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SHADE-I  作者: 青山 由梨
10/15

EPISODEi-10




エントランスに踏み入れた瞬間、そこは幻想的な別世界が広がっていた。



高い吹き抜けの白い天井には、イバ教独特の紋様が青く描かれており、中心には巨大なシャンデリアが釣り下がっている。


シャンデリアの下には、白い噴水が豊かさの象徴である美しい水の流れを演出していた。

噴水からは幾重にも水路が延び、青々とした緑と共にホテル内の道を作り上げている。


水路の所々に作られた小さな橋の手すりにも、イバ教の紋様が掘り込まれていた。



エントランスには壁が作られていない。天井と同じ紋様の描かれた太い柱があるだけだ。

敷地内に広がる緑と水の美しい芸術を、広く見せるためであろう。






ふと、甘い香りが鼻先をかすめる―――


イーバエルジュで祝福の花と呼ばれている白い花の香りだろうか。

水辺には白い花たちがガラスの器に入れられて、沢山浮かべられていた。


夜になると、ガラスの器には蝋燭が並べられて、ゆらゆらと彷徨うのだろう。






甘い香りに包まれた瞬間、何だかこの光景を見た事があるような気がした。

遠い昔にこの幻想的な光景を見たような―――






―――既視感。


それは、かつてこの世に生きていた誰かの記憶。

空気のように漂う遠い記憶を、人々は時に己のシェイドに被らせて懐かしさを覚えるという。






これは一体誰の記憶か―――ここを訪れ、目を奪われた人間は一人や二人ではないだろうに。






「―――確かにすごいホテルだな…」


リュクシーはため息まじりにつぶやいた。

世界中の金持ちが、イーバエルジュといえばこのホテル、と言うのも分かる。







「目がとろけているぞ。花の香りにやられたか?」







―――その声にギクリとした。


だが同時にその動揺を抑え込まねばならないと、瞬時に理解した。






「お前でも、何かに目を奪われる事があるんだな」






声の主は、小さく笑っているようだった。


リュクシーのすぐ後ろで、《彼》の息遣いが聞こえる。












ドクン












(―――ダメだ!!)




自分の心臓の脈打つ音が抑え切れないと知り、リュクシーは振り向いた。











「―――なんだ?」



そこにはイチシが立っていた。

冷や汗をかいているリュクシーに気づき、イチシが肩を揺さぶって来る。



「…どうした」



だがリュクシーはその手を払いのけ、頭を抱えると目をつむった。

その様子にイチシも気づいたようだ―――依りましをしていた頃、何度かこういう事があったものだ。



(まだだ―――まだ覚醒してはならない。今ならまだ、何かが分かる―――)











もう一度、リュクシーは水の庭園へと視線を向けた。





















「……」


だが、そこは既にリュクシーの知る世界に戻っていた。











「あの―――声…」


ただの声ではなかった―――とても良く似た声を、リュクシーは知っている。




(私は―――誰の記憶を見たんだ?)




「何か言ったのか?」


イチシの問いに、リュクシーは言葉を思い出そうとする―――











「―――目がとろけているぞ。花の香りにやられたか?」



何度思い返しても、あの声は―――



「お前でも何かに目を奪われる事があるんだな」











―――だが違う。リュクシーの知る声とは、質が違う。

あんな穏やかで優しい口調―――同じ人物の声とは思えない。




「―――知っている声か」


大して意味があるものとは思えない言葉とは裏腹に、リュクシーのあまりの動揺ぶりを見ると、それ以外には結びつかない。




「まだ…だ。私の中で何かが一致しない」

「知ってる事は何でも話せと言ったのはあんただ。思い当たる事は全部しゃべってもらう」



普段リュクシーにやり込められる機会が多いせいか、こちらが弱みを見せるとイチシはすぐにそこを突いてくる。



「―――言わないとダメか?」

「当然だ」









リュクシーはため息をつき、イチシの胸倉をグイと引き寄せると、耳元で小さく囁いた。




「―――シュラウドの声に似ていた」




あの男の声と同じだと思ったからこそ、体が凍りついた。




だが―――あの《声》には感情があった。

記憶の持ち主に対する―――この光景に目を奪われている《誰か》に対する優しげな感情を感じた。




「シュラウド。捕縛士のボスか」

「ボス―――というのは違う気もするが…まあ、そんなものだ」


「本当にその声がシュラウドだとしたら―――ランドクレスと何か関係がある、少なくともここに来た事があるという事か」


「…そういう事になるな」




このホテルに滞在した事がある―――それは、他国でかなりの地位と財産を持っている者という事だ。

シュラウドには幾つかの噂があって、亡国の要人であった説も流れていたのだが―――あの男の出身はルドベキアだったのか?


今回、シュラウドが全く姿を見せないのは、自身の過去を暴かれる危険があるからなのか?




「ドラセナ=ロナスを調べるという事は―――何か。何かとてつもない結果を見る事になるような気がする…」

「何故だ?ただの学者を、何故あんたはそんなに恐れるんだ?」


「私が、恐れている―――?」

「見ろ」



リュクシーの手をつかみ、顔の前に持ってくる。

その小刻みに震えている手が、自分のものであると気づくのに少々の時間を要した。



「鳥肌も立ってる」



何故だろう―――あれだけ信奉者も多いシュラウド。

あの男に見つめられると、リュクシーは落ち着かない気分になる。


例えて言うなら、暗い部屋の中で、不気味な人形と向かい合っているような気分になるのだ―――


あの男には感情がない。何を考えているのかが分からない。だから恐ろしい。




リュクシーはイチシの胸に顔をうずめる―――すると、力強く抱き締めてくれた。




―――恐れていてはいけない。強くならなければならない。

相手がドラセナ=ロナスであろうと、シュラウドであろうと。リュクシーは戦う。




「手がかりが増えたと思おう。あの声がシュラウドのものだと仮定して考える」

「大丈夫か?」


「―――ああ、大丈夫だ」




シュラウドに対する恐怖―――メダリアで植えつけられた漠然とした恐怖。

今はイチシが隣にいるから、リュクシーは強くなれる。







―――気を引き締めなおして、リュクシーは顔を上げた。


すると、エントランスロビーのソファに腰掛けてこちらを見ている中年女性と目が合った。

女性はニヤニヤと笑みをこぼしている。




(……)


周りを見渡すと、自分たちがいい見世物になっているのに気づき、リュクシーは慌ててイチシから離れた。




「早くジンたちの所に行くぞ」


「……照れてるのか?」

「いいから行くぞ!」




自分を理解してくれる者がそばにいる―――今までにそんな事がなかったせいか、リュクシーは気づけばイチシと触れたがっている自分に、戸惑いを隠せない。


だが、この浮いているような気分ではいけない。


これからリュクシーが阻止せねばならないのは、地獄の炎に灼かれたシェイドの再現劇―――




イチシを灰にしてなるものか。絶対に。


























二人が去った後、同じ場所に立っている人物がいた―――だが、彼女に気づく者はいない。

宿泊客は皆、彼女のそばを素通りしていく。




そう、彼女の記憶を覗かせる相手はただ一人―――リュクシーだけだ。












花の香りにやられたか?












あの時、振り向いたマディラの後ろにいたのは。




「―――……」




あの男はもういない。どこにも―――












―――――◆―――――◆―――――◆―――――












「おう、来たか」


部屋に入ると、ジンが落ち着かない様子で室内をうろうろとしていた。


ヘリオンはリビングのソファに膝を抱えて座り込んでテレビを見ていたが、二人に気づくと立ち上がった。



「お茶でも入れるよ」

「いや、いい。それより話を聞きたいんだ、ヘリオン」


リュクシーが声をかけると、驚きと猜疑の入り混じったような目でこちらを見返してくる。




「ボク―――?」

「ああ」



「ジンは口を挟むなよ」

「あ?どういう意味だ」


イチシが釘を刺すと、ジンも神妙な顔になる。




「カレドの話を聞きたいんだ。カレドの転送機事故の話だ」

「おい!ヘルは何も覚えてねぇぞ!!」


話を中断させようとするジンを、イチシが制した。


「必要なんだ。ジンは黙っててくれ」

「んな事言ったって、覚えてねーもんは―――」




「ボク、思い出したよ」




「ヘル、お前……!」


できれば思い出さないまま過ごしてほしいと思っていたのか、ジンは娘の言葉に声を失った。

ヘリオンはゆっくりとソファへと座り直すと、顔をそむけた。





「聞かせてくれないか。何か―――見ていないか?」






リュクシーは静かに問いかける―――だがヘリオンは目を瞑り、そのまま口を閉ざしてしまう。






「少年を―――見た…」


小さな小さな声で、搾り出すように…ヘリオンは語り出した。






「最初、監視塔の上から火が上がって……焼け崩れて……周りの家にも火が広がって…」




(―――監視塔から火が?転送機管は地中に埋め込まれていたはず……)


ヘリオンの証言には最初から違和感があった。




「エレファと一緒に逃げようと外に出たら―――監視塔の燃えている瓦礫の中に人影が見えたんだ」


ヘリオンは膝を抱えて体を縮める―――今、彼女の中にかつての恐怖の体感が蘇ってきているのだろう。




「それが―――少年だったのか?」


「笑ってたんだ!!炎の中で、狂ったみたいに―――そいつが炎の中から現れて…周りの人間が瓦礫と一緒に吹き飛んだ!!ボクも…エレファも吹き飛ばされて。壁に叩きつけられて―――目を開けたら、目の前にそいつが立っていて…!!」




「もう止めろ、ヘル!!」


悲鳴に近い声を搾り出すヘリオンに、ジンはたまりかねて叫ぶ。

―――だが、まだだ。その少年の話を聞かなくては。



「続きを聞かせてくれ、ヘリオン」

「……」




すすり泣きをして、ヘリオンは黙り込んでしまった―――確かに思い出させるのはかわいそうだが、聞かなければならない。




「エレファが―――逃げろって。ヘル、あなただけでも逃げなさいって―――エレファがそう言った瞬間、そいつが笑いながら言ったんだ…」













『母親が子供の死を見る?―――子供が母親の死を見る?選ばせてあげるよ』













ヤメテ、コノコニテヲダサナイデ―――!!!













『じゃあ、母親が死ぬといい』












悲鳴を上げて倒れるエレファ―――ヘリオンは、化け物から目を逸らす事ができない。

母はしばらくもがき苦しんだ後、そのまま動かなくなった―――だがヘリオンは、化け物から目を逸らす事ができないのだ。











『そして子供は親のシェイドを手に取るがいい。それが捕縛士の輪廻だ』













アッハハハハハハ―――!!!捕縛士なんか、いくらでも作ってやるよ!!













簡単さ!!簡単だ!!お前らの命なんて、ゴミだ!!!












「ボクは―――ボクは怖くて動けなくなって……」


エレファはどうやって命を奪われたんだろう―――少年はエレファに触れはしなかった。

なのに、エレファは喉をかきむしって、もがき苦しんで―――




「後は―――よく覚えてない。気づいたら……ジンと一緒だった」




「ヘル―――悪かった。一緒にいてやれなくて。お前たちを助けてやれなくて」

「ううん……ジンも一緒だったらたぶん―――殺されてたと思う」


ヘリオンが見たのは人間なんかじゃない。

あれは化け物だ。誰にも、どうする事もできない―――


「容姿は覚えていないか?―――その少年の」

「もういいだろう、そんな事聞いたってとっくに成長しちまってるぜ」


「―――それでも、今の容姿の手がかりにはなる」



ジンの反論には、全否定したいリュクシーだったが―――シェイド体は年を取らない。

今も当時と同じ《少年》の姿のまま、凶行を繰り返しているに違いない。



「顔とか、何も―――思い出せないんだ。靄がかかったみたいに…」



「そうか。辛い事を話させたな。後はなるべく忘れる様にしてくれ」


ヘリオンから聞きだせるのはこれが精一杯だろう―――そして確信を得た。

今回の任務の抹殺対象に、ヘリオンも含まれている。


理由は、ヘリオンが目撃したのは《ドラセナ=ロナス》だからだ。

彼は少年の姿をしており、炎というシェイドの属性を用いて、いくつかの場所に己の死の残像をばらまいている。



《ドラセナ=ロナス》を葬る場所にランドクレスを選んだのは、彼の死の瞬間に共鳴する何かがこの地にあるから。


それは人か、土地か、形を失った記憶であるのか―――それはまだ分からない。



その《何か》が共鳴する時―――それが、再現劇の行われる運命の日。


その日までに、ドラセナ=ロナスの目撃者たちは様々なルートでランドクレスに集められ、舞台は作られる。



期限は一体いつか―――それまでに、リュクシーはドラセナ=ロナスの秘密を暴かなくてはならない。




「ジン、ヘリオン。聞いてくれ」

「なんだ」


ヘリオンを膝に抱きかかえたまま、ジンは問う。



「私たちが今回の任務で戦わなくてはならないのは、恐らくヘリオンが目撃した《少年》なんだと思う。ヘリオンにこれ以上記憶を思い出させるのは危険だ。少年を呼び寄せてしまう危険がある。だから―――二人にはホテルから出ないで欲しい。ジンはヘリオンのそばにいて、守っていてやってくれ」


「お前ら二人だけで動き回るつもりか」

「お前たちが面倒に巻き込まれたら、オレたちが動けない。そういう事だ」


やはりジンを納得させるのは困難なようだ―――リュクシーとイチシだけで行動すると言った瞬間、ジンは眉間に皺を寄せた。



「もちろん、やってもらいたい事もある。ニュースを見て欲しい。恐らく、ランドクレス内の人口に動きがあるはずだ。他国と国民を交換したり、難民が増えたり。後はこれからランドクレス内でどんなイベントが開催されるか。イバ教の祭りや国民の行事。そういうものをチェックしてくれ」


「何か関係があるのか?」

「ああ。あるかもしれない」



「……」


ジンは腕の中にいるヘリオンを見つめた。

それに気づいたヘリオンは、涙の跡をこすると顔を上げた。


「ボクは平気だよ。ホテルで大人しくしてるし。だからジンも行っていいよ」











「分かった」


ジンが頷いたので、リュクシーたちはこれはマズイ展開だと目を合わせた。



「オレはヘリオンとここにいるぜ」


だが、ジンの口から出たのは真逆の言葉だった。


「ジン!?」

「ゴデチヤでどんな目に合ったか忘れたのか?オレはもう、お前から離れねぇぞ」


自分が置いて出て行ったばかりに、ゴデチヤで誘拐されかけた娘――― そもそもカレドでも同じ間違いをしたのに、何故自分はヘリオンを置いて旅立ってしまったのか。




「ただし!!お前らがどこにいるのかはちゃんと言ってもらうぞ。夜もここに帰って来い!いいな!?」


「ああ―――ここを拠点にして調べるつもりだ」

「で、どこに行くつもりなんだ」


ジンとヘリオンはこれで取りあえず妥協するしかあるまい。

新たな危険から遠ざける事ができるだけ、マシというものだ。



「まず行こうと思っている場所は2箇所。イーバエルジュの特設図書館と―――これだ」


胸元からマッチを取り出して、机の上に放った。

その行為に、ジンも一瞬ぎょっとしたようだが、イチシをちらりと見ただけで何も言わなかった。


「なんだ?酒場のマッチか?」

「みたいだな」



「どっちから行くんだ?」

「悪いが、オレは図書館なんかに行っても役に立たないぜ?」


イチシの問いに、リュクシーは少し考え込んだ。


確かに図書館ではイチシは暇を持て余しそうな気がするが―――別行動というのは避けたい。

イチシは何か手がかりを見つけても、リュクシーを遠ざけようとして隠すかもしれない。




図書館でまずはルドベキアについて調べるか。

酒場に行き、レアデスに会いに行くか―――



「もうすぐ夕方だしな。イーバエルジュの公共施設ってのは、夕方には閉まっちまうのが多いぞ」


ジンの言葉に、リュクシーは決めた。



「まず図書館に行こう。酒場はその後だ」





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