第85話 あの日から......
モデリスク王国の王である私は、私に背いたアングハルトを殺すべく、玉座の前で彼に氷の槍を放った。だが、その魔法は、一人の少年によって阻まれる。
少年はまっすぐと逸らすことなく私を見据えていた。
その瞬間、胸の奥で、忘れかけていた言葉が、不意に疼いた。
(……確か……)
脳裏に浮かぶ、つまらない報告の一つ。
(一人の衛兵が……アングハルトと共に来た、ラナリアで勲章を受けた“無能”の少年を……この街に通したと……)
私は、気づけば口を開いていた。
「もしや、お前か?無能でありながら――ラナリア王国から、勲章を授けられたという……あの少年は?」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
問いを投げられた少年は、はっと目を見開く。何か言い返そうとして――言葉を失ったように、唇を噛みしめ、沈黙する。
(無能、だと……?)
私は、目の前の光景を、改めて見つめる。
炎を操り、王である私の魔法を防いだ少年。
その瞳には、迷いよりも覚悟が宿っている。
――無能
胸の奥で、違和感が軋む。
少年のその真っ直ぐな瞳は、あまりにも眩しかった。それはまるで、かつての――希望と理想に満ちていた、あの頃の“私自身”を見ているかのようだ。
だが……。
"無能”と呼ばれた存在が、魔法を使っている。その事実は、瞬く間に形を変え、私の中に流れ込んでくる。
――才能。
その二文字が、心の奥に突き刺さる。
同時に、封じていた記憶が、堰を切ったように溢れ出す。
憎い。
悔しい。
羨ましい。
私を見下したエルディオンの顔。
私を嘲笑うセリオディアン。
そして――
才能を当然のように持ち、優越感に浸っていた“あの男”。
思い出すだけで、顔の皮膚が、むず痒く疼く。
痒い。
痒い。
痒い。
痒い。
私は無意識に、自分の顔へと爪を立てていた。引っ掻き、擦り、抑え込むように。
だが――。
今の私は、あの日の私ではない。
力を手に入れた。
奪い、支配し、全てを掌中に収める力を。
憎きラナリアは、間もなく落ちる。
そのための準備は、すでに整っている。
(……だからこそ、今、この少年ごときに――計画を、狂わせるわけにはいかない……)
この少年の“口”を塞がなければならない。
(魔法が通じないのなら――)
私は、苛立ちを押し殺すように、騎士たちへ向けて掌を振り下ろした。
合図。
それを受け、騎士たちは一斉に動く。
少年を包囲し、剣を抜き、刃を振り上げ――
だが。
次の瞬間、倒れたのは、少年ではなかった。
騎士たちが、まるで糸を切られた操り人形のように、一斉に床へ崩れ落ちたのだ。
「――――っ!」
予想外の光景に、私は思わず歯を食いしばる。悔しさが、喉の奥まで込み上げてくる。
(魔法だけではなく……剣術まで、使えるというのか……)
倒れ伏す騎士たちを背に、少年は一歩も動かず、ただ静かにそこに佇んでいた。剣を握る手に迷いはなく、その視線は、真っ直ぐに――私へと向けられている。
その姿を見た瞬間、胸の奥で、嫌なほど鮮明に“重なった”。
あの男だ。
かつて、何もかもを持っていた存在。
魔法も、剣も、才覚も、人の信頼も――当然のように与えられていた男。
少年の立ち姿。
その目。
そして、魔法だけではなく剣までも使いこなす、その在り方。
重なる。
嫌というほど、重なる。
憎い。
憎い。
憎い。
憎い。
だからこそ――私は、いや、"俺"は決めた。
あの男の残像を、この場で、完全に消し去る。
目の前の少年に、同じ“絶望”を与えることで。
――あの日、あの男にしたように。
俺は杖を高く掲げ、躊躇なく魔力を解き放つ。
床が、低く唸った。
次の瞬間、玉座の間の床一面に、複雑で禍々しい魔法陣が浮かび上がる。幾重にも重なった幾何学模様。
長年、試行錯誤の末に完成させた、俺の“到達点”。
魔法陣は、獲物を包み込むように、ゆっくりと広がっていく。
逃げ場はない。
――これは、魔力そのものを封じる魔法陣。
人間の体内にある魔力は、それ単体では操れない。空気中に満ちる魔元素と共鳴し、それを引き寄せることで、初めて力として顕現する。
人は無意識のうちに、それを行っている。
だからこそ――この魔法陣は、その“当たり前”を破壊する。
空間内に存在する魔元素そのものを、完全に遮断し、無効化する。魔力は体内に残っていようとも、それを引き出す術が無くなる。
つまり。
目の前の少年は、今この瞬間から――魔法も、スキルも、何一つ使えない。
無能。
そう、真の意味での無能だ。
その事実を理解した瞬間、俺の口元は、自然と歪んでいた。抑えきれない笑みが、頬を引きつらせる。
(さぁ……どうする?)
俺は優越感に浸るように、一歩、また一歩と少年へ近づいていく。剣を構えるでもなく、逃げるでもなく、ただ立ち尽くす少年を見下ろしながら。
その表情が、恐怖に歪む瞬間を想像する。希望が砕け、理解が追いつかず、絶望に沈む――その顔を。それを見るためだけに、俺は次の魔法を準備する。
杖を掲げ、頭上に魔力を集中させる。
――《豪炎煉獄球》。
空気が歪み、熱が生まれ、俺の頭上で巨大な炎が形を成していく。燃え盛る火球は、まるで処刑を待つ断頭台のように、静かに揺らめいていた。
だが――
少年の目は、最後の最後まで折れなかった。
魔力を封じられ、逃げ場もなく、死が目前に迫っているというのに。それでもなお、その瞳は俺を捉え、真っ直ぐに射抜いてくる。
――その視線が、どうしようもなく憎たらしい。
俺は苛立ちを隠そうともせず、杖を振り下ろした。それは、裁定であり、処刑であり、拒絶だった。
少年の最後を告げるように、頭上の《豪炎煉獄球》が、ゆっくりと落ちていく。時間をかけて、逃げ場のない死を、確実に味わわせるために。
燃え盛る炎は、重く、静かに降下し、まるで世界そのものが、少年に死刑を宣告しているかのようだった。
――だが。
次の瞬間。
何かが、起こった。
あり得ないはずの光景が、俺の目に映る。
落ちていくはずの豪炎が、空中で、不自然に軌道を変えた。
否――
反転したのだ。
豪炎は、少年ではなく、まっすぐに――俺へと向かって、返ってきた。
「な……っ!?」
反射的に、俺は魔力を振り絞り、目前に氷の壁を展開する。分厚い氷が幾重にも重なり、迫り来る豪炎を受け止める。
爆ぜる音。
灼熱と冷気が衝突し、視界は一瞬で白い蒸気に覆われた。
豪炎を防いだ安堵と同時に、理解できない疑問が、胸の内に広がっていく。
――何が、起きた?
(馬鹿な……奴は、魔法も、スキルも……使えないはずだ……)
俺の作り上げた魔法陣は、完璧だった。
魔元素を遮断し、力を奪う。
理論も、実証も、すべて揃っていたはずだ。
なのに――
蒸気が、左右に裂ける。
まるで、何かが切り開いたかのように。
その奥から、少年が姿を現した。
「――――ッ!!」
次の瞬間。
俺の身体を、これまで感じたことのない激痛が貫いた。何が起きたのか理解する間もなく、膝が崩れ、視界が揺れ、足元から力が抜けていく。
痛みと衝撃に抗えず、俺は、躓くようにその場で仰向けに倒れた。
息が、上手く吸えない。
意識が、遠のいていく。
天井が、ぼやけて見えた。
金色の装飾も、玉座の威厳も、すべてが霞んでいく。
薄れゆく意識の中で――俺は、ふと、あの日のことを思い出していた。
エルディオンのようになりたかった。
"あの男"のように、才能が欲しかった。
セリオディアンに、ただ一言でいいから、認めてほしかった。
欲しかった。
欲しかった"だけ"なのに――
手に入らなかった。
掴めなかった。
俺は、虚空を掴むように、天井へ向けて手を伸ばす。
何かを、最後まで諦めきれないまま。
だが――
もう、何も手に入らない。
その事実を、ようやく理解した時、伸ばした指から、力が抜けていく。
手は、静かに、床へと落ちた。
重く、冷たい感触。
俺の脳裏に、走馬灯のように過去の記憶が溢れ出す。
笑顔、失望、怒り、嫉妬、憧れ――
そして、最後に辿り着いた一つの答え。
――そうだ。
全ては……あの日から、始まったのだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
明日から新章 三人の若き国王編を執筆します。
次回
第86話 光の中の影
【明日19時】に更新予定です。
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