4話 目覚め、そして(後編)
――昼食。
昼食より常食再開。
• ご飯(150〜200g・やや軟め)
• 白身魚の塩焼き or 煮付け
• かぼちゃの煮物
• きゅうりとワカメの酢の物
• みそ汁(豆腐とネギ)
• オレンジゼリー
MRIの後は少しふらつくこともあるため、脂っこい料理は避け、消化の良い・味の淡い和食系なのだとか……。
食欲はなかったが、頑張って完食した。
(シュークリームかプリンが食べたいなぁ……)
腕の点滴の跡をぼんやりと見つめる。
(点滴、取れてよかったー……ふぅ)
「ちょっと入るわよ」
入り口から女性の声がした。
そこには、アマテルによく似た、キリッとした目の女性が立っていた――お姉ちゃんだ。
真顔のまま近づいてくる。同じ顔立ちなのに、どうしてこうも雰囲気が違うのだろう。
クールビューティ、お淑やかで美人。あーちゃんが憧れの人と言っていたのを思い出す。
(神々しい……)
手には『水のいらないシャンプー』を持っていた。
「脳波検査の後は頭がベタつくみたいだから。あっち向いて」
ムースを髪に馴染ませ、タオルで丁寧に拭き取ってくれる。清涼感が心地よい。
「お姉ちゃん、怒ってる?」
夢の空間で最後にあーちゃんに言われた言葉を思い出す。
一瞬、洗髪している指に力が入った気がした。
「当たり前でしょ。バカなことして……。
私が偶然気づいたからよかったけど、気づかなかったらあなた、この世にいなかったかもしれないのよ。
みんなを悲しませちゃダメじゃない。
そもそも、なんで相談しなかったの。私とあなたは双子なの。小さい頃からいつも一緒だったじゃない……。くっ……
気づいてあげられなくて、ごめんね」
あたたかい雫が首筋に落ちた。
「お姉ちゃん、ごめんなさっ……」
お姉ちゃんが後ろから抱きしめてきた。
一言だけ、「バカ……」
私は今日、二度目の涙腺崩壊。言葉が出なかった。
二人はしばらくそのまま、時間が止まったように過ごす。
姉妹の絆に言葉はいらない。優しさが、静かに二人を包んでいく。
その後、あの日のことやお父さんが泣いていた話など、いろいろ聞いた。
けれど、“過去”そのものには触れなかった。
「アマテル、記憶がなくても、あなたは私の妹。これからもずーっと!
無いなら作ればいいの。困ったことがあったら何でも相談して。
相談しなかったら許さないんだから!」
その時の姉の表情は、普段より少し幼く見えて……あーちゃんと重なって見えた。
姉妹であることを強く感じた瞬間だった。
「お姉ちゃん、大好き❤」
照れ隠しか、そっぽを向くお姉ちゃん。
耳まで真っ赤になっているのがわかる。
(可愛い……)
姉が急に真面目な顔になった。
ギクッ!(心、読まれた?)
しかし発した言葉は――
「確認なんだけど、アマテルを貶めた奴って○○?」
その名前を聞いた瞬間、顔が曇る。
「ごめん、唐突だったわね。お婆ちゃんに頼まれてて……」
「えっ……お婆ちゃん?」
戸惑いながらも「うん」と頷くと、
「OK」
いつもの笑顔に戻る姉。
「アマテルは、何も心配しなくていいから。退院する頃には、すべてが……ね❤️
ごめんね、ちょっと忙しいから帰るね。ゆっくり休んで」
姉は足早に部屋を出ていった。
――デジャヴ。
入れ替わりで看護師が入ってきた。
「仲が良いんですね。そろそろ午後の診察が始まります。
検査はあと問診だけですから、頑張りましょう」
姉の優しさに触れ、頭の清涼感とともに、午前の気落ちと検査の憂鬱が少し晴れた気がした。
――問診。
白衣の医師がカルテをめくりながら淡々と話す。
「息を大きく吸ってください……止めて」
胸に当たる聴診器の冷たさが、心臓を直接掴むように感じた。
触れられることへの意識。
秘密の部分に触れられるようで、さらに恥ずかしい。
鼓動がドクン、ドクンと激しく脈打つ。意識すればするほど、さらに強くなる。
視線を宙に泳がせたまま、息を止めた。
「はい、正常です」
正常――。
たったその一言で、(ホッ……)と胸がゆるむ。涙が出そうになる。
“身体は正常”
――でも、心はどうだろう。
「落ち着きましたか? 何か思い出したことや、気になることはありましたか?」
無言で首を振る。
「心配しないでください。多くの場合、記憶は時間とともに回復していきます」
医師が去ったあと、静まり返った部屋にひとり残された。
腕の絆創膏が、やけに重く感じる。
肌けを少し直す。
それは本能によるものなのか、逆らえなかった。
不安と申し訳なさが心を支配していく。
(記憶かぁ……)
俯きながら、ぽつりと呟いた。
「……あーちゃん……会いたいなぁ」
⸻
看護師に付き添われ、廊下を歩いていると、病室の前に立つ男の子が目に入った。――弟だ。
向こうも気づいたらしく、さっと病室に入ってしまった。
そう、思春期の男子はシャイなのだ。元・男の私はわかる。
無駄な行動や言葉を極度に嫌がるのだ。
(愛い奴め❤️)
病室に入ると、弟が紙袋を差し出してきた。
「来てたんだ、ありがとう」
ぶっきらぼうに一言。
「作ってきた」
えっ? 紙袋の中を見ると――
「シュークリームとプリンだ❤️」
看護師も思わず、「まぁ!」と声を上げた。
「天嶺さんは体は健康ですから、差し入れを食べても大丈夫ですよ」
笑顔で言い残し、看護師は部屋を出ていった。
「アマ姉の好物だから。病院食は味気ないだろ」
私はシュークリームを一口。
甘さが口いっぱいに広がる。
(あぁぁぁー……)
「美味しい‼︎ 弟よ、最高‼︎‼︎」
「ありがとう」と改めて伝えると、
弟は顔を真っ赤にして俯いた。
「記憶が無くても、アマ姉はアマ姉だから。
飯、また作ってやるから……だから相談しろよ、バカ姉っ‼︎」
弟の目元に、今にも溢れそうな涙が光っていた。
「うん」
これしか言えなかった。今日、三度目の涙腺崩壊。
涙の塩っぱさが、シュークリームの甘さをより引き立てる。
(家族って、いいもんだなぁ……)
その後は、私が「あれ食べたい、これ食べたい」と一方的に話していた。
弟は黙って聞いていた。顔を背けることもなく、まっすぐな優しい瞳で私を見て――
「今食べたら妖怪『食っちゃ寝』だな、アハハッ。
どんだけ食べたいものあるんだよ……」
一瞬の沈黙。
「アマ姉は向日葵だね。太陽に向かって咲いてるから、いつも照らされて輝いてる。
でも、光が強い分、影も濃くなる。
俺は、そんなアマ姉が影に負けないように、栄養をあげるからさ……」
私は黙って頷いた。言葉はいらない。
(男だった時も弟がいた。生意気だけど可愛かった。
でも、いまのこの気持ち……キュンキュンする。
可愛すぎでしょっ……あぁぁっ、抱きしめたいっ)
抱きしめようと腕を伸ばした瞬間――
ひょいっ、と弟が身をひるがえして避けた。
あっかんべーの顔が……萌え死ぬっ。
「じゃあな、アマ姉。
あっ、そうだった。今は戦の最中だった。
早く帰ってみんなの飯作らないと……腹が減っては何とやら、だ。
アマ姉、退院する頃には全部片付いてると思うぜ」
弟は手を振りながら病室を出ていった。
(戦……? 何のことだろう。お母さんも、お姉ちゃんも同じようなことを……)
今のアマテルは、それどころじゃない。
食べかけのシュークリームをパクッ。
(美味しいぃぃぃ❤️)
プリンは夕飯のデザートに取っておこう。ルンルン♩
この夜を境に、元凶となった○○家が追放されたことなど、知る由もない――。
「天嶺さん、夕飯ですよ」
「はーい♪」
看護師が夕飯を運んできた。
• ご飯(普通盛り)
• 鶏の照り焼き
• ほうれん草のおひたし
• ひじきの煮物
• みそ汁(大根・人参)
• ヨーグルト
検査結果待ちで安静時間も多く、体調を崩さないよう「温・柔・優」の三拍子で構成されているらしい。
まぁ、私は心の回復に――手作りのプ・リ・ン♬
(何これ……口に入れた瞬間、卵の風味がふわっと広がって、牛乳のコクとまろやかさがたまらない。
ビターなカラメルソースが全体を引き締め、甘いプリンとのバランスが絶妙……。
マジで、うちの弟、神ぃぃぃっ)
ベッドの上で上半身をくねくね悶絶させる。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、静寂が訪れた。
そう――病院とは、静寂の空間なのだ。
ひとりでベッドに横たわると、いろいろ考えてしまう。
今日は家族の優しさに触れた。すごく嬉しくて、あたたかかった。
でも、この家族は“あーちゃん”の家族……。
静寂の中にいると、どんどん申し訳なさが膨らんでいく。
ただ、天井をぼんやりと見つめる。
まぶたがだんだん重くなり、自然と目を閉じ――
――私で、いいのだろうか。
そんな問いが、薄れる意識の底で溶けていく。
……気づけば、音が消えていた。
モニターの電子音も、カーテンの擦れる音もない。
ただ、やわらかな光が世界を満たしていく。
気がつけば、私は草原に立っていた。
足元には、牡丹の花が一面に咲き乱れていた。
⸻
(ここ……また……)
見覚えがある。
あの時、最初に出会った夢の空間。
でも今は違う。どこか温かい気配が満ちている。
少し離れた場所に、あの大きな岩がある。
その時だった。
背後から、柔らかい声が届く。
「てんちゃん」
その声を聞いた瞬間、胸がきゅっと鳴った。
振り向くと、そこに“あーちゃん”が立っていた。
以前よりも、ずっと穏やかな表情。
「……あーちゃん……」
名前を呼ぶと、自然に涙が滲む。
「神様が私の願いを聞き入れてくれたみたい。
また会えたね……。」
その声は、家族のように暖かかった。
私は一歩、花の中へと踏み出した。
牡丹の花弁が、風もないのにふわりと舞い上がった。
「ねえ、あーちゃん……なんで私なの……?」
あーちゃんは、何も言わずに目を細めて微笑んだ。
風もないのに、牡丹の花弁が揺れていた。
「この体は、あーちゃんのものでしょう……」
あーちゃんは静かに首を振った。
「違うよ、てんちゃん。
その身体は、ちゃんと“あなた”のもの。
たとえ始まりが違っても、今感じている痛みも戸惑いも、全部あなたが感じているんだから。」
「でも……」
てんちゃんはうつむき、胸の前で手を握る。
「見られるのが怖いの。体も、声も、何もかも違う。
優しくされるたびに、私が“あーちゃんの代わり”みたいで、苦しくなるの。」
あーちゃんは少し目を細め、風のような声で言った。
「……てんちゃん。あなたは“私の代わり”じゃない。
私は自らの手で生きることを止めてしまった。
てんちゃんは、生きていくことを強く願った……。
私たちは対極なの。私は“影”、てんちゃんは“光”。」
てんちゃんは顔を上げた。
その言葉が、胸の奥に静かに落ちていく。
「光……?」
「うん。
誰かの悲しみを照らせる人。
たぶんね、私が生きていた頃には、まだなれなかった人。」
あーちゃんは岩を見て、そっと目を伏せた。
その横顔はどこか切なげで、それでも穏やかだった。
「てんちゃん、私の家族はあなたを“知らない”。
でも、“失う怖さ”は知った。
だから、あなたの存在をちゃんと抱きしめようとしてる。
それってね、“血のつながり”よりも強いことなんだよ。」
「……私、受け入れられてるのかな。」
「受け入れられてるよ。
ただ、あなたがまだ“自分を許してない”だけ。」
その瞬間、花の海に小さな風が生まれた。
牡丹の香りが甘く漂い、世界の色が少しずつ淡く滲んでいく。
あーちゃんが一歩、てんちゃんに近づいた。
手を伸ばし、そっと頬に触れる。
その手は透けるように淡く、温もりだけが残った。
「ねえ、てんちゃん。
“女として生きる”ってね、形のことじゃないんだよ。
『慰撫』って、相手を思いやり、なだめ、いたわることだと思われがちだけど、
本当は“自分を大切にできるようになること”なの。」
「……自分を、大切に……」
あーちゃんは小さく頷いた。
「そう。
自分を責めないで。
そこにいるのは、“私”じゃなくて、“あなた”だから。」
「……あーちゃん……」
「私ね、てんちゃんに託したんだよ。
“終わり”の続き。」
花の海が、まるで波のようにうねりはじめた。
岩の表面を包むように光が流れ、やがて穏やかな白に変わっていく。
あーちゃんはその光を見つめ、微笑んだ。
「ねぇ、鏡を見て、てんちゃん。
そこには、ちゃんと“あなた”がいる。
もう“私”じゃない。
だから、どうか――生きて。」
その言葉とともに、あーちゃんの姿がゆっくりと霞んでいく。
風が花弁をさらい、空へと舞い上げた。
てんちゃんは手を伸ばし、空に向けた。
けれど、その指先はただ、宙をすり抜ける。
「ありがとう……あーちゃん」
光が溶け、渦を巻くように世界が遠ざかる。
――朝日が顔を照らす。光がまぶたを叩く。
⸻
「……あー……ちゃん……」
声に出すと、乾いた喉がひりついた。
ぼやけた視界の中で、天井の白がゆっくり形を取り戻していく。
徐々に消毒液の匂いがして、五感が目を覚ましていった。
(夢……だったの?)
シーツの隙間からのぞく胸のふくらみ。
けれど、そこに“異物”のような違和感はもうなかった。
むしろ、恐る恐る触れた指先に、静かな温もりがあった。
「……これが、私……」
ぽつりと呟いた声は、誰にも聞こえないほど小さかった。
でも、その言葉には確かな重さがあった。
(あーちゃん……私、ちゃんと生きてるよ)
その瞬間、てんちゃんは初めて、
“この身体で息をしている”ことを受け入れた。
――そして、彼女の“新しい朝”が始まった。
⸻
(第5話 新たな一歩 につづく)




