第88話 認められぬ成果
講義や演習を終えた後、私は毎日のように一人、研究室へと籠もった。
誰もいない静まり返った空間。石壁に囲まれたその部屋は、私にとって唯一、他人の視線を気にせず“考えること”を許された場所だった。
魔術書を片っ端から漁る。年代も、著者も、国も関係ない。魔導理論と名の付くものは全て読み漁り、書き写し、疑い、分解した。
(彼らと肩を並べるには……)
机に広げた無数の書物を見渡しながら、私は何度も同じ結論に行き着く。
(既存の魔術じゃ、追いつけない)
剣でもない。
単なる魔法でもない。
彼らのような“天才”と同じ土俵で戦う限り、私は必ず負ける。
だからこそ――
魔導理論そのものを使い、魔術の在り方を根底から変える必要があった。
私はノートを開き、術式を書き連ねる。
書いては消し、消しては書き直す。
詠唱文を分解し、再構築し、魔力の流れを図式化する。
魔法陣。
魔導刻印。
魔力と魔元素の関係。
ひとつひとつを検証し、理論として積み上げていく。
(魔力は……単体では動かない)
人間の体内にある魔力。
それは、空気中に存在する魔元素と共鳴することで、初めて外へと放たれる。
ならば――
(魔元素の“動き”そのものを止めればいい)
その発想に辿り着いた瞬間、胸の奥が熱を帯びた。
魔導具を取り出し、刻印を彫る。
何度も失敗した。刻印が歪めば魔力は暴走し、魔導具はただの鉄屑になる。
それでも、手を止めなかった。
魔導具に刻印を刻み、魔力を注ぎ、反応を記録する。失敗は、次の成功への材料に過ぎない。
気がつけば――窓の外から、柔らかな光が差し込んでいた。
朝日だ。
徹夜だったらしい。机の上には、書き散らされたノートと、使い古された魔導具が無造作に転がっている。
だが――
(……ついに……)
私は、ゆっくりと息を吐いた。
(出来た……)
震える手で、完成した術式を見下ろす。
長年、頭の中で組み上げ続けてきた理論。
幾度も否定され、書き直し、捨てかけた発想。
それが今、確かな形となって、目の前にある。胸の奥から、込み上げるものを抑えられなかった。
歓喜。
達成感。
そして――優越感。
その日の講義が終わるや否や、私は論文を抱え、まっすぐ教授室へと向かった。
教授は椅子に腰掛けたまま、私が差し出した論文に目を通す。最初は何気ない様子だったその表情が、徐々に変わっていく。
「ほぉ……」
小さく、感嘆の声が漏れる。
「なかなか、面白いな……」
その言葉に、胸が高鳴る。教授はページを捲り、さらに深く読み込んでいく。
「なるほど……魔元素の動きを阻害し、魔力そのものの流れを断つ、か……」
指先で顎をなぞりながら、しばし沈黙。
私は、息を殺してその様子を見守っていた。
やがて、教授はゆっくりと口を開く。
「発想自体は、悪くない」
その言葉に、一瞬、希望が灯る。
だが――
「しかし、だ」
教授は論文を軽く叩き、淡々と続けた。
「発動に大量の魔導具が必要だ。詠唱にも時間がかかる……これでは、あまりにも手間がかかりすぎる」
私は、拳を強く握りしめた。
「実践的とは言い難いな」
その言葉は、私の耳には――否定の言葉として、深く突き刺さった。
やはり、理解されない。
やはり、届かない。
教授は、ふと論文から視線を外し、まっすぐに私を見た。
「……後、一歩だな……」
教授は、論文の端を指で軽く叩きながら、ぽつりとそう呟いた。その一言に、私の胸は一瞬だけ、期待と不安の狭間で揺れた。続く言葉は、その揺れを容赦なく押し潰す。
「それと……少しは彼を――マギウスを見習え」
その名が出た瞬間、胸の奥がひくりと軋んだ。
教授は淡々と、だが熱を帯びた声で語り続ける。
「彼が提唱した“無詠唱”の概念は、本当に革新的だ」
私は、何も言えず、ただ聞くしかなかった。
「これまでの魔術は、詠唱によって魔元素に“動け”と命令するものだった。魔元素が動き、体内の魔力を引き出し、それによって魔法が発動する」
それは、私も当然の前提として学び、使ってきた理論だ。
「だが、彼の理論は違う」
教授は、まるで宝物を語るような口調で続ける。
「体内に存在する魔力を直接“感じ取り”、魔法の完成形をイメージしながら練り上げ、それを体外へ放出する」
教授の視線は、どこか遠くを見ていた。
「体外へ放たれた魔力は、そこで初めて魔元素と融合し、魔法となる。つまり、命令するのではなく、先に“形”を作るという発想だ」
私は、無意識に奥歯を噛み締めていた。
「今はまだ、使える者も、使える魔法も限られている。だが……」
教授は確信に満ちた声で断言する。
「数年後には、無詠唱という概念は、魔術体系に当たり前のように組み込まれているだろう」
そして、最後にこう付け加えた。
「それに何より――彼はその理論を、無償で論文として世界に公開した」
その言葉が、私の胸に深く突き刺さる。
見返りを求めず、独占もせず。ただ“正しいと信じたもの”を、世界へ差し出した。
教授の一言一言が、まるで私とマギウスを天秤にかけるように、重く、重く積み上がっていく。
私は、最後まで聞いていられなかった。
拳を強く握りしめ、気づけば、踵を返していた。
「……失礼します」
自分でも驚くほど、声は低く、硬かった。教授の呼び止める声があったのかどうか、それすら覚えていない。ただ、研究室を出る廊下が、やけに長く感じられた。
胸の内に渦巻くのは、怒りでも悔しさでもない。
――失望。
長年、積み上げてきた研究。夜を削り、朝日を何度も見ながら書き上げた論文。それらが、一瞬で“足りない”と断じられたような感覚が、私を支配していた。
(結局……俺は……)
答えは、出なかった。
――その頃。
講義を終えた後の講義室。
夕暮れの光が差し込む窓際に、三人の青年が集まっていた。
マギウスは椅子に深く腰掛け、頬杖をつきながら天井を見上げている。
エルディオンは窓際に腰をかけ、外の景色を眺めていた。
セリオディアンは机にだらしなく腰を預け、腕を組んでいる。
普段なら、冗談と笑い声が絶えないはずの三人。
だが、この時ばかりは違った。
重たい沈黙が、講義室を満たしている。
やがて、その沈黙を破るように、セリオディアンが低い声で口を開いた。
深刻な表情で――
まっすぐ、エルディオンを見据えて。
「……なあ、エルディオン」
その声には、いつもの軽さはなかった。
何かを決意したような、
あるいは、避けては通れない話題を切り出す前の、重みだけがあった。
「……最近さ」
沈黙を破ったのは、セリオディアンだった。
腕を組み、机に寄りかかったまま、いつになく真剣な眼差しでエルディオンを見つめている。
「お前の弟なんだが……様子、おかしくないか?」
その問いかけは、探るようでいて、どこか気遣いを含んでいた。軽口の多いセリオディアンにしては珍しいほど、慎重な口調だった。
名を出された瞬間、エルディオンは小さく息を吐き、視線を落とす。
夕暮れの光が、窓際に座る彼の横顔を長く伸ばしていた。
「……やっぱり、分かっちゃうよね」
独り言のように呟き、しばらく黙り込む。
そして、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「実はね……あいつ、最近、研究にのめり込みすぎているんだよ」
エルディオンの声には、兄としての戸惑いと、拭いきれない不安が滲んでいた。
「誰よりも努力しているはずなんだ。昔からそうだった。でも最近は……何かに追い立てられているみたいでさ」
視線を伏せたまま、指先を握りしめる。
「寝る間も惜しんで研究に没頭している。魔術も、魔導具も……まるで、答えを急いでいるみたいに」
胸の奥に溜め込んでいたものを、吐き出すような口調だった。
「兄として、放っておけなくてな……正直、かなり心配している」
その言葉を聞いたセリオディアンは、顎に手を当て、ふむ、と一つ頷いた。
そして、何かを思いついたように、ぱっと顔を上げる。
「ならさ」
少しだけ明るい声で言う。
「兄であるお前から"頑張りすぎだ"って一言、声をかけてやればいいんじゃないか?」
至極まっとうな提案。
だが――
その言葉に、エルディオンは即座に首を大きく横に振った。
「……それが、できないんだ」
はっきりとした否定だった。
セリオディアンは思わず眉を寄せる。
「なんでだ?」
エルディオンは一瞬、言葉に詰まり、苦笑するように視線を逸らした。
「王位継承のこともあって……どうやら、僕のことを敵視しているみたいでね」
その声音は、諦めと痛みが混ざったものだった。
「僕が何を言っても、あいつには“上からの忠告”にしか聞こえないんだと思う」
短い沈黙が落ちる。
セリオディアンは口を閉ざし、しばらく考え込むように俯いた。その視線が、ゆっくりと横へ流れていく。
――マギウス。
窓際の椅子に深く座り、先ほどから黙って話を聞いていた青年。頬杖をついたまま、どこか他人事のように天井を眺めている。
セリオディアンは、無言のまま、マギウスへ視線を送った。
それに気づいたエルディオンもまた、同じようにマギウスを見る。
二人分の、刺さるような視線。
数秒後、ようやくマギウスはその視線の意味に気づいたらしい。
一度、セリオディアンの顔を見て、次にエルディオンを見る。
そして――
「……あ?」
とでも言いたげな表情で、きょとんと瞬きをした。
次の瞬間。
自分の胸に、指を一本、ぴしっと突き立てる。
「……俺?」
間の抜けた一言。
だが、その声は、重苦しかった講義室の空気を、ほんの少しだけ和らげていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回
第89話 生きる証
【明日19時】に更新予定です。
引き続き
三人の若き国王編を進めていきます!
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