第93話 答え
私は、学園中庭に設けられた剣術演習場の中央で、マギウスと向かい合っていた。周囲を取り囲む生徒たちの視線が、痛いほどに肌へ突き刺さる。誰もが固唾を飲み、息を潜め、この模擬戦の行方を見守っていた。
力を誇示するかのように、二重詠唱を成立させようとするマギウス。その姿は、まさに“天才”と呼ばれるに相応しいものだった。
だが――
私は迷いを振り切るように、杖先を地面へと向け、魔力を一気に解き放つ。
次の瞬間。
マギウスの足元を中心に、淡い光が走った。地面が反応するように震え、複雑で幾何学的な紋様が、まるで意思を持つかのように浮かび上がる。
観衆の中から、ざわめきが広がった。
「……魔法陣?」
「いや、あれ……見たことがないぞ……」
刻まれているのは、通常の発動用魔法陣とは明らかに異なる構造。魔力を増幅するものでも、防御を固めるものでもない。
それは――
「――特異技能《魔力封殺》」
私の口から、静かにその名が告げられた。
刹那。
私の頭上に降り注いでいた雷の矢が、音もなく霧散した。まるで最初から存在しなかったかのように、光だけを残して消えていく。
同時に。
マギウスの身体から、魔力の奔流が途切れるのが、はっきりと分かった。
彼は、驚いたように目を見開き――
そして、静かに詠唱を中断した。
演習場が、完全な静寂に包まれる。
講師でさえ、言葉を失ったまま、私とマギウスを見つめていた。
(……成功した)
私は、内心で息を吐く。
この瞬間のために、私は準備してきた。
模擬戦が始まる前。マギウスが立つであろう位置を、私は何度も想定していた。
癖、間合い、立ち位置――全てを読み切り、その地点にあらかじめ魔術刻印を施していたのだ。
誰にも気づかれないよう、地面の模様に紛れ込ませるように。そして、刻印の要となる箇所には、特殊な鉱石で作った小型の魔導具を埋め込んである。
最大の課題だった"長すぎる詠唱"
それは、魔術刻印にあらかじめ詠唱文そのものを刻み込むことで解決した。発動の瞬間に必要なのは、引き金となる魔力だけ。
――つまり。
私自身が詠唱する必要はない。
私が辿り着いた、新しい“答え”。
魔力そのものを封じる、対人制圧用の術式。
それが、《魔力封殺》。
魔法を放とうとしても、スキルを発動しようとしても、体内の魔力が外界の魔元素と繋がらない。
結果、何も起きない。
(これが……私の研究の成果だ)
私は、静かにマギウスを見据えた。
(さぁ……)
私は、杖を握り直し、確信を込めて心の中で呟いた。
(終わりだ……マギウス)
マギウスの表情に浮かんでいたのは、焦りではなかった。追い詰められた者が見せる恐怖でも、動揺でもない。
――困惑。
それが、何よりも私の胸を満たす……はずだった。
だが。
次の瞬間、マギウスは小さく鼻で笑った。嘲笑でも、軽蔑でもない。どこか力の抜けた、諦めにも似た笑み。
彼はゆっくりと私へ視線を向け、低く、静かに言葉を紡ぐ。
「……最後まで、信じたかった」
その声音は、怒りよりも深く、胸に刺さるものだった。
「お前が……そんな人間じゃないって……」
マギウスの瞳は、はっきりと悲しみを宿していた。責めるでもなく、怒鳴るでもなく、ただ――残念そうに。
その視線に、胸の奥がざわつく。
「この実技はさ……」
彼は一歩も動かぬまま、淡々と続ける。
「魔術と剣術、両方を使っての演習だろ……?」
そして、静かに言い切った。
「魔力を使えなくしたら……それはもう、演習ですらない」
その言葉を聞いた瞬間、私ははっとして周囲に視線を巡らせた。
講師は、腕を組み、明らかに呆れた表情を浮かべている。生徒たちはざわめき、戸惑いと違和感を隠そうともしない。
「……一方的に相手の魔力だけ封じるって……」
「は、反則じゃないか……」
「ずるいだろ……」
ひそひそと、しかし確実に、非難の声が私の耳に突き刺さる。
その瞬間。
胸の奥に、説明のつかない感情が渦を巻いた。
怒り。
悔しさ。
焦り。
そして――理解されないという恐怖。
「……うるさい!!」
私は叫ぶように声を上げ、マギウスへと杖を突きつける。魔力が封じられている以上、彼はもう何もできないはずだった。
(そう、これは――勝利だ。)
私は躊躇なく、炎の弾を放つ。
(これで……終わりだ……!)
だが。
次の瞬間、私の視界は信じがたい光景に塗り替えられた。
マギウスは一切慌てることなく、腰に携えていた木剣を引き抜く。
踏み込み、振り抜き――
――ザンッ!
乾いた音と共に、炎の弾は真っ二つに叩き割られた。
「……な……」
思わず、息が漏れる。
(なぜだ……?)
マギウスは、剣術の専門講義を受けていないはずだ。魔術師であり、研究者であり、理論家のはず。
なのに。
その動きは、あまりにも無駄がなく、洗練されていた。
私は、焦りを隠すように、次々と炎の弾を放つ。
一発、二発、三発――
だが、そのすべてを、マギウスは易々と切り伏せていく。流れるような足運び。剣筋は迷いなく、最小限の動きで最大の効果を生み出している。
まるで――
長年、剣を握り続けてきた熟練の剣士のように。
観衆から、驚愕の息が漏れた。
「……え……」
「マギウスが剣を……」
私は歯を食いしばる。
理論は完璧だったはずだ。魔力を封じれば、マギウスは無力になる。
――そう、信じていた。
だが今、目の前に立つ彼は、魔法を奪われてもなお、揺るがない。
その事実が、何よりも――
私を苛立たせていた。
「……なぜ……なぜだ……」
掠れた声が、喉の奥から零れ落ちた。
信じられなかった。
理解できなかった。
視界が滲み、足から力が抜け、私はその場に崩れるように膝をついた。冷たい地面の感触が、敗北という現実を容赦なく突きつけてくる。
――負けた。
そう理解するよりも早く、足音が近づいてくる。
マギウスは静かに歩み寄り、ためらいもなく、私の喉元へと木剣の切っ先を向けた。それは威圧ではなく、確認のための所作だった。
「……終わりだ」
低く、しかしはっきりとした声。
「負けを……認めてくれ」
その一言が、胸に重く落ちる。周囲の視線が痛いほど突き刺さっていた。
講師の目。
生徒たちの目。
誰もが言葉を発さずとも、同じことを告げている。
――お前の負けだ。
逃げ場はない。
言い訳も、反論も、もうできない。
視線の圧に押し潰されるように、私は唇を震わせながら、静かに呟いた。
「……私の……負けだ……」
その言葉を聞いた瞬間、マギウスは小さく息を吐いた。張り詰めていた何かが、ようやく解けたかのように。彼は木剣をゆっくりと下ろし、腰の鞘へと納める。
そして――
何の躊躇もなく、私へと手を差し伸べてきた。その動作の意味が、私には理解できなかった。
(……勝者の、哀れみか……?)
差し出された手。穏やかで、曇りのない、あまりにも眩しい笑顔。
それが――耐え難かった。
その光が、私の中に広がる黒い影を、より濃く、深くしていく。
――パンッ。
乾いた音が響く。
私はその手を取らなかった。叩き払うように振り払い、無言のまま立ち上がる。
服についた砂埃を乱暴に払うと、生徒たちの間を押し分けるようにして、その場を後にした。
胸の奥から、どうしようもない悔しさが込み上げてくる。
負けたからではない。
認められなかったからでもない。
――理解されなかった。
その感情が、私を焼いていた。
背中に、視線を感じる。
マギウスは、最後まで私の背を追っていた。
エルディオンは、何か言おうと口を開きかけたが、結局、言葉を見つけられなかったのだろう。
その肩を、セリオディアンがそっと掴み、首を横に振る。
――今は、話すな。
そう言っているかのように。
私は振り返らなかった。
夕暮れに染まる学園の道を、一人きりで歩く。足音だけが、やけに大きく耳に響いていた。黄昏る空の下、私は静かに、静かに――宿舎へと戻っていった。
誰にも、何も言わずに。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回
第94話 囁き
【明日19時】に更新予定です。
引き続き
三人の若き国王編を進めていきます!
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