第三夢十夜 ごく普通の終着駅(第二十五夜)
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その終着駅は結構大きかった。三本のプラットフォームがあり四つの番線がある。各ホームの延長も十分にありその他の設備も何ら不自然なものは無く、都会、町の駅として何も不可解では無かった。
しかしその立派な終着駅には私の他に誰も居なかった。また異様に静かだった。何一つ物音がしない。駅の外には綺麗で新しい家々が並び、都会の真中ではないので高層のものは無いがそれなりの高さのビルも見えた。改札口から覗くと外は舗装道路がロータリーとして接しており、普通のごく自然な駅であるのに、そしてこの規模の駅と駅前からすればかなりな数の人間が移動していなければならないというのに、誰一人居なかった。だが私はその不自然さに心奪われる前に別のものに全ての注意を注いで仕舞った。それはあまりにも駅の構内に差し込む陽光が綺麗で麗しかったからである。既に夕方だった。陽の光が斜めに射している。そしてそれは駅の屋根の上から、改札口から、線路脇に立っている大きな看板の間から、そしてあらゆる隙間から駅の中に入り込んでいる。それが何しろ美しいのだった。だが美しいだけではなかった。それは何だか……凄かった。凄いものに私が接した時私は必ず言葉を奪われる。この時も間違い無くそうだった。私は何かに打たれていた。しかしそれが、私を打ったものが何であるのかは、全然分からなかった。おまけにそれを幾ら考えても無駄である事をその時点で何故か既に完全に知り抜いていたのである。
私は自分の居るプラットフォーム上をうろうろと歩いてみた。一方の先端まで歩き其処まで来たら反対の先端までまた歩いて行ってみた。何の不自然さ不都合も無い。駅員を含め夕方なのに誰一人居ないという事実一つを除けば、それはただ美しいだけの満ち足りた場所であるだけだった。私はベンチに座り此処が何処なのかを思い出そうとした。以前来た事がある場所だという感覚は一切無かったけれども。しかし普段の暮らしで自由につかう事の出来る金が殆ど無い暮らしの私だ。そんなに遠くまでやって来ている訳が無い。何処か私の家から近い場所近い駅である事は間違い無い。私は不図思い付きプラットフォームの上に掛かる駅名表示板を探した。それは直ぐに見付かった。其処には矢張関西の、私の住む家から私の月間の小遣いで行く事の出来る土地の名の駅名が表示されていた。しかし国鉄ではない。私鉄の駅だった。或る私鉄の或る支線の終着駅だった。慥かにその存在は知っている。だが今までに訪問した事のある駅ではない。それが今私の眼前に、それも誰一人人が居ない状態で見えている……。
私は考え込んで仕舞った。だがそのうちに何故か不思議な程素直に次の如き観念を受け容れた。
「これは本当に、あの近いのに行った事の無い駅なのだ。あの駅は屹度本当にこんな構造の駅であるのに違い無い。まだ行った事は無いけれども、行けば私はこの光景を思い出すのに違いない。これは……、私が本当にあの駅を訪ねた時の喜びを最大にする為に、誰かが夢で私に運んで来てくれた映像なのだろう。これで私はあの駅が本当に今私が見ているこの光景と同じかそうでないかに関係無く、ただあの駅を訪ねる事だけでわくわくする事が出来る。其処に行けば何か私の人生にとって重要なものに遭遇する事が出来るのだ。そうだ、そうに決まっている。だって運命が夢でこんな序曲をわざわざ用意してくれるくらいだからな。とても重大な何か、そんなものが待っている事は最早疑いが無い」
この時点で私はもう自分の見ている、自分がその中に放り込まれているこの映像が夢である事を分かっていた事になる。しかしそれにしては夕暮時で混雑する筈であるのに誰も居ない不思議な駅の異様さを、その美しさを、私は存分に楽しんでいた。
「これは私の為に運んでこられた映像だ。だから一人も人が居ないのだ。私への予言であるなら、其処に他の人は必要無いのだから」
「しかし、だとしたら、此処にはもう一つ何か『仕掛け』が無いものだろうか。単に未来の映像を私の眼前に見せるという事以外の、もっとこう、後になってあれは呆然とした意識の産物で別に予言でも祝福でもなかったのだという解釈を許さない程、決定的で致命的な、意味を猛烈に限定して仕舞う何かが無いものだろうか」
「静寂というのは何故か神秘的だな。それに何だか崇高な感じさえする。何か私にとって余程良い事が、本当のこの駅に行った時に私を待ち受けているのだろうか」
「いや、安息とは限らない。今私が目にしているこの場所があまりに静かでまた夕陽が美しいものだから、私が錯覚しているのかも知れない。若しかしたら現実のこの場所には、私の人生に於ける全くもって望ましくない契機が潜んでいるのかも知れない」
私は様々に思いを巡らせていた。そしてその間中列車も人も来なかった。物音も全く響かない。多分私が此処に居る間はずっとこんな風に静かなままなのだ。何故かは知らないがそれは屹度論理的に必然であるのに違い無い。
いつの間にか蹲んでいた私はゆっくりと立ち上がった。そして両目を閉じて心に思った。
「ありがとう、私を導く者よ。今日あなたが私にこれを見せてくれた事は本当に私の慰めだ。私は時々忘れてはならない事を忘れて仕舞う。そんな大切な事を忘れるなんて自分でも信じられない、そんな事を本当に忘れて仕舞うのだ。だからあなたはこれからもこうして時々私にはっきりとした映像を見せてほしい。そうすると私は自分が追い駆けている目標が何なのか、私自身が一体誰なのか、そして私の大切な人とは誰なのかを思い出す事が出来るから。私にはあなたが必要だ。私を導いてくれるあなたが。私を人生の終わりにまで、私が私の使命をちゃんと果たした上で辿り着ける様に、導いてほしい。私はあなたを信頼しているから」
此処で目が覚めた。
その後、私は本当にこの駅に行った。夢で見たのとは大違いだった。そんなに大きな駅ではなかったし、何より時間帯の所為もあったのかも知れないが駅構内は押すな押すなの満員だった。情緒も崇高さもへったくれも無かった。しかし私は喜んでいた。あの夢で見た駅名表示板は確かにこの駅名だったが、若しかしたらそれを一枚捲ってみたら全く別の駅名が書いてあったのかも知れない。だが何にせよ、私は混雑極まるその人混みの中を嬉しそうにしながら苦労して帰りの列車に乗った。
敢えてこの駅名を明かす事にする。これは阪急電鉄箕面線の終着、箕面駅である。
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