第91話 選択
王立学園の中庭。
剣術演習用に整えられた広場では、講師と生徒による手合わせが順番に行われていた。金属の擦れる音、剣がぶつかる乾いた衝撃音。それらを横目に、次の番を待つ二人の青年が、木陰で肩を並べて立っていた。
腰に剣を下げ、腕を組んで空を見上げているのがセリオディアン。その隣でエルディオンは、剣を地面に立て掛け、穏やかな表情で演習を眺めている。
しばらく沈黙が流れた後、セリオディアンがふと、独り言のように口を開く。
「なんかよ……」
少し考えるように眉を寄せ、顎に手を当てる。
「最近さ……迷宮の数、減ってる気がしねぇか?」
何気ない一言。だが、その言葉には、戦いを生き甲斐とする者特有の違和感が滲んでいた。
それを聞いたエルディオンは、軽く肩をすくめ、呆れたように返す。
「気のせいだろ。そんな大事が起きてたら、各国がとっくに騒いでるよ」
剣の稽古をする生徒たちを眺めながら、淡々と続ける。
「もし本当に迷宮が消え始めてるなら、勇者パーティーが魔王を討伐したって噂で、今頃世界中が大混乱だ」
その現実的な返答に、セリオディアンは一度だけ頷いた。だが、納得しきれない様子で、再び空を仰ぐ。
「だよな……」
風に揺れる雲を眺めながら、ぼやくように言葉を落とす。
「でもよ、こうも迷宮の出現が少ねぇとさ……身体が鈍っちまいそうでよ」
剣の柄を軽く叩きながら、冗談めかして笑う。
「せっかく鍛えてんのに、腕を振るう場がねぇのは退屈だぜ」
その言葉に、エルディオンはくすりと笑い、わざとらしく首を傾げた。
「じゃあさ」
からかうような声音で続ける。
「魔族でも倒しに、魔族領域に行ってみたらどう?」
その瞬間。
「――はぁ!?」
セリオディアンは目を見開き、慌てたように首を横に激しく振った。
「バカ言うな!!」
思わず声を張り上げ、周囲の視線を集めてしまう。
「確かに興味はあるけどよ……そんなことしたら国家間の条約違反だろ!」
焦った様子で腕をぶんぶん振る。
「俺なんて一瞬で打首だぜ!?首が三つあっても足りねぇ!」
本気で慌てるその様子に、エルディオンは堪えきれず笑い出した。
「はは……」
楽しそうに目を細めながら言う。
「まぁ、君の実力なら、魔族の一人や二人くらい、簡単に倒してきそうだけどね」
冗談とも本気とも取れる言い方。それを聞いたセリオディアンは、ぴたりと動きを止め、ゆっくりとエルディオンに視線を向けた。
「そう言うお前こそさ……」
セリオディアンは、エルディオンを横目で見ながら、からかうように口角を上げた。
「誰よりも魔族に興味あるんじゃねぇのか?」
指で軽く空を指しながら続ける。
「魔族領域への侵入を正式に許可されてるのって、勇者パーティーだけだろ? 実際に魔族をこの目で見たことがある人間なんて、そうそういねぇ訳だしよ」
その言葉に、エルディオンは一瞬だけ視線を逸らし、照れたように頬を緩めた。
「……まぁ、そうなんだよね」
苦笑混じりに、素直に認める。
「魔族は、僕たちとは違う姿をしているらしいって話は、文献でも噂でもよく目にするよ」
思い出すように指先を顎に当て、学者らしい口調で語り始めた。
「噂によれば、肌は紫色で、人間で言うところの白目が黒いとか……それに、頭には角が生えているとも聞くし」
エルディオンの瞳が、ほんのりと輝く。
「どんな環境で生きてきたのか、何から進化した種族なのか……そういうのを考えると、学術的にはとても興味深い存在なんだ」
どこか楽しそうに、だが決して軽薄ではない声音。
「魔族に対しての恐怖よりも“知りたい”って気持ちが先に来ちゃうんだよね」
その言葉に、セリオディアンは呆れたように笑う。
「お前らしいっちゃ、お前らしいな……」
そう言いながらも、どこか納得した様子だった。
そこでエルディオンは、ふと隣にいるはずのもう一人に気づく。
いつもなら、こういう話題に真っ先に口を挟んでくる男が、今日は妙に静かだった。
エルディオンは首を傾げ、隣に視線を向ける。
「……マギウスは、どう思う?」
問いかけるように、穏やかな声を向ける。
それにつられて、セリオディアンもマギウスの方を見た。
だが――
マギウスは、二人の視線に気づいていないようだった。腕を組み、深く俯き、何かを考え込むように黙り込んでいる。いつもなら軽口を叩くか、理屈っぽい意見を返すはずの男が、言葉を発しない。
その様子に、セリオディアンは眉をひそめ、戸惑ったように声をかけた。
「……マ、マギウス……さん?」
どこか慎重な呼びかけ。その声と、エルディオンの心配そうな視線を受けて、ようやくマギウスははっとしたように顔を上げた。
「……ん?」
一瞬遅れて、状況を理解したように瞬きをする。
「おっと……悪い」
気まずそうに頭を掻き、苦笑いを浮かべる。
「ちょっと考え事しててな……聞いてなかった」
その言葉に、エルディオンはすぐさま表情を曇らせ、優しく声をかけた。
「マギウス……何かあったのかい?」
エルディオンの静かな問いかけに、マギウスはすぐには答えなかった。一瞬だけ視線を彷徨わせ、それから演習場の方へと目を向ける。
剣術の演習場では、生徒たちが順番に模擬戦を行っている。
その中に――
エルディオンの弟の姿があった。
汗に濡れた髪。必死に、何かに取り憑かれたように剣を振るうその姿。
マギウスは、少しだけ目を細めてから、低く口を開いた。
「……いや、実は昨日――」
淡々と、だが隠すことなく語られる昨夜の出来事。
研究室でのやり取り。
弟の思想。
あの、引き返せない目。
話を聞き終えたエルディオンは、深く息を吐き出した。
「……はぁ……」
大きく、重い溜息。
「ごめん……マギウス……僕の弟が……」
それ以上、言葉を続けられなかった。兄としての自責と、どうすることもできない無力感が、表情に滲んでいる。
その様子を横で見ていたセリオディアンは、いつもの軽さを完全に消し、珍しく真剣な表情で顎に手を当てた。
「……それにしても」
低く、重い声。
「あいつ……かなり危ねぇ考えを持ってるな」
剣術の演習音が、遠くで響いている。だが、この三人の間には、別の緊張が走っていた。
セリオディアンは視線をマギウスへ向け、はっきりと言葉を続ける。
「分かってるよな、マギウス」
逃げ場のない問い。
「お前が手を抜けば、あいつの思想は……もっと強くなる」
一拍置いて、低く告げる。
「引き返せないところまで行くかもしれねぇぞ……」
その言葉は、忠告であり、覚悟を迫る宣告でもあった。
エルディオンは、二人のやり取りを前に、言葉を失っていた。腕を組み、俯いたまま、何も言えない。
沈黙を破ったのは、マギウスだった。
腕を組んだまま、静かに――だが確かな意志を込めて口を開く。
「ああ……分かっている」
迷いはない。
「それに、最初から負けるつもりはない」
マギウスの視線は、演習場ではなく、もっと遠い何かを見据えていた。
「俺が“マギウス”の名を背負っている以上、負けられない」
その声には、誇りがあった。
「この名はな……俺が“大魔導士”と呼ばれた母から受け継いだ名だ」
風が吹き、演習場の砂が舞う。
マギウスは、そこで一度、目を閉じた。
ほんの数秒。
だが、それは迷いではなく、決意を固めるための時間だった。
そして――
静かに目を開き、セリオディアンへと視線を向ける。
「なぁ、セリオディアン」
低く、真剣な声。
「俺に――――」
その先の言葉を聞いた瞬間、セリオディアンは目を見開いた。軽口も冗談もない、真剣な表情で、静かに頷く。
その瞬間、マギウスの瞳には――勝つための、確かな覚悟が宿っていた。それは友情でも、義務でもない。一人の人間として、越えなければならない一線を見据えた者の目だった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回
第92話 決闘
【明日19時】に更新予定です。
引き続き
三人の若き国王編を進めていきます!
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