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自作小説倶楽部 第11冊/2015年下半期(第61-66集)  作者: 自作小説倶楽部
第63集(2015年09月)/「満月」&「鏡」
21/38

10 ちょみ 著  満月 『女狼』

 夫、武雄の母が他界した。

 散々疎遠にして嫌っていたように見えたが、やはりその死は痛ましいのか、主を失った部屋で彼女の遺品を胸に抱いて項垂れる夫に、美也はどう声をかけたものか、悩みながら傍に寄り添う。

「あなた……」

 背中に手を添え、一緒に月明かりの部屋で立ち尽くす。

 大丈夫? と聞こうとして、違う言葉を口にしたのは、夫以上に美也自身が驚いた。

「その手鏡、私にいただけないかしら?」

「え? 君が? これを?」

「お義母さんの形見として持っていたいの」

 ……そんなつもりなどなかったのに。

 武雄は手鏡を手放さないだろう、美也は思っていた。

 だからそんな事など本当は思ってもいなかったはずなのに、手鏡を胸に埋めるように抱きしめる武雄に、ついと言葉がこぼれたのだ。

 けれど、形見として。そう言われれば武雄に拒否する事はできない。

 美也は実際、母の面倒をよくみてくれた。

 父が他界してからというもの、寝食も忘れ鏡に向かい続け、声をかけても返事も無ければ美也の顔など見もしない。

 労いひとつ無い中で、抜けて散らばる髪を集めて掃除をし、いつも母の周囲がきれいであるように努めたのだ。

 何よりも、手鏡など男の武雄が持つような物ではない。

 武雄から手鏡を、「うん」と手渡されて、美也は少し驚いたが、すぐに笑む事ができた。

「ありがとう、あなた。大事にするわね」

 ――だけど、あなた……

 私、気付いていたのよ。

 武雄がすっかり寝入ってしまった寝室で、満月の光が窓から差し込み美也を照らす。

 家族に背を向け、ひたすらに鏡に向かい髪を梳る美しい義母。齢八十を超えたというのに、その艶は褪せる事がなかった。

 その様子を気にしては覗く夫のよこがお。

 ――あなた、どんな目をしてお義母さんを見ていたのか、自分で気付いていないでしょう?


 女の業の深い母と、その業に寄り添っていた父。

 業の深さにあてられて思春期を過ごした自分は、すっかり女性が苦手になってしまったのだと打ち明けながら、

『けれど君は母とまったく違う。爽やかで……何というか……』

 明るい太陽の下、新緑の中、爽やかな風を連れ添い走る笑顔は陽に焼けて。

 日焼け止めと薄い色のリップクリームを塗る以外は化粧も知らない、少し荒れた肌。

 そんな自分に、照れながら『君となら……』小さな声で交際を申し込まれて、嬉しかった交際の期間。長い

 長い間触れ合う事を戸惑い続け、初めて結ばれた夜に結婚を申し込まれた。

 武雄の両親は彼が案じていたほど、美也に重苦しさなど感じさせず、すぐに馴染む事もできた。

 幸せな日々。

 それが壊れたのは、義父が他界し同居が始まって数週間後、義母の様子がおかしくなり始めたあの頃だろうか。

 亡き夫の為に、ひたら髪梳る母の背中。白いうなじ。皺の寄った手の甲さえも月明かりの下で白く眩む。

 『いい年をして』と呟きながら見つめる瞳の中に浮かぶ、もうひとつの、真逆の真意。

 気付きながらも堪えてこれたはずだった。

 そうしてゆけるはずだった。

 なのに何故、あの日自分はあんな事を義母に言ってしまったのだろう。

『お義母さん、白髪染めを買うのはもうやめましょうね』

 え? と振り返った義母に、美也は微笑み立ち上がった。

 部屋を去る嫁を呆然と見送り、しばらくは言われた意味も解らなかったが、数日の後にそれは理解された。

 鏡台を探しても、探しても、白髪染めが出てこない。

 探す合間にも頭の肌から白い物が伸びてくる。

 梳り落ちた髪に、白い物が増えてゆく。

 染めなくては。

 …… 染めなくては ……

 民恵が、引きこもる自分を外へと駆り立て動かしたのは、ただその想いだけであった。

 武雄の寝息を隣に聞きながら、美也はそっと手鏡をかざす。

 丸い銀の映し皿の中、窓の外に煌々と萌える満月が美也を見つめている。

 美也は枕の下に隠していた紅をそっと取り出し、唇に這わせた。義母の鏡台から持ち出した、赤椿のような色。

 産まれて初めて朱に彩られた唇が、月明かりに照らされてちらりと光る。

 …… 染めなくては ……

 次は、誰が、何を?

     了 

『自作小説倶楽部会員作品集 第63集』は本作をもって店じまい。次回大64集は10月25日ごろの更新となります。ご高覧いただきました皆様のご厚情に感謝いたします。

ではまたお会いしましょう。


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