ、そんなに睨むなよ。とりあえず一杯飲もうぜ」


どんな指令があるのかと身構えていたリュクシーは、レアデスの言葉に萎えた。


「用があったんじゃないのか」

「まあまあ。酒場に来て酒を飲まないなんてナシだろ?」


レアデスはバーカウンターへと行ってしまった。



「……レアデスは後回しにしよう。クレストを見たというのはどこだ?」

「2階席だ」



二人はレアデスから離れ、階段を昇る―――2階はテーブル席が並んでおり、ゆっくり落ち着いて飲みたい者は1階のカウンターで買った酒を片手に、こちらへ来るようだ。



「―――いるか?」



クレストの姿を探すイチシに、リュクシーは問いかける。

しかしイチシは首を横に振っただけだった。



「クレスト=シェトラなら、ここ数年目撃されていないぜ」


酒瓶にストローを挿したものを3つ持って、レアデスが背後に立っていた。


やはり―――その名が出たか。

レアデスがその名を知っているという事は―――シュラウドはクレストの存在を把握しているという事だ。


「ほらよ」


リュクシーとイチシに酒瓶を押し付け、レアデスは空いてる席に座った。




「―――……」


二人はレアデスの次の言葉を待つ。

酒を飲む気にはなれなかった。


「ああ、オレは」


レアデスだけが酒に口をつけ、言葉を続ける。



「元々は違う目的でランドクレスにいたからな。他にランドクレスに潜入している捕縛士がいないから、お前らの任務にも協力する事になった」

「違う目的―――それがクレスト=シェトラか」



クレストは姿を消したのか―――?

そして捕縛士たちがそれを追っている。何の為に?



「お前、クレスト=シェトラにシェイドを教え込まれたらしいな」


イチシに問いかけたレアデスは、笑みを浮かべてはいなかった。

何故だか敵意のようなものを感じる。


レアデスにとって、クレスト=シェトラは何か因縁がある相手なのかもしれない。









お前の彼氏は、どこぞの飼い犬なのかもしれないとは思わないか?









空の上で言われた言葉を思い出した。


その言葉の意味にようやく思い当たった。

レアデスの狙いはクレスト=シェトラなのだ。



「―――そうだな、勝負しないか?」

「勝負?何の」


突然言い出したレアデスの真意が読めない。

何かメダリアからの指令を預かっていたのではないのか?


「おい―――暴れるな。目立つのはまずい」


応じかねないイチシの服の袖を、リュクシーは引っ張って止めた。

ドラセナ抹消作戦に関係ないならば、レアデスに関わる時間がもったいない。


「殴り合いの勝負はまた今度にして、これで勝負しようぜ」


レアデスは酒瓶を持ち上げ、にっこりと微笑む。


「オレはクレスト=シェトラの情報が欲しい。負けた方が知っている事を話す。それでどうだ?」

「それだけの価値のある情報を持っているのか?」


リュクシーが猜疑の眼差しを向けると、レアデスはまた魅力的な笑みを浮かべる。

女相手には、とことん外面の良い男である。


「情報提供ともう一つ―――オレが勝ったら、リュクシーは借りるぜ?」

「誰が負けるか」


「おい、イチシ―――あんな挑発に乗るな……」


レアデスがどれほどの情報を持っているのか怪しいものだ。

それに何か他の目的があるように思えてならない。


イチシを酔わせ、リュクシーから引き離すのが目的なのか?



「よし、じゃあ始めようぜ。お〜い、モイス!!アレの準備頼むよ。キツい奴くれ」


レアデスは店員を呼びつけると、酒の飲み比べの用意を頼む。


「マジで?相手はそのお兄ちゃんかい?あまりイジメるなよ、レアデス」

「ハハハ」




ランドクレスの観光本には、シアメアの酒場で飲み比べをしようと誘われても、絶対に受けてはいけないと注意書きが必ずついている。


酒豪が多いランドクレスの民と酒の勝負をしても勝ち目はなく、賭け事なんてしようものならば、身ぐるみ剥がされる危険もある。

また、急性アルコール中毒で命を落とす者も年に数人はいるという。


「おい、イチシ!!」


リュクシーは声を張り上げたが、イチシは全く聞き入れようとしない。

何をそんなに意地にならねばならないのだ―――酩酊してしまうような事になれば、何にもならないというのに。


「心配するな、負けやしねぇ」


「お前、酒が飲みたいだけじゃないだろうな」

「バカ言え」


リュクシーが渋っていると、店員が続々と2階に上がって来て、レアデスの座っているテーブルの上に次々と酒瓶を並べ始める。


「お〜い、この二人がロータスやるぞ!」


モイスが吹き抜けに顔を出し、叫んでいるのが聞こえる。


飲み比べはシアメアの娯楽なのだ。

参加者の二人を取り囲み、野次馬たちが囃し立てる中で勝負は繰り広げられる。



「負けないぜ?」


レアデスは座れよと椅子を勧め、イチシは無言のままそこに腰を下ろした。



(ああ、イチシのバカめ―――何で意地になるんだ)



半分は自分のせいであると気付いてはいたが―――そうか、自分の為か。

それに気付くと、リュクシーはため息をつくしかなかった。


こうなったら仕方ない。

レアデスを酔い潰して、知っている事は洗いざらいしゃべらせるしかあるまい。


「イチシ、負けたら承知しないぞ」

「誰が負けるかよ」


イチシはイチシで、相当自信があるようだった。




「おいおい、大丈夫かぁ、兄ちゃん。まだガキじゃねーのか。酒の味分かんのか?」

「バ〜カ、酒なんて飲んじまえば皆一緒よ!!げへへ」


ちょうど野次馬たちも集合した所である。

審判役の店員が、小さいグラスに地酒のララックを注ぐと二人に手渡し、見物客の方へ向き直る。



「んじゃ、始め!!」


合図と共に、二人は1杯目を飲み干した。

かなりの飲みっぷりだ。―――長い勝負になりそうだった。































「オレの勝ちだな」


30分後、涼しい顔で言ったのはレアデスの方だった。



イチシは耳まで満遍なく真っ赤になり、まるで図書館にあった《検索くん》のタコのように真っ赤になって机に突っ伏しているというのに、レアデスは頬にほんのり赤みが差しているだけである。



「まあ、レアデスが負けるわけねーよな」

「相手が悪かったな、兄ちゃん」


野次馬たちは勝負を見届けると、イチシに対して同情の言葉を口にした。



「レアデスだと賭けにもなんねぇ」


こんな事なら自分が勝負すれば良かったかもしれないと思ったが、今更二人して酔い潰れるわけにはいかない。

だが確かにイチシは頑張ったと思う。レアデスがアルコールに強すぎたというだけの話だ。




「さて邪魔者がいなくなった事だし。あっちで少し話をしないか。あいつはしばらく起きねーから、そこで寝かせとけばいい」


勝負には負けたが、レアデスが知っている事を聞きださなければならない。


リュクシーはイチシから少し離れた場所のテーブルで、レアデスと向かい合って座った。

非常時に備え、視界の隅にはイチシの姿が入るようにした。




「随分成長したな、リュクシー。メダリアで最後に会った時は、男勝りのガキだったが―――女になった」



子供の頃は周りは男ばかりだった。


一番仲が良かったのはクラウだが、クラウの仲間たちともよく張り合った。

レアデスは3期上だったせいか、彼らの兄貴分だった。



「お前だって変わったさ」


レアデスを前にして警戒心を解けない。こんな関係になってしまうとは、あの頃は思いもしなかった。



「お前、オレが認証式を受ける頃、独房に隔離されてたしな」


お前らしいぜ、とレアデスは小さくつぶやく。



―――それはあの頃だ。

ゼザと二人、ビレイラ・ドームへ抜け出して魔獣に襲われた直後。


ゼザは集中治療室、リュクシーは独房に入れられている内に、レアデスの代の認証式は終わり、早速外界任務へと派遣されたのかメダリアから姿を消していたのだった。


そしてゴデチヤの上空で二人は再会した。

レアデスはすっかり少年から大人の男になっていた。



「お前の認証式はどうだったんだ?」


リュクシーは昔話に興味はなかった。

だが、とりあえずはきっかけを作る事だ。レアデスの会話に乗って、少しでも情報を引き出さなければ。


「私は認証式は受けていない。―――その前にメダリアを裏切り、脱出した」


そう、リュクシーは《捕縛士》ではないのだ。

外界任務に就いていたレアデスは一連の脱出劇の事は知らないのだろうか。


「ああ、らしいな。聞いたよ」


しかし、予想に反してレアデスの返答は軽いものだった。


「知ってるなら聞くな」


思わず指摘すると、レアデスは円らな瞳をさらに大きくしてみせる。



「でもお前、《シェイド》を手にしてメダリアを脱出したんだろ?」

「―――それは……」


リュクシーの脳裏に、一人の男の姿がかすめた。

彼がいなければ、確かに自分はメダリアを脱出する事はできなかっただろう。



「認証式―――卒業証書をもらうんじゃないんだぜ?」



自分に最も共鳴するシェイド玉を選び取る儀式。

これをクリアしなければ、《捕縛士》にはなれない。




(カライ―――……)




「あいつは―――道具じゃない。シェイドは道具じゃない」


確かにリュクシーは―――あの時、一人のシェイド体と激しく共鳴していた。


だが、二人の間に優劣があったわけではない。

リュクシーはカライと語り、笑い、怒り、全ての感情を互いにぶつけあった。


そして―――知った。

彼らが己を保つ事の難しさを。




リュクシーはカライと繋いだ手を離してしまった―――そしてカライは魔人となり、果てた。




「色々あったみたいだな」


色々思い出していたリュクシーに、レアデスは静かに言った。



「まあ、オレから見たらうらやましい話だな。オレはまだ認証式が終わってないからな」

「……なんだって?どういう意味だ」


リュクシーの動揺ぶりを見て、レアデスは笑う。


「どうって?そのままの意味だ」


認証式に失敗し捕縛士になれなかったものは、メダリアの研究員になったり、軍人になったり、メダリアに留まる事はできないはずだった。

少なくとも、リュクシーはそう思っていた。


「オレは自分の手にするべきシェイドとまだ巡り会えていないのさ」

「私が《S》扱いになっているという話もそうだが―――メダリアの《ルール》は、シュラウドの言葉一つで全く意味がなくなるようだな」


「そりゃそうだ。メダリアはシュラウド様の箱庭なんだからな」

「―――お前は…シュラウドに心酔しているわけではないようだな」


様付けで呼んではいるが、そこに忠誠心はあまり感じられない。


「オレはお前より3つは年上なんだぜ」

「知ってるが?」


何を今更とリュクシーは眉間に皺を寄せる。


「メダリアに来た時、オレは既にそこそこのガキだったって事だ」


セントクオリスがメダリア・ドームを作り、捕縛士の卵たちをそこの押し込めたのは12年程前――― レアデスは6歳くらいにはなっていたはずだ。

リュクシーたちは皆、新年に一斉に年を重ねる為、正式な年齢は分からないがそのくらいだろう。


「当然、外での記憶もそれなりにある」


外での記憶―――レアデスの出生。


リュクシー自身もそうだった。

外からさらわれてきた子供たちは皆、何か特別な境遇の子供たちなのだ。


「まあ、オレの昔話はいい。―――そろそろいいだろう」


壁にかけられた時計に目をやると、レアデスは立ち上がり、熟睡中のイチシの方を向いた。



「ララックの酒にはちょっと副作用があってな―――飲み過ぎ厳禁だ。オレたちのようにシェイドに近い人間には特に強く出る」

「なんだって!?」


「ちょっと待った」


駆け寄ろうとしたリュクシーの腕をつかむと、背後からガッチリと押さえ込まれてしまった。



「離せ!」


リュクシーは思い切りレアデスの右の足を踏みつけた。

―――が、腹の立つ事にシェイドでガードしたのか、全く堪えていないようだ。


「いいから見てろって。―――クレスト=シェトラの情報を握ってるのはオレじゃなくてアイツの方だ」

「最初からそのつもりだったな」



「人間の記憶なんて、意識を取っ払わないと見えて来ないもんさ」



イチシはすっかり眠りの世界へ取り込まれてしまっているようだ―――ゆっくりと寝息を立てながら背中を上下させている。


「いいか、リュクシー。本音を知りたけりゃ、寝込みを襲え。恋愛において絶対の法則だぜ?」

「卑怯なのは好みじゃない」


「正攻法だけじゃ先に進めない時だってあるさ。クレストの情報が欲しいのはお前だって同じだろう」

「だからって私は人の記憶を盗み見たりしない!!」



「だから―――そんな事言う余裕があるのか?問題はそこさ」

「っ―――」


イチシの記憶を薬の力で呼び起こす―――それではメダリアのやっている事と変わりがないではないか。

だがレアデスの言う通り、余裕がないのは事実だった。






それでも―――リュクシーは怖い。



イチシの記憶を覗いて、そこに絶望があったとしたら?

イチシが必死に隠している記憶を、リュクシーやジンたちを守りたいが為に押し殺している感情を、リュクシーが勝手に覗き見るなんて。


それはイチシとの間の信頼関係を跡形もなく砕いてしまう行為だ。

イチシの意思を軽んじる行為だ。



「私は見ない―――イチシの口から聞き出すまでは、誰にも覗かせない!!」


シェイドで一気にレアデスの腕を跳ね除けると、リュクシーはイチシの元へ駆け寄った。


イチシは相変わらず赤い顔で寝ていた。

副作用で苦しんでいる様子はなかった。



イチシを連れてホテルに戻ろうと、軽く触れたその時―――






「!!!」






イチシのシェイドがリュクシーの肌を伝い、一瞬の内に脳裏に映像を刻みつけた。

その衝撃に、リュクシーは思わず手を引いた。




(今―――)




冷や汗が額を伝う―――垣間見たイチシの記憶。

その中に―――




ああ、そうだ。

船上でイチシのシェイドを浴びたあの時に―――心のどっかに引っかかった違和感はこれだ。


(何故―――イチシの記憶の中に)




その時、気配を感じた。

リュクシーは顔を上げる―――視線の先のテーブルで、酒瓶を傾ける男の姿があった。






《―――私が見えるのか》






呼吸をする事さえ忘れ、男の顔に見入る―――リュクシーはこの男を知っている。

だが、この男は誰だ。誰だ―――!?






《少年。お前の名は何だ?》






顔に刻まれた皺は姿を消し、目の前にある残像は艶めく肌と、皮肉めいた笑いを宿していた。


これが―――クレスト=シェトラ。イチシにシェイドの扱いを教えた男。






「これがクレスト=シェトラか……」


気が付くとレアデスが横に立ち、同じ残像を前にして感嘆の声を漏らした。



「レアデス―――お前にはどう見える」

「シュラウド様と同じ顔だ」


レアデスはあっさりと認めた。


確かに認めざるを得ない―――だが違和感もあるのは事実だ。


「随分若いな。20代半ばって所か―――つまり、今から15年くらい前のシュラウド様はこんな感じだろうな」

「それが何故―――どういう事だ!」



イチシがクレストを見たのは2、3年前だ―――シュラウドのはずがない。


15年前にシェイド体となったクレストが、シュラウドであるならば、メダリアにいるあの男は誰だ。

年を重ね、衰えた肉体を持っているあの人物は誰だ?



「ようやく近づいたぜ―――っと……」


クレストの残像は、一瞬再生されただけで、再び消え入ろうとしていた。


「リュクシー、ずっとそいつに触れていろ。お前を介さないと、オレには見えない」


一瞬、レアデスの指示に従いそうになったが―――リュクシーは思い留まった。


「言ったはずだ。イチシの記憶を盗み見るつもりはない。聞けば済む事だ」

「何をそんなにこだわってんだ?話に聞いて、クレストの容姿が分かったか?お前が言ってるのはただの奇麗事だ」



レアデスはリュクシーの手を取ると、無理やりイチシの背中に重ねようとする―――



「くっ―――離せ!!」

「こいつを助けたいんだろ?」


レアデスの言葉は悪魔の囁きだ―――耳を貸してはならない。


「こいつの全てを知らないで、こいつを助けられるのか?こいつの命をお前は背負うつもりなんだろ?全てを知らずに、こいつの何を救えるって言うんだ?」


レアデスの言い分には最もな部分もある―――それは分かる。

リュクシーならば、イチシの記憶から新たな何かを探し出せるかもしれない。


「こいつを好きなら見ればいい―――でなけりゃ死ぬぞ。お前にこいつは救えない」



レアデスの手を払いのけようとしても、岩のように動かない―――後少しでイチシの背に触れてしまう。






(イチシを好きなら―――?)






リュクシーの心を見透かしたようなその言葉に、リュクシーは激しい怒りを感じた。




バシッ―――――!!!




「―――……」


リュクシーに頬を打たれ、レアデスは言葉を失った。




「イチシは人間なんだ―――お前達の道具じゃない!!」


人の心を暴く事が愛情の一部だというレアデスを許すわけにはいかなかった。



「レアデス―――お前は人を信じた事があるか?人として、対等に向き合った事があるか?」



なくても無理はない―――レアデスもリュクシーと同じ、歪んだ箱庭の中で生きてきたのだから。



「相手の全てを知る事が、愛情だと?それは支配したいだけだ。シェイドを武器とする捕縛士のように――― シェイドより優位に立ちたいだけじゃないか」


リュクシーはレアデスの目を真っ直ぐ見据えた。


「お前に誰のシェイドも支配できるものか」



レアデスはまだ知らない―――自分が手にしようとしているモノの正体を。


知らずにいられれば、その方が幸せなのだろうが―――そうも行かないだろう。

彼も、シュラウドが選んだ実験体なのだから。



「これ以上イチシの中を覗く事は許さない。―――去れ」






リュクシーが激しく睨み付けると、しばらく真顔で見つめ返していたレアデスだったが―――ふっと口元が緩んだ。


「前言撤回だ。―――お前は変わってないよ。今も昔も、不器用で優しくて……シュラウド様のお気に入りだ」

「……お気に入りなものか。虫唾が走る」


本当はリュクシーにも分かって来ていた。


シュラウドにとっては、過程は問題ではない。

彼にとっては、自分から逃げ出そうと、刃向かおうと、問題ではないのだ。

彼の育てた捕縛士たちが、最期にどのような結末を迎えるか―――それが全てなのだ。



「悪いがオレにも譲れない理由があるんだ」

「それがどうした。私も譲らない」


意地の張り合いならば、負けない。

どんなに笑顔で懐柔しようと、リュクシーの心は動かない。


「分かった。お前には言っておかないとならないな」

「何を言っても私は意見を変える気はない」


いい加減しつこい男だと、リュクシーは一蹴した。


「クレスト=シェトラはオレの父親なんだ」











予想もしない言葉だった―――その一瞬の隙を突き、レアデスはリュクシーの右の手のひらをイチシの背中に押し付けた。





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