01 奄美剣星 著 砥石 『鬼女伝説怪事件』
鬼女伝説怪事件
夏の夜だった。
雨が止んだばかりで虫は鳴いてない。
布団に寝ていた僕はかすかに聞こえるその音で目を覚ました。
シャリィー、シャリィー、シャリィー……。
シャリィー、シャリィー、シャリィー……。
やがて。
厨房のほうからかだろうか、ドタドタと廊下を駆けてくる音が迫ってきたので、したたかに悲鳴を上げ、半身を起こした。
「どうしたんだね、奄美さん?」
僕の吐息は咳混じりで荒くなっていた。
「悪夢をみていたようです。厨房で包丁を研ぐ音がして、そいつが僕を襲ってきたんです。――あ、和尚様、僕が起こしてしまったんですね。すみません」
「仕事でストレスが溜まっていたんじゃろう。またゆっくりお休みなさい」
「はい」
和尚様が襖を閉じると僕は再び布団に潜りこんだ。
仕事のため、僕が下宿させていただいていたのは、無為山天明寺というところで、そこが巡礼者のために提供する詰所だった。
かなり昔の話だ。
僕・奄美剣星は、福島県安達太良村教育委員会の依頼を受けて、嘱託職員となり、遺跡調査を手伝うことになった。
調査の目的は、工業団地造成により遺跡が破壊されるため、記録をとってゆく必要が生じた。記録というのは、写真撮影や図面作成、それに関するコメントを書きこんでゆく作業のことだ。
調査は事前調査と本調査とがある。事前調査は、広大な造成予定地全域を網羅するように、幅二メートル×長さ十メートル、深さ数十センチから一メートルに達する試掘坑を、ノートの罫線みたいに数百列も連ねゆく試掘調査をおこなってアタリをつけ、そこから、実際に昔日の構造物・遺構があるエリアを絞り込んでゆき本調査に移る。本調査は、遺構を確認したエリア・調査範囲を対象に作業を行う。よくテレビや新聞・雑誌なで紹介される、おなじみの風景・作業員さんがシャベルをつかって住居跡などの遺構を発掘するというものだ。
安達太良工業団地遺跡。調査範囲三万平方メートル、調査期間約二年。遺跡は、奥州街道に沿った鎌倉・室町時代の宿場町の跡だった。
いまでこそ保存するデータは、写真がデジタルカメラで作図が光波測量主体になっているが、当時は、フィルムカメラに平板測量という十九世紀以来のアナログ方式が主体になっていた。
村が貸してくれた所用車である白のトヨタ・コロナ・ワゴンで、寺から五キロ先にある現地にむかった。七万平方メートルある用地はもともと、耕作地だったところで、調査区の外側には、事務所棟、作業員休憩棟、器材・遺物収納棟といった二階建てプレハブが並んでいた。
毎朝のことだが僕は、提出書類作成用のノートパソコンではないところのプリンタ内蔵式ワープロを入れたケースを抱えて、駐車場から事務所棟にむかった。
「おはおう、奄美先生」
挨拶をしてきたのは、作業員の手配をしてくれた地域の世話役・岩田さんだ。小柄で可愛い感じのお爺ちゃんだ。
プレハブ外付け昇降口を昇り、二階にある事務所の冊子を開ける。すると、ショートカットにした、調査担当官が奥に座っていた。
「奄美君、調子はどう?」
「はい、いいですよ」
吉森優。
安達太良村教育委員会文化課の主査で、僕の大学時代の先輩だ。名目的には教育長が調査団長になっているが発掘に関しては素人だ。――なので、今回の調査を実質的指揮している。岩田さんは先輩の叔父で、姓が違うのは跡取り娘がいる家に入婿したからだ。
始業八時半。
ラジオ体操と朝礼をやって現場にでる。
蝉が鳴きはじめた。
遺跡調査区七万平方メートルのど真ん中には、幅六メートル南北を縦断する室町時代の幹線道路があり、そこから枝別れする幅二メートルの街路がある。規則的に並んでいる径五十センチ前後の小さな穴は、屋敷や塀。一辺三メートル前後ある四角い掘りこみは穴倉であったり、中小商工業者の店跡であったりする。
調査区内には、発掘中の遺構が密集し、遺構内部に詰まっている堆積土を場外に排出するために、ベルトコンベアが連結され稼働していた。
けっこうな音がするので、あまりきこえなかったのだが、作業員さんに袖を引っ張られて、事務所棟のほうをみた。
吉森先輩を、サングラスにスーツ姿の若衆四人が囲んでいる。後ろには、黒塗りのリムージン・リンカーンが停められている。
僕が小走りしてそっちにゆく。
サングラスの若衆は、地元暴力団・稲荷組の構成員で、リーダーになっているのが若頭の豊永銀二という男だった。
「なんだ、優ちゃん、〝男〟ができたのか?」
豊永が吉森先輩の顎に指をあてる。
先輩がその腕を払った。
「女の人に手荒ですね? どういうことなんです?」
「坊や、田舎にはね、田舎の仕来りというものがあるんだよ。大きな事業をするときは、必ずうちの組に〝菓子折り〟をもって挨拶しにくるもんさ。優ちゃんは仁義を破った」
「行政が暴力団に貢ぐ? 馬鹿じゃない?」
「なにいっ」手下の若衆が上体を乗りだしたところで、豊永が片腕をだして、ぐいっ、と引き留めた。
僕は先輩を守るように前に立った。
「ここは遺跡現場ですよ」ビビッて声が震えている。
遅れて岩田さんがでてきた。
すると豊永は位を正し、岩田さんの手招きに応じ、プレハブの後ろにいって数分話した。
すると、豊永は手下の若衆に引き揚げの手振りをして、リムージンに乗った。
「まさか岩田さんが世話役になっていたとはねえ……」とつぶやいた角刈りの若頭は、僕の肩に手を置いて、「小便ちびりそうだろ、青年。名前はなんていうんだい?」
「奄美剣星っていいます」
「名前負けしているな」
と高笑いしてドアを閉めた。
リムージンが走りだす。
作業員さんたちの話によると、吉森先輩と若頭の豊永は幼馴染で、豊永はどうもいまでも気があって、なんのかんのといってくるらしい。そして、世話役の岩田さんは元村会議員で、稲荷組の組長にも顔が効く。……そのあたりの事情は、村では公然の秘密になっているのだという。
中世幹線道路に沿った、ここ・宿場町の遺跡。
町屋の外れには、神社の跡地や寺の跡地があり、付近には火葬につかう人を寝かせたほどの大きさがある四角い穴。それから、身体を折り畳んで埋める長方形の土葬墓なんかもあった。土葬墓は数百基。被葬者の遺体の中には、頭蓋骨がないものや、弓矢が骨に刺さったままの状態で出土したものまであった。
作業員さんたちに堆積土を掘削させている横に、吉森先輩がきた。
「さすがは戦国時代。戦死者も埋葬されているんですね」
「そうね……」
先輩は心ここにあらず、という感じだ。先ほどの件もある。無理もない。
夕方、終礼をして、作業員さんたちを帰す。
吉森さんは役場に用があるとのことで、三時上がりしている。
翌日。
現場にゆくと、警察パトカーが何台かきていて、取調べがおこなわれていた。
残土運搬用ベルトコンベアと、発電機をつなぐコードが、何者かに切断され、さらに、残土山整形のためにつかうパワーショベルで、遺跡・遺構の一部が壊されていたのだという。
第一発見者がいつも朝いちばんで発電機・ベルトコンベア・それにパワーショベルのメンテナンスをする岩田さん。つぎに早い吉森先輩に報告し、先輩が警察に電話をかけたのだ。
警察官は、僕にも、昨夜から今朝方にかけての行動をきいてきた。
昨夜といったら。
僕は、調査日誌を書いてから、フィルムを村の写真屋にだしにゆく。
雨が降ってきた。
髭の老店主が、帳簿を検索していた手をとめ、眼鏡をずり上げいった。
「奄美さん、〝安達ヶ原の鬼婆〟伝説って知っているかい?」
「ええ、能舞の『黒塚』でしょ。けっこう有名ですよね」
「奄美さんが下宿している天明寺には、鬼婆の顎の骨があるらしい。そのうち、和尚様に頼んで、みせてもらうといい」
寺にはそんな秘密があったのか。
安達ヶ原の鬼婆とは。
熊野の山伏たちが、陸奥国の安達ヶ原で、老婆に一夜の宿を借りる。夜が更けたころ、囲炉裏にくべる薪が切れたため老婆は外にとりにゆく。そのとき老婆は、「出払っている間、私の部屋をのぞかないで」と頼んだ。しかしのぞくなといわれればみたくなる。山伏一行のうちの一人が、老婆の部屋をのぞいた。するとそこには死体の山。話をきいた仲間とともに逃げだすのだが、正体を知られた鬼婆が後を追ってくる。山伏たちは通力によって、かろうじて鬼婆を撃退した。
平安時代から伝わる物語で、室町時代には、能舞の演目『黒塚』になり将軍の宴で披露された。
遺跡には、合戦戦没者の墓らしいのがあった。……オカルト話はそういうのとも関連しているのだろうか、などとも想像した。
作業員さんたちは、昨日の稲荷組若頭・豊永銀二の一件があったので、奴が吉森先輩への嫌がらせをした事件だったんじゃないかって、警察官に話した。
すると、同日のうちに、豊永は、器物損壊と恐喝の疑いで逮捕された。……事件発生のあった時刻ごろ、遺跡現場に豊永のものと思われるリムージンが入っていったという目撃情報が決め手になったのだ。
事件に関して僕は不自然に感じた。
豊永は幼馴染の吉森先輩に恋心を抱いていた。なんのかんのと絡むところまでは理解できるのだが、それにしても遺跡の一部や設備を壊すというのは、事を大きくし過ぎる。……ヤクザの若頭って、そんな馬鹿でも務まるものなのか? 数百メートル先をお隣というほどの田舎だ。ゆえに人間関係はやたらに濃い。警察筋の関係者もいて、取調べ内容も漏れてくる。
――豊永は重機・パワーショベルの運転免許がない。手下の若衆も同じだ。……しかしながら田舎ではよくきく話で、土土木会社の若い土木作業員は現場で無免許運転をやって基本操作を覚えてから教習所にいって資格をとる。小さな土木会社はそうやって講習料を浮かす。豊永は重機の運転ができない、といっているが警察は、免許こそ持っていないが、実際にはできると決めつけていた節がある。
その夜、寺の詰所・居間で、和尚さんや巡礼者の皆さんとテレビ放送をみた。
有名な犯罪ものの映画『羊たちの沈黙』だった。精神に異常をもった男が、被害者たちを襲って殺し、遺体を家具の素材にしていたという話だった。
嫌なことがあったため、和尚様は僕に酒を振る舞ってくれた。それから、ほろ酔いになったところで、寺に伝わっているという、鬼婆の顎の骨というのをみせてくれた。骨は桐箱に治められ、黄ばんだ顎の骨がでてきた。鬼とはいっても、ふつうの人間の骨だった。
和尚様が酔いつぶれる寸前に、気になる一言をつぶやいたのを僕は今も記憶している。
翌年、遺跡調査が終了。
契約が切れたため、僕は村から引き揚げた。それから、いくつかの遺跡調査会社を渡り歩き四半世紀が過ぎ去った。
その間、豊永は、裁判所に保釈金を支払い、村役場に示談金を支払って塀の外にでた。
事件から四半世紀が経った今年の夏の初め、僕は久しぶりに日本考古学協会の総会に参加してみた。昔はけっこう知り合いがきていたものだが、年々少なくなってきている。年をとって人相が判らなくなってしまった連中も多いが、亡くなっているという人もそこそこいた。
昼十二時五分に講義が終了すると一時三十分まで休憩時間になる。
学生食堂のホールにあるカウンターでオムカレーを注文し、数百もある席の一つに座って食べていると、ふいに肩を叩かれて僕が振りむくとその人がいた。
吉森先輩。
「久しぶりね、奄美君」
先輩はもう少ししたら退職になるのだが、いまだに独身であるがゆえに生活臭というものがまったくなく、その分、若さを保っていた。――ある種の〝妖怪〟だ。
「相変わらずお綺麗ですね」
「奄美君こそ口の上手さは変わらない」
そんなこんなでランチタイムの一時間半を先輩と楽しく過ごしたわけだが、喉の先まで達してうずうずしていた言葉をけっきょく吐き出さなかった僕だった。
事件があった夜に和尚が僕にいった。
「寺には墓を管理するための〝門徒帖〟というのがあってな、代々の住職が受け継いでいる。ここだけの話、安達ヶ原の鬼婆のモデルになった山伏・祐慶は実在の人物じゃ。鬼婆というのは、岩手という公家の姫君に仕える侍女で、肝が病に効くという話をきいて旅の者を襲って姫に食べさせていた。だがその甲斐もなく姫は亡くなり、岩手は気が触れて屋敷からでていった。……放浪の末にたどりついたのが安達ケ原だという。――あの綺麗な女考古学者・吉森嬢の実家はこのあたりじゃかなりの名家なわけだが、何代かに一人の割合で狂人をだす。狂人のなかには村人を何人も屠った者もいて、事件もみ消しのため、一族が狂人になった家人を密かに殺し埋めていたって話をきいたことがある。……鬼女・岩手の血筋だ」
例の事件当日のことを時系列で整理してみよう。
朝、八時三十分。稲荷組若頭・豊永が、吉森先輩に因縁をつけた。しかし世話役の岩田さんの仲裁で引き上げる。
三時に吉森先輩が役場に引き揚げる。
五時半に現場を離れた僕が、写真館にゆく。
そして、夜から未明にかけて遺跡が荒らされる。
翌日朝方には、事件が発覚、同日中に容疑者・豊永が逮捕される。
問題になるのは、豊永の行動の夕方五時三十分から翌朝八時三十分までの行動だ。この間に、豊永が重機で遺跡を壊し、ベルトコンベアのコードを切った。
豊永逮捕の決め手になったのは、犬の散歩をしていた人が、遺跡地にリムージンが入っていたのをみたということが警察に決め手になったからだ。
しかし、重機パワーショベルの鍵は岩田さんが持っていた。確かに当時の鍵は複製が容易だったのだが、重機オペの資格を持たない豊永の犯行だとするには無理があるのではないだろうか。手下の若衆にしても同じだ。
岩田さんは、数代に一人の割合で狂人をだすという吉森一門だということも和尚からきいている。
たぶん。
吉森先輩に気があるトンマな豊田は、ちょっと脅かしてやろうと、ベルトコンベアのコードを切った。
だが、パワーショベルで遺跡の一部を壊したのは吉森先輩と岩田さんだ。死者ではあったのだけれど、壊された墓穴に埋葬されていたのは、吉森先輩の御先祖なんだろう。吉森先輩が親戚の岩田さんに頼んで壊したもらったんだ。……何代に一度か、一族が体験することになるあと始末。放置していても当事者の遺族以外は誰もが忘れている村の歴史・サイコパスによる〝大量殺人事件〟。
吉森先輩と岩田さんの醜聞もみ消し工作は、結果として、豊永の犯行に上乗せられることになった。
そんなことを考古総会の帰りに乗った下りモノレールで妄想していたというわけだよ。
7月といえば〝アルファポリス・ミステリー大賞〟の読者投票・選考期間期間をやっているので、協賛というか、便乗のような格好で掌編推理……的なものをつくってみた拙であります。はい、もちろん、そっちの参加は――おさぼりしましたあ。(奄美)