07 柳橋美湖 著 満月 『北ノ町の物語』
16
九月の終わり。
自動車のエンジン音。
スクランブル交差点の鳥を真似たブザー。
人々がうごめく靴音。
出先から、会社に戻ろうとした私は、電車が通り抜ける轟音に揺れる高架橋下のアーチをくぐり抜けたとき、ガードレールのある歩道をふと立ち止まり、ふと空を見上げました。
関東平野とはいうけれど、東京の実際は山あり谷ありで、私鉄路線は尾根の斜面に林立したビルの谷間を抜けて走り、そこから私は、兎というより、杯のようにみえる陰のある満月をみることになりました。
都会の喧騒のなかにいるはずなのに、なんでしょう、この寂寥感は。
するとです。
遠くから遠吠えがしているではありませんか。
どこかの犬?
一頭ではなく群れをなしている。
なに?
私は怖くなり駆けだしました。
雨雲にできた晴れ間からたまたま月が顔をだしているのでしょうか。そこから、しずくがおちてくるかのように、私の頬に雨粒が当たったのです。歩道に沿って駆けだし、またつぎのガードレールを抜け、次は、小さな神社の前を通り抜けました。
なんなの、鳥居の後ろにいくつもある双眸は?
いけない。これは罠!
――追い込まれるかのように、地下鉄に逃げ込みました。
人がいない自動改札口に携帯をかざし通り抜け、そこから、ポスターが貼られた四角い通路にでた私。走る、走る、ただ走る。背中から獣たちが駆け寄り、私の背中から、襲い掛からんばかりに。
あっ。
列車が。
なんというタイミングの良さ。
ホームにたまたま停車していた地下鉄列車に私は駆け込みました。
ドアが閉まったとき、日本に、というより東京に、いるはずのない狼の群れが、悔しそうに窓ガラスに体当たりしては弾き飛ばされました。
そして列車は、振り払うかのように、発車したのです。
しかし。車両の手すりにつかまっていた他の乗客。――スーツ姿のサラリーマン、OL、ブレザーの学生、ブラウスにカーディガンを羽織った主婦、みな無表情で異様に大きな魚のような目をした、人の形に類した人外の生物〈亜人〉の様相をしているではありませんか。
パニックを起こした私は、頭に両手をやって、床にしゃがみ込むより手立てはありませんでした。
「あのなあ、クロエ……。ちゃんと戦わないと駄目じゃないか」
呆れ顔をした、パナマ帽にスーツをきた背の高い人は、公安委員会に勤務する父で、エキストラの魚眼人は部下の方々の扮装。狼役は警察犬・シェパード――私は父から護身用スタンガンを手渡されていたのですが、やっぱり、戦うのは無理みたいです。
了




