01 氷村はるか 著 満月 『ルナ・ガーデン』
『第八ゲートの修理が完了しました』
人の往来が激しいにも関わらず、無機質な雰囲気の中機械音のアナウンスが響く。
外界スーツを身に纏ったままゲートに入る。
外とは一転。
眩しいくらいの人工照明が自動歩行床を照らしていた。細々とした面倒くさい全身の洗浄・乾燥を終えて、各企業が詰め込まれているオフィスドームへと足を踏み入れ――。
バンッ!
「ってぇ――」
思い切り硝子で出来たゲートドアに顔をぶつけた。言い訳をさせてもらうがつい先日までここにドアなんて無かったんだ。つまり、俺はまだこの環境の変化に慣れていないだけでそんなにショックを受けることではないはずなんだ!
たかが顔を打ったぐらいで。
『ジュン・サキ・モルス。男性。確認いたしまいた。許可します』
『アンリー・シュイ。女性。確認いたしました。許可します』
「へ?」
自分の名前の後に上司の名前を耳にしたのだが。聞き間違いだろうか。
「久し振りに見たわ。こんな大間抜け」
「……間抜けですみませんね」
「いつまで屈みこんでるの。次の仕事は第1ゲートよ」
「第1って……、確か先輩が作業中のはずじゃないかと」
「手が足りないから行かせるんでしょう。それぐらいすぐ理解しなさいよ」
「はい。すみません」
なんだか普段より気の強い女上司と二人並んで事務所に入り、ロッカーから配管用の工具を一式取り出した。
「それじゃない」
「はい?」
「持っていくのは隣のロッカー」
「隣って」
俺は疑問に思いながらも配管用の工具を元の位置に戻し、指示されたロッカーからクリアスクリーンを一つ取り出した。これはプログラミング用のものだ。確か第1ゲートは主に配管でPC関連ではないはず。
「考えていないで私の指示通りに体を動かせ」
「……わかりました」
「文句があるならすぐにでも辞めてもらう。ここの部署は人気があるからな」
そう言いながら机の上に山積みになっている書類をバンバン叩いた。
どうやら不機嫌の理由はその書類が関係しているらしい。おそらく入社願書だろうう。
ここ、ルナ・ガーデンでは地球と違って資源が貴重なため修理工が高給取りになっているんだ。地球だったらここの一か月の給料で5年は遊んで暮らせる。
ここに住んでまだ半年も経っていない俺がここでのエリート職に就けたのは、ただ単に地球で修理工をしていたから。自慢じゃないがここでは社内で1,2を争う腕前なんだ。だから生活のことは心配しなくていいよ。
いつか必ずお前をここへ呼び寄せるから、その時まで、苦しいこともあると思うけど乗り越えてくれよな。顔を合わせられる日はそう遠くないよ。
ここでレコードレターの音声は切れた。
切れ際に小さな声で「早く!」と聞こえたが。
「全く。兄さんは何度『そう遠くないよ』なんて言うんですかね」
少年はこじんまりとした、ベッドとサイドテーブルしかない無機質な個室から窓の外を見る。
真っ暗な闇にも紫、紺、黄色、赤などが絶妙に交じり合い、青白く輝く星々が混ざることで一枚の絵画に仕上がっている宇宙空間を見つめた。
「あ。あれは……、もしかして」
闇の空間に白く浮かび上がる球体ラインの一部が、宇宙船の窓枠ギリギリから見えた。少年は部屋を飛び出しフロアへ走り出す。
同じことを考えている者は他にもいて、すでにフロアのテーブル席は座れなかった。
「わあ――。これが“月”なんだね。パパ」
近くにいた幼い女の子が隣の男に尋ねた。
「そうだよ。これからパパと一緒に月で暮らすんだ。”ルナ・ガーデン”にね」
二人は嬉しそうに笑みを湛えたまま客室の方へ歩いていった。
「――ルナ・ガーデン」
巨大なモニターに映し出された青白くも美しく輝く満月の月。
それは少年を迎え入れようと、今、その扉を開けた。
END




