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第86話 光の中の影

※この章は、現在編の出来事に繋がる「過去」を描いた回想編です。




 ーーーー


 ーーー

 

 ーー


 それは、まだ――


 三人が"王"と呼ばれる前の、遠い日の記憶。



 眩しいほどの日差しが降り注ぐ午後。

 私は王立学園の中庭、その片隅に置かれた白い石の椅子に腰掛け、分厚い魔術書を膝の上に広げていた。

 ページをめくる指先に、微かに感じる紙のざらつき。インクの匂い。静かに流れる時間。


 ここ、王立学園は、世界各国から王族や貴族の子弟が集う、特別な学び舎だ。


 学問、魔術、剣術――


 あらゆる分野を学ぶために用意された、中立と格式を兼ね備えた場所。学園の中庭には、手入れの行き届いた芝生と、白い石畳、噴水の水音が穏やかに響いている。

 その平穏な空気の中で、私はただ一人、書物と向き合っていた。


 ……その時だった。


 不意に、空気がざわつく。


「きゃあ!見て、あれ!!」


「嘘でしょ……こんな間近で見られるなんて!」


「あの方達、本当に……素敵よね……!」


 甘く弾むような声。桃色の歓声が、まるで花が一斉に咲いたかのように中庭に広がった。

 私は思わず、読んでいた本から視線を外す。歓声の向かう先――中庭の中央へと、ゆっくり目を向けた。

 そこにいたのは、三人の青年だった。中庭の中央から、隣の舎へと抜けていくように歩くその姿は、周囲の空気を自然と引き寄せていた。


 まず一人目。

 腰に剣を携え、背筋をまっすぐに伸ばして歩く青年。


 ――セリオディアン=ラヴァニウス。


 ラナリア王国の王子にして、次期ラナリア王と噂される男。剣術の成績は学園随一。誰もが認める実力者であり、この学園で彼に剣で勝てる者はいないと言われている。

 その立ち姿は凛としていて、無駄がなく、まるで剣そのもののようだった。


 そして二人目。

 手に書物を抱え、落ち着いた足取りで歩く青年。


 ――エルディオン=ヴァルデリク。


 私の双子の兄。モデリスク王国の王位に最も近い存在。学問の成績は常にトップで、政治、歴史、世界秩序について誰よりも深く学んでいる。

 柔らかな物腰と穏やかな表情。周囲に自然と安心感を与える、不思議な雰囲気を持っていた。


 そして――


 三人目の青年。


 その時、ふと視線が絡んだ。


 エルディオンが、こちらを見ていたのだ。


 一瞬、驚いたように目を見開き、次の瞬間、穏やかな笑みを浮かべて、軽く手を振ってくる。その仕草は、兄として、何気ない挨拶のつもりだったのだろう。


 ……けれど。


 私は反射的に視線を逸らした。


 何事もなかったかのように、本へと目を落とし、ページをめくる。気づかなかったふりをするように。


 胸の奥が、ちくりと痛んだ。


 それを見ていたのだろう。

 エルディオンの隣を歩いていたセリオディアンが、少し眉を寄せて、彼に声をかけた。


「なんだ?お前たち、喧嘩でもしたのか?」


 その声は、からかうようでいて、どこか本気の心配が混じっている。

 エルディオンは一瞬足を緩め、考えるように視線を宙に泳がせた。そして、再び中庭の椅子に座る私の方を見やり、困ったように言葉を返す。


「いや……そんなことは、ないはずなんだけど……」


 言葉とは裏腹に、どこか腑に落ちていない表情。だが、その視線はすぐに私から外れ、セリオディアンへと戻された。


「そういえば――聞いたよ、セリオディアン!」


 不意に、弾んだ声が中庭に響いた。噴水の水音に重なって、それでもはっきりと通るエルディオンの声。


「君、街に出現した迷宮を――単独で攻略したらしいな!」


 その言葉に、周囲の空気が一瞬、ざわりと揺れる。近くにいた生徒たちが、驚いたように二人へ視線を向けた。

 セリオディアンは、その反応を待っていたかのように、胸を張る。そして、どん、と拳で自分の胸を強く叩いた。


「まぁな!」


 誇らしげに笑い、さらに調子づいたように声を張り上げる。


「余裕よ!!よ・ゆ・う!!」


 あまりにも清々しい自慢に、思わず周囲からくすりと笑いが漏れる。だが、それすらもセリオディアンは気にしない。むしろ、それを力に変えるかのように、堂々と立っていた。

 そんな彼に、エルディオンは感心したような視線を向ける。羨望というよりも、純粋な尊敬に近い眼差しだった。


 すると今度は、セリオディアンがエルディオンを見返し、少し意味ありげに口角を上げる。


「そう言う、お前も……だろ?」


 唐突な言葉に、エルディオンは一瞬きょとんとした表情を浮かべた。


「……え?」


 首を傾げるエルディオンに、セリオディアンは続ける。


「いやなぁ、お前さ、学内で噂になってるぞ」


 エルディオンはますます不思議そうな顔になる。


「噂……?」


「そうだ。十六歳の若さで、この世界の歴史や政治を徹底的に学んでるってな」


 セリオディアンは指を折りながら、次々と言葉を重ねていく。


「しかも、他国の王族や貴族からの評価も高い。人望も厚い。講師たちも、お前のことを一目置いてる」


 そこまで言われて、エルディオンはようやく状況を理解したらしい。頬を少し赤く染め、照れたように視線を逸らす。


「そ、そんな大げさな……」


 そう言いながらも、否定しきれない自覚があるのか、エルディオンは空を見上げた。

 眩しい日差しに目を細め、どこか遠くを見るような表情になる。


「ああ……まぁ、でも、僕の夢のために必要なことだからな」


 穏やかな声。だが、その奥には、確かな意志が込められていた。


「この世界のすべての国が……技術力や魔法に関する知識、情勢をもっと共有できればいいと思ってるんだ」


 セリオディアンは、黙って耳を傾けている。


「世界が手を取り合えば、お互いを理解し合い無駄な争いも減る。戦争のない世界に、少しは近づけるだろ?」


 その言葉には、理想論だと笑われかねないほどの純粋さがあった。だが、不思議と、それを否定したくなる者はいなかった。


 しかし――


 エルディオンは、ふっと息を吐き、ゆっくりと視線を落とす。先ほどまでの柔らかな表情に、わずかな陰りが差した。


「……でもな」


 正面を見据え、少し残念そうに言葉を続ける。


「この世界の技術の多くは、ヴァルディアに集中している」


 その国名を口にした瞬間、空気がわずかに重くなる。


「あれだけ巨大な国だ。優秀な人間が集まるのは、当然だとも思う」


 エルディオンは拳を軽く握りしめた。


「けれど、それが結果的に……この世界全体の発展を妨げているようにも感じるんだ」


 中庭に、短い沈黙が落ちる。

 噴水の音だけが、静かに響いていた。


 そのあまりにも壮大で、まっすぐな言葉に、セリオディアンは思わず息を呑んだ。軽口を叩く癖のある彼にしては珍しく、すぐに言葉が出てこない。

 胸の奥で、何かが小さく揺れたような感覚。エルディオンの語る理想は、夢物語に聞こえるほど大きい。だが、不思議と笑い飛ばす気にはなれなかった。


 一瞬の沈黙が、三人の間に落ちる。


 その沈黙を――まるで耐えきれなかったかのように、もう一人の青年が、豪快に笑い声を上げた。


「はっはっは!!」


 腹の底から響く、屈託のない笑い声。


「本当にお前ら二人はすげーよ!自慢の親友だ!」


 その言葉に、セリオディアンとエルディオンは同時に顔を見合わせ、そして揃って青年へと視線を向けた。


 先に口を開いたのは、セリオディアンだった。


「……お前に、言われてもなぁ……」


 呆れたように肩をすくめる。だが、その口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。


 続いて、エルディオンも苦笑しながら言葉を重ねる。


「本当にその通りだよ」


 視線を青年に向け、少しだけ真剣な表情になる。


「学内で魔術トップの成績だけでも十分なのにさ。熟練の魔導士が何人かで発動する魔法を、一人で平然と使ってみせる」


 エルディオンは指を立て、淡々と事実を並べていく。


「それだけじゃない。本来、詠唱が必須だった魔法に“無詠唱”という概念を持ち込み、それを実践してみせた」


 少し息をついてから、続けた。


「その理論をまとめて、世界に広めようとしている張本人が……いったい、どの口で“すごい”なんて言うんだい?」


 言葉の端々には、尊敬と呆れが入り混じっている。

 その指摘に、青年は困ったように頭をかいた。そして、どこか照れたように、視線を逸らしながら答える。


「いや……俺はたださ」


 穏やかな声。


「自分が好きなことを、突き詰めてきただけだよ」


 それだけだ、と言わんばかりの口調。

 

 だが、その“それだけ”が、どれほど異常な領域に達しているかを、この場の全員が理解していた。

 その言葉を聞いたセリオディアンは、思わず羨ましそうな視線を青年に向ける。


「それそれ」


 半ば冗談めかしながら、肩を揺らして言う。


「そういう謙虚な姿勢がモテる秘訣なんかねぇ……

なぁ――」


 セリオディアンが青年の名を呼ぼうとした、その瞬間。青年が、ぴしりと遮るように口を開いた。


「――おい」


 わずかに強い声音。


「俺のことは、“マギウス”って呼んでくれって、何度も言ってるだろ?」


 その一言に、セリオディアンは思わず言葉を飲み込む。そして、慌てたように手を振った。


「わり!わり!ついな……」


 悪びれた様子はあるが、どこか軽い。


 セリオディアンは顎に手を当て、少し考え込むような仕草を見せると、ふと思い出したように尋ねた。


「それにしてもさ」


 興味津々といった様子で、マギウスを見る。


「なんでわざわざ“マギウス”を名乗るんだ?」


 その問いに、マギウスは一瞬だけ言葉に詰まった。視線を泳がせ、わずかに頬を赤らめる。


 そして、少し照れたように、説明するように口を開いた。


「いや……なんというか、だな」


 マギウスは少し照れたように視線を逸らし、後頭部を掻きながら言葉を選ぶように続けた。


「俺、王位に就く前に……この世界を、自分の足で見てみたいと思ってるんだ」


 その声音は、いつもの飄々とした調子とは違い、どこか真剣だった。


「だから、この学園を卒業したら、冒険者になろうと思ってる」


 その一言に、セリオディアンは目を丸くする。

 だが、マギウスは構わず言葉を続けた。


「でもさ、次期王が本名を名乗って街に出たらどうなる? 人々は俺を“冒険者”じゃなく、“王子”として見るだろ」


 苦笑しながら肩をすくめる。


「それが、どうにも嫌でな。依頼人にも、仲間にも、対等に接してほしいんだ。肩書きじゃなく、一人の人間として」


 一拍置き、そして少し照れ隠しのように付け加える。


「それに、今からこの名を使っていれば……いざ冒険者になった時に、うっかり本名を名乗る癖も無くなるだろ?」


 その言葉を聞いたセリオディアンは、腕を組み、しばらく考え込むような素振りを見せた後、深く頷いた。


「……なるほどな」


 そして、にやりと口角を上げる。


「いいじゃねぇか、それ。なんか、格好いいぞ」


 勢いづいたように、冗談めかして続ける。


「じゃあ、俺も冒険者になったら……“セリオ”とか名乗ろうかな」


 その瞬間だった。


「なら、僕は!!」


 思いきり前のめりになって声を上げたエルディオンだったが、その言葉は途中で遮られる。


「「お前は、必要ないだろ!?」」


 マギウスとセリオディアンの声が、見事に重なった。


「え……?」


 エルディオンは驚いたように目を見開き、口を半開きにしたまま二人を見比べる。

 セリオディアンは、そんなエルディオンの表情に呆れたようにため息をつき、頭を掻きながら説明するように言った。


「いいか、エルディオン」


 少しだけ真面目な声になる。


「俺の父上と、マギウスの父であるレオネイル王はな。王になる以上、民を守るために“強さ”を求めてる人たちだ」


 指を立てて、はっきりと言う。


「だから俺たちは、剣や魔法を学び、外の世界に出ることも許されてる」


 そして、エルディオンを見る。


「でも、お前の父――モデリスク王は違う」


 その言葉に、エルディオンは首を傾げた。


 セリオディアンは続ける。


「知識だ。政治だ。統治だ。誰よりも早く王として完成させるために、お前を王位に就かせたがってる」


 その意味を、まだ完全には理解しきれていない様子のエルディオンに、マギウスがそっと肩に手を置いた。優しく、だがどこか同情を含んだ声で言う。


「エルディオン……」


 一拍置いてから、静かに告げる。


「お前が、冒険に出られる日は……来ないってことだ」


 その言葉が胸に落ちた瞬間。


 エルディオンは、はっとしたように目と口を同時に開き――そして、ゆっくりと肩を落とした。


「……あ」


 力の抜けた、間の抜けた声。


 その様子を見た瞬間、セリオディアンとマギウスは、堪えきれず腹を抱えて笑い出した。


「はははははは!!」


「なんだよ、その顔!」


 楽しげな笑い声が、中庭いっぱいに響き渡る。青空の下、三人の笑い声はいつまでも絶えなかった。

 

 学園内で名が知れ渡る、三人の特別な存在。

 私は、この三人と友人であることを、心から誇らしく思っていた。


 ――同時に。


 その眩しさの裏で、胸の奥にほんのわずか、黒い感情が芽生えていたことを。


 その時の私は、まだ知らなかった。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


次回 

第87話 届かない背中


【明日19時】に更新予定です。


引き続き

三人の若き国王編を進めていきます!


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