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第4話 広報部・小野みゆきの特ダネ

 木曜日。

 週の後半戦。社畜たちの顔色から生気が失われ、栄養ドリンクの空き瓶がゴミ箱に山を築く頃合いだ。


 午後1時。

 俺は、社員食堂で「日替わりB定食」を黙々と消化していた。

 味は悪くない。だが、周囲の喧騒が食事の味を損ねている。

 ここ丸の内商事の食堂は、社員たちの愚痴と噂話の交差点だ。


「……ねえ、聞いた? 昨日の朝、エントランスに変なホームレスが出たらしいよ」

「見た見た! 受付のソフィアちゃんが塩まいて追い払ったんでしょ?」

「マジかよ。あの子、可愛い顔して武闘派なんだな」


 隣の席から聞こえてくる会話に、俺は心の中で苦笑する。

 昨日の「貧乏神撃退事件」は、やはりソフィアの武勇伝として広まっているらしい。

 俺が裏で結界を張ったことは、誰にも気づかれていない。

 完璧だ。

 陰陽師としての正体がバレれば、厄介ごとの火種になる。俺はあくまで「影の薄い派遣社員」として、平穏に契約期間を全うしたいのだ。


「――見つけた」


 ふいに、頭上から甘く、そして艶やかな声が降ってきた。

 俺が顔を上げるより早く、トレイの向かい側に「ストン」と誰かが座る。


 強いフローラルの香りが鼻孔をくすぐった。

 そこにいたのは、食堂の蛍光灯の下でも発光しているかのように華やかな美女だった。


 小野みゆき。26歳。

 広報部のエースであり、社内報の編集長も務めるバリキャリだ。

 艶のあるダークブラウンのロングヘアをかき上げ、猫のように大きな瞳で俺を射抜くように見つめている。

 彼女が座っただけで、周囲の空間が一段階明るくなったように錯覚する。いや、実際に彼女自身から強烈な「陽の気」が出ているのだ。


「……小野さん? 何か御用でしょうか」


 俺はサバの骨を分けながら、極力関わりたくないオーラを出して尋ねた。

 彼女とは面識がある程度だ。業務上の接点はほとんどない。


「とぼけないでよ、中川さん。……昨日の朝、エントランスで何をしたの?」


 みゆきはニヤリと唇の端を上げた。

 その笑顔は美しいが、獲物を追い詰める捕食者のようでもある。


「……何のことでしょう。私はただ、受付のソフィアさんと挨拶をしただけですが」

「ふーん。挨拶ねえ」


 彼女はジャケットの胸ポケットから、一枚の写真を取り出し、テーブルの上に滑らせた。

 そこには、昨日のエントランスの様子が写っていた。

 ソフィアがスプレーを構えている後ろで、俺が黄色いテープを振り回し、謎のポーズを決めている瞬間だ。


「監視カメラの映像、チェックさせてもらったわ。……この黄色いテープ、ただの立入禁止テープよね? なんでこれ一本で、あの不審者が吹っ飛んでいったのかしら?」

「……偶然風が吹いたんじゃないですか?」

「ビルの中で? 震度4くらいの揺れがあったのに?」


 みゆきは身を乗り出し、俺の顔を覗き込む。

 距離が近い。香水の香りが濃くなる。


「私、こういう『不思議なこと』大好きなのよ。それに、広報として社内の危機管理にも興味があるわ。……ねえ、貴方、ただの派遣じゃないわよね?」

「時給1200円の派遣です。それ以上でも以下でもありません」

「嘘つき。……ま、いいわ。その秘密、私の胸にしまっておいてあげる」


 彼女は写真を回収し、悪戯っぽくウィンクした。

 だが、その目は笑っていない。


「その代わり――私の仕事、手伝ってくれない?」

「……業務命令ですか?」

「ううん、個人的な『お願い』。……断ったら、この映像、社内報の『今月のミステリー』特集で全社員に公開しちゃおうかなー」


 脅迫だ。

 完全に脅迫だ。

 俺は箸を置いた。サバの味噌煮が急に砂利のような味に感じられた。


「……内容は?」

「話が早くて助かるわ! 実はね、次の社内報で『丸の内商事・七不思議』を特集したいのよ。で、その目玉取材に行きたいんだけど、一人じゃちょっと怖くて。荷物持ちが欲しかったの」

「……どこへ行くんです?」


 みゆきは人差し指を天井に向け、それからゆっくりと下へ向けた。


「地下2階。……『開かずの第3倉庫』よ」


 丸の内商事の本社ビルには、地下駐車場の下に、さらに古いフロアが存在する。

 かつては備蓄倉庫として使われていたらしいが、湿気がひどく、カビ臭いため、現在は誰も近づかない「第3倉庫」となっている。

 もっぱら、「入ると呪われる」「夜中に昭和の社歌が聞こえる」といった怪談の舞台として有名だ。


 午後2時。

 俺とみゆきは、薄暗い地下廊下を歩いていた。

 空気が重い。

 換気扇が回っていないのか、淀んだ空気が肌にまとわりつく。


「ねえ中川さん、知ってる? この倉庫、創業者のコレクションが隠されてるって噂があるのよ」


 みゆきは懐中電灯を手に、楽しそうに先頭を歩く。

 ヒールの音がコンクリートの床に響く。

 彼女は恐怖を感じていない。それどころか、未知への好奇心でオーラが輝きを増している。


「……ただの噂ですよ。あるのはカビの生えた書類と、不良在庫の山でしょう」

「夢がないわねぇ。もっとワクワクしましょうよ! もしかしたら徳川埋蔵金があるかもしれないじゃない!」


 ない。断じてない。

 あるのは――強力な『残留思念』だ。


 俺は眉をひそめながら周囲を警戒していた。

 この廊下、ただ暗いだけではない。

 壁のシミが人の顔に見える。

 天井から垂れ下がる蜘蛛の巣が、妙に粘着質だ。

 ここは、50年分の会社の「負の歴史」が沈殿する場所なのだ。


「あ、あった! これね!」


 みゆきが足を止めた。

 突き当たりにある、錆びついた鉄の扉。

 そこには『立入禁止』の札と、古びた注連縄が巻かれていた。

 注連縄はボロボロに朽ちており、御札も剥がれかけている。


(……封印が緩んでいるな)


 俺は嫌な予感を覚えた。

 この扉の向こうからは、得体の知れない瘴気が漏れ出している。

 開けるべきではない。


「小野さん、ここは引き返しましょう。鍵もかかっていますし」

「えー? ここまで来て帰るの? ……大丈夫、鍵なら総務から借りてきたから!」


 彼女はジャケットのポケットから、ジャラリと鍵束を取り出した。

 用意周到すぎる。


「さあ、特ダネの匂いがするわよ~! オープン・ザ・ドア!」

「ちょ、待っ――」


 俺の制止も虚しく、みゆきは鍵穴に鍵を差し込み、ガチャリと回した。

 重い金属音が響く。

 そして、錆びついた蝶番が悲鳴を上げながら、鉄の扉がゆっくりと開かれた。


 ドロリ。


 冷たい風と共に、黒い霧が足元から這い出してきた。


「うわっ、カビくさっ!」


 みゆきが鼻をつまんで手で仰ぐ。

 彼女には見えていないようだが、その霧はただのカビではない。

 怨念だ。


 倉庫の中は、広大な闇だった。

 みゆきの懐中電灯が照らし出したのは、山積みになった段ボール箱と、埃をかぶった古いオフィス家具たち。

 そして――奥の方に鎮座する、巨大な金庫。


「あれよ! あの金庫! きっとあの中に会社の秘密が……!」


 みゆきが駆け出そうとする。

 その瞬間。


『……かえせ……』

『……俺の企画を……返せぇぇぇ……』


 地の底から響くような怨嗟の声が聞こえた。

 段ボール箱がガタガタと震え出し、中から無数の書類が飛び出した。

 それはただの紙ではない。

 却下された企画書、シュレッダーにかけられた稟議書、闇に葬られた報告書。

 それらが空中で渦を巻き、一つの巨大な「顔」を形成していく。


 ――『没企画の集合怨霊』だ。


 日の目を見ることなく葬り去られたアイデアたちの無念が、長い年月をかけて凝縮し、妖怪化したもの。

 カテゴリーB。物理的な破壊力を持つ厄介な相手だ。


「え、何これ!? 紙吹雪? サプライズ?」


 みゆきがキョトンとして見上げている。

 この期に及んでまだポジティブなのか、この女は。


「小野さん、下がってください! 危ない!」


 俺は前に飛び出し、スーツの内ポケットから呪符の束を取り出した。

 今日は「赤」だ。燃やすしかない。


『認めろぉぉぉ! 俺のアイデアを認めろぉぉぉ!!』


 紙の巨人が腕を振り上げる。

 分厚いファイルバインダーの拳が、みゆきの頭上に迫る。


「くっ……!」


 俺は付箋を構え、呪文を詠唱しようとした。

 だが、間に合わない。

 距離がありすぎる。


 その時だった。


「――ちょっとぉ! 何やってんのよ!!」


 みゆきが叫んだ。

 悲鳴ではない。

 怒号だ。


 彼女は腰に手を当て、頭上の紙クズの巨人を睨みつけた。


「せっかくの取材中なのに、埃立てないでくれる!? 服が汚れるじゃない! アンタたち、プレゼンの基本もなってないわよ!」


 ビシッ! と人差し指を突きつける。

 その瞬間、彼女の全身から眩いばかりの光が放たれた――ように見えた。


 それは彼女が持つ、天性の「ポジティブ・オーラ」だ。

 自信、希望、自己肯定感。

 それらの塊である彼女の覇気は、ジメジメした怨念にとって最も苦手とする「直射日光」のようなものだ。


『グオオオオッ!? ま、眩しいぃぃぃ……!』


 紙の巨人が顔を覆って怯んだ。

 物理的な攻撃ではない。精神的な「圧」に押されているのだ。


「ええい、鬱陶しいわね! 暗い顔してないで、もっとシャキッとしなさいよ! 企画が通らなかったくらいでウジウジしてんじゃないわよ! 次のアイデア出せばいいだけでしょ!」


 みゆきの説教が炸裂する。

 彼女の声には、「失敗」という概念が存在しない。


 「反省はしても後悔はしない」


 その強烈な前向きさが、怨霊の核である「未練」を根こそぎ否定していく。


『つ、次……? 次だと……?』

「そうよ! 没になったってことは、もっといい案があるってことでしょ! さあ、この金庫の前からどきなさい! 私が新しいネタを見つけてあげるから!」


 みゆきが一歩踏み出す。

 怨霊が、ズルズルと後退する。

 信じられない。

 霊力ゼロの一般人が、気迫だけで準上級霊を圧倒している。

 彼女自身は「紙が風で舞っている」くらいにしか思っていないようだが、その無自覚さが逆に最強の武器になっている。


(……すごいな。この人は『天然の退魔師』か)


 俺は感心している場合ではないことに気づき、我に返った。

 今が好機だ。

 怨霊が怯んでいる隙に、封印し直さなければならない。


 俺は駆け寄り、持っていた赤い付箋を、倉庫の入り口の左右の柱に貼り付けた。

 そして、最後の一枚を、みゆきの背中にこっそりと貼る。

 彼女の膨大な「陽の気」を、術のエネルギー源として利用させてもらうためだ。


「……小野さん、その調子です。もっと言ってやってください」

「え? ああ、任せて! ……おいコラ! いつまで飛んでんのよ! さっさと片付けなさい!」


 みゆきが手を叩く。

 その音を合図に、俺は印を結んだ。


「――封印執行。ポジティブ・フィードバック!」


 俺の言葉と共に、みゆきの背中の付箋がカッと熱くなる。

 彼女から溢れ出る陽の気が増幅され、倉庫全体を包み込む光の奔流となった。


『アアアア……! 却下……いや、再提出……!』


 紙の巨人は光に焼かれ、バラバラと崩れ落ちた。

 空中に舞っていた数千枚の書類が、まるで意志を失ったように床へ落下し、ただのゴミの山へと戻っていく。


 そして、倉庫の奥の空気が澄み渡った。

 カビ臭さが消え、代わりにみゆきの香水の香りが充満する。


「……ふぅ。やっと静かになったわね」


 みゆきは髪を払い、満足げに鼻を鳴らした。

 背中の付箋はすでに燃え尽き、灰になって落ちている。彼女は自分が術の触媒になったことに気づいていない。


「さ、邪魔者もいなくなったし、金庫を開けましょうか!」

「……いえ、それは止めておいた方がいいですよ」


 俺は静かに言った。

 床に散らばった書類の山を見る。

 その中の一枚に、『昭和50年度・社内運動会企画書』という文字が見えた。

 こんなくだらないものの怨念だったのか。


「なんでよ? ここまで来たのに」

「見てください。この書類の山」


 俺は適当な書類を拾い上げた。


「これ、全部昔のボツネタです。あの金庫の中身も、おそらく『創業者の恥ずかしいポエム』か『若かりし頃の日記』ですよ。だから封印されていたんです」


「……え、ポエム?」


 みゆきの表情が曇る。


「徳川埋蔵金じゃないの?」

「十中八九、黒歴史です。社内報に載せたら、現社長が激怒して小野さんのキャリアが終わりますよ」


「……」


 みゆきは数秒間、金庫を見つめ、それから「チッ」と舌打ちした。


「なーんだ。つまんないの。……帰ろ」


 切り替えが早い。

 彼女はくるりと背を向け、カツカツとヒールを鳴らして出口へと向かった。


「あ、中川さん。このゴミ、片付けといてね。私、服汚れちゃうから」

「……はいはい」


 俺は苦笑しながら、床に散らばった怨念の残骸を見下ろした。

 まあ、いいか。

 あの怨霊を、指一本触れずに鎮めたのだ。彼女の「陽キャ力」には敬服するしかない。


 俺は倉庫の扉を閉め、ポケットから新しい南京錠を取り出して施錠した。

 これでしばらくは大丈夫だろう。


 広報部へ戻るエレベーターの中。

 みゆきは手元の手帳に何かをメモしていた。


「……ま、金庫はハズレだったけど、収穫はあったわね」

「何かネタが見つかりましたか?」

「ええ。……貴方よ、中川さん」


 彼女はペンを止め、至近距離で俺を見上げた。

 猫のような瞳が、妖しく光る。


「あの状況で、全く動じてなかったわよね。それに、最後になんかブツブツ言ってたでしょ?」

「……独り言です」

「ふふっ。やっぱり怪しい。……ねえ、私と手を組まない?」


「……手?」

「そう。私は面白いネタが欲しい。貴方は……何か隠したいことがあるんでしょ? 私の広報力があれば、貴方の秘密を守ってあげることもできるわよ」


 彼女は悪魔的な提案を持ちかけてきた。

 確かに、広報部のエースを味方につければ、俺の正体がバレそうになった時の火消しには役立つかもしれない。昨日の監視カメラ映像も消去させることができるだろう。


「……条件は?」

「簡単よ。私の『取材』に協力すること。あと、たまに荷物持ちをすること。……それと」


 彼女は俺のネクタイを指先でクイッと引っ張った。


「たまには飲みにつきあいなさいよ。時給じゃなくて、私が奢ってあげるから」


 それは、実質的な「共犯関係」の申し込みだった。

 俺はため息をつき、腕時計を見た。

 17時25分。

 今日も定時まであと少し。


「……残業にならない範囲なら、考えます」

「交渉成立ね!」


 みゆきは満足げに微笑み、エレベーターが3階に着くと同時に颯爽と降りていった。

 その背中は、どんな悪霊よりも逞しく、そして眩しかった。


(……やれやれ。また厄介なコネができてしまったな)


 俺はネクタイを直しながら、自分のフロアへと戻った。

 だが、悪い気分ではない。

 彼女のような「強烈な光」があれば、このブラック企業の闇も、少しは晴れるかもしれない。


 ……まあ、俺は定時で帰るけどな。


 俺はデスクに戻り、帰り支度を始めた。

 明日は金曜日。

 今週もあと一日。平穏無事に乗り切れることを祈ろう。


 しかし、俺の祈りが届くことはない。

 明日は産業医の診断日。

 白衣の悪魔――中山杏子との遭遇が待っているのだから。


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