02 柳橋美湖 筆 『北ノ町の物語』
【あらすじ】
東京在住・土木会社の事務員でアパート暮らしをしていたOL・鈴木クロエは、奔放な母親を亡くして天涯孤独になろうとしていた。ところが、母親の遺言を読んでみると、実はお爺様がいることを知る。思い切って、手紙を書くと、お爺様の顧問弁護士・瀬名さんが訪ねてきた。そしてゴールデンウィークに、その人が住んでいる北ノ町にある瀟洒な洋館を訪ねたのだった。
お爺様の住む北ノ町。夜行列車でゆくその町はちょっと不思議な世界で、ゆくたびに催される一風変わったイベントがクロエを戸惑わせる。
最初は怖い感じだったのだけれども実は孫娘デレの素敵なお爺様。そして年上の魅力をもった瀬名さんと、イケメンでピアノの上手な小さなIT会社を経営する従兄・浩さんの二人から好意を寄せられ心揺れる乙女なクロエ……。そんなオムニバス・シリーズ。
挿絵/深海様より御拝領
18 筆
鈴木クロエです。
謎の隕石・衝撃石を地下に眠らせた洋館、お爺様のいる北ノ町丘ノ上にある旧牧師館。十一月の連休を利用して、私は〝帰省〟しました。カルト教団と教団司祭が召喚した魔物がときどき襲い掛かってくるけれど、お爺様のそばにいるのが一番安全だと、父はいいます。
地方財閥の系譜で彫刻家でもあるお爺様は、北ノ町では名士ですので、大農園を経営していらっしゃる町長さんとも懇意にしています。お休みの折、お爺様のお供で、町長さんのお宅にお伺いしました。
濠と土塁で囲まれたお屋敷。――戦国時代はこのあたりの豪族で、江戸時代には庄屋をやり、明治になって養蚕製糸工場の経営で富を築いたのだとか。土橋を渡って、長屋門をくぐると、五つの煉瓦倉庫があり、その奥に欄干のついたくすんだ板張り二階建ての母屋が姿を現しました。
お通しされた囲炉裏のある広間の奥には、古ぼけた、屏風がありました。不思議なことに、そこには、なにも描かれていません。
漫画『ドラゴンボール』の亀仙人みたいに、禿げ頭に白い髭、サングラスをかけた町長さんが、漆塗りの酒杯で、私たちをおもてなししてくださいました。
私が、ほどよく酔ったところで、町長さんはおっしゃいます。
「いまではすっかりこの家も傾いたが、昔は羽振りが良かった。旅の絵師だの俳人だのがくると宿として部屋を貸してやったものじゃった。……そのなかに老いた絵師がおってな、よりよってこの家で亡くなった。絵師形見の不思議な筆が伝わっておる」
――どこがどう斜陽になったのだろう。いまだって相当の資産家なのに。
作務衣姿の町長さんは奥の自室にいって、持ってきたスノコをとってきてほどき、一本の筆を手にとりました。なお、片手には、墨汁を入れた篠竹の筒まであり、そこに、先をちょこっとつけます。
鳥撃ち帽に羊毛ジャケットを羽織ったお爺様は、着やせしているけれども、けっこう偉丈夫。
「噂にはきいておったがこれが例の筆か」
お爺様が杯を干したとき、大フクベを横に置いた町長さんが、莞爾と笑みを浮かべ、屏風に胡蝶を描きます。
するとどうでしょう。屏風の胡蝶が宙へ舞い飛んでゆくではありませんか。
そこでです。
だしてくれぇえ……。
と、一瞬、悲鳴が屏風から漏れ聞こえました。
お爺様は顔色も変えず、勢い、町長さんを小脇に抱えると、筆をひったくると、描かれた胡蝶が舞い上がって白くなった屏風に、襖を描いたのでした。――さらに凄いことに、絵の襖を、ふつうに開いたのです。中には、な、な、なんと、禿げ頭の町長さんがもう一人。……お爺様は屏風絵の中の町長さんの腕をむんずとつかんで引っ張り上げ、代わりに、小脇に抱えた町長さんを放り込みました。
あららら。私、酔いがすっかり回っちゃったみたいです。もう、ここから先も幻覚かもしれませんが、一応、皆さんにご報告しておきます。
「――魔族め、封印が解けたところで、町長と入れ替わったのだな。じゃが、汝がだす瘴気で、儂にはじめから正体はバレておったのさ。あと百年ばかし、もといた屏風に封印されておるがよいぞ」
したりと笑ったお爺様は、屏風絵の中の町長さんを助け、描いた襖を閉めて、放り込んだもう一人の町長さんをでられないようにしてしまいました。
私を嘘つきだなんておっしゃらないでくださいね。ちょっと、酔っただけなんですから。ほんとに……。
了
【登場人物】
●鈴木クロエ/東京在住・土木会社の事務員でアパート暮らしをしている。
●鈴木三郎/お爺様。地方財閥一門で高名な彫刻家。北ノ町にある洋館で暮らしている。
●鈴木浩/クロエの従兄。洋館近くに住んでいる。
●瀬名玲雄/鈴木家顧問弁護士。
●小母様/お爺様のお屋敷の近くに住む主婦で、ときどき家政婦アルバイトにくる。
●鈴木ミドリ/クロエの母で故人。奔放な女性で生前は数々の浮名をあげていたようだ。
●寺崎明/クロエの父。母との離婚後行方不明だったが、実は公安委員会のエージェント。




