05 かいじん 著 筆 『夢の後の島』
挿絵/深海様より御拝領
昨日の夜はあんましよう寝れんかったので、朝起きるんが面倒で九時過ぎになってやっと起きた。
母はとっくに仕事に出とった。
ウチはまだ小学生最後の夏休みが半分くらい残っとる。
窓の外は真夏の太陽がガンガンに照り付けとって、セミがでっかい声で鳴きようる。
洗面所に行って歯を磨いて顔を洗うてから、パジャマから白地のプリントTシャツと淡いブルーのスカートに着替えた。それから、キッチンに行って、レタスとトマトとハムでサラダ作ってから、トースト焼いてオレンジジュース飲みながら食うてから、テレビを何と無く見ながらしばらくぼんやりした。
昨日、東京に住んどる自分の2歳違いの弟に初めて電話して声を聞いて初めて会話をした。
その時の電話越しの声を思い出しながら自分の弟の今の顔を想像してみたけどさっぱりわかりゃあせん。ウチが4歳の時に親が離婚して弟は父の方に引き取られたので、ウチが那須希美子で、弟は長谷倉智樹と苗字からして違っている。
昨日の午後にタンスの奥にあった東京の03から始まる電話番号のかかれた紙切れを偶然見つけるまでは、東京に住んでいる事すら知らなかった。
昨日、電話した後、手紙を書いてウチの写真を添えてポストに投函した。もし返事が届いたらたぶん写真も送って貰えるんじゃろうという気がする。そういったいろんな事を考えている内にふと島の事を思い出した。そして島の事を考えている内に久し振りに島を見に行きたいと思うた。
今日、島を見に行こうかとか考えようたら夏休みの宿題の写生がまだ終わってない事を思い出した。
昼はしめじが無かったのでベーコンだけ入れた和風パスタと大根ときゅうりとツナのサラダに作って切ったトマトも一緒に乗せて食べた。その後、バスの時間が近くなった頃に、キャンバス地のトートバッグの中に、スケッチブックと絵の具セットと水筒を入れて、麦わら帽子を被って家を出た。外に出ると太陽はほぼ真上から照りつけていて今日もすごい暑さでセミの鳴き声だけが騒がしく響き渡っていた。
バス停のすぐ近くにある酒屋の屋根の下の日陰で待っとったらすぐにバスが来た。
・・・
バスを1度乗り換えて、1時間ちょっとかけて大師堂のすぐ近くのバス停まで着いた。
バス停のすぐ先で海岸に沿った山腹を走っている県道は南から西へ向きを変えて、漁港や四国に渡るフェリー乗り場の方へ向かっている。曲がり角は南に向かって突き出た所にある大師堂への入り口になっている。入り口両脇に松の生い茂った道をまっすぐ歩いて行くとすぐ突き当たりの本堂にたどり着く。裏側はすぐ松の茂った斜面になっていて、そこから一面に真夏の陽射しを浴びてすっきりとした青さで広がっている瀬戸内海と少し遠くにうっすらと霞んで見える四国との間に浮かんでいる大小様々の島々が見えた。
ここからは右手の方の四国の方に向かってまっすぐ連なっている様に見える島と島の間の海面には瀬戸大橋架橋工事の為の巨大なクレーン船が浮かんでいるが見える。
真正面の沖合い1キロ先にはっきりと見えている周囲3キロの平坦な地形の小さな島。あの島は地図で見ると三角形に近い形をしとるけどこの場所からみると、2辺がこちらに向いとるからかただ横に細長い形をしとる様にみえる。起伏の少ない島の一面は深い緑に覆われていて、島を囲んだ海岸には岩場が殆ど無くて島の全体が幅の少ない砂浜で囲まれている。
今は人の住んでいない無人島だけど、10年位前までは住人がいたと聞いている。それまではずっとはるか昔からあの島に住んでいる家もあったし、戦争が終わった頃、あの島に移った人々がいて、一番多い時にはあの小っこい島に70人位の人が暮らしていて島の中には小中の分校もあったらしい。じゃけどその後、高度経済成長だか何だかで、世の中が豊かになって来ると、人々は再び島を離れて行って、その頃、ずっと昔から島に住んでいた家の人達も島を離れて行ったので、やがて島には誰も住む人がいなくなった。
今では生い茂る草木に覆われ尽くした島にはここから見る限りではそこに、かつて人が住んでいたという様な形跡はまったく無い。
ウチの母はあの島で生まれて子供時代をあの島で過ごした。母の生まれた家は、ずっとはるか昔から先祖代々あの島で暮らして来たという家のひとつだった。母が中学生の時、母の両親と母の兄(つまり、ウチのおじいちゃん、おばあちゃんとおじさん)そして母の4人家族は島を離れて、今ウチが母と暮らしている町の西隣にある大きな工業地帯の町に移って行った。
確かにあの島で暮らして行くのは不便な事が多かったじゃろうという気がする。
母に聞いた話では、あの島にはアスファルトやコンクリートの道なんて無いし車が走れる様な大きさも無い。(車を走らせる程の広さも無いと思うけど)そもそも砂浜に囲まれたあの島には港が無い。
「夜、北の浜に出たら、目の前に町の灯が広がっとるんが見えよんじゃけどこがあ近こうても、ウチらがおるとことは、違う世界みたいに見えようた」
母は子供の頃の事をそげな風に言うとった。
ウチは絵を描くんはあんまし好きじゃ無えんじゃけど、とりあえずスケッチブック出して鉛筆で島のスケッチを始めた。
出て来る時は、島を描きたいとか思うたんじゃけど来てみたら何かだりいけえパッパッと済ましとうなったんで単純な形をした島と海と島のずっと後ろの方にうっすらと見えとる四国の五色台辺りの山と一応、空のもくもくした雲もササッと描いて、それで絵の具で色を塗る事にした。
水筒の水を水入れに入れてそれに筆を差した。
ウチは絵描くんが苦手でいつも色を塗ったらぐちゃぐちゃになっていくんで今日はちょっとの絵の具を多目の水で溶いて出来るだけ薄い色で塗っていく事にした。大体その方が真夏の太陽に照らされとるという感じが出る様な気がする。
私は緑の絵の具をちょびっとだけパレットの上に出してそれをたっぷり水を含ませた筆で溶いて色を塗り始めた。一応、丁寧に色を塗って行きょったら何か疲れて来たんでウチは筆を止めて目の前の島の方をぼんやり眺めた。
ずっと昔、平安時代だか何だか関東で平将門とかいう人が乱を起こしたのと、同じ頃、藤原純友いう人もこの瀬戸内海で乱を起こした。ほんであの島に篭って今目の前に見える北の浜辺りで200艘以上の船に乗って、都から討ちに来た軍勢と浜と海が真っ赤になる位の戦をして結局勝ったらしい。
そういえば母があの浜には幽霊がよう出るとか言うとった。
あの島のどこかにはその藤原純友が埋めた財宝があるらしいとか言う話を前に学校の先生がしとった。それより少し後、今から1000年位前(来年でちょうど1000年言うとった)
この場所からは、ずっと左手の方にうっすらと見える高松の東の屋島で平家と源氏が合戦した。
船に乗った平家と浜で馬に乗ってた源氏が弓の射ち合いをやってたらしい日暮れが近付いたのでその日は両方一旦引き上げたらしい。
じゃけどしばらくしてから平家の方から一層の船が源氏のいる浜の方に近付いて来て70メートルだか80メートル位の所で船を横に向けて止まった。
やがて船から若い女官が出て来て舳先に竿を差してその先に紅の扇を挟んで、「これを射ってみよ」と言う仕草をした。
1矢で射落とさねば源氏の名折れと見た源氏の大将源義経は下野(今の栃木県)の住人、那須与一にこれを射るよう命じた。与一は弓を引き絞り「南無八幡大菩薩」と唱えた後、矢を放った。矢は7、8段先の扇の柄を射抜いた後、海に落ち、その後、扇は春の風にひらひらと揺られながらゆっくりと海に落ちて行った。
(みな紅の扇の 夕日の輝くに白波の上に漂い浮きぬ沈みぬ揺られけるを 沖には平家船端たたいて感じたり、陸には源氏箙たたいてどよめきたり)
源氏は面目を施して、平家はこの後、決定的に衰運を辿っていった。
那須与一はこの後、諸国にいくつかの所領を与えられた。
中には今目の前に見えている島も含まれていて、後に子孫の一人があの島に、住む様になった。
それが母の家の先祖と言う事になっとる……。
・・・
島を眺めながらぼんやりしている内に、陽が西に傾いてきたので、絵の仕上げは家に帰ってからする事にした。
スケッチブックと絵の具セットを片付けてからもう一度島を眺めてみる。
島は何だか、かつてそこに暮らした人達の夢の後の様に感じた。
ウチは立ち上がって西日に照らされた瀬戸内海を見渡した。
夏の盛りが過ぎて、終わりが近付き始めたのを感じた。
了




