第82話 宣戦
俺、グレイノース=リオンハーツは、モデリスク王国――王都カルバンの玉座の間で王と対峙していた。
ここで知った真実は、あまりにも重く、あまりにも歪んでいた。この国の王は、もはや本来の王ではない。宰相がその座を奪い、王として振る舞っていたのだ。
王が放った氷の槍を俺は、《爆炎魔法》で焼き払う。そして王は、狂ったように顔を掻きむしり、その手を、ゆっくりと止める。
血に濡れた顔。
裂けた皮膚。
それでもなお、玉座に座るその姿には、異様な威圧感がある。正気と狂気の境界で揺れる目が、まっすぐに俺を捉えた。
「一つ……いい事を教えてやる……」
低く、ねっとりとした声。
俺は、その言葉に即座に反応できなかった。あまりにも多くの情報と感情が胸の内で渦巻き、ただ、次に放たれる言葉を待つしかなかった。
「間もなく……ラナリア王国は陥落する……」
その一言が、空気を凍らせる。
「そのための準備は……すでに、整った……」
――ふざけるな。
怒りが、思考よりも先に体を動かした。
俺は腰を落とし、踏み込みの体勢を取り、腰の剣の柄を、強く、強く握り締める。
すると――
玉座に座る王が、まるで合図を出すかのように、軽く手を前へと払った。
その瞬間。
壁際に並んでいた金色の鎧の騎士たちが、一斉に動く。剣が抜かれ、床を蹴る音が重なり、俺とアングハルトを包囲するように、殺意が迫ってくる。
だが――
――《竜の威圧》
俺の全身から、抑え込んでいた魔力が一気に解き放たれた。それは、音ではなく、言葉でもなく、ただ“恐怖”そのものだった。
圧倒的な存在差を叩きつけるような気配が、騎士たちの精神を踏み潰す。
騎士たちは、剣を構えたまま、硬直した。
呼吸すら忘れたように、その場で動けなくなる。
その一瞬で――十分だった。
俺は剣を鞘から引き抜く。
――《瞬足》
全身を駆け巡る魔力が、肉体を限界以上に加速させる。
一歩。
それだけで距離は意味を失った。
俺の剣は、迷いなく振るわれ、騎士たちの胴を、鎧ごと切り裂いていく。血が舞い、剣が床に落ち、騎士たちは、糸の切れた人形のように、その場へ崩れ落ちた。
静寂。
俺は、剣の柄を握りしめたまま、ゆっくりと、玉座へと視線を向ける。
その光景を見た王は、悔しそうに唇を噛み締め、低く呟いた。
「魔術といい……剣術といい……まるで……あの男のようだ……」
王の視線が、俺に突き刺さる。瞳孔が、異様なほどに開き、何かを思い出したように、その顔が歪んでいく。
そして――憎悪が、完全に表情を塗り潰した。
「ああああああああ!!!!!」
王は、玉座の上で、まるで理性の鎖が完全に外れたかのように、狂ったように叫び声を上げた。
「なぜだ……なぜなんだ……!!」
玉座の前で、王はもはや王の体裁すら失い、感情をむき出しにして叫び続けていた。
「魔術の才は……!あの男よりも、確実に……この俺の方が上だったはずだ!!努力もした!誰よりも!誰よりもだ!!」
握り締めた拳が震え、力を込めた指先に血が滲む。
「それなのに……たかが才能に恵まれただけの人間が……全てを持っていく……!!」
王の叫びは、もはや誰に向けたものなのか分からない。
「剣と魔術……なぜ、お前のような“子供”が……あの男と、姿が重なるのだ!!!!」
狂乱の中で揺れる王の瞳には、確かに“誰か”への、底知れぬ憎悪が宿っていた。
その視線が、ゆっくりと俺に向けられる。
「お前は……一体……なんなんだ……?」
その問いには、恐怖と、嫉妬と、理解できないものへの嫌悪が混じっていた。
俺は、その姿を――哀れだと思いながらも、剣先を、迷いなく王へと向ける。
「俺の名は――グレイノース=リオンハーツ……」
はっきりと、この場に刻み込むように告げる。
「ラナリアを、陥落なんてさせねぇ。あんたを――ここで止める」
そして、あえて、皮肉を込めて言い放った。
「来いよ……偽りの王」
その言葉が、王の最後の理性を、完全に引き裂いた。王は俯いたまま、玉座の椅子から、ゆっくりと立ち上がる。
「……偽りの王、だと……?」
低く、押し殺した声。次の瞬間、吐き捨てるような怒声が玉座の間を震わせた。
「ふざけるなァァァァ!!俺の名は、エルディオン=ヴァルデリク!!この国の、正真正銘の王だ!!」
叫び終えた王は、冷え切った視線を俺へ向け、杖の先を、真っ直ぐに突き付ける。
その口元が、歪む。
「俺を愚弄したこと……死んで、後悔するがいい」
杖の先に嵌め込まれた宝玉が、禍々しい光を放った。空気が軋み、魔力が膨張する気配が、はっきりと分かる。
(来る……!)
俺は即座に身構えた。
その瞬間――
俺の足元、床一帯に、巨大な魔法陣が浮かび上がる。
複雑に絡み合う紋様。
見たことのない術式。
圧倒的な魔力量。
魔法陣から放たれた光が、俺の体を包み込むように、上へと立ち昇る。
視界が白く染まり、一瞬、感覚が遠のく。
だが――
次の瞬間、光は、すっと消えた。魔法陣も、最初から存在しなかったかのように、薄くなり、消滅する。
俺は――
立っていた。
痛みはない。
息も乱れていない。
体に違和感すら、ない。
「……?」
俺は、思わず自分の体を確かめる。
腕。
脚。
胸。
どこにも――傷ひとつ、見当たらなかった。
完全な、無傷。
(……何だ……?)
確かに、あれほどの魔力を浴びたはずなのに。
俺は、困惑と警戒を胸に抱えたまま、再び、玉座に立つ王へと視線を向けた。
この“何も起きていない”という事実こそが、最も、不気味だった。
(……失敗、したのか?)
俺は、足元に消えた魔法陣の意味を掴めないまま、一瞬、思考が止まっていた。
確かに、あれほどの術式を浴びたはずなのに――何も起きていない。
いや、何も起きていない“ように見える”だけなのかもしれない。
そんな不安を抱いた、その瞬間だった。
「ふふ……」
王が、まるで舞台を楽しむ観客のように、口元を歪めて笑った。次の瞬間、王の周囲の空気が凍りつく。
パキ、パキ、と音を立てて、宙に無数の氷の槍が生み出されていく。
一本、二本ではない。
壁を覆い尽くすほどの数。
「――っ!」
王が、杖を軽く振り下ろす。合図と共に、無数の氷の槍が一斉に俺へと放たれた。
反射的に、俺は両足を踏み締め、正面へ掌を突き出す。
爆炎ーー
スキルを放つその直前に、俺は視線を横へ走らせた。
アングハルト。
俺は言葉を発する代わりに、視線だけで伝える。
――逃げろ。
その意図を汲み取ったアングハルトは、一瞬だけ歯を食いしばり、それでも迷いなく、玉座の間を飛び出していった。
その背中が視界から消えたのを確認し、俺は、全力で魔力を前方へと解き放つ――はずだった。
だが。
(……っ!?)
全身を巡るはずの魔力が、外へ出ていかない。
胸の奥には、確かに魔力がある。
枯渇しているわけじゃない。
感覚も、意識も、正常だ。
なのに――
(出ない……!?)
掌を突き出したまま、俺の体から、魔力は一切放たれなかった。
(魔力は……残ってる……なのに……なぜ……!?)
焦りが、背中を這い上がる。
そんな俺を見て、王は心底愉快そうに、目を細めていた。
(……考えるな!)
今は、目の前を生き延びることだけを考えろ。
迫り来る無数の氷の槍。
俺は、魔法を諦め、剣の柄を強く握り締め一歩、踏み込む。
――《幻装剣》
最初の一本を、真正面から叩き斬り、砕けた氷が飛び散る。
次の一本、横薙ぎに切り払い、さらに一本も剣を振り下ろして粉砕する。
腕が、反射だけで動く。
考える余裕はない。
生にしがみつくように、ただひたすら、迫る刃を、切り落とし続ける。
ガキン、
ガキン、
ガキン――!
砕かれた氷の槍は、勢いを失ったまま、床や壁に突き刺さっていく。
最後の一本を弾き飛ばした瞬間、俺は、その場に膝をついた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
荒く息をつきながら、床に滴る汗と、砕けた氷の破片を見る。
そして、顔を上げ、王を睨み据えた。
「……一体……俺に……何をした……?」
王は答えず、ゆっくりと、玉座から降りてくる。
一歩。
また一歩。
まるで、勝利を確信した者の歩み。その表情には、余裕と、愉悦と、そして優越感が滲んでいた。
王は、俺の目の前で立ち止まり、誇らしげに、そして自慢するように、口を開いた。
「驚いたか?これはな……魔力そのものを阻害する魔法陣だ」
王の言葉が、静かに、しかし確実に俺の胸に沈み込む。
(魔力そのものを、阻害する――?)
そんな話、聞いたことがない。
スキルを封じる魔道具。
特定の魔法を無効化する結界。
そういった類なら、まだ理解できる。
だが――
(魔力そのものを使えなくするなんて。)
俺が言葉を失っているのを見て、王は子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
「当然だ。知らなくて当たり前だ。これは、既存の魔導理論を前提にしていない」
王は、誇らしげに語り始める。
「人間の体内を巡る魔力――その根源にある“魔元素”の流れそのものを阻害する」
淡々とした口調。だが、その言葉一つひとつには、狂気じみた執念が滲んでいた。
「従来の魔導具ではな、一つの魔導具につき、一つのスキル、あるいは一つの魔法。それが限界だった」
王は肩をすくめ、嘲るように続ける。
「だが、この魔法陣は違う。スキルだろうが、魔法だろうが関係ない。――使う前段階を、根こそぎ潰す」
俺の背中に、冷たい汗が流れた。
「つまりだ」
王は一歩、俺との距離を詰める。
「今のお前は、魔法も使えない。スキルも使えない」
そして、わざとらしく、言い切った。
「――本当の意味での“無能”だ」
胸を抉るような言葉。
だが、王はまだ歩みを止めない。
もう一歩、さらに一歩。
「もっとも、この魔法陣にも欠点はある」
王は少しだけ肩を落とし、残念そうに息を吐いた。
「貴重な鉱石を使った大量の魔導具が必要でな。それに、事前に長い詠唱を済ませておかなければならない」
――だから、誰にでも使える代物ではない。
そう言外に語りながら、王はすぐに表情を歪める。
「だが……」
血に濡れた顔で、俺を見下ろし、薄く笑った。
「お前のような未熟な人間には、これだけでも十分すぎるほどだったようだな」
次の瞬間。
王は、自身の杖を高く掲げ、天井へ向けて突き上げた。
玉座の間の空気が、一気に歪む。
「――豪炎煉獄球」
呟くような詠唱。
その直後、王の頭上に、異様な存在感を放つ巨大な炎の塊が形成される。
ただの火球ではない。
熱そのものを圧縮したかのような、
禍々しく脈打つ炎。
近づくだけで、肺の中の空気が焼かれる感覚。
肌を刺すような熱風が押し寄せ、俺は思わず息を詰めた。
(……まずい)
魔力は使えない。
スキルも発動しない。
残されているのは――この身一つと、剣だけ。
それでも俺は、迫り来る豪炎から視線を逸らさなかった。
逃げない。
俯かない。
燃え盛る炎を、真正面から、静かに見据えながら。俺は、剣を強く握り締め、次の瞬間に備えて、逆転の一手を考えながら全神経を研ぎ澄ませていた。
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次回は【明日19時】に更新予定です。
引き続き
モデリスク王国編 陰謀編を進めていきます!
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