表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/11

3話 目覚め、そして(前編)

静まり返った病室に、機械の電子音が淡く響いていた。

白いカーテン越しに差す光が、わずかに揺れる。


――まぶしい。


まどろみの中で、私はゆっくりと目を開けた。

視界がぼやけ、天井の白がじわじわと形を取り戻していく。


「……知らない天井……」


次の瞬間、扉の向こうから誰かの声がした。


「アマ姉っ!?」


その声は若く、少し震えていた。

足音が遠ざかり、すぐに別の声が響く。


「母さんっ、アマ姉がっ!」


廊下の向こうから、誰かが走ってくる。


最初に入ってきたのは若い女性。

でも近づくにつれて、その足音に妙な“圧”がこもっていく。


(んっ? あーちゃん? ……怒ってる⁉︎)


――次の瞬間だった。


勢いよく前に出た女性が、私の目の前で止まる。

(綺麗な人だなぁ……どことなく、あーちゃんの面影が……)


パ――――ンッ‼︎‼︎


乾いた音が、病室に響き渡った。

頬が熱い。何が起こったのか、理解できない。


皆の時間が止まる。


その女性は、何も言わない。

ただ震える手で私の頬をなぞり、そのまま私を抱きしめた。

声にならない嗚咽が、静かな空気を破る。


「……よかった……生きてて……」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわめいた。

温もり、懐かしさ。

戸惑いながらも、私はその女性の背に腕を回した。


「……お母さん……?」


その言葉がこぼれた瞬間、最初に入ってきた女性が堪えきれず泣き出した。


「もう……ほんとに心配したんだから……!」

彼女の涙が、頬にぽたりと落ちる。(お姉ちゃん……?)


少し離れたところに、男性が二人。


中年の男性は、背を向けたまま肩を震わせている。

泣いているのかもしれない。(お父さん……?)


青年の男性は、天井を仰ぎ、強く拳を握っていた。

唇を噛んで、涙をこらえている。(弟……?)


扉の外から、老夫婦がゆっくり入ってくる。(お爺ちゃん、お婆ちゃん……?)


誰も言葉を発さない。

それでも、部屋の空気が少しずつやわらかくなっていく。


やがて、母の腕の中で小さく息をついた。


腕に違和感がある。

金属のポール、透明な管。

それが自分の体に向かって伸びている。


「……あれ……? なにこれ、針!? ひぃっ、刺さってる……!?」


顔がみるみる青ざめる。


耐えきれず、姉が吹き出した。

「ぷっ……くくっ……」


祖母が優しく言った。

「まぁ……そこは相変わらずなのね」


笑いが連鎖して、病室にあたたかな空気が満ちていく。

母も、涙の跡をぬぐいながら、やわらかく微笑んだ。


その横顔が、ふと重なって見えた。

――男の頃の、お袋の顔に。


(お袋……元気にしてるかな。母親の泣き顔って、やっぱり胸が痛い)


ベッドに腰掛けた母は、どこか安心したような表情をしていた。

目元にはまだ涙が残っているけれど、それすらも懐かしく感じる。


……そう、私は決して良い息子ではなかった。

小学生の頃なんて、社会に反発してばかりで、特に高学年のころはひどかった。

思いつく限りの悪さをして、あの人を困らせて……。

それでもお袋は、いつも我慢強くて。

初めて泣かせてしまった日のこと、今でもはっきり覚えている。

あの時、心の中で誓ったんだ。

(もう、悲しい涙は見たくない――)



……それから、時々見るんだ。

男だった世界の夢を。

断片的で、映像みたいにぼやけているのに、不思議とあたたかい。

誰かの笑い声や、穏やかな日差し。

あの場所では、幸せがちゃんと続いているような気がする。


もしかすると、神様が教えてくれているのかもしれない。

「あっちはもう大丈夫だよ」って。


……うん、それならそれでいい。

●●、どうか元気でいてね。

この記憶も、いつかは本当の夢になって、静かに遠ざかっていくのかもしれない――。


――


そのとき――トントン、と扉がノックされる。

医師が顔をのぞかせた。


「おや……賑やかですね。調子はどうですか?」


母が小さく会釈し、家族が少し身を引く。

私は頬をかきながら、照れたように笑った。


「……えっと、たぶん……大丈夫、です」


カーテンの隙間から射す光が、柔らかく私の頬を照らす。

家族の笑顔が、その光に包まれていく。


――あーちゃんが言ってた通りの家族だなぁ……。


(んっ⁉︎……あーちゃん?)自然に胸に手がいく。(ある‼︎)


弟が、両手で胸を押さえて固まっている私に気づく。


「アマ姉、なにやってんの?」


皆が私を見つめる。

その向こう、鏡に映る“私”の姿が目に入った。

鏡の中の“天嶺アマテル”が、目を丸くしてこちらを見ていた。


(なんで……私が目覚めたのぉぉぉぉー……!!)


病室には、静かな笑いとざわめきが戻っていった――。



やがて医師が口を開く。


「落ち着いて聞いてください。

 CT・血液検査の結果は、何も問題はありませんでした。

 明日、脳波とMRI検査をし、原因を探ります。

 現時点で言えることは、今回のケースは脳の損傷ではなく、精神的な防御メカニズムによるものと思われます。

 あなたが経験した出来事は、想像を絶するほど恐ろしいものだったのでしょう。その結果、あなたの心は深い傷を負い、その衝撃からあなた自身を守るために、記憶を『封鎖』してしまったようです。

 今は、記憶を無理に思い出そうとする必要はありません。むしろ、心身の安静が最優先です。

 この症状には、専門的な治療が必要です。これから、私たち精神科医とカウンセラーがチームを組んで治療にあたります。まずは安心して休んでください。」


(……アハッ。記憶喪失というか、そもそも“記憶”がありませんから……)



――入院二日目。


昨日の夕方に目を覚ました私は、家族が帰るとそのまま眠ってしまったらしい。


カーテン越しの朝光が眩しい。

目覚めた私は起き上がり、腕の中の点滴チューブをぼんやりと見つめていた。


看護師がカルテを片手に入ってくる。

「おはようございます。天嶺アマテルさん、採血に伺いました」

……ぎくっ⁉︎ (えぇえぇぇっ…採血ですか…)

それに、その名前を聞くだけで、胸の奥がきゅっとなる。

“私”じゃない誰かの名前……急には慣れない。


……そう、私は“天嶺アマテル”なんだ。

そう言い聞かせても、どこか他人事のようで。


「今日は少し多めに採りますね。気分が悪くなったらすぐ言ってください」

“多め”という単語に、反射的に眉が動く。

「わかりました」

笑顔で返す。(逃げたいです)


腕に止血帯が巻かれた瞬間、心臓が一拍早く跳ねた。

うっすらと血管が浮き出してくる……手のひらに汗が滲む。

「アルコールでかぶれたりしませんか?」

「だ、大丈夫……です」

口では平気を装っても、鼓動は嘘をつかない。

脱脂綿に染み込ませたアルコールが皮膚に触れ、ヒヤッとする。(恐怖の時間の始まりの合図……)


「じゃあいきますね。ちくっとしますよ」

ちくっ――。

息が詰まり、視線を逸らす。

固く目を閉じ、別の世界を想像しようとする。


(早く終われ、早く終われ、早く……!)


止血帯が外され、腕全体に開放感が広がる。

「はい、終わりです。親指、離していいですよ」

絆創膏が貼られる感触に、思わず安堵の息が漏れた。

肩から力が抜ける。

それでも胸の奥は、チクチクしている。

針が刺さったままみたいに。


「ぷっ」


入り口から笑う声が聞こえた。

母が立っていた。笑顔で近づいてくる。

「体は大きくなっても、まだ子供なのね❤️」

採血の一部始終を見られていたようだ。


母は看護師に向かって、

「お手間をかけます」

と頭を下げる。


看護師は会釈し、私と母に向かって言った。

「今日は一日検査の予定です。

 食事は昼食から出ますので、点滴はあと1時間くらいですね。もう少しだから辛抱してください。

 今日一日は私が担当しますので、何かあればナースコールでお願いします。

 出歩くときは付き添いますので連絡をください。

 辛いと思いますが、頑張りましょう。」


母が「よろしくお願いします」と再び頭を下げる。

私も釣られて頭を下げた。

看護師は一礼して部屋を出ていく。


母は私に向かって言った。

「洗面道具と着替え、持ってきたわよ」


病院の棚に丁寧に畳んだタオルや着替えをしまっていく。

母の手の動きが、なぜか懐かしく感じた。

けれど――“懐かしい”理由が思い出せない。

たまらなくなり、

「お母さん……あのっ……ごめんなさい」


振り向いた母の顔は、笑顔だった。

「記憶も無くなっ――エッ、」


母は言葉を遮るように、優しく私を抱きしめた。

「何も心配しなくていいのよ。今ここにあなたがいるだけでいいの。それだけで充分」


鼻の奥がツンとし、目頭が熱くなる。

目尻に幸せが溜まり、限界を超えた一粒が頬を伝う。

決壊した幸せは大粒になり、優しさという安堵に吸い込まれていった。

それはまるで母の体内にいるみたいに……。


「お母さん、暖かい……」


しばらく二人は抱き合ったまま、時間が過ぎていく。

言葉はいらない。心はちゃんと繋がっている。

再び母の体内から生まれ出て、親子になった。

私は、天嶺アマテルなのだと強く実感した瞬間だった。


母は言う。

「あなたをここまで追い詰めた奴、許さないわよ‼︎」


(えっ⁉︎)「おっ…お母さん、何て?」


「あなたは何も心配しなくていいのよ。

 退院する頃には、全てが……ね❤️

 ごめんね、お母さんちょっと忙しいから帰るね。

 ゆっくり休むのよ。じゃあね。」


母は足早に部屋を出ていった。

その背中から立ちのぼるオーラが、まるで武神っ⁉︎

気のせいか、優しいお母さんに限って……。


そして、私は甘く見ていた。

元男の私にとって、女とは恐ろしく繊細で思慮深く、感覚のズレに苦悩が付きまとうということを……。


「天嶺さん、心電図検査の時間ですよ」

看護師が呼びに来た。

「点滴、終わってるみたいなので外しますね。」

(やっと終わりだ、ルンルン♩)


母の優しさに触れ、点滴も取れて、この時の私は有頂天だった……。

これから始まる試練など、知る由も無い。


――次は、心電図。


別室に案内され、病院着の前を開き、ベッドの上に仰向けに寝るよう促される。

インナーを捲り上げて……体の前面が露わになる。


「冷たいですよ……胸を少し上げますね……。」

女性の看護師の手が静かに電極を貼っていく。

胸の中央、左下の横隔膜付近、脇の下……。

触れられるたびに、体の奥からなんとも言えない感情(羞恥心?)が込み上げてくる。

鼓動が強くなっていく気がした。


(……やだ、なんで……こんなに恥ずかしいの)

目を閉じても、感覚だけが鮮やかに残る。

“見られている”という意識が、逃げ場を奪っていく。


ピッ……ピッ……。

一定の電子音だけが、部屋の静寂の中に響いていた。


「はい、動かないでくださいね。呼吸は楽にして」

呼吸、って言われても……。

「肩の力を抜いてください、計測できませんよ」

何かを言われるたびに、体を意識してしまう。

検査してくれる人が女性とはいえ、視線に過敏になる……。

あーちゃんの体という申し訳なさも重なって……。


終わる頃には、体はリラックスしても、心は羞恥や心苦しさでいっぱいだった。

「お疲れさまです。服を整えてくださいね」

その言葉に、なぜか小さな違和感を覚える。

“服を整える”――そんなこと、今まで意識したこともなかった。

男の時に感じていた「視線の居心地の悪さ」よりも、さらに内側にまとわりつくような感覚が気持ち悪い。


――次は、脳波。


小さな検査室に案内される。

看護師がにこやかに言った。

「ちょっと頭にシールを貼りますね。痛くありませんから」


椅子に腰かけると、冷たいジェルをつけた電極が、ひとつ、またひとつと頭に貼られていく。

髪の間をなぞる指先の感触が、少しくすぐったい。


「目を閉じて、楽にしてくださいね」

言われるままに目を閉じると、遠くで機械の微かな音がした。

自分の脳の動きを測られている――そう思うと、どこか自分の中を覗かれているようで落ち着かない。

どんなに検査しても戻ることはない……記憶が『無い‼︎』のだから。(申し訳ないなぁ)


終わる頃には、頭に貼られた電極が少し重たく感じた。

看護師がタオルでジェルを拭き取りながら、

「髪、ちょっとベタついちゃいましたね」と笑った。

私も曖昧に笑い返した。(頭、洗いたいなぁ……)


――次は、MRI。


次の検査室は白くて静かだった。

中央には、まるで巨大なトンネルのような機械。

「この中に入ってもらいますね。音がしますが、動かないようにしてください」


ベッドがゆっくりと筒の中に吸い込まれていく。

ゴーッ、ガガガッ、と金属を叩くような音が響く。

目を閉じる。

ただ横たわっているだけ……何もしなくていい。


(今は、考えるのをやめよう) 無心になった。


検査が終わる――



(第4話 目覚め、そして(後編) につづく)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ