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SHADE-I  作者: 青山 由梨
11/15

EPISODEi-11




イーバエルジュ国立図書館は、歴史の古い建物である。


かつては王族の離宮として使用されていたそうだが、国土が海岸線に侵食され、国民の生活の場が内陸に迫ってきていた事もあり、現在の水上都市計画が持ち上がった際に、国民に明け渡したものらしい。



そうは言っても、国立図書館はイーバエルジュ内にあり、国民の誰もが利用できる空間ではなかったのだが。


紙という資源が無造作に使用されていた時代の書物から、世界が二分されてからの電子書類まで、あらゆる文書が保管されている場所。

とはいえ、現代文明を捨て、信仰だけを抱えてスタニアス大陸へ移住した宗教者たちの書物は、こちらの大陸では有害図書として破棄されていたし、各国の政治体制を脅かす危険性を秘めたものなどは、当然保管されてはいない。



都合の悪いものは全て取り除かれてしまっているとはいえ、リュクシーが調べたいのは史実などではないから問題はない。

知りたいのは―――電子新聞の《ルドベキアの大火災》の記録だ。



昔は王族の別荘だったのも頷ける大きな門をくぐり、リュクシーたちは図書館へと足を踏み入れた。


入り口には網膜センサーが設置されており、入退室を監理しているようだ。

石造りの古い建造物なのに、セキュリティは最新のものになっているようだ。

スタニアス大陸で唯一独自の信仰色を残しているランドクレスだが、セントクオリスを初めとする先進国の技術を取り入れているこの国は、紛れも無く文明を捨てられず未だに浪費と破滅の未来へと突き進む《こちら側》の人間の集まりなのだ。



(何故、ランドクレスだけ特別扱いなんだろうな―――)



この国は、数少ない海産物資源を供給できる国だからだろうか?


だが、それだけでは理由にはなるまい。

海産物資源においては筆頭ではあるが、全体割合でいえばエジヌスやヴィーツリーを始めとする農業国家の方が供給率は大きい。

だがエジヌス周辺では、宗教は遺物として語られるものとなっていたし、明らかにランドクレスだけ異質だ。


(観光業のせいか?―――だが、それだけの為に死罪を適用するような法律は作らない気がする)


ランドクレスは、ラジェンダ=テーマパークのように作られたコミュニティではない。


(そう―――シティアラの民と同じ、信仰の残る地なんだ、ここは)



リュクシーたちが網膜登録を終えると、扉の前に設置されている機械から、音声と映像が流れてきた。

館内の見取り図や、書物の検索の仕方等を説明され、二人はようやく中に入る事ができたのだった。


図書館の中は、人気があまりなく、静まり返っていた。

既に夕刻近く、日は傾いているせいか、昼間の熱気は影を潜めている。


「閉館まであまり時間がない、急ごう」


リュクシーは真っ先に《検索くん》を探す。

書物も電子文書も簡単に調べられる、この図書館の名物コンピューターの事だ。



「あれか?」


側面に妙な生き物が描かれている青い機械がいくつか並んでいるコーナーがある。


「何でキャラクターがタコなんだ?」

「さぁな…」


ランドクレスで漁獲される生き物なのだろうが、何故タコを選んだのかはリュクシーに分かるはずがなかった。


館内の豪華絢爛な装飾とは明らかに馴染んでいない《検索くん》を見ていると、いくらでも疑問が沸き上がって来たが、今はどうでもいい。


ピッ。ピピッ。


画面に触れると、リュクシーは検索ワードを入力した。


《ルドベキア 大火災 事件》


検索中の間、変なタコのキャラクターがくねくねと画面内で踊っている。

よく見ると、機械の片隅には”ヴィーツリー政府より寄贈”と刻印がなされている。



「この悪趣味なタコは、イチシの国からの贈り物らしいぞ」

「オレのせいにするな」



友好国からの寄贈物だから、こんなミスマッチな代物を由緒ある国立図書館に置いてあるのか。

建築美で知られるイーバエルジュに、《検索くん》を贈与したヴィーツリー政府の意向はよく分からないが。



ピピッ。


検索が終わると、薄型カードが出てきた。ゴデチヤの身分証明カードと同じような造りだ。

この携帯型カード機器に、検索結果が表示される。


「検索結果は―――ほとんどがこれだな……」


画面に映し出されたのは、同じ事故の電子新聞記事ばかりだ。


「14年前―――ルドベキア・ドームが壊滅した大事故。軍の司令塔が爆発して、ドーム内部を全て焼き尽くした……」


ドームの運営を担う軍司令部が機能しなくなり、外からの侵入者を防ぐ完全防備型のドームが仇となった。


爆発は鎮火されるどころかドーム内の酸素を食らい尽くし、ルドベキア中枢の保護地区、ルドベキア・ドームに住む生き物は死滅したのだった。

国としての基盤を失い、放射能で汚染されたルドベキアを捨て、多くの民が他国へと亡命した。

瓦礫のみとなった土地に残ったのは、どの国へ行っても重労働を強いられる生殖能力のない人間だけだった。

14年が経った今、ルドベキア・跡地には、未だ瓦礫の山が横たわっている。

そして、様々な理由で迫害され、行き場のない者たちが集い、身を寄せ合って生きているという。


ルドベキアのドーム全てをコントロールしていたメインコンピューターが死に、防御システムが無効化になると、近隣国からも略奪者たちが集まり、資源を、食料を、人間を盗み、他国へと売りさばいた。

ルドベキアには他にも保護地区があったから、格好の的となったのだろう。

生殖機能を持つ人間は、闇市場で高値で取引される。

ルドベキアからさらわれた人間たちは、各国へと散り散りになった。



「あっちだ」



カードから出た光が、探し物のある場所へと伸びる。

リュクシーたちは、それをただ辿ればいいのだ。


メダリアであれば、コンピューターの中でデータの収集も閲覧も済んだ話だが、、ランドクレスの図書館は部分的にアナログな造りになっているようだ。

ここでは、人間が書物のある方へと出向かなければならない。


長い渡り廊下を抜けると、巨大なキャビネットがずらりと並んだ書庫へ出た。

光を辿ると、一つの引き出しへと辿り着く。


中を覗くと、ケースに入れられ番号別に並べられたICチップがぎっしりと詰まっていた。



「……これだ」



その中から一つを選ぶと、読み込み用のコンピューターの元へと持って行く。

ICチップをセットすると、映像の音漏れを防ぐため二人はヘッドフォンを装着し、映像が再生されるのを待った。



「記事は皆、似たようなものばかりだな―――」


ルドベキア・ドームの生存者が皆無だった為、爆発の原因は様々な憶測が飛び交ったが、確証のあるものはなかった。



(マディラ=キャナリーとドラセナ=ロナスがこの事件で死亡したのは確かだと思う――― だが、事後調査の記事では何もつかめそうにないな)


「他の火災事故についても調べる。カレド以外にも、人の集まる場所で大規模な火災が起こらなかったか―――……」


リュクシーは辺りを見回すと、真っ先に目についた《検索くん》の元へ駆けて行き、また入力を始めた。


「本当に検索機能しかないのか……この機械に映像再生機能をつければいいのに……お前の意味が分からない」




ブツブツとつぶやきながら、作業を続けているリュクシーをイチシは暇そうに眺めるだけだった。


「オレがする事はあるか?」

「事件の発端が14年前だとすると、既に電子書類しか発行されてはいないな。だとすると、ない」


マディラたちの事件はそう古いものではなさそうだ。

紙ならば、イチシにも捜索を頼めたかもしれないが、出番はなさそうだった。


「適当にうろついてるぜ。―――心配するな、図書館からは出ない」

「ああ」


検索くんと格闘しているリュクシーを残し、イチシはこの巨大な図書館の中を歩き始めた。




図書館の中は静かなものだった。

たまに書棚の影に人が立っているのに遭遇するのみで、何もおもしろい事などない。


古い本が陳列されている一帯に来ると、独特の臭いが立ち込めている。

それは古い紙の臭いだったが、イチシには初めて嗅ぐ臭いだった。

埃っぽいとしか表現しようがなかった。








(………)









ふと、通り過ぎた書棚の間に立っていた人物に何かが引っかかり、イチシは足を止めた。



3歩ばかり戻ると、そこにいた人物をもう一度確かめる―――






(―――クレスト)






そこには、クレスト=シェトラが立っていた。


古い本を一冊、手に取り眺めている。

その横顔は間違いなく、クレストのものだった。




久しぶりだな、クレスト―――あんた、まだランドクレスにいたのか。

そう言おうと思ったが、声は出なかった。











イチシは気付いたのだ―――これが、古い記憶である事に。



クレストを取り巻くシェイドが、イチシに伝わってくる。











     早く                           早く見つけなければ






時間がない








きっとあるはず







オレはまだ死にたくない






絶対に死なない                   見つけてやる






どうしてカタス病がオレに―――







時間がない!!













クレストの横顔は真剣そのもので、手にした書物を読み漁っていた。



(ああ、クレストも―――そう、だったのか)



クレストもかつて、カタス病の恐怖に襲われ、足掻いた一人だったのか。

この場所で―――運命から逃れようと、必死だった。




だから、イチシにはこの映像が見える。

クレストの感じた恐怖が手に取るように分かる―――







だが―――何故、今シンクロする?


イチシは今はもうカタス病に恐怖は感じていない。

マディラ=キャナリーによって一時的な治療は施されたようだが、イチシの寿命はさらに短いものになったのだから。


死は逃れようのないものになったのだから―――






イチシはゆっくりとクレストのいる場所へ歩き出す―――近づくにつれ、過去の記憶は空気に溶け出し、消えていった。



イチシは書棚を見上げる。

クレストが読んでいた本はどれだ。クレストの足元に積み上がっていた本は?



クレストが何故この地にいたのか、今初めて知った―――クレストはカタス病を治す何かを探しにこの地へ来たのだ。

そして果てた?―――何故?病で?別の何かで?



イチシの知るクレストは―――冷静で時に底意地が悪く、シェイドを操る術を知っていて……それだけだ。

あの時は、シェイドという力の存在を知り、それだけで頭が一杯だった。


目の前にいる男がまさか死人かもしれないなんて、気付きもしなかった。


クレストは生きていたのだろうか。それとも死んでいたのだろうか。

彼が何の目的で生きていたのか、それとも死んで尚そこに在ったのか、イチシは何も知らない。







クレストはカタス病について調べる為にここにいた?







イチシは気付く。

だが上手くまとまらない。



クレストがもしカタス病で死んだのならば、この地では病を治す《何か》を見つけられなかったという事。

だが、死して尚、クレストはこの地に留まっている。



クレストがカタス病ではなく、他の要因で死んだのならば、それは何だ?

カタス病について調べている最中に、死んだ?……誰かに消された?

そして未だこの地に留まっているのか?



いや、この記憶は全く関係ないのかもしれない。

クレストがかつて、この地でカタス病について調べていたという事実だけがあったのかもしれない。

イチシが遭遇したクレストは生きていて、この地で手がかりを見つけられなかったクレストは、他の国に旅立ったかもしれない。



―――しかし、すぐに矛盾に行き当たる。


あの頃のクレストは、死への恐怖に取り憑かれてはいなかった。

カタス病が治った後だったのか、それとも―――既に病に倒れた後だったという事になる。


カタス病に対しては、今現在完璧な治療法は存在しない。

薬を投薬し、発病を遅らせるだけしかないと聞く。


クレストが生きてそこに在ったのなら、やはり死という化け物に背後を取られ、恐怖の中を進んでいたはずだ。



(シェイドを教えたあんた自身が―――……だったのか)



邪悪な他人の意識に支配されるな、己の意識の力を操れと言ったクレストが《邪悪》そのものだったなんて。


イチシは今でも思っていた。

死して尚、この世に留まるのは邪悪であると。


例えそれが誰かの為であったとしても、結果は違うのだ。

守りたかったはずの誰かを逆に苦しめ、その場から歩めなくするだけだ。


カライをかばうリュクシーを見た時、その想いは強くなった。

自分は絶対にああはならないと誓った。






―――だが今は自信がない。


(オレは―――できるだろうか)












「これだ……」


クレストが読んでいた本の背表紙を発見し、イチシはぎゅうぎゅうに詰め込まれた書棚からその1冊を引き抜いた。

それと同時に、埃が辺りに広がる。相当古い本だ。




「ランドクレス王国の―――伝承?」


それは、ランドクレス王家の成り立ちや浸水林に伝わる伝承文学の本だった。

イチシの解釈で言えば、昔のおとぎ話だ。



目の前にある書棚は、ランドクレスに関しての本がほとんどの様だった。

イチシはクレストが調べていたと思われる本を次々と抜き出していく。



ランドクレスの生態学、ランドクレス王家の家系図、ランドクレス王国法律書。

クレストが見ていたのはたぶんこの本たちだ。




こんな物を調べて、カタス病の何が分かるというのか?

ランドクレスに何か秘密があるのか。




《閉館10分前になりました。ご利用の皆様は退館の準備をお願い致します》




混乱する中、図書館に音声案内が流れた。


もう時間がない―――イチシはそれらの本を持ったまま、リュクシーの元へ戻る事にした。

図書館というものをリュクシーから説明してもらったが、本については貸し出しも行っているらしい。

持って行っても問題ないのだろう。




リュクシーはさっきとは違う場所で、なにやら機械と格闘していた。


「どうだ?」

「今、カードに書き込みをしている。腹が立つから、全部カードにダウンロードした」


入り口で発行された電子カードに、探してきたデータを書き込む。

その作業を繰り返し、リュクシーはデータそのものにはまだ目を通していなかった。


「イーバエルジュは、あまり機械的なものを持ち込みたがらないからな―――それにしたって、この使いにくいシステムはどうにかならないのか」


リュクシーは文句を言っていたが、イチシには何故そんなに苛立っているのか理解できなかった。

分かったのは、この図書館での情報探しは面倒らしいという事だけだ。


「その本を借りるのか?」


リュクシーがイチシが本を抱えているのに気付き、問う。


「ああ」


クレストの記憶を見た事は、後で話そうと思い、短く返事をした。

今のリュクシーは別の事で忙しい。


「あっちのカウンターに管理人がいる。手続きはそこだ。私はこれを終わらせる。閉館5分前に入り口で会おう」

「分かった」




振り向きもせず、カウンターの方向を指したリュクシーを置いて、手には伝承学の本を、残りは右脇の下に挟み、古い本をパラパラとめくりながらゆっくりと歩き出す。



本にはいくつかの挿絵があった。

物語を描写しているのだろう―――竜神が現世に降り立ち、人と交わる姿。

エルイントの精霊が竜神の住処を守るために、樹木となり侵入者たちを阻む姿。

エルイント樹を焼き払おうとした敵国の人間が、竜神に殺される姿。



そこには確かに、おとぎ話しか書かれていなかった。

カタス病なんて、この物語が生まれた遥か未来に起こる不治の病の手がかりなんて、どこにも書かれているはずがない。


もっともイチシは口語ならば何大陸語かは理解できるが、文書となると簡単な単語しか分からなかった。

だが、挿絵といくつかの単語を拾い上げるだけでも、物語の筋くらいは分かる。

これは単なる昔話だ。




「……」



イチシはその挿絵を見た時、自然と足が止まった。



そこに描かれていたのは―――戦争で傷付いた民に、自らの血を与え、人々を救ったエルイントの精霊の姿。


髪が地に着くほど長い、若い女の姿で描かれるエルイントの精霊―――この女はエルイント樹木そのものを現している。

この女の血が、人間を救った?




その時、イチシは思い出した―――入国に際して手渡されたランドクレスの簡易法律書。




イーバエルジュ法第17条「王家所有の浸水林」第1項―――「いかなる地位の者、いかなる事由をもってしても、エルイント樹を傷つける事があってはならない。エルイント樹に危害を加えた者、死刑に処す。




エルイント樹は、法律によって守られるべき存在―――それは信仰だけが理由ではない?

そこには、別の理由が存在するのか?




(オレは何を―――今はカタス病について調べている場合じゃないはずだ)


何故《今》なのか―――もっと違う時であれば、世界を変えられたかもしれないのに。




「……」


イチシは食い入るように、エルイントの精霊の絵を見つめた。









世界を変える―――カタス病の薬を見つける。

それはどれだけの人間の希望となる事だろう。しかし、それを巡ってどれだけの争いが起きる事だろう。


世界は大きく変わってしまう。

次に戦争が起きれば、残された大地も海も汚染され、人間の寿命はさらに縮むかもしれない。



「どっちにしろ―――結末は同じなのかもな」



だが、先に進まないわけにはいかないのだ。

それは生きている限りは誰についても言える事だった。



―――生きている限りは。



では、死して尚そこに在る者たちは何を思うのだろうか。

何の為に在り続けるのだろうか―――






(クレスト―――オレとあんたが出逢ったのは、この為だったのか?)






だが、今のイチシには何もできない。

イチシには、他にやらなくてはならない事がある。









―――――◆―――――◆―――――◆―――――







退館時刻ギリギリに図書館を出た二人は、酒場が開くまでにまだ時間があったので、イーバエルジュの高級料理店に入る事にした。


高級店ならば個室の店がほとんどだ。

尾行の捕縛士たちを少しでも遠ざけ、資料に目を通したかった。



「こちらはエジヌスの有機野菜のみで育てられたジーナ牛のステーキでございます」


料理を運ぶ給仕が、一々と料理の説明をしてくれる。


世界的な食糧難の時代に、家畜に最高級の食材を食わせるとはどういう事だと二人は思ったが、このいびつに偏った世界の頂点に経つ《資産家》たちは、実際にこういう生活をしているのだろう。



外の人間はその日に食べるものを確保するためだけに、毎日を働いている。

腹が膨れればいい。明日に繋がればいい。


そうして蓄積された有害物質が体を蝕み、また人間の寿命は縮む。

かつて人の寿命は100年あったそうだが、今はその3分の1を生きればいい方だ。



「説明はいらない。二人きりにしてくれないか」

「失礼致しました。それではごゆっくりおくつろぎ下さい」



給仕を追い払うと、二人は目の前の料理を見つめた。


「とりあえず…食うか」

「ああ」


食べ物を残すなんて言語道断の行為であったから、食べないという選択肢はなかったが、こんな特殊な食事は味も分からなくなりそうなほど、複雑な思いで一杯になった。



カチャ―――



上品にナイフとフォークで食べていたイチシだが、そのうちナイフは皿の上に置きっぱなしになり、料理にフォークを突き立てて、大きいままの塊を口に詰め込み始めた。


外で育った人間は皆、早食いの傾向がある。

誰かに盗られないように、手に入れた食事は早く腹の中へ入れてしまいたいのだろう。


昔図鑑で見た頬に袋を隠した小動物のようだと、リュクシーはイチシの食べっぷりを見ながら思った。






リュクシーはというと、食事をしつつ、カードに詰め込んだルドベキア大火災についての電子新聞に目を通していた。



ルドベキアが滅んだ原因となったのは、軍事機関の中枢が収められたシックザール・ドームが大火災により機能停止した事。

《保護地区》という特殊区域を作り、ドーム型都市を連結させるという現代において主流となった都市構成を初めに取り入れたルドベキアは、政府機関によって構成されたシックザール・ドームのマザーコンピューターが全てのドームの制御をコントロールしていた。



人口の流出を恐れ、コンピューターによって《保護》された住居地区。


シックザール・ドームの大爆発により発生した噴煙は他のドーム内にまで侵入し、閉じ込められた人々は煙を吸い込み、喉を焼かれて次々と倒れたのだった。


シックザールの中心には、指令塔である高層ビルが構え、その眼下に空軍基地が配備されていたらしい。

火種は司令塔にあったと記録に残されている。



高層ビルの上層部で爆発があったのを、生き延びた人々が目撃していた。


花火のように砕けて散ったビルの欠片がドーム内に降り注ぎ、ミサイル倉庫へと引火した。


軍用機が離着陸する時のように、ドームの天井を大きく開けてしまえば、脱出できた人間もいたはずだった。

他ドームへの連結路を遮断してしまえば、被害はシックザールだけで済むはずだった。


だが、それは不可能だった。

マザーコンピューターは完全に機能を停止していた。



(そういえば―――ヘリオンが、最初の火災は火の手のない見張り塔から出たと言っていたな……)



塔―――《その瞬間》を作り出す要素の一つに、《高い場所》というのがあるのかもしれない。



(カレドの火災も、ドラセナ=ロナスの仕業であるとしたら―――ドラセナ=ロナスは《そこ》にいたという事になる)



ドラセナ=ロナスは12、3歳くらいの少年の姿をしていたという。

軍事施設内部に《子供》がいた……それは何を意味するのか。




―――リュクシー自身がそうであったから、答えは明白だった。


ドラセナ=ロナスはルドベキアの研究対象だったのだ―――恐らくは、メダリア・ドームと同じくシェイド研究の被験者だった。



(―――こんな偶然あるわけがない)



ルドベキアでシェイド実験されていたドラセナ=ロナスが、今はメダリアから特級捕縛士とされている。

ルドベキアとメダリアには繋がりがある―――そしてその繋がりとは。




(シュラウドしかいない―――!)


シュラウドには元々いくつかの噂があった。

亡国の科学者であり、メダリア完成と同時にその責任者に収まった―――あれは根も葉もない噂ではなかったのだ。




(だから、今回の作戦にシュラウドは参加しない―――何故ならルドベキア壊滅の真相を知っているからだ)




真相を知っているのだ―――いつ如何なる時に、ドラセナ=ロナスを呼び起こしてしまうかもしれない。

相手は、人々に己の死の体験を撒き散らすような魔人だ―――迂闊に共鳴してしまえば命取りになる。



シュラウドの過去に近づいている―――それは奇妙な感覚だった。


あの男にそんなものがあるなんて。リュクシーにはどうしても連想できなかった。

だが連想できなくても、それは事実なのだろう。


イーバエルジュのホテルで感じたあの《声》の主は、やっぱりシュラウドだったのかもしれない。

あれはまだ生きていた頃のシュラウドだったという事か。



肉体を失って時が過ぎてしまえば、人間とはあんなに無感情になれるものなのか。



(シュラウドは今は置いておこう。今は―――そう、ランドクレスで《再現》したら、どこがターゲットになるかという事……)



ランドクレスの水上都市には高層の建築物はない。

すると、陸地であるイーバエルジュか王家の領地に絞られる。



イーバエルジュで目に付く高層の建築物といえば、やはりリュクシーたちが待ち合わせに使った時計塔だろう。

真っ白な壁と、身に付ければ幸福が訪れるという青色に塗られた屋根は、イバ教でいう所の平和のシンボルである。


もう一つ、ランドクレスの中では高層といえる建物がある。


それは王家所有の浸水林の奥に佇むランドクレス王宮である。

ランドクレス王宮には、滅多な事では近づけない―――作戦を実行するにはリスクが大きいように感じられた。



(ドラセナ=ロナスを追い込む場所―――時計塔か……)







「さっき図書館でクレストを見た」


カシャンッ―――




「……なんだって?」


突然のイチシの告白に、リュクシーは思わずナイフを皿の上に落とした。



「クレストもカタス病患者だった。治療法を探して図書館にいたらしい。これがその時読んでいた本だ」


イチシの口調は《過去形》である。

それは―――イチシが見たのは生身のクレストではなく、クレストの《記憶》であった事を現していた。



ドサドサドサッ!!!



イチシは床に積んであった本を、テーブルの上に乗せた。

古い本からは何か粉煙のようなものが飛散していたが、そのすぐ隣でイチシは平然と食事を続ける。



「クレストは―――クレストも、なのか?」



イチシが出会ったという特級捕縛士クレスト=シェトラは生身の人間であったのか?

それとも―――マディラ=キャナリーやドラセナ=ロナスと同じく、肉体を失ったシェイド体だけの存在なのか。


リュクシーはクレスト=シェトラが読んでいたという古い本を手に取った。



「オレが出逢った時のクレストは、図書館で見た時と別人だった。自分の寿命に焦っている様子は一切なかった」



リュクシーはランドクレスの伝承文学の本を手に取った。

元は白かったのだろうが、黄ばんでしまった背表紙には、王家を現す紋章が描かれている。


パラパラとめくると、内容は王家に伝わる伝承のようだった。




そして―――やはりイチシの時と同じように、一枚の挿絵に目が留まる。


―――エルイント樹。

壊れかけた命に再び力を与えた精霊の血。



「何故宗教が排除されたこの大陸で、ランドクレスだけが信仰色を残しているのか―――ずっと不思議だった」



スタニアス大陸連合会が了承していないはずがないのだ。

この大陸に残った国のトップが集う連合会―――その了承なしに、ランドクレスが今の状況を保てるはずがない。


「連合会を納得させるだけの《理由》があったはずなんだ」



それが《エルイント樹》だったら?


連合会は既に、カタス病の特効薬を発見しているのだとしたら?

それを分けてもらう見返りに、ランドクレスは独特の風習を残す事を許されたとしたら?



王家の血族しか踏み入る事を許されない浸水林―――禁を犯した者には極刑を課す。

それは信仰だけが理由ではなかったのか。


ランドクレス王家は、世界と渡り合うとっておきの切り札を、ずっと隠し持っていたのか。




(だが今は―――……)




今この可能性に気付いた所で、自分たちには何もできなかった。


クレストを探し出し、真実を確かめる時間なんてない。

優先順位は別にある。



「クレストは―――今もここにいるはずだ。あいつはきっと、ランドクレスの秘密を追ってたんだ」



脇道にそれる時間がない事は分かっていた。

―――だが、偶然なのか?何故今なのだ?それに意味はないのか?


イチシにはずっと何かが引っかかっていた。



「オレは納得できてない。何故今なんだ?今のオレたちに必要のない情報ならば、何故オレはあいつを見たんだ?」


「繋がっている―――と?」

「分からねぇ」



そう、何もかもが分からないのだ。

繋がっているのか繋がっていないのか。そんな討論は無駄だ。


「分からないなら確かめに行こう。考えていても何も変わらないしな……」



リュクシーも残った料理を無理やり口に詰め込んだ。

悠長に食事をしている時間はない。


「私も情報から気付いた事がある。ドラセナ=ロナスは高層の建物の中で死んだんだと思う。ヘリオンの目撃証言にもあった。最初の火の手は監視塔から上がったと。カレド火災の原因とされる転送機管は地中深くに埋め込まれていた。ヘリオンが見たものと明らかに違う」


「高い場所―――それが重要なのか?」

「理由は分からないが。恐らくは」


「ランドクレスで高いといえば―――」

「そう、時計台だ」


人々が待ち合わせに使うあの場所が、火の海になる―――あそこがドラセナ=ロナスの死の再現場所になる。


(―――だからランドクレスなのか?)


一瞬、リュクシーは考えてしまった。

ドーム型都市で作戦を遂行すれば、ルドベキアと同じくかなりの人間が死ぬだろう。


ランドクレスは特殊な国だ。

イーバエルジュを取り囲むのは原生林と水上都市。


時計塔で大火災が起きても、水上都市だけは機能を損なわず生き延びる。


だが人々は生き残ったとしても、数少ない自然が―――汚染から免れた僅かな希望を、またしても人の手によって破壊してしまおうというのか。


「まさか……」

「どうした?」



セントクオリスなら有り得る可能性に、リュクシーは気付いてしまった。


「時計台で大火災が起きれば、軍は水上都市を陸地から切り離してやり過ごす。そして陸地は孤立する。浸水林を守るのは、残った軍隊だけになる―――」

「王宮を……制圧する気か」



どこまでも―――自己中心的で浅ましい上層部の連中ならば、やりかねない。



「―――繋がったじゃないか」


浸水林の秘密を追っていた人物―――それは誰だ?

イチシもすぐに気付いたようだ。



「よし、イチシがクレストと出逢った場所へ行こう。案内してくれ」

「じゃあ、水上都市の酒場だ。ランドクレスでは一番治安が悪い。気をつけろよ」


「治安が悪いと言っても―――酔っ払いがいるくらいだろう?」

「あんたは今、《非力な女》なんだぜ。忘れてるみたいだけどな」

「そういう意味か。確かに忘れていた」


気をつけろとは、暴れるなという意味かと、リュクシーは納得した。


イチシは別に役柄にこだわって暴れるなと言ったのではなかったが、リュクシーはそこまでは気付かなかった。

元々無茶をさせたくないとは思っていたが、今は特に―――病院で検査を受けさせるまでは、絶対に力を使わせたくはなかった。


二人は汚れた口の周りを拭うと、若い資産家とその恋人に戻る。

食い散らかしたテーブルは少し直しておいた。


イチシと腕を組むと、退店の準備は整った。



「―――でも少し安心した」

「何がだ?」


「手がかりが見つかったからだ」



何一つ手がかりがなかった時に比べれば、今は進む場所がある。

きっと―――見つけてみせる。


全員で逃げ延びる方法を―――イチシを助ける方法を。





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