試験内容のご確認
クノラは運動が嫌いだ。疲れるし、動くのが面倒くさいから。というかそれ以前に彼は運動オンチである。50m走のタイムは10秒を切った試しがない。そのタイムは女子でも遅い部類に入るけれど、彼はれっきとした18歳男児であった。運動面において、彼はむしろ神がかっているほどに才能がない。
だからという訳ではないのだが、クノラは読書が好きだ。知識をより深く探究しようとするのが幼い頃から好きだったし、その方面には割と長けていた。
そのためなのか、彼は長い話を読んだり聴いたりするのを苦としない。それこそ、話に内容さえあれば一日中だって夢中になっていられた。
そう、だから。だからこそ、クノラは入学当初、本当に大きなショックを受けたのだ。
自分が、校長先生の話を最後まで集中して聴いていられない、という事実について。
「……でありますから、みなさんの未来を切り開くのはみなさん自身なのです。今お話ししたハゼル君のように、夢に向かって諦めなければ、たとえ不可能と言われていることでも、可能となるのです。ですから……」
校長先生、わかりました、わかりましたから。未来の話をする前に、今ぶっ倒れていく生徒たちをなんとかしてください。
休めの姿勢を取りながら、クノラはため息を吐く。さっきから体育館中で、ドーンという、何か重いものが倒れる音が続いていた。もう二十人くらいは倒れてるんじゃなかろうか。そう思っているクノラもこめかみに重い痛みを感じていた。せめて座らせてほしい。できたら話を終わらせてほしい。
レザルカ学園の校長は、はっきり言って、話が長く内容が薄い。残り少ないケチャップを水で薄めて誤魔化して使っている感じだ。クノラは十八年の人生で、初めて人の話を苦痛と感じた。彼にこんな気分を味わわせたのは、後にも先にもこの校長一人だけである。
そもそも、卒業試験の開始宣言のためだけの集まりで、なぜこんなに長い校長の無駄ばなーーー失礼、お話を聞かなければならないのか。それには実に明快な答えがある。このレザルカ学園の卒業試験は少々特殊なため、実際この集まりは学び舎との別れも兼ねているのだ。つまり、他の学校の卒業式と近いポジションに位置する行事なのである。そういう流れで今、校長先生からのありがたいお話が展開されている。正直いらないと思う。
というか、生徒たちはもともとこれから試験ということで緊張しているのだ。そんな中で話を聞くために長い間じっとしていたら、そりゃ倒れもするだろう。クノラはバッタバッタと倒れていく同級生が気の毒だった。自分も倒れる危険性があると気付き、なんだか悲しくなった。
最後の、「これをもって校長からの話とさせていただきます。みなさん頑張ってください」という部分だけちゃんと聞き取り、礼をする。たぶん生徒の誰も真面目に聞いちゃいなかった。むしろ校長が気の毒になった。
心なしか寂しげな校長の背中が降壇する。可哀想に見えるけれど、申し訳ないが同情する気は起きない。
校長が自分の席に座ると、ようやく本題、本日の本来の目的である。校長先生の与太話なんざオマケに等しい。
「では、卒業試験の概要説明に移りたいと思います。ミミ先生、お願いします」
女教師のアナウンスに、なんとも言えない感じだった体育館の空気がぴんと張り詰める。校長の背がしょぼんと丸まる。
アナウンスに促され登壇したのは、若い女性だった。教師、と呼ぶには幼い顔立ちをしているが、纏う雰囲気は凛と落ち着いている。短い黄緑色の髪は先に行くにつれて緑が濃くなっており、両わきの一房だけ長く伸ばされていた。
彼女は静かにステージ中央まで歩むと、スタンドマイクの前で実に優雅にお辞儀をする。そうして体育館いっぱいの受験生の視線を一身に集めると、息をすっと小さく吸った。
「みなさん、おは『キィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ」』
マイクから鳴り響く高音。耳を塞ぐ女性ことミミ。白い目になる生徒たち。空気が一気にたるんだ。
ハウリング。この緊張のさなかハウリング。超絶バッドなタイミングだった。しかもなぜか妙に長い。高音はいっこうに鳴り止む気配がない。
だがそこは流石教師。耳にクる音に若干涙目になりつつ、ミミは片手で生徒の半眼に応じると、マイクに右手をかざした。魔法で音を止ませるつもりなのだろう。
かざした手に淡い光が発生する。それが寄り集まって光球となり、マイクに注ぎ込まれた。呪文詠唱無しとは、かなり高度な魔法だ。
しかし彼女は気付いているのだろうか。基本、電力と魔力は相性が悪いのである。いくら魔法学園とはいえ、マイクは流石に電気で動いている。
ザザザッ! ボンッ!
果たして、大方の生徒の予想通り、マイクは最期にスピーカーから砂のような悲鳴を上げ、爆発した。
『……』
「…けほっ、こほっ……」
体育館の空気がさらに冷たくなる。マイクから発生した煙をもろに吸い込んだミミの乾いた咳が、やけに響く。
『………………』
うちの教師はこんなのばっかりか。クノラはとても残念な気持ちになった。
残酷なほどの冷たい沈黙の中、ミミはもういろんな意味で涙目になりながら、自分の喉を人差し指でつついた。一瞬彼女の首を白い光が包み、すぐに掻き消える。彼女は一度深呼吸すると、そのまま口を開いた。
「みなさん、おはようございます」
マイク無しなのに、声がまるでマイク越しであるかのように大きく響く。アンプ魔法の一種だ。魔法は一流なのにな……とクノラは遠い目をした。
場内がちょっと落ち着いたので、ミミは話を始めた。
「晴天のこの日。みなさんはこれから始まる卒業試験や新しい生活に、期待や不安を膨らませていることと思います。そう、そんな日に! この私の! 素晴らしい魔法の高度テクを見られるなんて! みなさんはとても幸福なーーーー」
瞬間、ミミにほとんど殺意に似た視線が大量に突き刺さった。ミミはごめんなさい冗談ですごめんなさいと土下座をした。クノラは正門前のブロンズ像を思い出した。
立ち上がったミミは軽く咳払いし、今度こそ本題を話し始める。
「えぇっと、それで今から、みなさんに受けていただく卒業試験の説明を始めたいと思います。はい」
それが本題なのに、なぜかミミを含めた全員がもう既に疲れ切っていた。来年からは違う人が説明すればいいとクノラは思った。
会場を一度見回して、生徒たちが完全に落ち着いたことを確認し、ミミは再び凛とした声を発した。
「この試験の内容は、ほとんどの人はもう知っていると思いますが……」
ここで彼女は、にっこりと微笑んだ。
「街に出て、一定ノルマの魔物を、倒していただきます」
ふーっと、体育館のいたる所から息を吐く音が聞こえる。意外だったわけではない。この学園の卒業試験は伝統的にそうなっているのだ。だがやはりはっきり告げられると少なからず落ち着かない。なにせほとんどの生徒が、学園の敷地外での実戦はこれが初となるのだ。
「ルールは至って簡単です。どんな手を使っても良いので、魔物を倒してください。行動場所、行動範囲は自由です。国外に出てもらっても構いません。また、基本的に制限時間はありません。合否は全て、討伐できた魔物によって決まります」
「討伐のノルマは、今年度の世界の魔物の平均保有魔力量を1ポイントとして、合計100ポイントになります。つまりだいたい100体の魔物を倒すことになりますね。もちろん魔物の魔力にも個体差があるので、弱い魔物ばかりだと100体より多く倒さなくてはなりませんし、強い魔物を倒すと100体も倒さなくて済みます。あくまで魔力量を換算しますから。あ、平均保有の魔力量ですよ。平均所持魔力量ではありません。みなさんが討伐した魔物の魔力量も、保有量の方を測定しますので」
ちなみに保有魔力量とは、魔物が身体に宿せる魔力の上限であり、所持魔力量とは討伐された時にその魔物が持っていた魔力の量のことだ。生徒は誰もそんな細かいことは気にしないが。
「魔力の測定は、この後のホームルームで配布されるイヤカフ型の魔法器具で自動的に行われます。あと……詳しいことは測定器と一緒に渡される『ルールブック』に書いてあるので、それを見てください」
以上です、と彼女は美しく微笑んだ。が、次の瞬間「あっ」と間の抜けた声を出す。
「ちなみにですけど、この試験って平均で5年くらいかかるから、あんまり急がなくていいと思うよ。あ、言うの忘れてた。あの、試験合格したらイヤカフが学園に教えてくれるからね、わざわざ報告しに来なくていいし、イヤカフも返さなくていいです。ノルマを達成したら、その時点で君たちは自由だよ。それと、この試験は制限時間がありませんから、一生合格出来ないままというケースもたまにあります。だけどその場合、ほら、レザルカって高校卒業しないと就職出来ない都市でしょ? 試験に合格しないうちはみなさんまだ高校生だから、バイト程度しか出来なくなるので気をつけてね。合格したら就職してもいいからね。あと、これすっごい重要なんだけど。授業のシミュレーション戦闘じゃないから、気ぃ抜いたら死ぬからね。毎年何人か死んでるからね。死なないで!
以上、ミミからのお話でした〜。みんな、『世の為たれ』だよ! がんばっていい勇者になるんだよ〜!」
硬い口調を解いたミミが、テンションの高いまま一礼してステージを降りる。なんだか砕けた言い方の時に、聞き流せない情報があったような。いつの間にか生徒たちの空気は初めより緊張している。え、ウソ、死亡事例あんの? やだ、初耳なんだけど。……会場が一気にざわめき出す。
動揺する生徒たちの傍らでは、教師たちがなんとも言えない表情をしていた。彼らは『勇者』の部分に引っかかっていた。別に何か問題がある訳ではないのだが、ただ、『勇者』と名乗る人はなぜか世間一般的にイタい子として扱われているのだ。魔物討伐で世間に貢献しているにも関わらず。
とはいえ教師たちは、彼女の発言がアレな感じに聞こえたから渋面を作ったのではない。実はレザルカ学園の教師はほとんどが勇者やその仲間だったりする。そのため、自分たちが経験した、『勇者』に対する可哀想な子みたいな評価を憂いて、複雑な心境になってしまったのである。彼らは、教え子たちが変な目で見られませんようにと心底願った。