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自作小説倶楽部 第11冊/2015年下半期(第61-66集)  作者: 自作小説倶楽部
第65集(2015年11月)/「七五三」&「筆」
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03 深海 著  七五三・筆 『宿り子』(前編)

挿絵(By みてみん)

 挿絵/深海様より御拝領


 天井が高い石造りの屋敷の一室。

 庭園に面する壁に一面はまっているのは、ギヤマンの窓。優美な唐草模様の鉄の窓枠が、まるで額縁のように外の情景を切り取っている。

 窓が映す睡蓮池の水がばしゃんと跳ねて、白鳥が数羽、空の彼方へ飛び立っていく。

 冬が始まり、池はすでに半分凍っている。ぬるい水と餌を求め、白鳥は日に日に南へ去って行く。まるでこの屋敷から逃げ出すように……。

 金縁取りの豪奢な服を着込んだ白髪の男は片眉を上げ、漆黒の細杖をかつりと鳴らして窓から背を向けた。

 昼間だというのに室内はかなり暗い。光沢あるあずき色の壁紙のせいか。猫足の卓や椅子が据えられた向こうに、黒い上着を着ている背の高い男と、白い上着を着ている少年がおぼろげに見える。


「その子がそうなのか?」


 白髪の翁は鋭い眼で少年を見すえた。十代前半ほどの年だろうか。体の線は細く、黄金色の巻き毛が美しい。怪我をしているのか、頭に包帯を巻いている。隣にひたりとついている黒服の男が、そうでございます叔父上、と胸に手を当て会釈する。

「見せてみろ」

 カッと杖を鳴らして翁が命じると、黒服の男はその場で少年の頭の包帯を取り去った。 

 びくりとおののくその子の白い額に目を留めるや、翁は満足げに目を細めた。

「確かに、額に精霊の印があるな」 

「母親はメリアセル・メキュ、地方都市デイテンルクの領主の侍医、イゴーリ・メキュの三女です。先月より母子二人で私の家に滞在しておりまして、認知の申し立てを受けております」

「我が甥ロクスエルよ。おまえが結婚もせずに方々で浮名を流していることは把握していた。件の医者の娘とも、しばらくねんごろな仲であったな」

「息子ができていたとは私も驚きですが、正式に認知したくぞんじますので叔父上のご許可をと……」

「いや。この子どもはわしが貰う。おまえには印が出なかったが、魔力が高いゆえ期待はしていた。隔世遺伝が出るのではないかとな。褒美に葡萄園をひとつやる。子供の母親はおまえが好きにしろ。手切れ金を渡すなら用立ててやる」

「ですが叔父上、この子は私の初子で――」

「我が跡継ぎたる宿り子の世話役に、おまえを任じる。それで黙れ」

 杖の音で相手の言葉を堰き止め、翁は厳然と命じた。その陶器のように白い額には、闇色の印が浮かび上がっていた。

 まるで目玉のような、不気味な紋様が。





 黒猫を家紋とするシュヴァルツカッツェ家は、エティア王国北部の都市ケスデンにおいて三指に入る名家である。

 現当主ヘイマオは領主ラクドール公に仕える男爵であり、広大な狩場と荘園、いくつもの工場を有し、実質この商業都市を支配しているといっても過言ではない。

 当家は黒き衣の導師アテルフェレスを始祖とし、当主は代々、韻律の技を継承してきた。付近一帯がケスデンを王都とする小王国であったころは、宮廷魔道師として永く王家に仕えたという。

 始祖アテルフェレスは(すめら)の国の大後宮にて生まれた高貴な皇子であり、岩窟の寺院で導師となりてケスデン王国の後見人に就いたのち、王女を嫁下されて還俗し、家を興した。これが当家五百年に渡る系図の始まりである。

 始祖アテルフェレスは愛息を護るために精霊と契約し、子の体内に宿らせた。本家直系の一族は、この精霊の加護を受け継いで生まれることがある。その証は額に現れ、加護を持つ子は宿り子と呼ばれる。これはすなわち、当主の証でもある。

 当家の嫡男は偉大なる始祖を言祝ぎ、幼少時に始祖と同化する儀式を行わねばならない。数年に一度、始祖の生誕の地である皇の国の衣装をまとい、定められた儀をこなすのである。

「さてその儀とは――。アデル様? 私の話をちゃんと聞いておられますか?」

 本がぎっしり詰まった書架の部屋で、メガネをかけた家庭教師がくわりと片眉をあげる。

「は、はい……」

 緊張した格好で絹張りの椅子に座っている少年は、深くうなだれた。

「これから儀式の概要を説明いたします。これは本来三歳、五歳、七歳のときに執り行わねばならぬものでしたが、特別な措置で今回一度に儀式を済ませ、続きに元服の儀を執り行います。すなわち……」

 少年が、うう、と呻きこめかみを押さえて卓上に突っ伏す。そのとたん、隣に座して系図の巻物をちら見していた黒服の男が、家庭教師の言葉を遮った。

「今日はこのぐらいで。アデル様はお疲れのようです」    

「しかし世話役殿、アデル様は当家の宿り子として、様々なしきたりと儀式を――」

 黒服の男は教師の言葉を無視して少年を抱き上げ、書架の部屋から出た。魔法陣のような模様のタペストリーが壁にかかっている私室に入れられるや。少年はぶるぶる震えて泣き出した。

「ぎしきなんて、むり……」

「古代の衣装を着るだけだ」

「むり……あ、あたまいたい……」

「すぐ治る」

「ひ!」

 男はうろたえ慄く少年の上着を剥ぎ取り、天蓋のある寝台に押さえつけた。

「や、やだ……おうちにかえして……」

「そんなものなかろう。医者の娘は、おまえを貧民街で拾ったとばらしたぞ。亡くした子の身代わりにしたらしいが、その子すら私の子ではあるまい。金で追い払えてせいせいした」

「で、でも、おくさまは、ごはんくれたの……」

「私がもっと良いものをくれてやる」

「ひあ!」

 男は震える少年の白い首筋に噛みつきながら、細い体を覆う絹のブラウスを引き裂いた。息を荒げ、あらわになった白い胸をいとおしげに撫で回す。

「私の精霊を宿せる、高い魔力を持つ子……。本当によい買い物だった。本家筋の三家。七つの分家。儀式では、一族の者みなが集まる。私が埋め込んだ、おまえの印を見るために」

 当主には印を持つ子が三人いたが、みなそむいた。当主が印をもたぬ我が子をいけにえとして精霊に捧げたからだ。そのせいで奥方は自殺し、子供たちは家を出て兵士になって戦死したり、行方不明になったりした。

 親族の誰もが跡継ぎに我が子を、と画策したが、精霊の印を持っているこの子に対抗できる者はだれもいなかった。

「心配するな。おまえの精霊は当家の物ではないが、それよりも強い。守護の力も、人を呪い殺す力も段違いだ。近い将来、我々は難なくこの家を手に入れるだろう」

 びくりと身を縮めた少年の手足を、男は無理やり寝台の上に押し広げた。甘い猫なで声を発する口が少年の首筋を這い昇り、耳たぶを食む。と同時に。白い胸の中に、ずぶずぶと男の手が入っていった。

「ひああああっ!」

「精霊の力を少し吸い出してやろう。楽になる」

 仰け反り悲鳴をあげる少年を、男は胸に沈めた手で寝台に押さえつけた。その手からぞわぞわと黒い影が滲み出し、腕を伝って広がり、男の体を包んでいく。

 全身真っ黒に染まったその風体はまさしく――悪魔のごとくであった。

「美しい子。おまえはただ、私の言う通りにしていればいい……」





 暖かい木漏れ日が、大きな枝の間から降り注いでいる。

 さんさんと眩しい光を腕で遮り、赤毛の青年はのんびりとあくびをかまして身を起こした。

 オルキスの森はエティアの南西部にあり、冬でもとても暖かい。常緑樹が多く、草地には花が咲いている。枝葉大きい巨木は雨露をしのげる格好の屋根だ。青年は草地の草を干して作った寝床から降り、目の前の焚き火の置き火を火串で引っ掻いた。

「いい具合に焼けたな」

 手まりほどの大きな木の実をいくつもほっくり返す。赤葉の木になる実で、焼くと栗のような味がする。それ自体ほんのり甘いが……

「パパ、はちみつだよ」

「おお、カーリンありがと」

 幼い娘が蜂蜜を入れた壷を差し出してきた。木の実が焼けるのを今か今かと焚き火のそばで待っていたようだ。

「火傷するなよ」

 ふうふう息を吹きながら、焼きたての木の実の皮を剥き、たっぷり蜂蜜をかけてやる。

 おいしーい! と娘が満面の笑みでほおばるのを青年はにこにこ顔で眺めた。北の辺境からこの森に逃れてきて二ヶ月。狼に育てられていた少女は、このひと月でずいぶん背が伸びている。

「あ、ママー!」 

 狼の群れが焚き火の周りに現れた。生身ではなく半機械のものどもで、その頭領は黄金の毛並みの大きな狼だ。この頭領「牙王」こそが、娘をひろって育てていた狼である。

『また鹿を逃したわ』

 ぶつぶつ文句を言いながら「牙王」はたちまち乙女の姿形となり、どぶんと干草のベッドに赤毛の青年を押し倒した。  

「う、うわちょっと」

『あなたやムスメにおいしいもの食べさせてあげたいのに。ごめんなさいね』

 金髪の美女は申し訳なさそうに耳と尻尾を垂らしたが、その体は容赦なく青年に覆いかぶさっている。娘の父親がわりである青年を相当慕っているようだ。

「大丈夫だよ。木の実がたくさんあるから」

『でも大事な記念日には、ムスメにごちそうを食べさせたいわ』

「記念日?」

『あの子を拾った日よ』  

 娘は、シュヴァルツカッツェという由緒ある家の当主の孫娘だ。

 当主が「印がない」孫娘を殺そうとしたため、娘の両親は子供を護るために家から逃亡した。だが、両親はあえなく追っ手に殺された。そして赤子は奇跡的に狼に助けられた。当時追っ手は子供は狼に食われたと思い込み、追跡を止めたらしい。しかし狼から保護した騎士団の照会で、生存していることが先方に知られてしまったのだった。

 娘は今回も狼をかくれ蓑にして、この森に逃げてきた。

 なぜに娘は命をとられねばならぬのか。

 赤毛の青年には、ただただ理不尽なことだとしか思えなかった。「印がない」ということは、一族にとってそんなにまずいことなのだろうか。

「あの子を拾った日付を覚えてるなんて、すごいね」

『あら、獣だと思ってバカにしないでちょうだい。私たちは神獣リュカオーン様のしもべとして創りだされた、半有機体。高性能の情報処理体を搭載されているの。だから日付どころか、あなたより数千倍速く計算できるし、ニンゲンのありとあらゆる記録を脳に保存しているわ』 

「それだったら、十分にカーリンの先生になれるじゃないか」

 青年は目を輝かせ、誇り高い人狼の頬を優しく撫でた。

「俺たち、いつまでここにいなきゃならないか分からない。でもさ、カーリンはいずれ学校にいかせてちゃんと教育を受けさせないとって、思ってたんだよ。読み書きとか計算とかね」

 任せて、と人狼は嬉しげにうなずき、青年をぎゅっと抱きしめた。

『私、あの子にヒトの知識を与えられるわ。そしてあなたがいれば、あの子はちゃんと人間らしく育つわ。ねえ、私たちずっとずっと、ここで幸せに暮らしましょうよ』

「パパー、ママー!」

 幼い娘が蜂蜜でべとべとの手を広げて、二人の間に飛び込んできた。

 木漏れ日の光が暖かく三人を照らした。幸せな家族を護るように。



(後編に続く)


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