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第90話 交差する正義




 講師に研究成果を否定された私は、足取りも重く、再び研究室へと戻った。胸の奥に残るのは、納得できない悔しさと、言葉にできない焦燥感。


 ――それでも


(……止まるわけにはいかない。)


 研究室の扉を閉め、私は机に向かう。そこには、私が積み重ねてきた時間の証が並んでいた。無数のノート、書き殴った計算式、魔導式の走り書き、そして何度も推敲した論文の束。


(――さらに、効率よく。)


 椅子に深く腰を下ろし、自分の書いた論文を最初から読み返す。既存の理論と照らし合わせ、矛盾を洗い出し、不要な部分を削ぎ落とす。そしてまた、新たな補足を書き加える。


 何度も、何度も。

 書いては消し、消しては書き直す。


 ペン先が紙を引っ掻く音だけが、研究室に響く。


 私が作り上げた魔導式を、より完璧に。より強固に。誰にも否定されない理論へと昇華させるために。


(これが完成すれば……)


 胸の内で、言い聞かせるように思う。


(これが完成すれば……皆が俺を認めてくれる。兄と比べられることも、無能だと囁かれることも、きっと……)


 だからこそ――


(一刻も早く、完成させなくてはならない。)


 その時だった。


 トントン。


 研究室の扉を叩く、控えめな音。


 だが、私は顔を上げなかった。視線は論文に釘付けのまま、ペンを走らせ続ける。


 ――今は駄目だ。


(集中を切らすわけにはいかない。)


 しかし、再び。


 トントン、トントン。


 少しだけ強くなったノックの音。

 それでも、私は机から目を離さない。


(邪魔をしないでほしい。今は、研究だけに没頭したい。)


 その願いを嘲笑うかのように――


 ギギィィィ……


 ゆっくりと、研究室の扉が開く音がした。


(……誰だ)


 苛立ちを隠そうともせず、私はようやく顔を上げ、開いた扉の方へと視線を向ける。


 そこに立っていたのは――


(……マギウス……?)


 あの男だった。


 柔らかな表情で、まるで場違いなほど和やかに、軽く手を振ってこちらへ歩み寄ってくる。

 その姿を認めた瞬間、胸の奥がざわついた。だが、私はすぐに視線を机へと戻す。


(――今は話したくない。)


 再び、ペンを握り直し、ノートへと叩きつけるように書き始めた。


 ガリガリガリガリ。


 荒々しい筆音が、私の苛立ちをそのまま表しているかのようだった。研究室には、ペンが紙を削る音と、マギウスの靴音だけが静かに響く。

 

 一歩、また一歩。


 やがて、その足音が、私のすぐ横で止まった。


 沈黙。


 張り詰めた空気の中で、マギウスは静かに口を開いた。


「聞いたよ……最近、研究に随分と熱心なんだってな……」


 背後から掛けられたその声は、驚くほど穏やかで、配慮に満ちていた。その優しさが、今の私にはひどく煩わしい。

 私は顔を上げず、視線は論文の文字列に釘付けにしたまま、筆を走らせ続ける。


(……何をしに来たんだ)


 疑問だけが胸の奥で渦を巻く。だが、それを言葉にする余裕さえ惜しかった。


 ガリ、ガリ、と紙を削る音。

 

 研究室の静寂を切り裂くその音に、マギウスは一歩も引かず、私の背後で立ち止まったまま、静かに言葉を重ねる。


「過度な努力は……体に毒だ」


 その一言が、私の耳に届いた瞬間。


 ――カチリ。


 胸の奥で、何かが音を立てて外れた。


 気がつけば、私は筆を強く握り締めていた。

 力が入りすぎた指先が、白くなる。


「……うるさい」


 自分でも驚くほど、低く、荒れた声だった。


 次の瞬間。


 パキッ――。


 乾いた音とともに、筆が無残に折れる。インクが紙に飛び散り、私の研究成果を汚していく。

 その光景に、マギウスははっとしたように目を見開いた。だが、私の中に溜まっていた感情は、もう止まらなかった。


「お前に……何が分かる!!」


 私は勢いよく立ち上がり、振り返る。胸の奥から、押し殺してきた感情が溢れ出す。怒りか、悔しさか、それとも恐怖か――自分でも分からない。


「……俺には、もうこれしかないんだ!!」


 バンッ!


 衝動のまま、掌で机を叩いた。震える音と共に、ノートや書類が跳ねる。積み上げてきた研究。私が必死に縋りついてきた、唯一の拠り所。

 マギウスは一瞬言葉を失ったように、その光景を見つめていた。やがて、困ったように視線を机へと落とす。


 無数の魔導式。

 びっしりと書き込まれた理論。

 何度も推敲された痕跡。


 それらを目にした瞬間、マギウスの表情が変わった。

 

 驚きに、目を見開く。


「お前……それ……」


 ――ほら、やっぱり。


 内心で、私は勝ち誇ったように笑った。


(この男ですら、驚いている。やはり、この研究は間違っていない)


 私はノートを掴み、半ば突きつけるようにマギウスへ差し出す。


「どうだ!!」


 声は自然と大きくなっていた。


「君にも、この凄さが分かるだろ!!」


 理解されたい。

 認められたい。

 あの三人と同じ場所に立ちたい。


 そんな願いを込めて、私は彼を見た。


 ――だが。


 返ってきた反応は、私が思い描いていたものとは、あまりにも違っていた。

 マギウスは、ノートから目を離し、わずかに肩を震わせる。笑っているわけではない。だが、その声は、冷え切っていた。


「……今すぐ、その研究はやめろ」


 一切の迷いも、躊躇もない声音。その言葉が――まるで氷の刃のように、私の胸を貫いた。


 息が、詰まる。


「……っ……」


 喉が動く。

 だが、声が出ない。


 今まで積み上げてきた時間。

 眠れぬ夜。

 削ってきた自尊心。


 それらすべてを、一言で否定された気がした。


「……え?」


 喉から零れたその声は、あまりにもか細く、自分のものとは思えなかった。


(なぜだ。なぜ、君まで私を否定する。)


 思考が追いつかず、私は言葉を失ったまま、ただマギウスを見つめることしかできなかった。

 彼の瞳は真剣で、揺らぎがなく、だからこそ余計に胸が締め付けられる。


「スキルは……」


 マギウスは、噛みしめるように言葉を選びながら続ける。


「スキルは、人が人として生きた証だ」


 その瞬間、私の頬が無意識に引き攣るのが分かった。まるで、心の奥を直接撫でられたかのような不快感。


「お前は……」


 マギウスの声が、低く、重くなる。


「人が人として生きた証を……努力の塊を、奪うつもりなのか?」


 その言葉は、忠告のはずだった。だが、私の耳には――否定としてしか響かなかった。


(違う。そうじゃない。)


 私は、認められると思っていた。才能ある彼なら、この研究の価値を理解してくれると、心のどこかで信じていた。


(なのに、なぜ。)


 胸の奥で、小さく灯っていた希望の光が、じわじわと闇に侵食されていく感覚。


 呼吸が、浅くなる。


(……もう、彼の言葉を聞きたくない)


 そう思ったはずなのに――


 俯いた私をよそに、マギウスはなおも論文に目を走らせていた。ページをめくる音が、やけに大きく響く。やがて、彼は顔を上げ、こちらを見る。


「……だが」


 一拍置いてから、呟くように静かに続けた。


「一人で、ここまでまとめ上げたのか……やはりお前には、才能が――」


 その言葉を、私は最後まで聞けなかった。


「黙れ!!」


 自分でも驚くほど、鋭く、荒れた声が研究室に響いた。

 マギウスは一瞬、言葉を飲み込み、息を詰まらせたように目を見開く。


「人の生きた証だと……?」


 私は笑った。

 いや、笑おうとしたのかもしれない。

 だが、それは歪んだ、怒りに満ちた表情だった。


「そんなの……綺麗事だ!!」


 吐き捨てるように叫ぶと、マギウスは思わず半歩、身を引いた。距離を取るようなその反応が、さらに私を苛立たせる。

 私は椅子から勢いよく立ち上がり、彼を真正面から睨みつける。


「その“証”のせいで、この世界はどうなっている!?」


 声が、次第に熱を帯びていく。


「スキルを持つ者と、持たざる者。生まれた瞬間に、価値を決められる世界だ!」


 拳を握り締める。

 爪が掌に食い込み、痛みが走る。


「スキルがあるだけで称賛され、スキルをあったとしても使えなければ“無能”と蔑まれる!」


 私は一歩、マギウスに詰め寄った。


「もし、スキルという力が使えなくなれば……その差は消える。不要な争いも、選別も、嫉妬もなくなる!」


 息が荒くなる。


「これは……平和のためなんだよ!!」


 私は、本気だった。自分の思想が、他者と違うことも理解している。

 それでも、この考えこそが正義であり、世界を救う唯一の道だと、疑いもしなかった。


 だが――


 私の熱を帯びた言葉を受けてもなお、マギウスの表情は変わらなかった。そこにあったのは、怒りでも軽蔑でもない。もっと、深く、重い感情だった。


「……お前、本気で言っているのか……?」


 マギウスの声は、低く、震えていた。その問いかけに、私は一切の迷いなく視線を向ける。

 

 逃げない。

 逸らさない。

 揺らがない。


 私の瞳に宿る覚悟を見た瞬間、マギウスの表情が強張った。


「……っ」


 彼は焦ったように一歩踏み込み、私の肩を両手で強く掴んだ。指先に力が込められ、痛みが走る。


「考え直せ!!」


 叫ぶような声が、研究室に響く。


「お前が今、口にしていることはな……この世界でスキルを使って生きる者達の存在そのものを否定している!!」


 息を詰め、必死に言葉を紡ぐ。


「努力して、スキルを磨いて、生きてきた者達の尊厳を……根こそぎ奪うことになるんだぞ!!」


 その言葉を聞いても、私の心は揺れなかった。


 ――理解できなかったのだ。


(なぜ、そこまで必死になる。なぜ、そんなにもスキルに固執する)


 私にとって、スキルとは――努力する者を踏み潰す、“才能”という名の不公平そのものだった。


(スキルを持つ者がいるからこそ積み重ねた努力は評価されず、結果だけで人は選別される)


 私は、静かに、だが確かな怒りを込めて言葉を返す。


「……なら」


 マギウスを見据えたまま、問いを投げかけた。


「何も持たない者は、どうすればいいんだ?」


 その瞬間、マギウスの口がわずかに開き――そして、言葉が止まった。


 答えが、出てこなかったのだ。


 沈黙。


 重く、張り詰めた空気が、研究室を満たす。


(……やはり)


 胸の奥で、冷たい確信が芽生える。


(私の方が、正しい)


 ならば――


 それを証明するしかない。


 私は、肩を掴むマギウスの手を振りほどき、距離を取る。そして、静かに、しかしはっきりと告げた。


「マギウス」


 彼の名を呼ぶ声は、異様なほど落ち着いていた。


「来週……実習で、模擬戦がある」


 その言葉に、マギウスは息を呑み、まっすぐ私を見つめる。次に来る言葉を、本能で悟ったのだろう。


 私は一歩踏み出し、強く宣言する。


「その時、私と勝負しろ」


 そして、叫ぶように続けた。


「私が正しいと――証明してみせる!!!」


 研究室に、私の声が反響する。


 マギウスは、一瞬だけ口を開き、何かを言いかけた。だが、その言葉は喉の奥で消えた。


 長い沈黙の後、彼は目を伏せ、静かに呟く。


「……分かった」


 それだけだった。


 それ以上、何も言わず、マギウスは踵を返す。研究室の扉が、軋む音を立てて開き、そして閉じられた。

 残された私は、ただ、その背中を見つめていた。


 ――今思えば。


 あの時の彼の背中は、どこか悲しそうで、どこか辛そうで、それでも、何かを諦めたような背中だった。

 だが、その時の私は、その意味を、理解しようともしなかった。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


次回

第91話 選択


【明日19時】に更新予定です。


引き続き

三人の若き国王編を進めていきます!


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