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10話 天嶺の名の下で

家の雰囲気が違う。

奥に見える客間が、ひどく遠く感じた。


廊下を進むにつれ、体が強張っていく。

この先には『威武』がいる。

威光と武力――人の上に立つために集められた象徴。


それでも、母はいつもと変わらない。


「急に二人で出かけるんだから、

 スイーツでも買いに行ったの? ずるいわ。

 お母さんも誘ってくれればよかったのに」


愛想笑いしか出来なかった。

姉も無言で、前方の客間を見つめている。


客間の前に立つ。

扉の向こうから流れてくる空気は、人が放つものではなかった。


母がノックし、静かに声をかける。


「二人を連れてきました」


少し間を置いて、祖父の声が返る。


「入りなさい」


扉が開く。

中央に祖父。左右に祖母と父が座っている。

母は父の隣へ向かった。


姉は、部屋の入り口に立ったままだ。


祖父が、ゆっくり口を開く。


「こんな夜中に呼び立てて申し訳なかったね。

 よろしくない話は、早めに伝えた方が良いと思ってね」


口調は穏やかだが、質問を許さない圧があった。


「アマテルや……

 今回は災難だったね」


祖父は一度、目を伏せる。


「かの者は、いくつかの不正をしていたと聞いておる。

 処分も下ったようじゃ。

 家族も居づらかったのだろう、すでに母方の実家へ移ったそうな」


淡々とした事実だけが並べられる。


「公務員試験も、その一つじゃ。

 おまえの不合格について撤回を求めたが、聞き入れられなかった。

 ……力のない爺を、許しておくれ」


私は、静かに頷いた。


そして、口を開く。


「今回の事態は、私の浅はかさが招いたものです。

 もっと慎重に動くべきでした。

 何より……相手の力を見誤った時点で、私の負けです」


祖父は目を閉じ、最後に小さく頷いた。


「権力とは、天秤なのだよ」


ゆっくりと、言葉が落とされる。


「一方に偏れば、全てが崩れる。

 力でねじ伏せることもできた……しかし、偏りは歪みを生む」


誰に言い聞かせるでもない、独り言のようだった。


「借りた力は、やがて己の枷となる。

 その世界で生きる限り、縛りとなって返ってくる」


祖父は、ふっと息を吐く。


「だから、調停する者が必要になる。

 日の本に出ず、誰の目にも止まらない者がな」


一拍。


「……おっと。これは爺の独り言じゃな」


祖父は、話を切った。


「退院したばかりで辛かっただろう。

 今日はもう休みなさい。

 目が覚めれば……元通りじゃ」


それで、終わりだった。


多分、神に謁見するというのは、こういう感覚なのだろう。

祖父の瞳を直視することが出来ず、自然と頭が下がっていた。


恐怖ではない。

ただ、人の尺度が通じない何かが、そこにあった。

そこには確かに『威武』が在った。


「……失礼します」


私は、足早に部屋を後にした。


廊下を進みながら、思う。


祖父は、何も隠してはいない。

ただ、語らなかっただけだ。


それで十分なのだ。

この家では。


戦いは、終わったのではない。

終わったことに、された。


けれど――

それでも私は、生きている。


お日様の下で生きろ、と言われた意味が、少しだけ分かった気がした。


光で在ること。

それは、戦わないことでも、逃げることでもない。


この世界に呑み込まれず、

それでも目を逸らさずに立ち続けること。


天嶺の名の下で、

私に与えられた役割は――

最初から、そこにあったのかもしれない。


――


素早く自室に入り、後ろ手にドアを閉めた。

寒気に似た恐怖が、まだ体から抜けきっていない。

心臓の音が、頭の中でやけに大きく響く。


深呼吸をして、息を整える。

ゆっくりと、暖かい血流が体を満たしていくのが分かった。


(マジっ……怖かったぁ……)


その場にへたり込み、背中をドアに預ける。


天井を見つめていると、ふと――

男だった頃、親父に言われた言葉が蘇った。


「公務員試験のコネは高いな‼︎

 指一本立てられたら、百万円だってよ。あはは……

 何千万も払うケースもあるってんだから、高級車どころじゃない。

 新入社員の給料じゃ、到底返せないよな。

 親の投資にしても、高すぎる‼︎

 やっぱり、会社員は自由で最高だな」


今思えば――

なぜ、あそこまで具体的に相場を知っていたのだろう。


男の時代の家柄も、分かっているだけで二百五十年続いていた。

祖父には、相当厳しくされたとも言っていた。


それでも親父は、私に何も求めなかった。


興味がないのだと思っていた。

――違う。


知っていたんだ。

闇を。


だからこそ、私には自由であってほしかった。


守られたのは……これで二度目か。


「あぁー……面倒くさい」


頭がぐちゃぐちゃになった時に、つい出てしまう口癖。

でも、この言葉が出る時は――

不思議と、すべてが腑に落ちた後だった。


私は仰向けに寝転がり、天井を見つめたまま呟く。


「明日から……何しようかな」


答えは、まだない。

けれど、不思議と焦りはなかった。


――


“グゥ〜〜ッ”


心のざわめきが消えた途端、小腹が鳴った。

(ミツヤの料理、残ってるはず……ふふ)


廊下に出ると、前から弟が胸を押さえながら歩いてくる。


「ミツヤ、地雷踏んだね……あはは」


「……くっ……イブ姉は、容赦ないからな……」


「いい社会勉強になったじゃない。

 無礼講でもNGはあるってこと。

 いいこと教えてあげる……ふふ、

 イブ姉、さっきねぇー……っえ?」


そう言いかけた瞬間、弟の顔色が一気に変わった。

背後から、空気が張り詰める気配。


恐る恐る振り返る。


——鬼が、仁王立ちしていた。


「お姉様、これには事情が……」


姉は眉をぴくりと動かす。


「アマテルも、社会勉強が必要なようね……?」


『ごめんなさーい‼︎』


反射的に走り出す。

なぜか弟も一緒だ。


「なんで俺まで……アマ姉のせいだぞ‼︎」


「捕まったら終わりだよ」


背後から声。


『待てぇぇぇー‼︎‼︎‼︎』


振り返ると、追いかけてくる姉は——笑っていた。


「我が人生に一片の悔いなし、ってね」


その途中、母まで加わる。


「楽しそうねぇ。混ぜて混ぜて」


……と思った次の瞬間。


目の前に、祖母。


『お婆ちゃん、あぶ——』


“バシッ”


“バシバシ”


“バシッ‼︎”


四人の額に、的確なチョップ。


「今、何時だと思ってるんですか?」


声は優しい。

だが、空気は逆らえない。


『申し訳ございません』


四人揃って正座し、頭を下げた。


少し離れた場所で、祖父と父が苦笑している。


そのとき。


“グゥ〜〜ッ……ギュルルル〜”


静寂を切り裂く音。


「……お腹空いた」


照れ隠しに、笑う。


「てへっ」


一瞬の沈黙のあと、全員が吹き出した。


「二次会だな」


弟の一言で、空気がほどける。


再び席に着く。

並びも、料理も、一次会と同じ。


——でも、居心地が違った。

 “何もない様で必ずそこにある……大切なもの”


(これが……家族なんだ)


――


部屋に戻り、ドアを静かに閉める。

さっきまでの賑やかさが嘘みたいに、夜が戻ってきた。


ベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。

心の奥が、妙に晴れている。


女になったら——

何をしよう。


服。

今までは「似合うかどうか」より、「目立たないか」を気にしていた。

でもこれからは、

着たいものを、着たいと思える。


部屋着だってそうだ。

誰に見せるわけでもないのに、

少し可愛いだけで、気分が変わる。


仕事も、バイトも。

借り物じゃない、本物の制服を着て、

ちゃんと「その場にいる自分」になれる。


ランニング。

トレーニング。

汗をかくことさえ、

どこか花がある気がする。


……なんだろう。

まだ何も始まっていないのに。


(あぁ……最高だね)


思わず、口元が緩む。


重たかったものが、胸から抜けていった。

代わりに、明日が少しだけ近づいた気がする。


布団に潜り込む。

体の重みが、心地いい。


目を閉じると、

さっき思い描いた色や形が、

ゆっくり溶けていく。


——明日が待ち遠しい♩


意識が、静かに沈んでいく。

音が遠ざかり、

光だけが残る。


気づけば、

世界はやわらかな明るさに包まれていた。


――


気づけば、音が消えていた。

風も、気配もない。

ただ、やわらかな光だけが世界を満たしている。


足元には、牡丹の花が一面に広がっていた。


(……ここ……)


懐かしい。

けれど、前に来た時よりも、世界がずっとやさしい。


少し離れた場所に、あの岩がある。

そして——


「てんちゃん」


振り向かなくても分かった。

胸の奥が、きゅっと鳴る。


牡丹畑の中に、あーちゃんがいた。

子鹿と戯れながら、静かに微笑んでいる。


「……また、来ちゃった」


そう言うと、あーちゃんは小さく頷いた。


周囲を見渡す。

木々は深く根を張り、葉を繁らせている。

風に擦れる音は、小鳥の囀りと溶け合い、

小川のせせらぎは、母の胎内にいた頃の鼓動のように穏やかだった。


ときおり運ばれてくる牡丹の甘い香り。

胸の奥まで、ゆっくりと緩んでいく。


——桃源郷。

そう呼ぶ以外、言葉が見つからなかった。


「おかえり」


少し間を置いて、あーちゃんは続ける。


「……気遣ってくれて、ありがとう」


その言葉が、静かに染み込んだ。

私は、俯く。


「……戦えなかった」


あーちゃんは、否定しなかった。


「うん」


「何も変えられなかった」


「うん」


「……守られてた」


そっと、抱きしめられる。

その温もりは、記憶よりも確かだった。


「それでいいんだよ」


牡丹の花が、風もないのに揺れた。


「てんちゃん。

 光ってね、戦うためにあるんじゃない」


あーちゃんは、岩に手を触れる。


「影を消すためでもない。

 ただ、そこに在る“大切なもの”」


「……家族ってこと……」


「一番近くで感じるのは、そうかもね。

 でもね……近すぎるから、忘れやすいの」


小さく笑って、続ける。


「怒りの闇の深さ、感じたでしょ」


「うん。

 同じ過ちをするところだった。

 ——でも、家族が救ってくれた」


一陣の風が吹き、木々がざわめいた。


あーちゃんの雰囲気が変わる。

放たれる言葉が、どこか神話めいていく。


「威武と慰撫。

  同じ根を持つ言葉で、陰と陽。

 世の均衡を保つために、

  時に闇となり、時に光となる存在」


光が、木々の隙間から降り注ぐ。


「だから、あの家には“絶対的な光”が必要なの。

 闇は黄泉を呼ぶから……

 皆が、私のように堕ちないように」


子鹿が、あーちゃんの足元で身を丸めている。

その毛並みは柔らかいのに、どこか冷たさを帯びていた。


「この子ね……」


あーちゃんは、花を踏まないように膝を折る。


「一度、黄泉に迷い込んだの」


私は、息を呑んだ。


「知らずにね……

 黄泉のものを、口にしてしまった」


子鹿が、かすかに身を震わせる。


「本当は、それだけで——

 もう、現世には戻れない」


言葉の意味が、胸に落ちてくる。


「でも、慰撫様は知らなかった。

 ただ、助けたかっただけ」


あーちゃんは、子鹿を抱き寄せる。


「連れ帰ってしまったの。

 “帰る場所がある”って、信じて」


風が、低くうなる。


「当然、黄泉は怒った。

 奪われたのは、命じゃなく——

 “理”だった」


私は、喉が鳴る。


「威武様の目にはね……

 それは“悪”に映った」


あーちゃんは、少しだけ目を伏せた。


「だから、武を振るった。

 守るために。

 でも——」


一瞬、光が陰る。


「理の上では、それは闇。

 正義でも、武力は黄泉に近い」


あーちゃんは、胸に手を当てる。


「威武様は、堕ちかけた——

 あと一歩、寸前のところだった」


子鹿が、慰撫様の名を呼ぶように鳴いた。


「救ったのは、愛だった。

 裁かず、取り返さず、

 それでも手を離さないという選択」


牡丹の花が、静かに揺れる。


「だからね、てんちゃん」


あーちゃんは、穏やかに微笑む。


「光は“正義”だけど、正義は弱い

  逆の立場で見れば“不義”。双方納得の正義は無いの」


「光は“愛”でもある

  愛は双方が納得しなければ成り立たない

   そして、周りを巻き込んで良い方向に導く……“奇跡”」

 

一拍。


「私も、救われた。

 そして今——てんちゃんに託したの」


光が、ゆっくりと満ちていく。


「迷っていい。

 怖がっていい。

 それでも苦しかったら、またここにおいで」


輪郭が、淡くなる。


「自分を大切にするってね、

 “今日を精一杯生きる”ことだから」


風が吹き、花弁が舞い上がる。


「……ありがとう、あーちゃん」


返事はない。

けれど、確かに——届いていた。



光が、まぶたを叩く。


目を開けると、見慣れた天井。

朝の気配。


胸に手を当てる。


「……さあ、一日の始まりだ」


その声は、昨日より少し軽い。


——私は、まだ知らない。

この先に待つ、

“女として生きる”ことの苦渋を。


“コンコン”


不意に、ノックの音が響いた。



(第11話 母、再び(その前に) につづく)

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