第83話 折れた剣
俺、グレイノース=リオンハーツは、モデリスク王国の王――いや、宰相が成り代わった偽りの王によって、魔力を完全に封じられていた。
玉座の間の天井近く。王の掲げた杖の先には、燃え盛る炎の球が脈打つように浮かんでいる。それは、ただの魔法ではない。処刑を告げる合図。逃げ場のない、死の宣告そのものだった。
俺は視線を逸らさず、ただ静かに、剣の柄を強く握り締める。
(……何か……)
喉が渇く。
心臓の鼓動が、やけに大きく耳に響く。
(何か、無いのか……!)
俺の正面では、巨大な炎がゆらゆらと揺れ、今にも落とされようとしている。
王はそれを見下ろしながら、楽しげに口角を吊り上げた。
「悔しいか……?」
その一言に、俺の奥歯がきしりと音を立てた。
王は、俺の反応を待っていたかのように、ゆっくりと言葉を重ねる。
「魔法も、スキルも……すべてを失い……ただ、茫然と死を待つしかない」
冷淡で、事実だけを突きつける声。
「……哀れだな」
胸の奥に、黒い何かが沈殿する。
だが――
俺は、俯かなかった。希望を捨てるには、まだ早い。歯を食いしばり、王を睨み返すように、まっすぐ視線を向ける。剣を構える腕は、震えてなどいない。
その視線を受けた瞬間、王の表情が、わずかに歪んだ。眉間に皺が寄り、楽しげだった笑みが、苛立ちに変わる。
「……その顔、気に食わんな」
王は、憎悪を滲ませた声音で、俺を睨み据えた。
「まるで……まだ勝てるとでも、確信しているような顔だ」
低く、吐き捨てるような言葉。その視線は、怒りだけではない。恐怖と、焦燥と、そして過去への執着が入り混じっていた。
「その目だ……本当に、あの男に似ている……」
王の声が、わずかに震える。
「姿は違う……別人のはずなのに……なぜだ……」
杖を握る王の手に、ぎしりと力が籠もる。
その指先から伝わる魔力に呼応するように、上空の豪炎が脈打った。
そして――
王は、ゆっくりと、しかし迷いなく、
杖を俺へと振り下ろした。
その瞬間、天井近くに浮かんでいた巨大な炎の塊が、重力を得たかのように、静かに、確実に、俺へと降りてくる。
王は、歓喜に歪んだ声で叫ぶ。
「跡形もなく……燃え尽きろ!!」
空気が焼ける。皮膚に触れる熱が、刃のように鋭くなっていく。呼吸するだけで、肺が焼かれそうだった。
だが――
俺は、後退らなかった。
(……諦めるわけ、ないだろ)
俺は、右手に握っていた剣を左手へと持ち替える。そして、背中――腰に携えていた、もう一本の剣へと手を伸ばした。
引き抜く。
迷いはない。
――真纏剣。
アングハルトが、この手に託してくれた剣。
魔法を、魔力を、弾くための剣。
俺は、右手に握った真纏剣を、迫り来る豪炎へ向けて、全身の力を込めて振り抜いた。
「ぐ……っ!!」
瞬間、
重い。
あまりにも重い。
魔力の塊が、鉛のような圧となって、真纏剣と俺の腕にのしかかる。
骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる。
豪炎は、剣に触れた瞬間、拡散せず、吸い寄せられるように収束していく。真纏剣の刃に纏わりつくように、炎が凝縮され――
次の瞬間。
収束した豪炎は、そのまま反転し、一直線に、王へ向かって解き放たれた。
――だが。
限界だった。
真纏剣は、その膨大な魔力の重さに耐えきれず、根元から、へし折れる。
鈍い音が響き、砕けた刃が宙を舞う。
だが、放たれた豪炎は止まらない。
「なっ――!?」
王は目を見開き、
慌てて杖を構え直す。
「くっ……!」
瞬時に展開される氷の壁。
分厚く、何層にも重なった防御魔法。
豪炎は、それに正面から激突し、氷を溶かし、砕き、蒸発させる。
――次の瞬間。
玉座の間を、白い蒸気が一気に覆い尽くした。視界が奪われ、熱と冷気が入り混じる。
王の姿も、その表情も、霧の中へと消える。
――今だ。
その直感は、理屈よりも速く俺の体を突き動かした。白く立ち込める蒸気の中、視界はほとんど利かない。
だが、足は止まらなかった。
俺は床を強く蹴り、一直線に踏み込む。
迷いはない。躊躇もない。
左手に握った幻装剣の柄を、両手で強く、強く握りしめる。
剣を、まるで祈りを捧げるように頭上へと掲げる。
次の瞬間。
蒸気を切り裂くように、全身の力を刃に乗せて、振り下ろした。
――ザンッ。
空気を裂く感触。
そして、すぐに訪れる確かな手応え。
刃は蒸気を抜け、その奥にあった確かな肉体を捉えた。王の肩口に食い込み、止まることなく、胸元へ――肉を裂く感触が、骨を砕く鈍い衝撃が、はっきりと、この腕に伝わってくる。
一閃。
肩から、胸、そして胴へ。鋭い刃は、王の体に深く、赤い軌跡を刻み込んだ。
蒸気の向こうで、王の目が大きく見開かれる。
「――――っ」
声にならない息が漏れ、その体が、ぐらりと大きく傾いた。王は血を吐き、苦悶に顔を歪めながら、まるで何かを悟ったかのように、天井を見上げる。
そして――
膝から崩れ落ちるように、静かに、仰向けに倒れ込んだ。
「ぐ……ぐふっ……がふっ……はぁ……はぁ……」
荒く、途切れ途切れの呼吸。
胸が上下するたび、血が口元から溢れる。
俺は、その場から一歩も動かず、ただ、静かに王を見下ろしていた。
王は、何かに縋るように、天井へ向けて、震える手を伸ばす。
掴もうとしたのは、王位か。権力か。
それとも――
失われた何かだったのか。
その指先が、虚空を掻き、大きく見開かれた目が、一瞬だけ揺れた。
――次の瞬間。
その手は、力なく床へ落ちた。
重く、乾いた音。王の瞳から光が失われ、やがて、静かに、瞼が閉じられる。玉座の間に残ったのは、血の匂いと、立ち込める蒸気。そして、終わりを告げる、静寂だけだった。
俺は気がつくと剣を下ろし、深く、長く、息を吐いていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回は【明日19時】に更新予定です。
引き続き
モデリスク王国編 陰謀編を進めていきます!
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