8話 併行から融和、そして私
リビングに笑い声が満ちている。
「しましゅっ……は可愛すぎたわよ、アマテル」
姉が、口元を押さえながら笑っている。
(うぅ……できれば忘れてほしい……)
でも、その笑い声はどこか懐かしい……
体は覚えているけど、感情が追いつかない……
目の前にあるのに触れられない、あのもどかしい感覚に近い。
母が、ぱん、と手を叩いた。
「じゃあ、快気祝いの前に――自己紹介しよっか!」
「えっ……自己紹介……?家族なのに?」
姉が突っ込む。
母は当然のように続ける。
「だってぇ〜、記憶がないんだから……
改めて“初めまして”でしょ〜?」
(遠慮なしだ……記憶がない……か。
でも、私にとっては本当に“初対面”なんだよね……)
ソファに座る家族が、自然とこちらに視線を向けた。
母が胸を張って言う。
「じゃ、まずはお母さんからね!」
「天嶺イロハ(彩葉)!お母さんです!
最近、子供たちが大きくなっちゃって…おしゃべりする機会がないのが悲しいのよね。
アマテルちゃん、いろいろ勉強しないとね…おしゃべり楽しみ。
あと、今日の料理も楽しみです。」
「お母さん……それ、ちょっと本音出ちゃったね」
姉が突っ込む。
「あれ?ふふ、まぁいっか〜♡」
(……本当に、明るい人だなぁ)
姉は、膝の上で指をそっと組み、静かに微笑んだ。
「私は天嶺イブ(伊舞)。
あなたの双子の姉よ。
……改めて、退院おめでとう。戻ってきてくれて、嬉しい」
柔らかな声。
その目は、知っているようで知らない私を、まっすぐ見つめていた。
「今は、神社の次期後継者として、お婆ちゃんのもとで修行中。あまり家にいないけど、寂しくなったら神社に来てね」
イブがくすっと笑うと、場が少しあたたまった。
「よし、次オレな!」
弟が勢いよく立ち上がる。
「天嶺ミツヤ(光矢)!高一!アマ姉の弟!
今日のごはん、快気祝いスペシャルメニューで自信作だからな!」
母が横から口を挟む。
「自分の紹介より料理推しが強くない?」
「いいだろ別に!俺は料理王になるんだから!」
(……素直で可愛い弟だ)
思わず笑ってしまう。
父が静かに手を上げる。
「……父の、天嶺ハルヒト(陽仁)だ……
まぁ、会社員だ……建築系の……」
他の家族より言葉は少ない。
でも、その一言一言は温かい。
「お父さん、口数少ないわよ。
仕事してる時は、お偉いさんでも、堂々としゃべるのにね、ふふ」
と、母が茶化す。
父は、そっぽを向きボソリと呟く。
「むむっ……んん…おかえり、アマテル」
(あ……)
胸の奥の何かが、そっと震えた。
言葉は短いのに、その声は“本気で心配していたんだ”という想いが真っ直ぐ伝わってきた。
思わず、小さく頭を下げる。。
「……ただいま、です」
父はそれ以上何も言わず、目尻を少しだけ和らげた。
無骨そうな祖父が、ごそりと体を動かして言った。
「……セイガ(清雅)じゃ。
身体、もう大事ないか?
わしは、神社の岡周りじゃな。地域の農業の知恵袋みたいなこともしておる。」
皿をひとつ私の近くに寄せて…
「食えるだけ食え」
その声は、なぜかわからないが、心に直接話しかけるような威厳があった。
「は、はい……」
少し緊張し返事をする。
「じいさん、アマテルが緊張してしまったじゃない」
祖母は品よく微笑みながら言った。
「おっと、これは済まないことをした」
頭をかきながら、祖父が苦笑いをする。
祖母は姿勢を正し、まっすぐ私の目を見て語り始めた。
「ようこそ戻ってきました、アマテル。
私はスミノ(澄乃)と申します。
神社の神主をしています。イロハさんとは長い付き合いなのよね、いろいろな意味で。
焦らずに、あなたの歩幅でゆっくり歩んでいけばいいのよ。」
その言葉は、優しいけど隙がない。
まるで刀を突きつけられているような感じがした。
(……優しい家族だ)
その時、姉がふと口を滑らせた。
「そうそう、後ね、お母さんの実家は格式ある神宮で、先祖は神様なんだよ。
お婆ちゃんは旧家の武家で、二人ともめちゃくちゃ強いから、気をつけなさいよ」
母と祖母が咳払いをする。
姉は、(しまった!)と言うような表情をした後、うつむいてしまった。
“えっ‼︎”
私は小さく息を呑む。
“この家、普通の家庭じゃない…の?”
でも、それ以上に、ここに迎え入れられた安堵が勝った。
母が両手をぱっと広げた。
「さーて!自己紹介も終わったし!
アマテルちゃんの快気祝い始めよ〜!」
その瞬間――
リビングの空気が一気に明るくはじけた。
(あぁ……何かいい……実家に帰ってきたぁ〜)
そんな実感が、ゆっくりと私の中に広がっていった。
⸻
リビングのテーブルには、弟自慢の快気祝いスペシャルメニューが並んでいた。
香ばしい匂いが部屋中に広がる。
「さーて、アマ姉、よりどり緑だ! 冷めないうちに食べた、食べた!」
胸を張る弟の横で、母がにこにこと微笑む。
「うわぁ……すごい量……美味しそう」
つい言葉が漏れてしまう。ここ数日、まともな食事をしていなかったから…。
弟が得意気に続ける。
「皆様、食べながらで結構ですのでお耳を拝借します。
今日のメニューは退院祝い仕様で、アマ姉の体に負担がかからないよう工夫しました」
料理を一品ずつ指差しながら説明する。
「前菜はカラフル野菜のゼリー寄せ、やわらか茶碗蒸し。
メインは豆腐ハンバーグのデミグラスソース添え、白身魚の煮付け。
副菜は人参と大根の煮物、ほうれん草の白和え。
ご飯はふっくら炊き上げたお粥風御飯。
小皿の薬味と特製ダレで、味の調整も自由自在だよ。
デザートはミニシュークリームとプリン。
見た目は地味だけど、味はプロ級だから心配なーーしっ‼︎」
胸に手を当て、紳士の礼をする弟に、皆から拍手が送られる。
母が開始の音頭を取る。
「はい、皆さん、胸の前で手を合わせて……
いただきまぁーーーす」
皆んな一斉に同じポーズで復唱する。
“いただきまぁーーーす”
宴会の始まりだ――しばし歓談。
⸻
母がニコニコしながら語り出す。
「皆さんちゅうもーーく、ふふ、
今からアマテルちゃんの思い出話をしようと思いまーーす」
弟が突っ込む。
「いつものパターンじゃん…」
母は続ける。
「まぁ、そう言わずにね。
まずは、アマテルちゃんは注射が嫌いよね。本人は覚えてないと思うけど、実は物心つく前に脱水で入院してたの。本当に危なかったのよ…。
数日入院してて、1番最初の日に大きな太い針の注射を打たれたの。その時かなり痛かったみたい。それから苦手になっちゃったのね。
退院の日に『何か食べたい?』って聞いたら『お酒』って言ったのよ、びっくりしたわ。弱かったみたいだけど、ふふ」
祖母が口を挟む。
「庭石を買った日は、今でも忘れないわ。ねぇっ、お爺さん」
祖父は苦虫をつぶしたような顔で、
「勘弁してくれ、婆さん」
祖母は気にせず続ける。
「庭石を設置して職人さんとお茶してる時、アマテルが駆け寄ってポットを蹴飛ばし、お湯が足の甲にかかっちゃったの。
お爺さんは慌ててバイクで連れて行ったけど、何も持たず行ったから病院で手続きできずにあたふた。
結局、後から追いかけた私が手続きして火傷も大した事なく、笑い話になったわ」
姉が思い出す。
「小学校5年生の剣道合宿、帰ってきたら倒れるんだもん。
初日の夜、赤い顔してたからおでこ触ったら熱があったの。大丈夫って確認したんだよ、2日目の合宿も無理するから……結局、お母さんに怒られたのは私…」
母が微笑む。
「そうね、アマテルは負けず嫌いで頑張り屋さんなのよね。
中学の音楽会で委員長として全校生徒の前で挨拶した時は、内気で弱いと思ってたから感動しちゃった」
弟も口を挟む。
「アマ姉、木刀お回しご乱心事件覚えてる?追い回してた人、中学の部活の先輩になったんだぜ。
でもアマ姉の舎弟だと言ってくれる人がいつも助けてくれた。
アマ姉は面倒見が良くて人望あるんだよなぁ」
父が一言。
「俺が遊びに連れて行くと、なぜか熱出すんだよ。
だから剣道を習わせて虚弱体質改善を狙った」
⸻
一つ一つの話が、まるで元男の世界の記憶を映す鏡のようだ。
(……聞き覚えがある……)
懐かしさと、少しの違和感が入り混じる。
ふと左手の甲、中指付け根に小さな傷を見つける。
(やっぱり傷がある…)
恐る恐る、みんなに話しかける。
「この傷、初めて自転車を買ってもらった時、前輪に枝が絡まって無理に引っ張ったとき雨除けに当たってできたんだよね?
当時の雨除け、先端の安全カバーなくて、刃物みたいになってたんだっけ…」
一瞬、皆の動きが止まり、静寂が訪れる。
(しまった、違ったのかな…)
母が出てきて、涙をぬぐいながら笑う。
「ちゃんと覚えてるじゃない」
皆も目元を押さえながら微笑む。
私も自然に涙が頬を伝い、机に落ちる。
安堵と喜びが混ざった空気の中、改めて言葉にした。
「みんな、ただいま」
“おかえり”の声が、部屋中に響いた。
⸻
宴は進み、家族の小さなじゃれ合いが随所に。
祖父はソファで新聞をめくりながら笑い、父はお茶を飲んでうなずき、姉はアマテルにそっと寄り添う。
母は何度も「おかわりは?」と聞き、弟は「まだ食べられるか?」とコント感たっぷり、祖母が止めに入り、諦めきれない母が暴挙に…柳の様に動いた祖母が額に軽くチョップ…母の動きが止まる…見事な一本。
(この2人やけに馬が合う、昔馴染みの師弟関係…?)
祖父と父は予想通り下戸で、祝い酒に意気込んだもののコップ一杯で撃沈。
2人仲良くソファで寝てしまう。
最後に、シュークリームとプリンをほおばりながら、心の中で思う。
(このコンビ、最強‼︎)
その時、姉が語り始めた。
「あなたは、この家の要石なのよ。
今日が特別じゃない、皆んなが集まればいつもあなたの話になるの、まぁ、それだけ隙だらけなんだけど。
バカな子なんだから……自分の貴重さがわかった」
そこには小悪魔みたいな笑顔があり、その色香に引き込まれていく……っと。
姉がキメ顔で余韻に浸っていると、弟が割り込む。
「そうだぜ、アマ姉。
イブ姉は普段しっかりしてるのに、あの日の取り乱し用は半端なかったから、泣き喚くわ当たり散らすわで……
俺が確認して意識あるって言ったら放心状態だったし、あれは貴重だったね」
静かに立ち上がって笑顔で弟に近寄った姉、
“ボスっ”って鈍い音……
みぞおちを抑えながら倒れ込む……
姉は小声で
「記憶から消せって言ったよね……次…無いよ」
姉から発する覇気に……気絶する……
(弟よ、宴の席とはいえ、言ってはいけない事があるんだよ……将来に向けていい勉強になったでしょ…クワバラクワバラ……)
急に振り返り、姉が問う。
「何も聞こえなかったよねぇー♩」
私は姿勢を正して「はい‼︎」とだけ答えた。
この世界に来て、前の世界の約50年の人生経験が役に立った……
こうして、快気祝いは大円団を迎えたのだった。
⸻
姉が自分の部屋まで案内をしてくれた。
胸の奥がざわついて落ち着かない。
——この部屋は、私の部屋であって、私の部屋じゃない。
そんな矛盾が、ドアノブに触れる前から指先にまとわりついてくる。
深呼吸をして、そっとドアを押した。
ふわり、と柔らかい空気が流れ出る。
甘すぎない、でも確かに“女の子の部屋”の匂いがした。
(……あ、思ったより……違わないんだ)
まずは、心が安堵を得た。
未知の世界みたいな香りを覚悟していたのに、思いの他、変わらない。
清潔な空気の質はどこか懐かしい。
——ふっと、男の頃の記憶が過る
あれは男性寮にいた頃、“すれ違うと残り香がする”って言われたことがあった。
ムラムラする匂いするって笑われたっけ。
特に匂いを気にしてたわけじゃないけど、お風呂が好きで、掃除も好きで、清潔にしてたからかな。
もちろん、自分の部屋も綺麗にしてた……
あの頃の空気感と、この部屋の空気……似ている。
これがほんの少し、私を気持ちを楽にさせた。
“部屋に外の服を持ち込まない”潔癖に近い習慣は、ここでも受け継がれている気がした。
床に余計なものが落ちていない。
机の上にも、余分なものがなく整頓されている。
——ああ、なんか……分かる。
(私と似たタイプだ)
でも、違いはある。
ベッドカバーのカラフルな柄、淡いラグ。
(敷き布団、座椅子だったからねぇ…)
観葉植物が置かれていてる。
(……植物……育ててるんだ…虫嫌いなんだよな)
小さな葉が光を浴びて、部屋の空気を少しあたたかくしている。そっと、葉に触れてみた。
(まぁ、これもありか。よろしくね。)
クローゼットに目を向けると、胸がわずか踊る。
開けなくても分かる。洋服がある。
女の子の服。
私が、ずっと憧れてきた世界。
下着も、きっと……ある。
見たいような、見たくないような。
期待と羞恥が押し合う。
化粧品が目に入る……
(ああ、母さんとの“女の子勉強会”……
ありがたいけど、明日からのことを考えるとゲンナリしてきた……。
駄目だ、今日は考えるのをやめよう…精神力がもたない。
私は息を吐いて、部屋を見渡す。
誰かの部屋に踏み込んでしまったような緊張はまだ消えないけれど……
ここで、私の「日常」が始まる。
「……ここが、私の部屋」
やっとその言葉が胸の奥に静かに染み込んでいった。
“ヒラっ……”
(ん?)
何かが床に落ちた。
(なんだろう?)
それは手紙だった。
ただ、様子が違う……染みだらけの手紙……
嫌な予感しかしない。
震える手で拾い上げ、内容を見た。
(……うっ‼︎)
最初に目に入ったのは、
大きなフォントで太字に印刷された「不合格」の文字。
そして、
「誠に申し訳ございませんが……手違いがございまして……今回は……」
という、歯切れの悪い文章が続いていた。
手紙からは、微かに酒の匂いがする。
(……これは……⁉︎)
手紙が落ちてきた方へ視線を向けると、
少しだけ開いた引き出しが目に留まった。
慌てて駆け寄り、引き出しの中を確認する。
(……えっ……なんで、無いの……?)
⸻
(第9話 許されなかった戦い につづく)




