I'm not a good girl
『ねぇ、杏奈。本当にこないの?』
携帯電話越しに親友からの悲しそうな声がする。
「うん。ごめんね」
『そっか…残念だなぁ…久しぶりに杏奈に会いたいよ』
「…私も香苗に会いたい。でもね、同窓会には行きたくないの」
『…わかった。しょうがないよね。修ちゃんが幹事だから、私から伝えておくね』
「うん。ありがとう」
私は1枚のハガキを引き出しの奥にしまい込んだ。
8年前、私は父の仕事の都合により住み慣れていた平和で小さな街から転校することになった。
転校してからも友達で居続けてくれる香苗には会いたいんだけれど…
会いたくない人がいる。
多分、香苗はそれを分かっていてくれるから、深くは追求してこないのだろう。
気分を変えようと立ち上がった時、携帯の着信音が鳴った。
表示された名前をみた時、長電話になりそうだったので、また座ることにした。
「もしもし」
『野々山!何で同窓会にこないんだよー!香苗に聞いたぞ!』
「だって遠いし…」
『それはそうかもしれないけれど。不参加なのは野々山だけだぞ』
「え、嘘」
『本当にだよ。成人式にも来なかったしさ。冷たいやつだな』
ちょっと怒ったような口調。
それはそうだ。
この電話の相手はクラスのリーダー格で、こういう催し物が大好きなのだ。
皆が参加しないと納得いかないようで、成人式に行かないと決めた時も、こうやって電話がかかってきた。
「ごめんね。でも、行きたくないんだ」
『香苗からは無理強いしないでって言われているんだけどさ。香苗、寂しがってたぞ』
「え?」
『野々山、こっちに全然帰ってこないじゃん。香苗はそっちに遊びに行ったりしてるけど、お前は一度もこっちに帰ろうとしないから、此処が嫌いなんじゃないかって…自分が嫌われてるのかもって心配してるんだよ』
「香苗のこと、嫌いなわけない!」
『分かってる。だけど、多分もう二度とこんな風に皆で集まる機会なんてないんだから、香苗のためにも同窓会、来てやってくれないかな?』
彼のこんなにも真剣な声を初めて聞いたかもしれない。
「…わかった。考えておくから」
『じゃあ、いい返事待ってる』
そう言って、修ちゃんこと西田修斗くんからの電話はきれた。
成人式の時は行かないことをしぶしぶ納得してくれたのだけれど、今回はそうはいかないみたいだ。
香苗と西田くんは幼なじみで今でも本当に仲がいいようだ。
西田くんにそう言ったのなら、それが香苗の本当の気持ちなんだと思う。
気づけば引きだしにしまったはずの同窓会のお知らせのハガキを手にしていた。
「…なんのハガキ?」
「わっびっくりした…ノックしてよ…」
小さな声が聞こえて、振り向くと彼氏の巧が立っていた。
「したけど、気づいてないみたいだったから。おばさんも杏奈は部屋だから入っていいよって」
「うぅ…まあ、そうなんだけど」
ノック音に気づかないほど、考え込んでいたのだと気づく。
まあ、彼のノック音は元々か細いものなんだけれど。
「で、それなに?」
彼は私の手元にあるハガキをチラリと見た。
「同窓会のお知らせ。行くか迷ってて」
「行けばいいじゃん。飯塚さんも来るんでしょ?」
香苗は何度かこっちの家に遊びに来てくれたので、巧とは何度か面識がある。
香苗は誰にでも別け隔てなく接するとてもいい子なので、巧とも仲がいい。
「うん。だけど…」
「なんかあるの?」
「いや、遠いなーって思って」
ニコッと作り笑いをする。
行きたくない本当の理由は彼にはとても言いづらい。
「うーん、それだけならさ。行っておいでよ。僕、タイムカプセルなんて埋めたことないから、そういうの羨ましいよ」
優しい口調で私を説得していく。
「それに、クラス全員でお互いのいいところを書いて埋めたんだよね?開けてからのお楽しみだって。飯塚さんから聞いた。僕、他の人が書いた杏奈のいいところ、みたいなぁ」
優しい笑顔でそんなことを言われてしまってはもう敵わない。
「…わかった。同窓会、行くね」
その夜、香苗に電話して同窓会の参加を伝えた。
香苗は本当に嬉しそうで、同窓会の日に香苗の家でお泊まりすることになった。
はしゃぐ香苗の声を聞いてたら、少しだけ気が楽になった。
だけど、やっぱり少し気が重い。
巧とはもう出会って8年になる。
引っ越し先の家がお隣さんだったのだ。
高校2年生の時に付き合い初めてもう5年が経つ。
彼を好きな気持ちに変わりはないけれど。
だけど、私は初恋の彼に会うのが怖いのだ。
初恋の彼に会ってしまったら、巧への気持ちは消えてしまうのではないかって…思ったから。
だから、成人式にも行かなかった。
昔から彼は誰よりも格好良かったけれど、多分今でもそれは変わりないのだろう。
だからこそ、転校した時に消したはずの感情が戻ってくるのが怖いのだと思う。
初恋は涙とともに心の奥へ閉じ込めたはずなのに。
心がざわめくのは何故だろう。
そして、同窓会当日。
当然、初恋の彼がいた。
想像よりも格好良くなっていた。
背が随分と高くなって、声も少し低くなって。
だけど、無邪気に笑うその笑顔は変わっていない。
心臓が高鳴る。
心の奥底にしまっていたはずの箱が開こうとしている。
駄目なのに。私には巧という彼氏がいる。
ずっと支えてくれた彼がいるから、箱を開けては駄目なんだ。
タイムカプセルが掘り起こされ、空き教室を借りて皆でメッセージを読むことにする。
一つ一つ。
大事に読み込んでいく。
やっぱり多いのは、先生のいうことをよく聞いているとか姿勢がいいとか…
そういうことばっかりだ。
私はいい子なんだ。
小さな頃からママや先生の期待に応えようと必死だった。
最初は褒めて貰えることが嬉しくて、頑張っていたのだけれど。
いつからか周りからの期待に応えることが義務に感じて。
自分のやりたいことに素直に行動出来なくなって。
皆が褒めてくれた姿勢のよさも、先生の話をちゃんと聞いているのも、よく褒めてくれる女の子らしい長い髪も。
全部、ママや大人の人が喜ぶから。
いい子でいるのはもう慣れた。
だけど、ワガママを言いたい時もあるし、疲れちゃう時もある。
それを分かってくれたのは香苗と巧だけだった。
一つずつ開いていって、初恋の彼である中本くんへのメッセージに辿り着いた。
そこに書かれてあったのは、“姿勢がよくて、大人しくて真面目”の文字。
皆がいいところを1つ書いている中で3つも書いてくれているのはとても嬉しかった。
だけど、純粋に彼からのメッセージを喜べない自分がいた。
立ち上がり教室をでる。
香苗が心配そうに見つめてきたので、携帯電話を見せて笑ってみせた。
教室をでて、電話をかける。
『同窓会、楽しんでる?』
電話をでて、1番にそう言った巧の声を聞くとなんだか落ち着いた。
「うん。来て良かったかも」
『…何かあった?』
流石だなぁ。巧は。
私の気持ちをすぐに見透かすんだから。
「ねぇ、私のいいところって何かな?」
巧の質問には答えずに、努めて明るく振る舞って聞いてみた。
『人のために純粋に頑張れるところ』
答えはすぐに返ってきた。
その答えに私は泣きそうになったのだけれど。
今は泣くべきじゃない。必死に堪えた。
「…ありがとう」
『明日、帰ってくるんでしょ?待ってる』
「うん。待ってて」
そう言って電話は切れた。
もう大丈夫だ。
そう思い、教室に戻ろうとしたその時。
目の前に中本くんが立っていた。
「野々山、ちょっといい?」
「うん。なあに?」
どうやら私が電話で話している間に、同窓会はお開きになったらしい。
教室がザワザワしている。
私達は人に聞かれないために、渡り廊下へ移動した。こちら側なら、人は来ないだろう。
彼が口を開く前に、私は例の質問をする。
彼から返ってきたのは、10年前と同じ答えで。
いい子な私を彼は好きになってくれて。
今、また好きなってくれたみたいで。
顔を真っ赤に染めながら気持ちを伝えてくれて、本当に嬉しかった。
だけど…
「ごめんね。私、中本くんが思っている程、いい子じゃないよ」
私がそう言うと彼はショックを受けた顔で固まった。
ごめんね。
本当に嬉しい。
いい子な私を好きって言ってくれて。
だけど、だけどね。
私が今、本当に好きなのは…巧なんだ。
中本くんほど外見は良くないかもしれない。
お酒は弱いし、身長だって低いほうだ。
おまけにすぐに風邪を引いちゃう。
声も小さくて、愛の言葉を囁いてくれることなんてほとんどない。
だけど、私のこと、ちゃんと理解してくれてるの。
いい子を演じている私を受け止めてくれて。
分かってくれて。
そんな貴方がいたから。
奥にしまっていた箱の中身がもう消えてしまったことに気づいたの。
目の前にいる彼への気持ちは幼い恋心で。
胸がときめいたのも、懐かしい気持ちからだったことに今、気づいたよ。
「私ね、向こうに大切にしたい人がいるんだ。だから、連絡先は交換できない…ごめんね」
目の前の彼にそう告げる。
彼は無理矢理笑顔を作って、私に「また何処かで」と言った。
私も笑顔でそれに応える。
今の笑顔は心からの笑顔。
本当の私の笑顔。
ありがとう。
いい子な私を好きになってくれて。
そして、これほど時が経っても…
また好きになろうとしてくれて。
初恋が君で良かった。
8年前も今も、私は君を拒絶してしまったけれど。
君が私を好きになってくれたことは、
大事な大事な宝物です。
今日、君に出会えて良かった。