四舞姉妹と終い天神
なぜ怒っているのか、と問われるなら、名前を間違えられたから答えただろう。
ただ、私にその問いを行うべき人物は残念ながら、その問いを行わなかった。反対に私が、
「うちにはいつからこんな奇妙奇天烈な生物が住む天外魔境になったのか?」
、と訊ねてしまった。
私は先程までの怒りなど忘れて、私たちの部屋の真ん中に置かれたこたつから顔だけちょこん、と出した新種のカタツムリに声をかけた。一時間前までいなかったこたつの殻を背負ったカタツムリは器用に顔だけを動かして私を見ると言った。
「早いおかえりだったね、ひめちゃん。デートって早く終わるものなのね」
「まいちゃん、それ本心から言っている? デートが一瞬で終わるなら映画のほうが時間を潰せていいかもね」
私が憮然とした表情で答えると、彼女はまるで本物のカタツムリのように目だけを動かして時刻を確認すると微笑んだ。
「嘘。冗談なの。初デートを五分も経たずに怒って帰ってきたひめちゃんに少しでも和んでもらおうという私からの愛なのです。家から駅までの往復は寒かったでしょ」
私の家から彼と待ち合わせをしていた駅までは自転車で三十分。往復で一時間である。私がデートに行く、と言って家を出たのが一時間前のことである。つまり、私は彼と会ってすぐ帰ってきた計算になる。それゆえに彼女は私と彼がご破産になったのだと推理したのだろう。
「愛というなら、この傷心の妹を慰めてよ。塩を塗りつけるようなことばかり言って」
「私はこたつという殻にこもったカタツムリなの。塩に触れると溶けてしまう。だから、塩は塗れないの。愛おしい妹」
いつから私の愛おしい姉はカタツムリとこたつのハイブリッド生物に成り果てたのだろう。少なくとも二学期の最終日である今日。十二月二十五日の朝までは同じ人間であった記憶がある。彼女がまだ人間であったときは四舞舞と言って私の双子の姉であった。そして、彼が出会い頭に呼んだ女の名も「舞ちゃん」であった。
クリスマス前に告白された時から薄々感じていたのである。彼は私ではなく、私たち四舞姉妹の外観が気に入っているだけなのだ、と。だから、付き合うのは私でも舞でもどちらでも良かったのである。確率が高そうな方に声をかけてみて、見事に引っかかったのが私、というだけの話だ。
「ひめちゃんは名前からして男運ないんだから気をつけないとダメだよ」
私と同じ顔をしたカタツムリが、心配げな顔でこちらを見ている。男運がない名前と言われると、たしかに、と頷くしかない。国語の教科書で森鴎外の作品があったとき、私は心底から父を恨んだ。私の名は、四舞姫。異郷の地を訪れた日本人と恋仲になり、彼の子を身籠ったにもかかわらず、捨てられた女の物語と同じ名前なのだ。
「それを言うなら私たちが揃えば、舞と姫。あわせて舞姫で二人とも男運がないことになるんじゃ?」
「だから、私は男を作らないし、信じない。実の父さえも信じていない」
独立心の強い女性のセリフとも取れなくはなかったが、こたつに強い依存を示す舞の言葉には現実味は全くなかった。それどころか、まいまい、というカタツムリの別称を強く思い出させるだけであった。頑なな殻を持つ割に入口はがら空き、まさにまいまいである。
「ご立派な覚悟だと思うけど、いい加減こたつから顔以外も出さない? 姉を見下ろしながら話すのは少し心苦しいし、何より寒いから私もこたつに入りたい」
「嫌。ひめちゃん外から帰ったばかりで冷えているもの。そんな冷えた体でこたつに入られたら温度が下がる」
舞はそういうと、顔をこたつの中に引っ込めた。篭城する気である。しかし、私とてこのまま寒い思いをするのは嫌である。ここはいささか強引であるが、私はかたつむりを無理やり引き出すことにした。外気で冷えた手をこたつの中に入れる。ちょっとまさぐると舞の顔らしきものに触れた。
「冷た! ひめちゃん。乱暴はダメ! やめて、あっそんなとこ触っちゃ……」
全くどこまでも楽しそうな姉である。私は問答無用とばかりに舞の両腕を掴むと彼女を引き釣り出した。角だせ槍だせ あたまだせ、とばかりに引っ張るとこたつから舞の姿がにゅるり、と出てきた。
「ああ、寒い。どうして、そんな意地悪できるの」
軽めのボブヘアーをした少女は私と顔も髪型も全く同じであった。平安時代ならかなり短めのあまそぎ、といった髪型である。よくご近所の人からも間違えられることがあるが、自分の彼氏から間違われることがあろうとは思いもよらなかった。その点、両親とはすごいもので私たちの区別がつくらしい。これが愛のなせる技というものかもしれない。そう考えれば、やはり彼には愛がなかったのだろう。
私が、自己完結に浸っていると舞が言った。
「今日は何の日でしょう?」
「クリスマスです。恋人がいちゃいちゃらぶらぶくそったれた西洋文化であります!」
ヤケクソ気味に私が言うと、舞は「キリストはラブラブしてないけどね」、とぼそり、といった。
「残念ながら違います。今日は終い天神です」
「姉妹?」
私が自分と舞を交互に指さすと、彼女は首を左右に振った。
「違います。終い。終わりの方。ラスト、最後、オーケー?」
最後の天神。なかなかかっこいい響きである。そういえば宗教用語には『最後の』とつくものが多い気がする。一番メジャーなところでは晩餐、次点で審判なんてものがその最たるものではないだろうか。
「理解した。で、終い天神って何?」
「何って、ひめちゃん。高校近くの四乃山天満宮ってわかる? そこの今年最後の縁日のことだよ」
「あー、なるほど。そういえば何年か前に行ったね。天神さん」
「三年前だよ。どうして行ったかは覚えてないの?」
三年前。何があっただろうか。特に波風のない人生だった私の半生には神頼みするようなこともなかったように思える。ならば、なぜ天神さんにいったのだろうか?
「たこ焼き食べに行ったんだっけ?」
「ひめちゃん。そんなのだから期末試験が実のない数字だったのね」
確かに実や曲線の少ない点数であったことは認めよう。だが、少し棒線だけで書ける数字が多かっただけである。幸いというべきか、休みの期間が短い冬休みには補習がない。これが三学期末で同じ結果ならば、補習がついてくる。それに失敗するようなことがあれば留年というとても悲しい現実と直面しなければならないが、私には最後の手段が残されている。それは、私と舞ちゃんが入れ替わるというミステリー小説もびっくりの入れ替りトリックである。
私の人生がかかっているといえば、この妹思いの姉は嫌だと言わないだろう。
「禁断の果実には手を出さないようにしております。楽園を追放されるのは嫌だから」
「ひめちゃん……、それって留年したいって意味なの? 止めはしないけど、留年は一年だけにしてね。成人式で私は振袖、ひめちゃんは制服とか笑えないから」
見た目は女子高生、年齢は二十。その名は四舞姫。なんていうのは、確かに笑えない。ああ、勉強は大切だ。勉強しなくては、大学入試にも合格できそうにない。大学? ああ、そうか。そういうことか。
「高校入試の前に願掛けに行ったんだ! 天神さん」
「やっと思い出した?」
呆れたような顔で私の顔をしげしげと舞は見つめると、ふふっと小さく笑った。なにか思い出したのだろう。
「そういえば、くじ引き屋さんの当たりくじが箱のどこに隠してあるか分かった?」
「えっ? なんのこと?」
「三年前の終い天神で、ひめちゃんがくじ引きの屋台でスカしか当たらない。イカサマだろって店のおじさんと喧嘩したこと覚えてない?」
そういえば、そんなこともあった。
三百円一回のくじ引き屋が縁日に来ていたので、高校合格の願掛けを終えた私は、今年最後の大勝負と、ばかりに挑戦したのである。結果は六戦六敗の惨敗。めぼしい商品は一切当たらず、スカばかりだった。
くじの入っている箱は真っ黒なプラスチックでできた正方形。箱は綺麗に溶着されているのか、隙間一つなかった。箱の天頂には、ちょうど手が入るくらいの丸い穴があいており、そこから手を入れて箱の底にあるくじを引くというシンプルなものだった。
あまりの当たらなさに私は店のおじさんに文句を言った。
「この箱に本当に当たりなんて入ってるの?!」
私が食ってかかると、おじさんはむっとしながらも
「うちはちゃんと当たりくじを入れている!」
と、言いうと店のカウンターから身を乗り出して私と同じように二枚引いた。
くじを一枚ずつ開くと、二枚とも当たりくじであった。これを見た私はおじさんを信用して、さらに五回引いたが、当たりは出なかった。
「おじさん、本当は当たりくじを最初から握っていて、あたかも箱から引いたように見せたんじゃないの?」
意地になっていた私は、どうにも納得いかず。さらに抗議するとおじさんは、手をぱっと開いて手のひらと甲を見せた。
「嬢ちゃん。俺は何も握ってないな。じゃー引くぞ」
そう言っておじさんはまたカウンター越しに箱に手を入れて、一枚のくじを引いた。カウンターが邪魔なのか、体を乗り出して、非常に取りにくそうだった。
「めくってみな」
そう言われて私が、くじを開くと今度も当たりくじであった。私は驚いておじさんを見つめた。おじさんは、すまし顔で「入っているだろ。お嬢ちゃんに運がないのさ」、と私の運の無さを責めた。
「おじさん、私も三回いいですか?」
まだ納得いかず、おじさんを睨んでいた私を尻目に舞が千円札を差し出した。おじさんは私とそっくりな女の子がもう一人現れたことに驚きながらも少しほくそ笑むように「三回引きな」、と言った。
舞は、箱に逆手で手をいれると三枚のくじを取り出した。
「ひめちゃん、めくってみて」
舞は悪戯げに微笑むと、くじを差し出した。私はきっと舞もはずれている、と思いながらもその三枚を開いた。驚いたことに舞の引いたくじは三枚すべてが当たりだった。私は私が引いたわけでもないのに得意顔でおじさんにくじを見せつけた。おじさんは私と舞の顔を代わる代わる見て、大きなため息をついた。
おじさんの苦虫を潰したような顔に、私は溜飲が下がる思いだった。
「ひめちゃん、好きなの一つ選んでいいよ」
「えっ? いいの?」
舞は、当たりくじの一枚を私にくれた。そのとき、私は大きなクマのぬいぐるみを選んだ。舞は持って帰るのが楽なものがいい、と言ってゲームソフトを二本選んでいた。その後、そのゲームで遊んだ記憶がない。あのゲームはどうしたのだろうか?
ぬいぐるみを片手にホクホク顔であった私は、くじ引き屋から少し離れたところで舞に尋ねた。
「どうして、当たりくじが分かったの?」
私は、十一回も引いたのに当たりは皆無。それに対して舞は三回だけで三枚の当たりを引いている。これを運というのには、いささか出来過ぎだと思ったからだ。それに、双子の片方だけが運がいいなんて狡い、というひねくれた感情もあった。
「あのくじ引き屋さんは良心的だね。ちゃんと当たりが入ってた」
答えにならないような返答に私は、少し苛立った様子でもう一度、舞に尋ねた。
「なんで分かったの?」
「ひめちゃん。あの箱の中に当たりくじはちゃんと入っていた。でも、取れないようになっていた。それだけなの。どういう風に取れないようになっていたか分かったら、このゲームはひめちゃんにあげる」
ああ、そういうことか。だから、あのゲームで遊んだ記憶がなかったのだ。私は、この問題をまだ解き明かしていないのだから当然である。そもそも、箱の中に入っているのに取れない、というのはどういうことなのか。取れない、というわりにはおじさんも舞も取り出していた。つまり、普通にしていては取れない、ということだ。
急に黙り込んだ私を小首をかしげた舞が見つめる。
「ひめちゃんにヒントをだそうか?」
「助太刀ご無用」
私は舞からのヒントを断ると、舞と全く同じスペックであるはずの脳をフル回転させる。一卵性双生児である以上、スペックは同じあるはずなのである。舞に解けて、私に解けないはずはない。
まず、状況を整理しよう。
事件は狭い箱の中で起こった。箱は真っ黒なプラスチック製で、くじを隠したり、外から入れるような隙間はない。しかし、おじさんと舞の二人は自在に当たりくじを取り出していた。
舞は当たりくじは、箱の中に入っている、と言った。外部から持ち込まれたのではない、とすれば犯行時、当たりくじ(はんにん)は箱の中にいた、ということになる。だが、私の手は当たりくじを掴むことができなかった。
箱が二重底になっていた可能性はないか。いや、ダメだ。あの箱はきっちり溶着されていて底にも一切の隙間がなかった。もし、二重底になっているのだとすれば、どこかで壁と底で隙間が生じる。それに隙間がわからないくらいぴったりしていれば箱の中で二重底を開けること自体が難しくなる。
ならば、くじ自体に細工があった、というのはどうか。例えば、当たりくじがツルツルした紙質。ハズレはザラザラした紙質にすれば区別がつくだろう。だが、ダメだ。私ははずれくじも当たりくじも開いているが、触った感触に違いはなかった。
違い……。私とあの二人との違いは何か? それは。
「まいちゃん、天神さんに行こうか?」
「えっ? 分かったの」
「全然! だけど、もう一回引けばわかる気がする」
根拠のない自信であったが、確信はあった。この三年越しの謎をお仕舞いにするのだ。
三年ぶりの終い天神は記憶にあるものよりも盛大であった。
正月飾りを売る屋台や定番のりんご飴、たこ焼きといった食べ物の屋台に混じって、その屋台はあった。少し白髪が増えたおじさんに真っ黒なプラスチックの箱。あのくじ引き屋である。私は大股で進んでいくとおじさんに千円を差し出すと言った。
「お仕舞いに来たよ」
おじさんは私の顔など忘れているのか。頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら「三回でいいかい?」と尋ねた。望むところである。この三回で見事、当たりくじを引いて見せてやる。舞はおじさんに顔を見られるのが嫌なのか、鳥打帽を目深に被って、口元はチェックのマフラーで完全に隠している。
「さぁ、当たるかな?」
小声で舞が楽しげに言う。
「当然!」
箱の中に手をいれる。底を確かめるように触る。やはり、隙間はない。念の為に、四方の壁も触ってみる。やはり、何もない。いたって普通のプラスチックの手触りである。
ならば、くじはどうか。適当に五、六枚枚を手にとって親指と人差し指でこすってみるが、違いはなかった。ここまでは、想定通りである。箱の底やくじには問題はない。しかし、当たりくじはこの箱のどこかに隠されている。そこはどこか?
「あっ!」
私は自分の閃きに声を上げると一度箱から手を出すと、今度は逆手に手をいれる。箱の底、壁面、そして天井に指が揺れる。ツルツルしたプラスチックの手触りに混じって紙の手触りがあった。きっとこれである。私は天井に貼り付けられたくじを三枚はがすと、箱から取り出した。
「まいちゃん、めくってみて」
私が飛びっきりの笑顔で言うと、舞はコクリ、と頷いた。
舞の白い指がくじを開く。くじには朱文字で当たりと書かれていた。次々に開かれた三枚のくじに書かれた文字は当たり。はずれは一枚としてなかった。
「あっ!」
おじさんが驚きの声をあげて私の顔を見つめる。
当たりくじは確かに箱の中にあった。しかし、それは箱の底ではなく天井にである。くじを引くとき天井を触る人間はそうそういない。なぜなら、くじは箱の底にあるからだ。天井は誰も触らない。それに箱に手を入れるとき、穴に向かって垂直に手を入れる。このとき手が順手だと天井を触るのはかなり難しい。逆手であれば触るのは容易だが、わざわざ逆手で入れるようなひねくれた人間は少ないはずである。
こうして、おじさんは当たりくじを天井に貼り付けることで、自由自在に当たりを選ぶことができたのだ。
「まいちゃん、前回のお礼。好きなの一つ選んでいいよ」
「じゃー……」
舞は少し考え込むと、長いあいだ残っていたと思われるクマのぬいぐるみを選ぶと「お揃い」と言った。そのぬいぐるみは三年前、私が選んだものと同じものだった。少しだけ汚れているけど、きっと私たちの部屋に居るクマも同じくらい汚れているだろう。
「私は何にしようかな?」
私がめぼしそうな景品を指差しながら悩んでいると、舞が屋台の隅に掲げられたものを指差した。
「地味なの選ぶね」
「でも、社務所で買うと五百円するよ。二百円お得なの」
「……おじさん、それ二つ」
その場合、ご利益はお値引きされてしまうのか、少し心配になりながらも私はそれを景品として貰うことにした。それは着物姿のお公家さんと大きな黒牛が書かれた絵馬であった。たぶん、公家が学問の神様で有名な菅原道真なのだろう。真面目そうなイメージがあるが、こんなギャンブルで手に入れた絵馬であってもちゃんと願いを叶えてくれるだろうか?
私たち姉妹は、絵馬を持って社殿の近くに行くと各々で絵馬に願い事を書いた。私の願いは一つである。舞も願い事は既に決まっていたらしく、迷わずに筆を走らせている。絵馬掛け所の前で私たちはお互いの絵馬を見た。
『まいちゃんが大学合格しますように』
『ひめちゃんが無事に卒業できますように』
無言のまま絵馬を掛けると、舞がたまりかねたのか吹き出した。
「ひめちゃん、自分のことをお願いしなよ」
「愛する姉の心配をして書いたというのに、なにこの絵馬。ひどくない? せめて卒業じゃなくって大学合格じゃない?」
私が抗議すると舞からは「今日は、終い天神。天神さんも明日から元旦まで冬期休暇。終業ぎりぎりの日に過大なお願いをするのは気が引けるから」、と菅原道真に対しての遠慮を口にした。私の大学合格はそんなに遠大な望みなのだろうか。
もう少し、問い詰めようかと思ったがやめることにした。まぁ、いいだろう。三年越しの謎も終いに出来たし、終い天神にも参ることができた。四舞姉妹にとってはいい年ではなかったろうか。
「まいちゃん、帰ったら三年前のゲームしようよ」
「いいよ。姉妹だから」