03 柳橋美湖 著 笹舟 『北ノ町の物語』
【あらすじ】
東京在住・土木会社の事務員でアパート暮らしをしていたOL・鈴木クロエは、奔放な母親を亡くして天涯孤独になろうとしていた。ところが、母親の遺言を読んでみると、実はお爺様がいることを知る。思い切って、手紙を書くと、お爺様の顧問弁護士・瀬名さんが訪ねてきた。そしてゴールデンウィークに、その人が住んでいる北ノ町にある瀟洒な洋館を訪ねたのだった。
お爺様の住む北ノ町。夜行列車でゆくその町はちょっと不思議な世界で、ゆくたびに催される一風変わったイベントがクロエを戸惑わせる。
最初は怖い感じだったのだけれども実は孫娘デレの素敵なお爺様。そして年上の魅力をもった瀬名さんと、イケメンでピアノの上手な小さなIT会社を経営する従兄・浩さんの二人から好意を寄せられ心揺れる乙女なクロエ……。そんなオムニバス・シリーズ。
14 笹舟
鈴木クロエです。
猛暑が続く今年の夏はとても暑く感じるので、通勤時間を少し早め涼しい時間に出勤しています。
暦は七月下旬になりましたけれども、思い出されるのは、なんといっても小学生時代の夏休みといったところでしょうか。
作家をしていた母・鈴木ミドリは、けっこう忙しかったのですが、私のために時間を割いてくれたもので、その季節になると、海とか川とかに連れて行ってくれたものでした。なかでも記憶に鮮明に残っているのが、小学四年生のとき、多摩川を遡ったところに、母と何日かそこに滞在したときのことです。
長くした髪の毛をワンピースに束ねた母は、自分とそろいのデザインの白いワンピースと縁のついた帽子を身に着けた娘の私を助手席に乗せ、都内からそこに向うとき、とてもご機嫌でドリカムのハミングしていました。
ハイウェイを走る紅い軽自動車フロントガラス越しにみえる風景は、オフィスビルから住宅地に変わり、家々もだんだんとまばらになってきた山間で料金所になり、下道へ抜けて行きました。
夏の空は、青空というよりも水色に近く、もわりとしている割に、木々の緑は明暗のコントラストが強くて印象派絵画みたいな感じ。母が運転する山間の渓谷に沿って走る道路を降りて、フランス窓のあるピンク色の壁をした二階建てのペンションの前に車を停めました。
ペンション経営をなさっていたご夫妻は、最近皺ができたばかりという感じで、泊まり部屋のある二階にあがるとき、トントンとリズミカルに上って、案内してくれました。
私と母が寝るダブルベッド、原稿をパソコン執筆するための机、冷蔵庫。それから眼下のせせらぎを眺めるための大きな窓があるのだけれど、テレビは故意に置かれていない、水色で統一した瀟洒な部屋でした。
お昼は、ペンションのベランダにあるパラソルがついた席でパスタのアラビアータを頂いた母と私。食後は痩せた母の長い手を引っ張って、川原に降りて行きました。大好きな水遊びです。
浅瀬では、鷺が、幅二十メートルくらい先にある向こう岸にいて、こっちをみている後を、セキレイが川原を、ちょこちょこと駆けて行きました。
私たちはくるぶしまでつかって水をかけあい、岸辺に生えている笹で舟をつくって川に浮かべました。
母に教わってつくった私の笹舟は不恰好ですが、それでも、よたよたと母の笹舟に着いて行くのが面白く、私はご機嫌で、ワアッと思わず声をあげていました。
そこで。
突然、驚いた顔をした母が、人丈以上はありそうな川の
深みを凝視して、
「ねえ、クロエ、石投げをしよう」
と切り出しました。
素直にうなずく私。
まずは高校時代ソフトボール選手だったという母のお手本。母の投げた小石が、水面を何度も跳躍して、向こう岸の茂みに消えてゆきます。
真似する私ですが、子供なので腕の筋肉が弱く、なかなか母のようには行きません。
私が小石を投げる間、母はずっと、川の深みを凝視していました。
笹舟はというと、中洲の先端にある岩のところで引っかかっています。
ペンションに引き返す際、私を抱き上げる直前、母は野球用ボールくらいの大きさの石を拾って、笹舟から一メートルばかり上流側になったところに投げたのでした。
ドボンという音ではなく鈍い音が。
それから。
いつものようにハミングする母が不自然に感じました。
抱っこされた私といえばさりげなく母の手で双眸を塞がれていましたし……。
ペンションに戻る途中の道で、釣りにきた知らない小父さんが、母と私に冗談半分にいいました。
「この辺の川には河童がいて小さな子をさらって行くって話がある。気をつけなさい」
「ナイス・ジョーク!」
「冗談じゃなく、実際に川遊びしていた子供がいなくなっているし、河童をみかけたことがあるって釣り仲間もけっこういる」
「はいはい」
母の表情は、笑っていたけれど、引きつっていました。
河童。
――北ノ町のお爺様と敵対するメヴィウス教団には、魚のような眼をした信者が多くいます。ヒロィック・ファンタジーの主人公を地でやっているお爺様の血を引く母は剛肩で、なんとく、深みに潜んでいた魚眼人が幼い私をさらおうとして頭をだしたところを母が小石をぶつけて撃退し、沈めたような感じがするのです。
あのときの笹舟は、母の投げた石で沈んだのか、それとも、波紋で中洲から外れ、流れにのり下って行ったのか、不思議と今でも気になるところです。
【登場人物】
●鈴木クロエ/東京在住・土木会社の事務員でアパート暮らしをしている。
●鈴木三郎/お爺様。地方財閥一門で高名な彫刻家。北ノ町にある洋館で暮らしている。
●鈴木浩/クロエの従兄。洋館近くに住んでいる。
●瀬名玲雄/鈴木家顧問弁護士。
●小母様/お爺様のお屋敷の近くに住む主婦で、ときどき家政婦アルバイトにくる。
●鈴木ミドリ/クロエの母で故人。奔放な女性で生前は数々の浮名をあげていたようだ。
●寺崎明/クロエの父。母との離婚後行方不明だったが、実は公安委員会のエージェント。




