12話 母、再び
母の待つ自室のドアを開けると、そこはフリマさながらの情景だった。
(えっ……ええぇー!!!!)
下着や化粧品が、きれいに並べられている……。
「お母さん……これは?……」
「女の修行を始めるわよ」
母は満面の笑顔で近づいてくる。
その視線が、私の胸元で一瞬だけ止まった。
「……まだ、それ着けてるのね」
言われて、ようやく気づく。
入院中からずっと使っているスポーツブラ。
揺れないし、楽だし――それで十分だと思っていた。
「楽だから、これでいいのかと……」
母は否定しなかった。ただ、小さく息をつく。
「いい時もあるわ。でもね、下着には役割があるの。
順番に説明するわよ」
****
「ワイヤーブラ。
これは“形を作るもの”。外に出る時、きちんと見せたい時用」
(見るからに、構造が複雑だ。)
「ノンワイヤーブラ。
これは生活用。支えるけど、締め付け感が少なく、快適な着け心地が魅力」
(ワイヤーがなくなるだけで、印象が変わる。
柔らかそうだ。)
「ブラレット。
これはほぼ布ね。ファッション重視。楽だけど、支えは最低限」
(なるほど……言われて見れば布だ。
見た目で判断するな、ということね)
「スポーツブラ。
今あなたが着けてるやつ。揺れを止めるためのもの」
母は私を見てから、淡々と続ける。
「ナイトブラ。
寝る時用。横に流れないようにするだけ」
「ハーフトップ。
ブラとキャミの中間、覆うだけ。
成長期や、とにかく楽にしたい時」
「カップ付きキャミ。
ノーブラが落ち着かない人の代わり」
母はそこで一度、手を止めた。
「全部同じ“ブラ”でも、使い方は違うの」
****
「じゃあ……どれを着ければ……」
そう言いかけた私に、母はワイヤーブラを差し出した。
「まずはこれ。
一番難しいから」
「えっ……これを?」
「そう。できないと、違いが分からない」
ブラに両腕を通すと、前かがみになるよう言われた。
言われるままに手を動かす。
「バックホックを止めて」
何度やっても上手くいかない……。
モタモタしていると、母が口を挟む。
「一旦、前でバックホックを止めて。
くるって後ろに回してから、肩紐を通して……」
(なるほど、この手があったか……。
ブラを着けるシルエットは、後ろ手の印象が強いからね)
「ワイヤーのカーブを、バストの付け根にしっかり合わせて……。
体を横にしてみて。ブラの下に“おにく”の余りがあるでしょ」
触ると、確かに……ある。
私は頷いた。
「その“おにく”を、すくうようにスライドさせてカップに入れて。
下だけじゃなくて、脇全体の“おにく”を意識してかき集める。
無くす気持ちでね。
反対側も、同じようにやるのよ」
“おにく”を納め終わると、不思議と整った感覚が出てきた。
「鳩尾の辺りの“おにく”を引き上げて。
鎖骨の下付近にも“おにく”を感じるでしょ」
ここにも……確かにある。
頷きながら、母を見る。
「その“おにく”を谷間に流して……。
もう一度、ワイヤーのカーブが付け根にあるか確認。
バックベルトを少し下げて……。
肩紐、キツくない? 肩の部分に指一本入れて、前後してみて」
「お母さん、OKだよ」
「それが、肩紐のベストな張りよ。
仕上げは……」
母は“おにく”の位置を微調整し、バストの形を整える。
「このブラは、見た目が大切よ……はい、完成」
母は私を、鏡の前に連れて行った。
そこに映っている私は――
(おぉ……整っていて、美しい……大人の女性の象徴)
少し感じる締め付けが、気持ちまで引き締める。
恥ずかしさと同時に、
大人へ一歩踏み出したような成長感が、胸の奥で“ワクワク”した。
一通り終わったあと、母は次の一枚を渡してきた。
ノンワイヤーブラ。
「じゃあ、これは自分で」
前かがみになって、位置を意識して、整える。
「……さっきより、楽」
「それが生活用。
気持ちも楽になるでしょ」
母は微笑みながら、親指を立ててグッドサインを出した。
⸻
「次は、ショーツよ」
私は、並べられている物に目を向ける。
(ん?……ショーツ??……)
形は違うけれど、
どう見ても――あれだ……
「お母さん、パンティーじゃないの?」
母は、思わず吹き出しそうになる。
「随分と古風ね。
それ、お母さん世代の言葉よ。
今は“ショーツ”って言うのが一般的」
(……実はお母さんより年上ですから……
……しかも、男だったし……)
「……そうだったね……」
母は軽く咳払いして、話を戻す。
「ショーツも、ブラと同じ。
全部“同じ下着”に見えるけど、役割が違うの」
一枚ずつ、淡々と示していく。
****
「これは、フルバック(レギュラー)。
お腹まで覆う、安定感と保温性の基本。迷ったらこれ」
「ローライズは、腰が浅い服のとき」
「ビキニは、気分を上げたい日ね」
「ハイレグは、脚が動かしやすい。外出や活動的な日」
「ノーマルレッグは、一番よくある形」
「ボーイズレッグは、食い込みにくい。
家やスカートの日に楽よ」
「Tバックは、服のラインを消したいとき」
「シームレスは、薄い服用」
「これはサニタリー、生理用。
ガードルは、形を整えたい日」
説明を聞いているうちに、
“下着=見た目”という感覚が、静かに崩れていく。
****
「……こんなに、使い分けるんだ」
「ええ。
だから次は、選び方」
母はそう言って、私を見る。
「まず、履き心地。
一日中つけるんだから、違和感があるものはダメ」
「次に、服。
タイトならラインが出ないもの。
ゆったりなら、楽な形」
「それから、素材と季節。
暑い日は蒸れにくく、寒い日は冷やさない」
「最後は、気分。
今日はどう過ごしたいか、よ」
私は、並んだショーツを見渡した。
(正解が一つじゃない……
考えて選ぶものなんだ)
母は、ふと手を止めた。
「それと、これ」
差し出されたのは、薄いおりものシート。
「今日からしばらくつけておきなさい。
朝つけたら、夕方に取り替えるのが目安。
不快感があれば、すぐ替えるのよ」
「え……?」
「これからしばらくの間、
“おりもの”で下着が汚れやすくなるわ。
詳しくは、その時にまたやりましょう」
私は、小さく頷いた。
「……私が今……お姉ちゃんの次……
だから、そろそろ……
……生理、驚くわね……」
母の、独り言。
(……女の修行は、先が長そうだ……)
⸻
少し落ち着いた……
(あっ!)
鏡に映った自分が目に止まる……
(……下着姿……じゃん……)
ワクワクが勝って、すっかり忘れていた。
急に恥ずかしさが増してきた、
私は慌てて目を逸らし、そそくさと部屋着に着替える。
「じゃあ、次は――化粧よ」
母はそう言って、テーブルの上を指した。
ボトル、ケース、小さな道具。
きれいに並んだそれらを見て、思わず息をのむ。
(……多い)
「安心しなさい。
今日は“全部”やるけど、毎回これをやれって話じゃないわ」
母は椅子を引き、私を座らせた。
「まずは、私がやってあげる。
工程と理由、ちゃんと見て、聞きなさい」
****
「最初はスキンケア」
化粧水を手に取り、顔に優しく押し当てる。
「洗って、潤す。
これを省くと、後の全部が崩れる」
「次、下地。
これはファンデを直接、肌に触れさせないための膜」
薄く、均一に伸ばされる。
「ファンデーション。
今日はリキッドね。
“塗る”んじゃなくて、“置いて広げる”」
スポンジで、叩くように。
「コンシーラーは必要な所だけ。
欲張ると、厚くなる」
クマと赤みだけが、きれいに消えた。
「パウダー。
崩れ防止と、触った時の印象」
「眉。
顔の印象の大半は、ここで決まる」
描くというより、整える。
「アイシャドウは薄く。
境目は、必ずぼかす」
「チーク。
血色を足すだけ。
“元気そう”が目標」
「リップ。
色より先に、保湿」
母は一歩下がった。
「完成」
****
鏡を見る。
(……変わりすぎてない。
でも、整ってる)
「これがフル。
でも――」
母は、そこで化粧落としを手に取った。
「このまま放置すると、どうなると思う?」
「……崩れる?」
「それだけじゃない」
母は淡々と言った。
「スキンケアをしないで化粧をすると、
乾燥、皮脂過多、肌荒れ」
「さらに、落とさないと――
毛穴詰まり、ニキビ、くすみ」
「紫外線対策をしていなければ、
それが何年後かに“シミ”になる」
私は、少し背筋を伸ばした。
「だからね」
母は、私の顔にクレンジングをなじませる。
「化粧は“やる”より、
“落とす”ほうが大事」
丁寧に、すべてを落としていく。
「じゃあ、次はあなた」
私は、同じ順で手を動かす。
下地を、少し出しすぎた。
「あ、多い」
「戻せない。
だから最初は、少なめ」
ファンデは、均一にするのが難しい。
(触りすぎると、逆に汚くなる……)
コンシーラーを手に取って、止まる。
「……目の周り、怖い」
「ええ。
目は一番デリケート。
最初は“やらない”選択も、正解」
アイシャドウも、そっと触れるだけ。
「色を乗せるより、ぼかす意識」
そして、眉。
(……これ、難しすぎない?)
「眉はね」
母が言う。
「化粧というより、ほぼ芸術。
左右対称にしようとしなくていい」
私は、なんとか形を整えた。
「……疲れる」
「でしょ。
だから、全部やらなくていいの」
母は、私の顔を見て、少し微笑んだ。
「そもそもね」
少し間を置いて。
「あなたは、そんなに化けなくていいのよ」
「え……?」
「私に似て、美人だから」
不意打ちで、胸が詰まった。
「化粧は、変身じゃない。
整えるだけで、十分」
「今日は眉とリップだけ。
今日は日焼け止めだけ。
それでいい」
でも――
母は、人差し指を立てる。
「落とさないことと、
紫外線を甘く見るのは、ダメ」
「それと、まつ毛やアイラインみたいなものは、
屋外に長く出る日や、必要な時に足すもの」
「足し算は、“美の追求”よ」
私は、深く頷いた。
(下着も、化粧も……
“女”って、判断の連続なんだ)
「女の修行はね」
母は、いつもの笑顔で言った。
「頑張ることじゃない。
知って選び、美しくあることなの」
この後、足し算に挑戦……
ビューラー、マスカラ、アイライン、つけまつ毛
目の周りは、やっぱり怖い……
そして今の私では、
目力は出たけど……歌舞伎役者
白くなったけど……お福さん
まつ毛ついたけど……お正月恒例の顔並べ
母は、お腹を抱えて笑いころげている……
引き算どころか、割り算じゃん‼︎
(……やっぱり、先は長そうだ)
⸻
その後も母との女子トークが盛り上がった。
冬に備えて“毛糸のパンツ”や“腹巻き”や“タイツ・ストッキング”
女性にとって『冷え』は大敵‼︎
そして、異性を落とす勝負……これは刺激が強すぎ……言えません。
面倒くさそうだけど、嫌じゃない……むしろ楽しい♩
憧れていた華麗な世界の扉が開き、私は一歩ずつ進み始めた。
(んんっ、、、ワクワク以外ないでしょ‼︎)
最後に母は、スマホとタブレットを返してくれた。
学校は、2ヶ月程休むことになったらしい……記憶ないからね……
ただ、2ヶ月後は卒業論文の提出時期らしい……面倒ごとが増えた……
交友関係を洗っとかなければ、あーちゃんにも聞かなきゃ。
まずは、身辺調査だ
「お母さん、いえの周りを散歩したいんだけど……」
「いいけど、一人で大丈夫?」
母は心配そうな顔で聞いてきた
「大丈夫だよ、卒論のネタも探さなきゃいけないし
何かあれば、スマホがあるでしょ」
スマホやタブレットのパスキーは、あーちゃんから入手済み
「気をつけるのよ」
母が顔を覗いてくる。
「うん」
元気よく返事を返す。
いよいよ、この新しい世界に踏み出す時がきた。
衣服の着心地……想像通り……優しくていい
外は晴天、いい船出だ。
まずは、行きたいところがある……そうっ……『慰撫神社』
始まりの場所に……
⸻
(第13話 散策 につづく)




