02 奄美剣星 著 満月&鏡 『鬼撃ちの兼好 ・満月ノ鏡』
東北の片田舎・潮騒郡。
大正時代の終わり、同地方は石炭産業で賑わっていた。地上では港湾や鉄道網といったインフラを整備し、地下では迷宮のように坑道を通していたのだ。
映画館や劇場を備えた急ごしらえの煉瓦造りの市街地を、パナマ帽を被ったモダンボーイ、スカート姿のモダンガールが歩き、を自動車が路面電車や馬車に混じって往来していた。
他方で郡庁舎の市街地から離れた白水谷の高台・鳥居から五十五段の階段を昇った高台・白水神社社務所には、内務大臣の意向を受けて、派遣されたとある若い宮司が陣取っていた。
吉田兼好。
かの有名な中世のエッセイストの末裔。
そしてその〝ヨメ〟が夜叉姫だ。
狩衣を着た宮司が大の字になって天蓋つきベッドに寝ている脇で、膝を折り曲げた格好の〝ヨメ〟がピョンピョン跳んでいる。みたところ十五歳かそこら。黒と白のゴシックなメイド服姿。おまけに猫耳に尻尾までつけていた。
「し・あ・わ・せ~♪」
若い宮司が悦に浸っているところにだ、禿げ頭にカエザル髭を生やした紋付き袴の郡長が息を切らして石段を駆け上がってきた。
「けけけ、けっ、兼好君! 兼好君! 大変だ!」
「どうしました郡長殿?」
「どうしたもこうしたもない。潮騒郡の顔ともいえる潮騒駅の鏡から怪異が溢れだして仕方がないのだ。ひと肌脱いでくれまいか」
天蓋つきベッドでジャンプしていた夜叉姫が失速して天井から落ちてきたとき、スカートがまくれ上がって中が丸見えになった。
(うっ、ガーターベルト……)
カイザル髭の郡長・鼻血ブー!
中高年オヤジには刺激が強すぎた。
ベッドから起き上がった兼好が郡長の顔に自分の顔をぐっと近づける。
「ほうほう。十三夜になると駅の鏡から、蟹の怪異がぞろぞろ湧き出して潮騒港の海中へと消えてゆき、十五夜になるとまた鏡のなかに戻ってくると? それで郡長、目立った被害は?」
「いまのところはないのだが……」
「ただただキモイ。害こそないが潮騒鉄道の客足が悪くなると?」
「平たくいえばそういうことだ」
「兼好、ナーイス!」
猫耳ではないところの、白服に赤袴・巫女服姿になった夜叉姫が素っ頓狂にいった。
九月の十三夜。
潮騒駅は、旧幕時代は老中が居城としていた潮騒城の丘を背後とした石造・アールデコ様式を採用した駅舎だ。高天井の内部に入ると、青と赤のネオン蛍光灯が鏡に映って幻想的な空間を醸しだしていた。
「深夜になったな、兼好君」
「深夜になりましたねえ、郡長殿」
赤青のネオンがチカチカ点滅する、駅舎のホールには、長椅子が置かれてはいたのだが、そこにいるのは、郡長と駅職員、それに内務大臣が潮騒郡に派遣した若い宮司とその〝ヨメ〟な巫女だけがいた。
兼好はチョークでホール床面に幾何学紋様を描いた。
郡長が首を傾げる。
「兼好くんの細君殿・夜叉姫といったね、なんだい、ありゃ?」
「あれは〝七星符〟というんだにゃん。吉数七に引っ掛け、ニーズに合わせて、いろいろなバージョンに組み替える」
改札口には祭壇が設けられてあった。――油が注がれた燈明皿に火がつけられ、烏帽子に狩衣姿の若い宮司が、びっこをひきながら床の紋様をなぞって歩く。手にしているのは刀身に北斗七星の毛彫りが刻まれた〝七星剣〟というもの。
カイゼル髭の郡長が巫女服の夜叉姫にいった。
「細君殿、あれは?」
「〝禹歩〟といって、長年に渡って黄河を治水したため脚を悪くした中華の聖天子の歩行を模した降神術。いや、この場合は、封神術とでもいうべきかもだにゃん」
「封神術。――鏡からはいでてくる蟹は神? それを封じる?」
「まっ、そんなとこ! あのお、郡長、そろそろ、お喋りやめて欲しいのだあ」
「なんでまた?」
紋付き袴の郡長が、懐中時計をみやると午前二時をさしていた。それからさりげなく天井の鏡をみやって、カッと双眸を見開いた。
「ぎゃぎゃぎゃっ、ギャオ~っす!」
鏡から現れでたのは大きな蟹だった。
「あ~あ、郡長殿。うちの〝ヨメ〟が声をださないで、っていったっしょ?」
「す、すまん。ビビった!」
「まあ、ふつう、そうっすよねえ……」
鏡面から巨大なハサミがでてきて、八つの脚がゾロリとでてきて、ややイビツな円盤型をしたタラバ蟹がストンと床に降りて立った。
しかし若い宮司は、でてきた蟹を制止するということはなく、そのまま放置した。
郡長が叫ぶ。
「どうしたのだね、兼好君? なぜ蟹を始末しない?」
「郡長殿は罪なお方ですねえ。異界の蟹神は鏡を通って現世の海に脱皮にきていただけなのですよ。僕はちょっとばかり細工して蟹神の通り道を変えようとしたのですが、郡長殿が声をだされるものだから、ちょっと仕事が増えた」
「す、スマン……」
カイザル髭の郡長は禿げ頭を撫でながら若い宮司に謝った。
二日後の十五夜丑三つ時、潮騒駅。
若い宮司は〝ヨメ〟の巫女と、先日とまったく同じ祭壇を改札口に組んだ。
「兼好君、今夜は邪魔しないよ」
郡長は自ら口に猿轡をはめた。
「なるほどね」
床に描いた七星符のところでピョンピョン跳ねたのは宮司の〝ヨメ〟の巫女だった。待っているといつの間にだか巫女装束がはだけてきて、ゴスロリ・メイド服――猫耳・尻尾・ガーターベルト付きという格好になっていた。
改札口をくぐってゆく烏帽子に狩衣姿の兼好。
夜叉姫は摩訶不思議な舞いをしたあと、七星剣ではないところの、銀弾を装填した米国製S&W拳銃を若い宮司の名を呼んで投げやった。
振りむいた兼好がはにかんで、宙に手をかざした手で、受け取った。
郡長は悟った。――猫耳ゴスロリ巫女の〝ヨメ〟が舞っていたのは禹歩だ。兼好がやるときは〝生〟を、夜叉姫がやるときは〝死〟を表しているのではなかろうか。
英国製8701型蒸気機関車。
同型機関車をもって輸入機関車の時代は終わり、国産化してゆく。――最後の輸入機関車だ。
ホームにいたそいつがポーッと汽笛を鳴らした。
兼好は、フェンスのついた、フロント・カバーに乗っかって、拳銃を構えた。
ゆっくりと、機関車が走りだす。
体高二メートルの蟹神がワサワサと線路に沿ってこっちへ走ってきた。
「はらいたまえ、きよめたまえ……」
兼好が呪文を詠唱しつつ、構えた拳銃の撃鉄をひいた。
馬並みの速度でそいつは兼好のいる蒸気機関車にむかってきた。
無機質な丸い目、一メートルはあるだろう巨大なハサミ。
そのハサミが開いて、兼好の首をちょん切ろうとした刹那だ。
兼好がようやくトリッガーをひいた。
そのあたりになると、呪文というよりはもう咆哮になっていた。
「UUUUUUUU……」
銃声がとどろき、ガタンゴトンという列車がレールを駆けて、蟹を弾き飛ばす音がした。
郡長が駅職員たちと一緒にホームを飛び降りて、蟹神を弾き飛ばした現場に駆けつけてきた。そして、嬉しさのあまり兼好にハグしたりキスしたりと、残念というか、羨ましいというか、セクハラ行為みたいな行為をどさくさに紛れてした。――ゴスロリ〝ヨメ〟の夜叉姫が郡長の尻を後ろから蹴ったうえに、額を引っ掻いたことはいうまでもない。
ハンカチで顔面の血をふきながら郡長がいった。
「ときに、兼好君、蟹神退治を今宵の満月にしたわけはなんだね?」
「ああ、アレですよ」
蟹は満月・満潮になると脱皮して体力を使い果たす。ふつうなら銀弾をも弾き返す蟹神の甲殻も、満月の夜ばかりは、柔らかで貫通できるからだ。
機関車に弾き飛ばされ線路に横たわった蟹はシューシュー音を立てて蒸発してゆく。
プラットホーム上空には茹でたタラバ蟹みたいな毒々しい赤い満月が浮かんでいた。




