表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/97

第87話 届かない背中




 私が兄と並んで学内を歩いていると、いつも決まって視線を集めるのは兄だけだった。すれ違う生徒たちは、ひそひそと声を潜めながら、あるいは隠しきれない憧れを瞳に浮かべて、エルディオンに手を振る。


 ――次期王。

 ――学年成績トップ。

 ――誰にでも優しく、誰よりも優秀。


 そんな言葉が、自然と彼の周囲にまとわりついていた。


 私は、その隣を歩いている。


 同じ血を引き、同じ学園に通い、同じ講義を受けているというのに――まるで、背景のような存在だった。

 成績においても、それは同じだ。兄が学年首位であることは、誰もが知っている。だが、彼の優秀さは学問だけに留まらなかった。


 魔術の成績。

 兄は学年二位。


 そして、常にその座を争っていたのが――


 マギウスだった。


 マギウスの魔術は、異質だった。講義で教えられる理論をなぞるのではなく、独自の視点で魔術を再構築する。誰も思いつかない応用、誰も踏み込まない解釈。それによって、周囲を驚かせ、講師すら唸らせてきた。

 一方で、兄の魔術は――正確だった。教本通り、理論通り、詠唱通り。だが、それを完璧に再現する精度が、常人の域を超えていた。繊細で、無駄がなく、美しい。それが、エルディオンの魔術。


 だからこそ――

 私は、少しでも兄に近づきたかった。


 講義室の席に座り、背筋を伸ばし、魔術の講義に耳を傾ける。羊皮紙のノートに、講師の言葉を一字一句逃すまいと書き写す。詠唱文、魔力循環の理論、魔元素の干渉率。

 必死だった。誰よりも真剣に学んでいるつもりだった。


 その時だった。


「えーっと……そうだな」


 講師の声が、講義室に響く。

 私は反射的に顔を上げた。


「弟の方の……君。これを解いてみてくれ」


 “弟の方”。

 その呼び方に、胸の奥がわずかに軋む。


 講師は板書板に書かれた、書きかけの詠唱文を指し示していた。

 

 未完成の魔術式。

 応用を問う問題だ。


 私は促されるまま席を立ち、板書板の前へ向かう。背後から感じる視線が、やけに重い。


 ――落ち着け。


 自分に言い聞かせ、羽根ペンを取る。板書板に向き合い、私は詠唱文の続きを書き加えた。

 

 魔力の流れを安定させるための補助句。

 起動を優先した構成。


 書き終え、静かに一歩下がる。


 講師は腕を組み、詠唱文をじっと見つめたまま、低く唸った。


「うーん……」


 その沈黙が、やけに長く感じられる。


「確かに、この詠唱でも起動はするな」


 一瞬、胸が跳ねる。


「だが……正解ではない」


 その言葉で、全身から力が抜けた。


「魔力伝達の効率が悪すぎる。これでは無駄が多い」


 淡々と告げられる評価。

 正論だった。

 分かっていた。

 

 けれど――


 私は思わず肩を落とし、視線を床に落とした。


「……失礼しました」


 小さくそう告げ、静かに席へ戻る。

 歩きながら、唇を強く噛み締めていた。


 悔しい。

 ただ、それだけだった。


 講師は、そんな私には構わず、次の生徒へと視線を移す。その先にいたのは――兄、エルディオン。


「では、次はエルディオン。君ならどうする?」


 その呼びかけは、まるで――先ほどの私の回答と、これから示される兄の答えを、天秤にかけるかのようだった。


 講義室の空気が、わずかに変わったのを感じた。

 

 期待の視線。

 当然だという前提。


 私は、俯いたまま、ただその背中を見つめていた。

 

 兄――エルディオンは、静かに席を立つ。その動きに一切の無駄はなく、講義室の視線を一身に集めながら、板書板の前へと歩み出た。


 迷いはない。

 

 羽根ペンを取り、途中で止まっている詠唱文に、すらすらと文字を書き加えていく。流れるような筆致。詠唱の構造を理解し尽くした者だけが描ける、無駄のない運び。


 完成された詠唱文は――美しかった。


 単に正しいだけではない。魔力の流れが、紙の上からでも感じ取れるほどに整えられている。誰が見ても、洗練されていると分かる完成度だった。


 講義室が、しんと静まり返る。


 詠唱文を見つめていた講師は、思わずといった様子で目を見開き、そして深く頷いた。


「ほぉ……」


 感嘆の声が漏れる。


「流石だな……完璧だ」


 講師は顎に手を当て、さらに詠唱文を細かく確認しながら続けた。


「それだけじゃない。魔力の循環効率が上がるよう、補助句を自然に組み込んでいる……魔力練度まで考慮した構成だ」


 その評価に、教室の空気が一気に弾けた。


「すご……」


「さすがエルディオンだ……」


 小さなざわめきと、驚嘆の声。兄はそれらを背に受けながら、軽く一礼し、何事もなかったかのように席へ戻っていく。

 その姿を、私は席に座ったまま、黙って見つめていた。


 胸の奥で、何かが強く締め付けられる。


 羨ましい。

 誇らしい。

 そして――悔しい。


 兄に追いつけないという現実が、はっきりと突きつけられた気がして、思わず拳を握りしめていた。


 ――いつも、こうだ。


 学問でも、魔術でも。

 兄は常に一歩先を行く。

 そしてそれは、実技演習でも変わらなかった。


 外庭に設けられた演習場。


 そこでは、生徒たちが順番に入れ替わりながら、魔導標的に向かって魔法を放っていく。

 

 魔導標的は特殊な装置だ。受けた魔力を一定量吸収し、決して破壊されることはない。威力、精度、魔力制御――すべてを測ることができる、練習用として最適な設備。


 例に漏れず、私の番が来る。


 深呼吸を一つ。詠唱を唱え、魔力を練り上げ、標的へと放つ。放たれた魔法は、確かに命中し、魔導標的に吸収されていく。

 

 失敗ではない。

 だが、決して称賛されるほどでもない。


「く……」


 思わず、喉の奥から声が漏れた。

 

 私は、確かに魔導標的を壊すつもりで魔法を放った。力を込め、詠唱を整え、魔力を練り上げたつもりだった――それでも、標的は何事もなかったかのように魔力を受け止め、静かに光を失っただけだった。


 だが。


 次に前へ出たマギウスは、まるで別だった。


 彼は魔導標的の前に立つと、詠唱すら唱えない。ただ、静かに掌を向ける。


 ――無詠唱。


 彼の掌に、じわりと魔力が集まっていく。渦を巻くように、しかし決して暴走せず、整然と圧縮されていく魔力。やがて、それは小さな火の玉となった。掌に収まるほどの、本当に小さな炎。


 だが――


 私は、それを見た瞬間に理解してしまった。


(……なんて、密度だ……)


 ありえない。あのサイズに、これほどまでの魔力を押し込めるなど。小さいから弱い、などという常識は、彼の前では意味を成さない。

 マギウスは、その火の玉を軽く押し出すように放った。


 一直線に飛ぶ、掌サイズの火球。


 次の瞬間。


 火の玉が魔導標的に触れた――その刹那。


 轟音。


 吸収するはずの標的は、耐えることすら許されず、粉々に爆散した。破片が宙を舞い、熱風と衝撃が演習場を揺らす。


 一瞬、世界が止まった。


 講師も、生徒も、誰一人として声を出せず、ただ口を開けたまま固まっていた。

 静寂の中で、当の本人であるマギウスは――後頭部に手を当て、困ったように首を傾げる。


「あっちゃー……」


 まるで、日常のちょっとした失敗のような調子で呟いた。


「出力……間違えたかぁ」


 その言葉に、ようやく我に返った講師が、顔を赤くして怒鳴る。


「おい!!何度言えば分かる!!魔導標的を壊すなと言っているだろうが!!」


 怒声が演習場に響く。


 だが、マギウスは少しも怯えた様子を見せず、軽い動作で両手を合わせた。


「すみませーん」


 まるで本気で反省しているのかも分からない、軽い謝罪。

 その様子に、講師は深いため息をつき、額に手を当てる。


「……まったく。いつものことだが……」


 呆れきった声だった。

 生徒たちの間に、どよめきが広がる。

 尊敬、畏怖、羨望――さまざまな感情が混じった視線が、マギウスに集まっていた。


 ――生まれつき、魔力の少ないマギウス。


 彼はよく、周囲から“努力の人間”だと言われている。確かに、彼は誰よりも学び、誰よりも研究してきた。

 

 だが。


 その軽い素振り。まるで当たり前のように結果を出す、その姿。少なくとも、私の目には――それを“努力”と呼ぶ気には、どうしてもなれなかった。


 ――才能。


 その言葉が、胸の奥で何度も反響する。


 私の目には、彼――マギウスは、自身が持つその“才能”を、無自覚に、いや無遠慮に振りかざしているようにしか映らなかった。


(努力なら……)


 奥歯を噛みしめる。


(努力なら……私の方が、誰よりもしている……)


 誰にも見られない時間に、誰にも評価されない場所で、私は何度も魔術書を読み返し、詠唱を組み直し、指先が痺れるまで魔力制御の訓練を続けてきた。


 それでも。結果は、いつも同じだ。


 講義が終わり、講習が終わり、次の教室へと移動する時間。私は、自然と三人の背中を追う位置を歩いていた。意識しているわけではない。気がつけば、そうなっている。


 少し先を歩く、三つの背中。

 

 剣を携えるセリオディアン。

 本を抱え、穏やかに歩く兄、エルディオン。

 そして、何気ない足取りで周囲の視線を集めるマギウス。

 廊下ですれ違う生徒たちの視線は、私を素通りし、その三人へと吸い寄せられていく。


 ひそひそと、囁くような声。


「ねぇ、聞いた?セリオディアン様、剣術の講師に一本取ったんだって……」


「エルディオン様も、魔物退治の戦術家として、どこかの国に呼ばれて講義をしたらしいわよ!」


「やっぱり三英傑様よね……」


 足音と共に、言葉が流れていく。


 そして――


「特に、マギウス様……」


 その名前が出た瞬間、胸がひくりと跳ねた。


「あの澄んだ瞳に、凛々しい顔……」


「誰よりも努力家で、才能もあって……」


「一度でいいから、ちゃんとお話ししてみたいわね……」


 くすくすと、楽しげな笑い声。


 その一つ一つが、刃のように胸に突き刺さる。


(……どいつも、こいつも……)


 心の中で、吐き捨てる。


(あの三人の話ばかり……)


 足は止めない。

 表情も変えない。

 だが、内側では、確かに何かが軋んでいた。


(私だって……)


 拳を、強く握りしめる。


(私だって……誰よりも……)


 誰にも聞こえない言葉。

 誰にも届かない叫び。


 私の中で芽生えた感情は、もはや単なる羨望ではなかった。嫉妬は、いつしか熱を帯び、黒く重たいものへと形を変えていく。


 ――憎悪。


 認められたい。

 見てほしい。

 評価されたい。


 そのためなら、どれほどでも努力する。

 どれほどでも、自分を削る。


(もっと……)


 心の奥で、声が囁く。


(もっと、努力しなければ……)


 周囲に認められるために。

 あの三人と、同じ場所に立つために。


 ――いや。


 いつか、あの三人の“上”に立つために。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


次回

第88話 認められぬ成果


【明日19時】に更新予定です。


引き続き

三人の若き国王編を進めていきます!


ブックマーク・評価・リアクション、とても励みになってます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ