第9話 無能と"呼ばれた"英雄の子
何が起きたのか――自分の体を包む光が消えた後も、俺はただ呆然と立ち尽くしていた。
戸惑う俺を見て、ゴブリン・キングもまた信じられないものを見る目で口を開く。
「……オマエ、“超回復”ヲ持ッテイタノカ?」
ありえない。
そんなスキル、俺は持っていなかったはずだ。
半ば本能で、胸の奥に灯った微かな希望に突き動かされるように、俺はステータス画面を展開する。
【名前】:グレイノース=リオンハーツ
【スキル】
・転移 ー 指定した物を移動させる。
・超回復 ー 任意で全ての傷を治す
【加護】
・なし
スキルが……増えてる……。
俺の知らないスキルが、確かにそこに刻まれている。
どういうことだ……?
混乱が頭を焼くように渦巻き、思考が追いつかない。
だが――考える隙を、ゴブリン・キングは一瞬たりとも与えてくれなかった。
「ッ――!」
轟音とともに、巨大な剣が真上から振り下ろされる。咄嗟に身をひねり、地面を抉る一撃をギリギリで回避する。土煙が爆ぜ、耳の奥が震えた。
転がるように避けた先――視界の端に、自分の剣が倒れているのが見えた。
あれを……取らないと……。
足が勝手に動いた。痛みも、恐怖も、全部置き去りにして――俺は全身の力を振り絞り、剣へと飛び込んだ。剣の柄を握る手に、自然と力がこもる。息を整え、足を踏みしめ――構えた瞬間。
ゴブリン・キングの巨大な剣が、嵐を切り裂くような勢いで振り下ろされる。
「ッ……!」
俺はその一撃を、刃に触れないギリギリの軌道でいなした。鋼が空を裂く風圧が、頬を鋭く撫でる。
続けざまの二撃、三撃――
何度も、何度でも振り下ろされる暴力の塊。だが俺の体は、もう最初のようには動揺していない。限界まで張り詰めた意識が、周囲の景色をゆっくりと引き伸ばしていく。
避けろ……! もっと速く……ッ!
勝てる気なんてしない。
それでも――死ぬつもりなんて.......無い。
ゴブリン・キングの剣が肌をかすめ、皮膚が裂ける。瞬間――癒しの光がほとばしり、傷が音もなく閉じていく。
スキル"超回復"が、俺の命を繋ぎとめてくれている。じわじわと押し込まれていくのを、肌で感じる。
このまま耐え続けても――いずれ、確実に“死ぬ”。加速する思考の渦の中で、ふっと記憶がよみがえった。
あの時.....ステータス越しに奴のスキルに触れた時.....俺は無意識のうちに転移を発動させていた。
あれは偶然か、それとも本能か。
息を整える間もなく、俺は《真眼》を発動し、ゴブリン・キングのステータスを確認する。
そして――その画面を見た瞬間、胸の奥に微かな光が走った。
“ひょっとしたら──いけるかもしれない。”
確信とは呼べない。だが.......
理由もなく湧き上がる自信が、確かにそこにあった。俺は直感に全てを託し、震える手をゴブリン・キングのステータスにかざす。
《攻撃強化》と《体力強化》
二つの加護を"物"として、認識し指定する。
そして、移動先は…………
―――その一瞬
意識がほんのわずか逸れた隙に、ゴブリン・キングの巨大な剣が視界を覆い尽くす。先ほどとは違う、殺意を纏った一撃。希望に満ちた俺の表情を、まるで許さぬかのように、無慈悲な力が降り注ぐ。
俺は咄嗟に剣身で受け止める。
重い――押し潰されそうな圧が腕を、体を襲う。
だが.....絶望するほどではない。精一杯の力を込め、剣を押し返す。ゴブリン・キングの剣がわずかに浮き上がり、その顔が驚きで歪む。
――その瞬間、俺は確信した。
これなら、いける……!
だが、まだ足りない……!
俺は周囲を見渡し、倒れたゴブリンの死体に視線を送り、目の前に手をかざす。すると、足元に感じたことのない力がみなぎり、全身を駆け巡る。
その力に体を委ねゴブリン・キングめがけて駆け出す。地面を踏み込み、足に力を込めて飛び上がる
――飛距離、10メートル。俺はゴブリン・キングの顔と同じ高さまで跳んだ。空中から地面に横たわる二体のゴブリンの死体を見つけ、反射的に手をかざす。
––––《真眼》
目の前に二枚のステータス画面が浮かぶ。
迷わず二つの加護を指定。
《攻撃強化》×2
––––《転移》
そして、移動先は――俺のステータス……。
二つの加護を移した俺の手は――これまで感じたことのない、圧倒的な力が宿る。
逆手に握った剣を、空中で思い切り振り上げる。振り上げた刹那、風が裂ける音が耳を刺し、手元から全身に力が漲るのを感じた。
「くらえっ!!!」
俺の剣先はゴブリン・キングの眼球を狙い、一直線に突き刺す。血が弾け飛び、頬や顔を赤く染める。
そのあまりの痛みにゴブリン・キングは手の甲で俺を払いのける。体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
――だが
奴は目から"剣を引き抜き"、怒りと痛みにまかせて投げ捨てた。
この瞬間、俺は迷わない―――
投げ捨てられた剣を、咄嗟に掴む。
迷わず右足に突き立てる。
ズシリッ!
奥まで貫く衝撃が腕から体中に伝わり、血と熱が全身を染め上げる。
力を込め、さらに振り抜く。ゴブリン・キングの片膝が崩れ、顔が下を向く。視線は抗えない敗北を映していた。
そのまま勢いに乗せ、左足を――斬り裂く。躊躇なく、次は――胴を。
骨にまで響く鋭い感触。血が飛び散り、冷たくも生々しい匂いが周囲を満たす。深く貫く刃先に、ゴブリン・キングの咆哮が空気を震わせる。
「……なぜ……だ……オレの……超回復が……発動……シナイ……」
痛みと怒り絶望が入り混じった声が喉から漏れ、ゆっくり、しかし確実に、その巨体は地面に崩れ落ちる。大地に叩きつけられるたび、周囲に衝撃波が走り、砂埃と血煙が舞い上がる。
俺の心臓が激しく打ち続けていた。勝利の実感と、まだ収まらない緊張が、胸の奥で火花を散らす。戦いの緊張を振り払うように、俺は胸いっぱいに空気を吸い込んだ。肺が焼けるように痛む。
ズズッ……ズズズッ……。
だが、絶望は終わっていなかった。
湿った足音が地面を埋め尽くすように近づいてくる。視線を上げた先には、ゴブリンとホブゴブリンの黒い波。数えきれないほどの“緑の群れ”が、村の奥の景色を完全に遮っていた。
「まだ……やれる……っ」
そう言い聞かせようとするのに、足は震え、膝が勝手に崩れ落ちる。血の匂い、土の味、鼓動が耳の中で爆発するような音。
全身が悲鳴を上げて軋み、血の気が引いていくのが自分でも分かった。心だけが前へ進もうとして、身体との距離だけが開いていく。
焦り。恐怖。
自分がこのまま飲まれるという確かな危機感。
――その瞬間だった。
「――構えぇ……放てッ!!!」
背後から、轟音が戦場を貫いた。無数の火球が俺の頭上を越えて飛び交い、ゴブリンの群れに着弾する。爆風が大地を震わせ、何十もの魔物が業火に飲み込まれる。
「ま、魔法……!?」
目を見開く俺の横を、今度は鎧をまとった兵士たちが怒涛の勢いで駆け抜ける。金属音が重なり合い、土煙が舞い上がる。
そして――俺の目の前に、黄金の鎧をまとった騎士が堂々と立ちはだかった。その男は、この血と叫びにまみれた戦場には似つかわしくないほど、眩しいほどの微笑を浮かべながら大声で指揮を取る。
「魔法部隊、後方で魔力を回復しつつ継続攻撃!衛兵部隊、前線を押し上げろ!一匹たりとも逃すんじゃない!!」
「「「おおおおおおッ!!!」」」
雄叫びが大地を揺らす。戦場の空気が、一瞬にして塗り替えられた。騎士は俺の前に膝をつき、やわらかく、けれど力強い声で言った。
「――もう大丈夫だ。よくここまで、ひとりで耐えたな」
その金色の瞳は、まるで救いそのものだった。その瞬間、胸の奥で張りつめていた糸がぷつりと切れる。
ああ……もう、大丈夫だ。
そう思った次の瞬間、押し寄せる疲労と安堵に身体が耐えきれず、俺の意識は、静かに落ちていった。




