第89話 生きる証
講義が終わり、生徒の姿もまばらになった講義室。夕刻の光が長く差し込み、机と椅子の影が床に伸びていた。
その静かな空間で、マギウス、セリオディアン、エルディオンの三人は、自然と円を作るように立っていた。
話題は一つ――エルディオンの弟のこと。
セリオディアンは腕を組み、天井を仰いだまま、しばらく考え込んでいた。そして、不意に視線を動かす。
――マギウスへ。
それに釣られるように、エルディオンの視線もまた、同じ場所へ向かう。言葉はない。だが、その沈黙だけで、意図ははっきりと伝わった。
マギウスは指で自分を指しながら、半ば冗談めかした声を出す。
「……俺?」
エルディオンは、迷いを振り切るように、はっきりと頷いた。
「そうだよ、マギウス」
その声は、いつになく真剣だった。
「弟が、今取り憑かれたように研究している題材が……“スキル”なんだ」
その言葉に、マギウスは僅かに眉を動かす。
エルディオンは続けた。
「覚えているだろう?君は、魔法の研究と同時に、スキルについても独自に調べていた時期があった」
マギウスは腕を組み、視線を床に落とす。過去をなぞるような沈黙。
エルディオンは、その様子を見て、さらに言葉を重ねた。
「それに……」
一拍置いてから、静かに続ける。
「君は、生まれつき魔力が少なかった。本来なら、一般の魔導士にすら及ばないほどに」
マギウスの指先が、わずかに強く握られる。
「それでも君は、努力と研鑽を積み重ねて……今じゃ“天才”とまで呼ばれる存在だ」
その言葉には、確かな敬意が込められていた。
「弟と君は……どこか似ている」
エルディオンは、真っ直ぐにマギウスを見つめる。
「才能に恵まれているとは言えないところから、必死に手を伸ばし、食らいついてきたところが」
講義室に、静かな緊張が走る。
「だからこそ……君の言葉なら、弟の胸に届くかもしれない」
それは、懇願に近い頼みだった。
マギウスは、しばらく俯いたまま、何も言わなかった。沈黙の中で、過去の自分と、見たこともない“彼”の姿が重なっていく。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。いつもの軽さはなく、しかし逃げる気配もない。
「……なるほどな」
低く、落ち着いた声だった。
「スキルの研究か……あれは、確かに“沼る”な……」
マギウスはそう呟き、遠くを見るように視線を落とした。軽い口調とは裏腹に、その声には実体験に裏打ちされた重みがあった。
エルディオンとセリオディアンは、その言葉の意味がすぐには掴めず、揃って首を傾げる。
「「……どういう意味だ?」」
二人の疑問を受け止めるように、マギウスは静かに息を吸い、腕を組んだ。
「俺がスキルの研究をしていた時にな……気づいたことがある」
ゆっくりと言葉を選びながら、語り出す。
「スキルと魔法って、実はすごく似ていると思うんだ」
二人は顔を見合わせる。
スキルと魔法――似ているようで、決定的に違うものだと教えられてきたはずだった。
マギウスは続ける。
「スキルってのは、誰もが“聖神の儀”で授けられるだろ?」
当然の前提を確認するような口調。
「けどな……必ずしも、その人の“生き方”に合ったスキルが与えられるわけじゃない」
その言葉に、エルディオンの眉がわずかに動いた。
「冒険者になりたい人間が、必ず戦闘系のスキルを得られるとは限らない。逆に、商人や職人を目指していた人間が、偶然にも戦闘系のスキルを授かることもある」
マギウスは苦笑する。
「戦う意思のない人間にとって、戦闘系スキルは“宝の持ち腐れ”だ」
静かだが、鋭い言葉。
「一方で、冒険者を夢見ていた人間が、戦闘とは無縁のスキルを授かってしまうこともある」
その言葉が、講義室の空気を一段重くした。
「……でも」
マギウスは、そこで一度言葉を切る。
「スキルは、“それで全てが決まる”わけじゃない」
二人は、はっとしたように顔を上げる。
「確かに、生まれ持ったスキルは人生を大きく左右する。けどな……スキルは、その人自身の努力によって、後から授かることもある」
その声は、断言だった。
「それも、並大抵じゃない努力の末にだ。才能とか運とか、そういう話じゃない。人生を削ってでも掴み取る覚悟がある人間だけが、辿り着ける領域だ」
重く、深く、胸に沈む言葉。
エルディオンは思わず言葉を失い、その場で固まってしまう。
スキルを“神からの恵”として学んできた彼にとって、その見方はあまりにも現実的で、残酷だった。
その沈黙を、セリオディアンが思い出したように破る。
「あー……確かに」
顎に手を当て、記憶を辿る。
「講義でも、講師が言ってたな。“スキルはその人の人生そのものだ”って」
マギウスは小さく頷いた。
「そう。そこまでは、講義でも教えられる内容だ」
だが、と前置きして、声を少しだけ低くする。
「……けどな」
二人の視線が、自然とマギウスに集まる。
「俺は、魔法とスキルを両方研究していて……気づいたんだ」
その瞬間、エルディオンとセリオディアンの表情が変わった。好奇心と、僅かな緊張が入り混じる。
マギウスの言葉は、ただの学問では終わらない。それを二人は、これまで何度も思い知らされてきた。
「魔法とスキルは似ている……」
マギウスはそう切り出し、ゆっくりと言葉を続けた。
「現に、スキルの中には魔法とほとんど区別がつかないものも存在する。《火魔法》や《氷魔法》みたいにな」
その名を聞いて、セリオディアンは小さく頷いた。確かに、冒険者の中にはそれらのスキルを使い、火や氷を操る者がいる。
マギウスは、ふっと視線を鋭くする。
「そこでだ、セリオディアン」
まるで講義室の講師のように、背筋を伸ばし、問いかける。
「魔法とスキルの“決定的な違い”は何だと思う?」
突然の問いに、セリオディアンは一瞬言葉に詰まった。腕を組み、視線を宙に泳がせながら、必死に考える。
「えっと……」
数秒の沈黙の後、慎重に口を開いた。
「スキルは……神が人間に与えたもので、魔法は……人間が魔力を使って生み出したもの……かな?」
自信はないが、今の自分に出せる最善の答えだった。
その瞬間。
マギウスは、ぱちん、と音が鳴りそうな勢いで指を突き出した。
「そう。その通りだ」
はっきりとした肯定。
「まさに、それだ」
セリオディアンは少し驚いた表情を浮かべ、エルディオンもまた、思わず姿勢を正す。
マギウスは続ける。
「神が作り出すスキルってのはな……よく見れば、俺たち人間が魔法として“再現できる”ようなものばかりなんだ」
淡々と、だが確信を持った口調。
「《火魔法》や《氷魔法》といったスキルも、結局は魔法を“使いやすくする補助装置”みたいなものでしかない」
二人の反応を確かめるように、一度言葉を切る。
「努力次第で、スキルがなくても、人は火を起こせるし、氷を操ることもできる」
その言葉は、講義で教えられる常識を、静かに、だが確実に覆していく。
「つまりだ」
マギウスは、静かに息を吸い、核心へ踏み込む。
「スキルは絶対じゃない。神が与えた“答え”に、俺たちは縛られる必要はない」
エルディオンの喉が、小さく鳴った。
マギウスは、さらに続ける。
「そこで、俺は思ったんだ」
一瞬、視線を落とし、次の瞬間には真っ直ぐ二人を見る。
「……神って、本当に俺たちと隔絶した存在なのか?」
その問いは、あまりにも危うかった。
「スキルと魔法がここまで似ている以上、神がやっていることも、結局は“高度な魔法理論”の延長なんじゃないかってな」
講義室の空気が、ぴんと張り詰める。
「だとしたらだ」
マギウスは、静かに、しかし断定するように言う。
「神が関わるスキルの研究をなぞるより、俺たち人間が直接扱える魔法を突き詰めた方が、よっぽど世のためになる」
セリオディアンは息を呑み、エルディオンは無意識に拳を握っていた。それは、学問の話でありながら――同時に、神と人間の境界線に踏み込む思想だった。
マギウスは、そんな二人の反応を見て、わずかに苦笑する。
「まぁ……そんなこと考えてるから、スキルの研究は途中でやめたんだけどな」
マギウスが語り終えると、講義室には不自然なほどの沈黙が落ちた。窓の外から聞こえる風の音だけが、やけに大きく感じられる。
セリオディアンは、しばらく口を開いたまま固まっていたが、やがて困惑したように眉を寄せ、恐る恐る言葉を絞り出す。
「……そ、それで?」
その一言は、純粋な疑問だった。
だが――
マギウスは、まるで理解できないものを見るかのように、セリオディアンを睨めつけた。
「ああ?」
短く、鋭い声。まるで"ここまで説明して、まだ分からないのか"とでも言いたげな強い口調だった。
その反応に、セリオディアンとエルディオンは思わず顔を見合わせる。そして、ほぼ同時に声を上げた。
「「いや、だから――」」
だが、二人の言葉は途中でぶつかり合い、どちらも中途半端に途切れる。
セリオディアンは軽く咳払いをし、これ以上踏み込むのは得策ではないと判断したのか、一歩引くように口を閉ざした。
代わって、エルディオンが苦笑を浮かべながら、ゆっくりと口を開く。
「いや……その……」
言いづらそうに言葉を選びながら、視線を逸らす。
「弟を……マギウスの口から、少し励ましてほしいって話なんだけど……」
その瞬間。
マギウスの表情が、はっきりと変わった。
「……あ」
間の抜けた声。口を半開きにし、目を見開いたまま、しばし固まる。
次の瞬間、彼は自分の額を軽く叩き、わずかに口角を引きつらせた。
(やらかした)
そんな心の声が、そのまま表情に浮かんでいた。
「……あー……」
気まずそうに視線を泳がせ、やがて小さく息を吐く。
「そういう話だったか……」
そして、気を取り直すように、わざとらしく咳払いを一つ。
「まぁ……分かったよ」
先ほどまでの熱量は影を潜め、今度は少し落ち着いた声になる。
「一人の研究者として、な」
マギウスは静かに続けた。
「俺にも……あいつの気持ちは、分かるつもりだ」
その言葉は飾り気がなく、だが決して軽くもなかった。努力が報われない焦り。才能という言葉に押し潰されそうになる感覚。それを、マギウス自身も知っているからこその口調だった。
マギウスは椅子から立ち上がる。椅子の脚が床を擦る音が、静かな講義室に響く。
彼は振り返ることなく、背を向けたまま言った。
「俺でよければ、話してみる」
それだけ告げて、足を進める。
扉へ向かう背中は、どこか気だるそうで、それでいて迷いがない。やがて扉が開き、マギウスの姿は講義室の外へと消えた。
残されたセリオディアンとエルディオンは、しばらく無言のまま、その扉を見つめていた。
――この選択が、弟にとって救いになるのか。
その答えを、まだ誰も知らない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回
第90話 交差する正義
【明日19時】に更新予定です。
引き続き
三人の若き国王編を進めていきます!
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